支 配 さ れ な い 場 所 へ



三年前を思い出すと、実のところ城之内はあまりSEXがすきではなかったのだろうと思う。
受け入れる側としての負担はできるだけ軽くしたつもりだが、それでもまるで支障がなかったわけではない。苦痛も、男の身には過ぎる快楽も、少なからず城之内を蝕んだ筈だ。だから城之内は、どちらかといえば過剰な身体的接触より、隣に座って映画を見たり、他愛ない世間話に興じたり、戯れにデュエルをしたり、そうしたなんでもないことを好んでいた。どうしよもなくひどいSEXのあとでさえ、手を握って髪を撫でると、びっくりするほど優しい顔で微笑んだ。本当は海馬も、一時の熱に喘ぐ城之内より春の日差しのような顔で笑う城之内が好きだった。

SEXをした夜に海馬がふと目を覚ますと、よく城之内が冷蔵庫を漁っていた。暗闇を厭う城之内の為に設置した間接照明の淡い光の中に、城之内の裸の上半身がくっきりと浮かび上がっている。健康的に日焼けしたその身体がさっきまで自分の下でどれだけ扇情的だったのかを思い出して、起き上がるのなら何か羽織れ、と裸の自身を差し置いて海馬は思った。海馬は黙って城之内の背中を眺めていたが、気配を感じたのか間もなく城之内はゆるりと振り返る。大事そうに皿をを抱え込んで、もごもごと口を動かしながらへらりと笑って、飲み込んでから海馬に向かって口を開いた。

「起こしたか?」
「ああ」
「悪い、腹減ってさ」
「夜中に物を食うと太るぞ」
「見逃してくれ。つうかお前いつももうちょっと肉つけろって言うじゃん」
「骨だらけでは抱き心地が悪いのでな」
「はは。じゃあ海馬も食う?」
「じゃあ、とはなんだ」
「お前も抱き心地悪いから」

悪いって言うかたまに痛い。体脂肪率何パーセントだよ、お前。呆れたような照れたような城之内声が耳に心地よかった。身長の割りに、海馬の体重が軽すぎることはわかっている。けれども、食べても太らない海馬と食べていない城之内とでは軽さの意味が違う。けれども海馬がそれを口に出すことはなかった。これからは海馬が城之内に食わせてやればいいのだ。いくらでも詰めてやろう、冷蔵庫の中身くらい。海馬が思案する間も、城之内は海馬の答えを待っているのか手と口を止めている。海馬は空腹ではなかったが、城之内が望むのならば一緒に間食というのも吝かではない。

「何を食べている」
「俺手作りのおにぎりです」
「いただこう」

海馬が手を出すと、城之内はベッドまでやってきて海馬に乗り上げた。妙に嬉しそうな顔をしている。少し大きめのおにぎりは海馬に手渡されることなく、城之内の手で口元まで差し出されて、海馬は躊躇いながらもそのまま噛り付いた。海苔と、塩と、それからこれは明太子。城之内が炊いて、城之内が握ったおにぎり。無言で噛み締めていると、なんか優越感、と海馬の膝の上で城之内は笑った。

「なあ、うまい?」
「悪くはない」
「だろ?俺握り飯は得意なんだ」
「誰が握ろうと味は同じだろう」
「ふふん、違うね」
「何がだ」
「愛が」

お前への、と勝ち誇ったように城之内は付け加えた。自分で握って自分で食べていたくせによく言えた台詞だ。けれども海馬は一瞬動きを止めてしまった。愛だと言った。城之内が。海馬が躊躇いなく口にする愛という言葉を、城之内は一切口にしなかった。これは戯れだ、と海馬は自身に言い聞かせた。料理を作って食わせる程度の愛はあるのだろう。例えそれが握るだけのおにぎりでも。ただそれがどんなものなのか城之内は明言しない。妹にでも、遊戯にでも同じことを言うのだろうと思う。黙り込んだ海馬の顔を、少しばかり心配そうな表情の城之内が覗き込む。ほんとはまずかったか、と聞くので、それだけは確実に否定してやった。途端に笑みを浮かべた城之内は、「だよな」と言って海馬の食べ掛けを躊躇いもなく口にした。穏やかで満ち足りた顔だった。むぐむぐとおにぎりを飲み込んでから、うまいよな、と城之内は言った。海馬も黙って頷いた。

「いいよなあ明太子。お前、またお中元もらったらよこせよ。腐らせる前に」
「いくらでも買ってやる」
「いんだよ、どうせ来るんだから」
「遠慮するな」
「してねえよ、高いものはたまに食べるから美味いの」

俺はお前みたいになりたくないからいいんだよ、と城之内は笑った。海馬が城之内の言葉の意味を考えていると、城之内はまたおにぎりを差し出した。海馬が食べて、城之内が齧ったおにぎりを。海馬は少し考えて、考えるまでもなく嫌悪感のない自分が不思議だった。海馬が誰かの食べ掛けを口にすることなど施設時代ですらなかったというのに。モクバにだってそんなことはしたことがない。ふたり分用意するか、あるいは全て譲るかだ。けれども、城之内とは分け合えるのだという。それだけで救われる気がした。そうして交互におにぎりを食べてしまってから、海馬と城之内はもう一度SEXをした。挿入のない、互いを高めるだけのSEXだった。

「か、いば」

掠れた声で海馬を呼ぶ城之内の声がいつまでも耳に残っている。 二度目のシャワーを済ませて、眠ってしまった城之内の金髪を撫でた。性欲と食欲と睡眠欲、人間の三大欲求が満たされた寝顔は繰り返す行為の背徳さを纏ってなお健やかだ。 城之内の緩やかな吐息は淡い色の睫を小さく震わせている。その震えにさえ欲情する海馬がいた。繰り返す日常に紛れることなく、いつまでも海馬の隣にいて欲しかった。

城之内は高価なもの、高級なもの、金で贖えるものにはほとんど執着のない人間だった。価値を知らないからだといっていたが、海馬には城之内のほうが正しく見えた。実際、城之内に必要ないものは価値のない物のように思えた。城之内は少しずつ海馬に胸の内を告げた。金がないと生きて行けないのは知ってる。だからいらないなんて絶対に言わない。だけど、金のために生きてるなんて言うのも、生きてるだけを目標にするのも、ほんとは何の意味もないんだよな。わかるような気がした。城之内の誰にも似ない潔さがどこから来るのか理解できた。けれども海馬は金しか知らなかった。金のために両親を奪われ、金のために引き取られ、今も金で城之内を繋いでいる。それが悪いとは思わなかった。けれども手に入らない城之内が欲しくて仕方なかった。城之内に海馬は必要なくても、海馬には城之内が必要だった。やり場のない衝動は、星を取れと泣く幼子の声に良く似ていた。

他のやり方を知らなかった。金を使う以外に、大事にしていることを示す方法がわからなかった。何が間違っているのか分からない、けれども間違っていることだけはわかっていた。大事にしようと思えば思うほど、城之内が離れていく気がした。本当は最初から最後まで何も変わらなかったというのに。


( やさしい記憶 / 海城連作 / 遊戯王 / 20090321 )  | |