ひとりで別の歌を 

真夜中、文机に突っ伏した土方がふと目を開けると、隣に山崎が座っていた。見ると、土方が検閲を終えた書類を丁寧に整理し、まだ乱雑に並ぶ上山を提出期限ごとに並べ替えているらしい。
「テメェ、帰って来たなら一声掛けろ」と、土方が机に頬を付けたまま低い声を出すと、「ちゃんと掛けましたよ。揺すっても突いても起きなかったのは副長でしょうが」と、山崎は可愛くない答えを返す。
その間も山崎が一切手を止めないので、「おい」と土方がさらに眉を顰めれば、「副長が、戻ったら一番に顔を出せと言うから来たんです。寝るなら寝るで布団に入ったらどうですか」と、山崎は土方の背後を指した。
見れば、そこにはすでに床が伸べられていて、「いつにもまして目付きが悪いですよ」と、山崎が余計なひと言を付け加えるので、「うるせェな」と、土方は身体を起こして、いつの間にか(どう考えても山崎が片付けたのだが)空になっていた灰皿を引き寄せると、山崎の前に置かれていた煙草とライターに手を掛ける。
ちらり、とようやく土方に視線を移した山崎は、「今夜はさすがに買い出しには行きませんから」と、土方にあらかじめ釘を指した。
山崎の言葉通り、買い置きの煙草はこれが最後の一箱で、「二ヵ月ぶりに帰ってきてそれか」と火を点けながら言えば、「もっと長引いてもおかしくなかったんですから、むしろ褒めてくれませんかね」と、山崎は土方に片手を出す。
山崎の右手は無視して、よしよし、と土方は山崎の頭を撫でてやったが、「これはご褒美にならないです」と、山崎が露骨に嫌そうな顔をするので、「これは俺のご褒美だ」と、土方はきっぱり言い切って、いくらか水気の減った山崎の髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜた。
はー、と溜息を吐いた山崎に、「楽しいですか」と尋ねられた土方は、「それなりに」と答えて、咥え煙草のまま文机の小引き出しを探る。確かこの辺に、と思った土方の指は、やがて一本の髪紐を探り当てた。
立膝で山崎の背後に回った土方が、手櫛で山崎の髪を乱暴に梳かすと、「なにがしたいんです」と振り返らずに山崎が言うので、「伸びたな」と、質問には答えずに土方は返す。二ヵ月前は首の後ろで跳ねていた山崎の後ろ髪が、今は肩に付いていた。
土方が山崎の髪をぎゅっと引っ張ってひとつに括ってやれば、「副長、暇なんですか?」と、山崎は不審そうな顔で振り返る。
「その山を見て良くそんな口が叩けんな」と、土方が山崎の頭をぺしりと叩くと、「だったら仕事してください、俺はもう部屋に戻りますんで」と、山崎の答えは冷たい。
ふー、と煙を吐き出して、「よし、夜食買いに行くか」と腰を上げた土方に、「いってらっしゃい、そしておやすみなさい」と山崎は手を振るが、「なに他人事みてェな顔してんだ」と、土方は山崎の手首を掴む。
うわあ、と心底疲れたような顔で、「副長、俺二ヵ月ぶりに帰ってきて、ほんと久々に布団で寝られるんですけど」と、とある過激攘夷党の塒に潜伏していた山崎が言うので、「肉まんくらいは奢ってやる」と土方が薄く笑えば、「わあ〜、うれし〜い」と、山崎は死んだ魚の目で答えた。
十月の丑三つ時はもう随分涼しかった。隊服を着込んだ土方はともかく、夏と同じ単衣に麻の袴だけを着けた山崎は少しばかり寒そうで、土方の視線の先でうなじが総毛だっている。
括った髪が悪いような気もするが、山崎に似合っているし、本人も気にしていないようなのでそのまま屯所を出ることになった。門の脇に詰めている当直の隊士は、土方を見て慌てて正門を開けようとしたが、土方は片手でそれをいなす。
ただコンビニ行くだけなんで、と説明した山崎のおかげで事なきを得た土方は、正門脇の扉を抜けた。後に続いた山崎の腰を眺めて、「刀はどうした」と土方が尋ねれば、「俺の刀は屯所です。二ヵ月使った刀は処分してきました」と、山崎は当たり前のように答える。
「テメェも大概命知らずだな」と返した土方は、それきり無言で山崎の前を歩いた。街灯がぽつぽつ灯る以外、民家もない道を進みながら、土方は影だけで山崎の存在を確かめる。
街灯の隣を過ぎるときは濃く短く土方の隣に寄り添い、遠ざかるごとに薄く長く伸びて消えていくそれは、けれども次の街灯でまた現れて土方の足元を掠めていく。それはまるで、山崎の生き方そのものだった。
監察などという役柄は因果なものだと、土方は常々思っている。どれだけ希望しても適性が無ければなれないし、他の役柄を熱望しても問答無用で観察に放り込まれることもあるのだ。
山崎などは良い例で、単純に安定した職に就きたいから、などと命を掛けるつもりもなく面接にやってきたその日から、その凡庸な容姿と印象に残らない性格を買われて監察に所属している。十番隊まで存在する真撰組の中で、監察がどこに所属しているかと言えば、真撰組副長である土方の直属だった。
土方も直情的な性格をしているので、正直そんなものを抱えるのは面倒なのだが、唯一の上司である近藤はそれに輪を掛けて馬鹿正直な人間なので、どうしても土方が引き受けるしかない。デスクワークと同じようなものだ。
土方の采配ひとつで動く彼らは、つまり土方に命を預けており、土方はそれが少し苦しかった。近藤のために命を掛けることはできるし、目の前で斬られそうになる隊士を助けることもできるが、監察相手にはどうしてもそれが出来ない。
事実土方は、攘夷志士をいぶり出すために、潜入中の監察を斬り殺したこともある。最初からそのつもりで潜ませた隊士は土方にひどく心酔しており、むしろ笑って死んでいったのだが、土方は数年経ったいまでもその笑顔が脳裏に張り付いて離れないのだった。
ゆっくり瞬いた土方の足元には、やはり山崎の影がまとわりついている。思い切り踏みつけようとしても、土方の足の甲をすり抜けるばかりのそれは、やはり山崎そのものだった。

五分ほど歩いて辿りついたコンビニで、山崎は当然のようにカゴを持って土方の後ろに付く。マヨもののおにぎりをいくつか放り込みつつ、「テメェは何にする」と土方が尋ねれば、「いや、俺はもう寝るんで」と山崎がそれこそ寝言を吐くので、土方は無言でカゴに納豆巻きを追加した。
すみませんおかかが良いです、としおらしく納豆巻きを戻してから別のおにぎりを手にした山崎は、「いい加減局長にも仕事してもらいませんか」と普段の調子で言うが、「近藤さんに仕事を一割任せて倍以上の尻拭いすんのと、俺とお前で終わらせんのと、どっちが楽だと思う」と土方が問い返せば、「まあそうなりますよね」と、山崎の表情は暗い。
少し考えて、「テメェは俺とふたりで仕事すんのが嫌なのか」と土方が重ねると、「それも嫌ですけど金にならない残業が嫌です」と、山崎の答えは容赦なかった。
「俺も条件は同じだから我慢しろ」と、土方は宥めるように言ったが、「せめて局長がお妙さんのストーカーしてる分の時給くらいは俺と副長に付きませんかね」と、山崎の言葉がひどく魅力的なので、「…それは交渉の余地があるな」と、土方も頷く。
真撰組の基本給は、実のところものすごく安い。局長である近藤と、副長である土方ですら額の差は微々たるもので、夜勤手当と特殊勤務手当が付くおかげでなんとかなっているが、監察である山崎は任務内容を明かすことができない為、ほぼ基本給のみで働かされている体だ。
もちろん潜入にかかる費用は経費で落とせるが、無事戻って来るまで請求できないので、山崎の懐具合は常に自転車操業である。屯所で暮らしていれば最低限の衣食住に困ることは無いので、そういった意味でも監察は完全に貧乏くじを引かされていた。
その上土方の手伝いまで、とだんだん本気で山崎が気の毒になってきた土方だが、結局それも山崎が選んだ生き方なのであえて気にしないことにして、緑茶のペットボトルを手に取る。
肉まん、と言っては見たものの、この時間コンビニのホットスナックはすべて引き上げられて、おでんの鍋すら洗って伏せられていた。山崎がさして気にした様子もなく財布を取り出すのを制し、煙草も1カートン追加した土方は、ずっしり重くなったコンビニ袋を山崎に預けて自動ドアを潜る。
「マヨネーズはよかったんですか」と、土方の顔を見上げる山崎に、「昨日買った」と返した土方は、「少し遠回りして帰るか」と、山崎が手にするコンビニ袋から突き出た煙草のセロファンを破って、一箱を取った。
「職質されたら副長が答えてくださいね」と、やはり可愛くないことを言った山崎は、袋から緑茶を一本出して、一口呷る。その喉が二ヵ月前よりいくらか細いので、「報告書もあした中に提出しろよ」と、土方は言った。
ぶっ、と口に含んだ緑茶を軽く吹き出した山崎が、「無茶言わんでください」と言いながら土方に向き直るので、土方は山崎の顎を拭ってやりながら「この際形式には目ェ瞑ってやるから、がんばれ」と、土方は返す。
八の字に眉を下げて、「こんなことならあした挨拶に行くんだった」と呟いた山崎に、「それはそれで面倒なことになるってわかってんだろ」と土方が唇の端を吊り上げれば、「少なくともいま眠いのは解消されたと思います」と、山崎はおかかおにぎりを取り出して言った。
土方が手を出すと、「そこ、座りましょうか」と、山崎が素早く縁石に腰を降ろすので、土方も大人しく山崎の隣に座る。がさごそ探って唐揚げマヨ握りを取った土方は、懐からマヨネーズを取り出してにゅるりと一口分、おにぎりに絞り出した。
もう随分傾いた月を見上げて、「そういや月蝕は見たか」と土方が尋ねると、「や、警備が手薄になるだろうからって幕府の武器庫を狙う算段を付けてましたから、見てませんね」と山崎はさらりと答える。
「ああ、アレはテメェが噛んでたのか…」と、妙に手際が良かった襲撃事件を思い出した土方は、「じゃあやっぱりテメェにはあの書類整理を手伝う義務があんだろ」と、沖田があの一件で破壊した家屋と備品の始末書を思い浮かべて、山崎にマヨ増量の唐揚げマヨ握りを突き付けた。
いやそれも仕事だったんで、と山崎はひょうひょうとした顔で返すが、「うちが絡むようなデケェ山に当たる前に帰って来いって、いつも言ってんだろうが」と、土方は山崎を睨む。
「それじゃ俺が行く意味が無いでしょう」と言い切る山崎の言葉は、不遜だが正しい。たった二ヵ月で、山崎が届けてきた情報は膨大な量になっていた。山崎以外の隊士が半年かけても得られない情報の大半は、どこにでもいる山崎だからこそ入手できたものである。
良くも悪くも、山崎に主体性はない。そのとき一番強い情勢を選んで、その時流に乗ることができるのだ。土方の隣で、呆けたような顔をしながらおかかおにぎりをペットボトルの緑茶で流し込む山崎は、次の瞬間山崎ではないものになり切ることができる。
山崎のペットボトルを奪って、まだ半分ほど乗っていた中身を飲み干した土方は、食べ終わったおにぎりの包装をコンビニ袋に戻して、「帰るぞ」と山崎に手を伸ばした。
土方の手を借りることなく立ちあがった山崎は、「遠回りはいいんですか」と首を捻ったが、「いい加減夜が明けるだろ」と、土方は強張った首をばきりと鳴らす。
頷いた山崎が、「明るくなる前に寝かせて欲しいんですけどね…」と小さく漏らすので、「それはお前次第だな」と返した土方は、「次もちゃんと帰って来いよ」と、山崎の背中を叩いた。
「それは、今言うことですか?」と、山崎の声は少しばかり不思議そうだったが、「いつ言ってもいいだろうが」と土方はなんでもない声で答えると、ようやく生身の人間になった山崎を連れて歩き出す。
もうすぐ夜の終わりだった。


( 山崎に構いたがる土方さんのはなし / 山崎退←土方十四郎 / 141012)