ハライソ

土方と坂田は、いつも屋上で顔を合わせていた。


土方が勤める私立銀魂高校は、比較的自由な校風と女子の制服で保っている。数年前までは何の変哲もない紺のセーラー服だったのだが、代替わりした理事長が一念発起して渾身のブレザーに切り替えたのだ。セーラーカラーとまでは行かないが、襟の大きな上着に、何色か選べるリボン、基準丈が膝よりほんの少し短いチェックのプリーツスカート。この「ほんの少し」が決め手で、生徒はあえてその長さを上にも下にも崩さずにいる。ちなみに、男子生徒の制服は相変わらず学ランのままなので、これは完全に理事長の趣味なのだろう、と土方は思っていた。制服目当ての女子生徒と、それにつられる男子生徒のおかげで、銀魂高校は今日もそれなりに賑わっている。
さて、土方が坂田銀時、という生徒をまがりなりにも認識したのは、今年の入学式だった。あの日は四月だと言うのにずいぶん暖かく、土方はパイプ椅子の上で船を漕がないよう必死だった。窓の外では春風に吹かれて満開の桜がはらりはらりと花を散らし、柔らかな日差しが講堂へと影を落とす。さすがに静かな新入生三百三十余名と、それらを熱心に見詰める倍はいそうな保護者の列と、読経のような理事長挨拶の、毎年変わらない光景に土方の眠気は頂点を迎えようとしていた。眼鏡をかけてくればよかった、と土方は思う。なんとなく切りそびれて伸びてしまった前髪とフレームの太い眼鏡越しなら、目を閉じていてもそうそう気付かれはしなかっただろうに。
もぞり、と強張ってしまった身体を動かし、髪を掻きあげるふりをして小さな欠伸を噛み殺した土方は、ふふっ、とごく小さく落ちた笑い声で居住まいを正した。隣の教師にそっと目を向けてみるが、こちらは入学式などお構いなしで、最初からがっくり首を垂れている。もう片側は緞帳が垂れる出入り口なので、笑い声などする筈もなかった。うん?と少しばかり首を捻った土方は、もう一度落ちたひそやかな笑いが、両隣でもステージでもなく真正面、つまり新入生の席から聞こえることを知って、顔を上げる。と、そこには目が覚めるような白髪の少年が座っていた。瞬き一つ挟んで、すぐ視線をステージに向けてしまった生徒は、しかし土方に向けて小さく手を振って見せる。パイプ椅子の脇でひらひら揺れるてのひらは、陽気も相まって白い蝶のようだった。
最初に書いたが、銀魂高校はわりと自由な校風で知られている。しかしそれは、A~Eまでの普通科と、V~Zまでの特別科(商業科、音楽科、情報科、英語科、そして特別進学科)に分かれたクラス編成や選択授業の数、課外学習の多彩さなどを言うものであって、風紀が乱れていると言うわけではない。もちろん学年が上がればピアスや染髪などをする生徒もある程度いるわけだが、さすがに入学式からここまで気合の入った格好をしてくる奴は今まで見たことがなかった。というより、許されないだろう。なにしろ、この生徒が座る列はステージから向かって左端、半数近くが特待生の、特進Zクラスなのだから。
(つまり、自毛なのか)
今まで気づかなかったことが不思議なくらい眩しい白髪頭を見るともなく眺めている間に、式は恙無く終わり、両端のAとZクラスから新入生は退場していく。立ち上がって見送る土方の脇を、白髪頭は何でもない顔で通り過ぎて行った。その日は、ただそれだけだった。


一週間ほど経った水曜日の昼休み、土方が屋上でパンを齧っていると、珍しく鉄扉が開いた。銀魂高校は、屋上への出入りを禁じていない。いないが、基本的に掃除の手が入らないのでひどく汚れており、結果的にほとんど誰も近寄ろうとしなかった。土方はと言えば、それを良いことに、校舎ひとつ分のスペースを喫煙所兼休憩所として悠々占拠している。ひび割れたコンクリートの上には土や砂が積もり、ところどころ雑草が生えているし、雨上がりには水溜りもできるが、おかげで土方がどこで煙草を踏み消してもそう目立ちはしない。湿った土の感触が嫌なら、新聞の二、三枚も敷いて座れば良いだけの話だった。というわけで土方は今日も今日とて食後の一服を楽しみにマヨネーズまみれのパンを咥えていたわけだが、ギィ、と重たい音を立てて半分がた開いた扉からぴょんと顔を出したのは、入学式の白髪頭である。
あ、と思った土方が見つめる前で、おそらくは似たような顔をしながら口を開けた白髪頭は、一瞬そのまま扉を閉めようとしたが、土方が一切動じずにいると、考え直したように屋上へと踏み出した。鉄扉は、鈍く軋みながら白髪頭の後ろで口を閉じる。白髪頭が手に提げている弁当包みを見て取り、もぐもぐとパンを飲み込んでから、「ここで食うのか?」と、土方が声を掛ければ、「良ければそうしてェなって」と、低く柔らかな声で白髪頭は言った。「入っていいですか」と、尋ねた白髪頭に頷いて見せた土方が、「汚ェとこだがな、良ければゆっくりしてけ」と、言いながらサービスで古新聞を敷いてやると、「失礼します」と返した白髪頭は、素直に新聞の上へと腰を下ろす。ちらりと眺めた真新しい学ランは、少しばかり袖が余っていた。
弁当に箸を付け始めた白髪頭の隣で、パンを食べ終えてしまった土方は、少し考えて白髪頭を突く。顔を上げた白髪頭に、「お前、煙草平気か」と尋ねれば、白髪頭はこくんと頷いた。ならいいか、とそれでも風下を選んで土方が火を付ければ、「煙草吸うために、ここへ来るんですか」と白髪頭は言う。「喫煙所は煙くせェんだよ」と土方が盛大に顔をしかめれば、「自分も吸ってるくせに」と白髪頭は可笑しそうな表情を作った。ちょうど一週間前と同じように。そうして、ちらりと土方を見上げた白髪頭が「えっと…V組の先生?ですよね?」と、あやふやな声を出すので、「副担だがな」と返すと、「えっ、でもHRも全部先生がやってんじゃん」と、白髪頭は言う。V組がHRということは、Z組もHR中だと思うのだが、そこにはあえて触れずに、「まあ担任がいねえようなもんだから、お前の認識は正しい」と土方は頷いてやった。
納得したのかしないのか、黙々と箸を動かした白髪頭は、弁当箱があらかた空になったあたりで、「先生は何の先生なんですか」と問いかける。二本目の煙草に火を付けつつ、「なんだと思う」とどうでも良さそうな声で土方が返せば、「数学とか科学とか… 政経?」と白髪頭が答えるので、「全部外れ。簿記と技術だ」と、土方はにやりと笑って言った。Z組ではどちらの教科も選択肢に含まれていないので(簿記は商業科のみの必須科目で、技術は普通科と商業科二、三年の選択科目だ)、土方が白髪頭の授業を受け持つことはない。白髪頭が来年どこかのクラスへ移動する事が無ければ、の話だが。
あー、といくらか残念そうな顔をした白髪頭は、脇に置いてあったいちごオレをちゅうちゅう吸った。弁当の中身はごく普通だったから、「お前、よくそんなもん飲みながら飯が食えるな」と土方が言うと、「この間まで、牛乳飲みながらカレー食ってましたし」と、白髪頭はわかりやすく給食の例を出す。それもそうか、と納得した土方は、ゆっくりとタバコを吸い終えると、ポケットから出した携帯灰皿に吸殻を落とし込み、「じゃあな、午後も真面目に授業受けろよ」と、白髪頭に軽く手を振った。と、「さかたです」と、不意に白髪頭は言う。「さかた」と、土方が繰り返せば、「坂田銀時です。先生はあしたもいますか」と、白髪頭が重ねるので、「他に煙草の吸えるところもねえからな」と、土方は答えた。そうですか、とやけに嬉しそうな顔をした白髪頭…坂田は、「またあした」とにこやかに手を振り返す。
「降りるときは鍵かけて来い」と言い置いた土方は、銀時の返事は待たずに鉄扉を閉めると、階段を二階分降りてやけに広い校舎三階の簿記準備室へ戻った。銀魂高校が完全な商業高校だった頃の名残だと言う。四年前に転任してきた土方には覚えのない話だが、教師の中にはその頃の生徒だった者がちらほらいるようだ。ともかく土方は、今ではこの学校に一人しかいない簿記教師なので、授業と昼休み以外は大概ここで暇を潰している。煙草が吸えたら言うことは無いのだが、生徒の目も教師の目もあるので贅沢は言わない。いつからあるかわからない備品扱いの冷蔵庫を開けた土方は、買い置きの缶コーヒーを取り出した。次の授業まで、まだ少し間があった。


翌日、土方がいつものように屋上へ上がると、柔らかい陽が差す薄汚れたコンクリートの隅に坂田が腰を下ろしている。離れて座る理由もないので、土方が湿った土を踏んで近寄れば、「こんにちは、土方先生」と坂田は言って、土方に段ボールの切れ端を差し出した。新聞紙より格段に防御力の高い段ボールを尻の下に敷きながら、「どうしたんだ、これ」と土方が尋ねると、「裏から拾ってきました」と、坂田は校舎裏の資材置き場を指す。
「あんなとこ良く見つけたな」と、いくらか感心した土方が坂田を横目で眺めると、坂田は今日も彩り良く詰まった弁当を口に運びながら、「どこになにがあるか把握しとかねーと、いざと言う時逃げられないんで」と返した。何の話だ、と土方は思ったが、この年頃のこどもには良くある発言なので今さら驚きはしない。土方は土方で、ツナポテトパンの封を切ると、尻ポケットから取り出したマヨネーズを掛けて咥える。しばらくしてから、「土方先生、それは何のまじないですか」と坂田が一応言葉を選んで問いかけるので、「ただの趣味だ」と土方は短く返した。味覚異常は承知の上である。
またしばらく無言で箸を動かしていた坂田が、「もしかしてそれがあるから、ここで飯食ってんですか」と土方を見ることも無く言うので、「煙草吸うためだっつったろ」と土方は素っ気なく答えると、「坂田は教室に居づらいのか」と切り返した。いやべつに、と答えかけた坂田は何かに気付いたような顔で土方を見つめて、「土方先生、俺の名前覚えてくれたんですね」と言う。「教師だからな」とマヨネーズまみれのパンを食い破りながら土方が言うと、「そうですか」と銀時は頷いて、それきり弁当を食い終わるまで口を開かなかった。
飲み物すらない昼食はあっという間に終わり、ゴミを丸めてポケットに突っ込んだ土方は代わりに引っ張り出した煙草を咥えて火を付ける。紫煙を吐き出した土方の隣で、弁当箱の蓋を閉じた坂田が、「土方先生はパンが好きなんですか」と言うので、「どっちかっつうと米派だ」と土方が返せば、坂田は膝の上で弁当箱をきちんと包み直してから、「それで、好きなものはマヨネーズなんですね」と、ひとり言のように続けた。軽く灰を落とした土方が、「それがどうした」と胡乱な表情を作ると、「いえ」と坂田は首を振って、じっと土方を見つめる。何か言いたいことがあるようなので、土方はしばらく坂田の視線を受け止めていたが、瞬きひとつで視線を逸らした坂田は、「次体育なんで、失礼します」と一礼して去って行った。鈍い音を立てて軋んだ鉄扉には、今日も赤錆が浮いている。


五時限目、三年のクラスで簿記の小テストを受け持っていた土方がふと窓の外を見下ろすと、校庭では一年生の体力測定が行われているようだった。学年色でもあるエメラルドグリーンのジャージを見下ろしながら、あの色はないな、と軽い同情を寄せた土方は、有象無象の中に白髪頭を見つける。その瞬間、坂田もぱっと顔を上げて、確かに土方を捉えた、ように見えた。ここ四階だぞ、と眉を寄せた土方の視界で、坂田はゆるく微笑みながら小さく手を振っている。ちょうど、入学式と同じ図だった。


明けて金曜日、土方がパンを片手に屋上の扉を押し開けると、坂田は屋上の端に小さなレジャーシートを敷いて寛いでいる。「何してんだ」と、土方がきちんと揃えられた坂田の靴を爪先で突けば、「俺、今年お花見してなかったんですよ」と、坂田は理由にもならない言葉を口にして、正門から続く桜並木を指した。散り際の桜は柔らかく舞い上がって、屋上にも花びらを降らせている。良く見るとレジャーシートの下には段ボールも敷かれていて、「土方先生もどうぞ」と、坂田はシートの端に移動した。
校内への不用品の持ち込みについて何か言うべきだろうか、と土方はわずかに逡巡したが、どう見ても用途が限られている上にそう嵩張るものでもないので、結局靴を脱いでシートに腰を下ろす。そのままパンの封を切ろうとした土方の膝に、「良かったらこれも」と、坂田は紺色の包みを乗せた。「教師に賄賂は通じねえぞ」と、土方は無造作に包みを突き返したが、「賄賂じゃないです、ただの花見弁当です」と、坂田は譲らない。一分近く攻防を続けて、埒が明かないと判断した土方が「今日は受け取るが、月曜からは勘弁しろよ。一度受け取るとキリがねえんだ」と弁当包みに指を掛ければ、坂田はあからさまに頬を緩めて、「土方先生はバレンタインとかすごそうですね」と見てきたように言った。
「… いくら処分するっつっても準備室の前やら下駄箱やらに詰め込んでいく奴が耐えなくてな、去年からは生徒の目の前でゴミ箱に入れてる」と、ため息交じりに土方が返すと、「それはさすがにドン引きじゃ」と坂田が言うので、「それが目的だ」と、土方は添えられていた割り箸を手にして告げる。「教師も生身の人間なんだよ、十五、六のガキの性衝動に付き合ってられるか」と綺麗に焼き目のついたハンバーグを箸で割り、そこにマヨネーズを絞り出しながら土方が続ければ、「それは俺にも言ってますか」と坂田はブロッコリーを咥えながら問い返す。「胃袋から掴むのは間違いじゃねェが、男から手作りの弁当寄越されても嬉しくはねェな」と答えた土方に、「人間関係って難しいですね」と坂田は肩を竦めて、いちご牛乳のストローを噛んだ。


翌週の月曜日は雨だった。
土方は屋上へ行かなかった。桜はすっかり散ってしまった。


( 屋上でご飯たべるだけ / Z3 / 土方十四郎と坂田銀時 / 140804)