レンタルラヴァー:07

十一月最後の月曜日だった。
いつものように居酒屋で飲んでいた銀時は、声もかけないまま隣に並んだ土方へ、息をするような気安さでお猪口を手渡す。なんでもない顔で受け取った土方は、銀時が注いだ酒をぐっと飲んでから、「朗報だ、今週でこの茶番が終わるぞ」と、銀時に声をかけた。
「あ、そうなの?いきなり言うね、お前も」と返した銀時は、でも十一月に入ってからずっと、期限を聞けずにいたのだった。
「遅れてた船が今朝方ようやく着いてな。予定では二週間前の筈だったが」と言った土方は、片手を上げて店員を呼び止めると、品書きも見ずに肉じゃがとタラの煮つけを注文する。
お前は、と目で尋ねられた銀時は、つくね串とさつま揚げを頼むと、「で、俺はどうすりゃいいわけ」と土方と自分のお猪口に酒を追加しながら問い掛けた。
「土曜の晩に、視察を兼ねた親睦会がある。うちは基本的に場外の警備を任されてるんだが、一部高官の護衛もあってな。同性愛者以外は中に入れねえから、てめェには俺のパートナーとして付き合って欲しい。何もねえとは思うが、もし不測の事態があれば、高官と天人連中の避難ルートくらいは確保してくれ」
淀みなく言い切った土方は、危険手当と同伴出勤でこれくらい、と、胸ポケットから抜いたマジックで銀時の左手にさらさらと数字を書き付ける。二十五万。高いのか安いのかわからないが、ドッキリマンシール一枚にかけたこともある命の対価としては、破格の報酬だろう。
「土曜の夜、な。じゃあ、これでタダ飯タダ酒ともお別れか」と、運ばれてきたつくね串についてきた卵の黄身を潰しながら、銀時が感慨深く呟けば、「米の件は忘れてねえから安心しろ。成功報酬も、これくらいは出せる」と、土方はまたマジックの蓋を取って数字を連ねた。カンマがふたつ、三百万。
じっと手の甲を見下ろして、「くれるっつうならもらうけどよ、これってお前が個人的に出す金なんだろ?さすがに多すぎねえ?」と銀時が言うと、「そうでもねェだろ、てめェの処女の分も含めてだからな」と、土方はさらりと返す。
「まだ狙われてんの?!」と思わず尻を押さえた銀時の頭を軽く張り飛ばし、「誰がいつ狙った!」と突っ込みを入れてから、「自分で突っ込んだだろ、道具を」と、呆れたように土方は言った。
「えっ、俺あれでロストバージン?」と、それはそれで釈然としない銀時が抗議すれば、「女なら膜は無くなんだろ」と、土方は涼しい顔でろくでもない言葉を返す。
「そ、そういう基準…」と若干肩を落とした銀時に、「あれでてめェが尻に目覚めてたら俺の責任だからな」と、ごく優しい声で土方が頷いて見せるので、「やめて語弊があるから!目覚めてないから、銀さんは銀さんの銀さんだけで満足してるから!」と銀時は必死に首を振った。
ふは、と笑った土方は、机上に三百円ではなく五百円玉と百円玉を一枚ずつ並べて、銀時の目元と唇にそれぞれ啄ばむようなキスをする。すっかりお馴染みの光景となったそれに、常連客も店主も一切構うことは無く、銀時も笑って土方を受け止めた。
和やかに食事を終え、「じゃあ、また土曜日にな。必要なものは明日にでも届けさせる」と、いつものように屯所前で土方と別れた銀時は、今夜も握らされた万札をポケットへ突っ込んで、すう、と表情を消す。
視線を落とせば、月明かりに照らされた影が長く伸びて、銀時の行く道を指した。「あと、五日」と呟いてみた銀時は、それが嬉しいのか悲しいのかよくわからなくて首を捻る。喜んでいい筈なのにな、と思った銀時は、首の後ろを掻きながら歩き出した。
思い出すのは、土方とセックスをした夜のことである。
あれからも形式としてラブホには三度泊まったが、土方と性行為に及ぶことはもう無かった。ただ一緒に風呂に入って頭を洗うのと、同じ床に就くのは暗黙の了解で、銀時は毎回気持ち良く眠りに落ちた。お互い勃っていることには、最後まで触れなかった。
つまり、そういうことだった。

❤ ❤ ❤

翌朝、土方のおかげでたっぷりした朝食を終えた後のことだ。
ソファに寝転がっていた銀時に、「銀さん、土方さんの名前で何か届きましたよ」と、ドアベルの音で玄関に立っていた新八がいくつかの小包を見せる。「ん?ああ、寄越せ」と起き上がった銀時の隣で、「食い物アルか?」と神楽がごく嬉しそうな顔をするので、「たぶん違う」と言いながら銀時は一番大きい茶色の包み紙をべりべり剥がして、黒い箱の蓋を取った。
銀時の予想通り、中には一揃いの正装が詰まっていて、「コレ、銀ちゃんの?」と神楽はつまらなそうな声で銀時の膝に肘を付く。「まあお前に着せるもんじゃねーだろな」と言った銀時は、服の上に乗っていた手紙だけ選り分けてから他の包みも無造作に開くと、高級そうな黒い靴と銀と青のカフスを取り出した。
恐る恐るドレスシャツに触れた新八が、「なんだかすっごく高そうな生地ですね」と言うので、「おう、汚したら弁償できねえから気を付けろよ」と銀時はひらひら手を振る。正直直やりすぎだろ、と思わないこともないが、土方には土方の考えがあるのだろう。
これも終わったら貰っていいのか、と、明らかにただのガラスではないカフスボタンの石を眺めていた銀時の肩へ伸し掛かりつつ、「銀ちゃん、男が女に服を贈るのは脱がせてズゴバコしたいからだってマミーが言ってたアル。良かったな!」と、無邪気な声で神楽は言った。
「何が良かったのか一ミリも理解できねーんだけど、お前のマミーはなんなの?昼ドラにでも巻き込まれてたの?」と、神楽の頭をがしがし撫でた銀時が問いかければ、「何言ってるネ、銀ちゃんが隠してるエロ本にも似たようなこと書いてあったヨ」と、神楽はしたり顔で返す。
「ばっか、隠してんのはそれなりの理由があんだから探すんじゃねーよ。お前は大人しくジャンプでも読んでろ」と言い返した銀時に、「ジャンプもまだ早いって言ってなかったカ」と神楽が減らず口を叩くので、銀時がもう一度口を開きかけたところで、「その話はいいですから!それより本当にどうしたんです?何かあるんですか」と、新八が割って入った。
あれこれ考えてから、「あー、週末にパーティがあんの」と銀時が簡潔に答えると、「えっ、私も行くアル、ご馳走食べに!」と、神楽は目を輝かせて手を上げる。
予想していた銀時は、「ホモかレズしか入れねーからダメ」と簡単に神楽を切り捨てたが、「そんなの簡単ヨ、新八に女装させるアル」と神楽はめげない。「えっ、僕が?!」と上擦った声を出した新八に、「この際おさげの地味目な女でも我慢してやるヨ」と、神楽は不遜に言い放つ。
埒が明かない、と思った銀時が、「勝手に盛り上がんな、ラブラブじゃねーとダメなんだよ」と軽く手を振ると、神楽と新八は一瞬顔を見合わせてから、にやりと笑って銀時を見つめた。
「なんだよその眼」と、銀時がソファの上でわずかに身を引けば、「銀さん、今地味に惚気ましたね」と、新八はさも嬉しそうに言ってのける。
「はっ?」と、正直意味が解らなかった銀時が首を捻る間もなく、「銀ちゃんはトッシーとラブラブだから入れるんダロ」と、神楽が続けて、「そっ、そういう意味じゃねーよ!」と銀時は慌てて叫んだが、ふたりのにやにや笑いは収まらない。
言葉を尽くしても堂々巡りするばかりなので、疲れ切った銀時は「もうそれでいいです」と降参して両手で顔を覆う。どうせ土曜日で終わりなのだ。ラブラブでもイチャイチャでもどうにでも思っていてもらえばいい。
ふー、と息を吐いてから、「つーか、お前らは俺と土方が付き合ってるってことに何の疑問もねーの?」と、ふと銀時が尋ねれば、「銀ちゃんが誰と乳繰り合おうと興味ないアル。それが高給取りなら都合がいいだけヨ。好きにラブコメすればいいネ」と、神楽の答えはさっぱりしている。
「まあ、繰り合う乳もねーんだけどな」とそこまで割り切れない銀時が茶化せば、「ろくでもないことを言わないでください」と新八は銀時の頭をすぱんと張り飛ばして、「大事な物なんですから、週末までちゃんとしまっておいてくださいね」と、包み紙を纏めながら言った。
はいはい、と面倒臭そうに答えた銀時は、肩に乗っていた神楽を下ろしてからソファを立つと、いくつかの箱を纏めて和室に運ぶ。他に置場もないので隅にまとめて置くと、銀時は懐にしまった手紙を取り出して開いた。中には土曜日の予定が書き込まれていたが、最後に走り書きのような愛の言葉が添えられていて、銀時は思わず手紙を持ったまま吹き出す。
手紙も検閲されてんのかよ、と肩を震わせた銀時は、この時の土方の顔が目に浮かぶようで、しばらく顔を上げられなかった。絶対苦虫を噛み潰したような顔をしていたに決まっている。 
やがて手紙を元通り畳んだ銀時は、少し考えてからするりと肩から着流しを落とすと、黒い上着を羽織ってみた。誂えたようにぴったりだったことに、銀時は唇がむず痒くなって、「三百円はいいからキスしてェって、言えるわけねーよな」と呟く。もちろん誰も答えてはくれなかった。

❤ ❤ ❤

十八時ちょうどに、土方は万事屋の前に車を付けた。
かっちりとスーツを着込んだ銀時が、「ちょっとやりすぎじゃね?」と後部座席のドアを開けてくれた土方に言うと、「行けばわかる。指輪…はちゃんと付けてるな」と、土方は銀時の左手を取りながら言う。運転手付かよ、と思いながら車に乗り込んだ銀時は、横目でちらりと土方を眺めた。揃いの黒いスーツに、カフスの石だけが赤い。
会話も無く辿りついた先は、ターミナルの間近にあるホテルだった。入口で銀時と土方を下ろした車は、他のそれと同じように走り去り、きょろきょろと辺りを見回していた銀時の腕を土方が掴む。
手を握るのではなく腕を組んだ土方は、躊躇いなくエントランスへ踏み込んで、音もなく近寄った支配人(だと思う、良くわかんねえけど)に招待状らしきものを手渡した。
土方の名前と銀時とを見比べた相手は、にこやかにふたりを案内して、エレベーターで最上階まで行くよう告げる。どう見ても銀時より上等な人種から丁重に扱われて、銀時は少しばかりむず痒くなった。
ガラス張りの広いエレベーターは無人で、銀時はほっと息を吐く。「まだ始まってねェのに緊張してんじゃねえよ」と、土方が言うので、「無茶言うな、お前と違ってこんなとこ初めてなんだよ」と銀時が首を振れば、「残念だったな、俺も初めてだ」と、土方はむしろ堂々と言ってのけた。
えっ、と銀時が土方の顔を見つめると、「こういうのは普段見廻り組の領分なんだよ。内容がイロモノだったからこっちに回ってきたわけで、刀も持ち込めねェ場所で何をしたらいいのか正直俺も分からん」と、土方は途方に暮れたような顔で笑う。
「そりゃ…お前も俺くらいしか連れてくる相手はいねェだろうな」と、銀時が引き攣った顔で唇を持ち上げれば、「あの時ああは言ったが、もしも本当に何か起きたらてめェはひとりで逃げろよ。一般人に怪我させるわけにもいかねェしな」と、土方は銀時の肩を叩いた。
ひじかた、と銀時が口を開きかけたところでエレベーターは最上階まで進み、土方はまた銀時の腕を取る。「中では何もしなくていい。俺の後ろで飯でも食ってろ」と、土方が囁くので、「よろしくお願いします」と銀時もそれだけ言った。


 
結論から言うと、高級ホテルの食事は美味い。それだけだった。
エレベーターを降りると、そこは広い温室で、半球型のガラスのドームに覆われた室内は様々な草花で覆われ、驚いたことに小さな川と、その先に池まで作られて銀時は度肝を抜かれた。金持ちの考えることは良くわからない。
 気を取り直した銀時が辺りを見渡せば、そこここにテーブルが置かれて、花に負けない色とりどりの料理が並んでいる。立食形式になっているらしい。一部見覚えが無いのは高級料理だからか、それとも別の星の料理なのか、銀時に区別はつかなかった。
土方に連れられて人気の多い方へ向かった銀時は、とりあえず飲み物を確保してから、着飾った男ばかりが集う光景に軽く目を細める。土方は同性愛者しか、と言っていたが、もしかしてホモしか入れないのだろうか。
こんな場所は初めてだ、と土方は言ったものの、銀時が見る限り土方の立ち振る舞いに問題は無いように見える。知り合いらしい誰かに話しかけられたときは笑顔が軽く歪んでいたが、それはどうも銀時の素性を尋ねられたかららしい。
銀時自身は、誰に何を話しかけられても曖昧に微笑むだけで終わらせていたら、そのうち誰も近付いてこなくなった。これ幸い、と銀時がほとんど減っていないデザートテーブルを荒らしていれば、少し離れた場所にいた土方がちょいちょいと銀時を手招く。
銀時が素直に土方の隣に並べば、「大丈夫か?」と土方が言うので、「ん?何もねェよ、飯は美味いし」と銀時が返せば、土方は困ったように笑って、「喋らなかったのは正解だな、てめェはどっかの天人だと思われてる」と言った。
ああ、と頷いた銀時が、「たまには役に立つもんだな」と銀髪を摘まむと、「いいこだからこれからも大人しくしてろ」と、土方は溜息交じりに銀時の肩に手を置いた。
少し考えて、「なあ、もしかしてお前その筋に誘われたりすんの?」と銀時が耳打てば、「どういう趣味か知らねえが、俺にも総悟にも来る。まあ一番多いのは近藤さんにだが」と、土方は鬱陶しそうに答えた。
「うっわそうなんだ?別に知りたくなかったけどよ」と、ここまでのやりとりを思い返しながら銀時が囁くと、土方はじっと銀時の顔を見つめて、「てめェこそ、本当に今まで処女で通してきたのか?節操のねェ顔をしてるくせに」と銀時の頬に手を当てる。
はっ?と鼻で笑った銀時が、「いまさら何を疑ってんだよお前は。つーか、たとえば俺がガチホモだって別に困ることはねーだろ」と土方の手を柔らかく握ると、「ガチなのか」と、土方はぱっと目を輝かせた。
あれっ、と思った銀時が、「いや違うからね、たとえばの話だから、何その反応」と言い募ると、「まあそうだよな」と、土方は肩を竦めて銀時から離れようとしたが、それで収まらないのは銀時である。
「待て待て、そこで終わらせんな。何があったよ」と問い詰めた銀時に、土方はしばらく白を切ろうとしたが、やがて諦めたように息を吐くと、「いや、てめェと一晩過ごしたいっつうジジィが、」と言いかけるので、「却下!」と銀時は最後まで言わせなかった。恐ろしいことを言うものだ。
「つか、断ってくれたんだよな?」と、銀時が若干青褪めながら尋ねると、「もちろん断ったが、悪いようにはされねェと思うぞ?俺ともできたんだから、一晩くらい…」と土方がまたろくでもないことを言うので、「ばか、お前だからできたんだろが!見ず知らずの男と一晩とか普通に怖ェよ、泣くぞ」と、銀時はぶんぶん首を振る。
一瞬間を開けて、「…泣くのか?」と土方が尋ねるので、「泣くよ。もうわんわん泣いてやんよ」と、銀時は返した。「暴れるんじゃなくて?」と重ねた土方に、「暴れたらお前の立場が無くなんだろが。泣いても無くなるかもしんねーけどそこは我慢してください」と、銀時が言えば、「いやそれは、」と土方は言いかけて、結局「…そうだな、困るな」と、ゆるく笑う。
笑い事じゃねェんだけど、と思った銀時の前で、「てめェは俺の恋人だったな」と土方が思い出したように呟くので、「いまさら何言ってんだ」と、銀時は揃いの指輪を土方に突きつけた。銀時の手をぎゅっと握って離した土方は、「あと少しだから、いいこにしてろ」と銀時の頭を柔らかく撫でる。何か言ってやりたかったが、土方の手が優しいので、銀時は黙って頷いておいた。



土方曰く、『視察を兼ねた親睦会』は二十二時でお開きとなった。
実際はこれからもう少し濃いパーティがあるらしいが、そちらはまた別の組織が護衛に入るので、土方の仕事はここで終わるらしい。濃い、と言うパーティの内容については深く突っ込まなかった。
ガラスのエレベーターで一階まで下りたところで、「外から連絡が来るまで、ちょっと付き合え」と土方が言うので、特に断る理由も無かった銀時は土方についてラウンジのテーブルに着く。
間を置かずにやってきた給仕にコーヒーと、銀時のためにココア(さすがにいちご牛乳はなかった)を注文した土方は、ネクタイを解くとシャツのボタンをひとつふたつ外した。無防備な土方の喉元からなんとなく目を反らした銀時は、ふかふかした一人掛けのソファに凭れて、ふう、と息を吐く。
「何もなくて良かったな」と、ごく軽い声を掛けた銀時に、「そうだな」とここ三ヶ月で見慣れた少し柔らかい表情で土方は言い、「後は外の近藤さんたちに任せりゃいい。今まで世話になった」と、銀時に頭を下げた。
「似合わねーことすんなよ、俺は金がもらえりゃそれでいいんだから」と、銀時がひらひら手を振れば、「てめェにとってはそうでも、俺にとっちゃそうじゃねえ」と、土方は苦笑する。運ばれてきたココアにはたっぷりとホイップクリームが乗って、ついでにクッキーまで添えられていた。さすが千三百円も取るだけのことはある。
少し考えて、「お前さあ、俺以外相手がいないってのは嘘だろ」と言った銀時に、「嘘だな」と悪びれることなく土方は頷いた。物好きはどこにでもいるものだ。戦場にだっていた。あれは選り好みする余地が無かっただけかもしれないが。
クッキーでクリームを掬いながら、「局中法度だから、屯所で相手を見繕えねえってのも嘘だよな」と銀時が続けると、「惚れた腫れたは気の迷いだが、あながち邪魔なもんでもねぇからな。どこぞの馬の骨に引っかかるよりは手近で済ませる方がいくらかマシだ」と、土方はなんでもない声で返す。
「組の連中を道具みてェに扱うのは嫌だった。山崎辺りならいい仕事をしただろうが、あいつと寝るのは無理だしな。俺が守る必要はなくて、俺と同じくらい相手が嫌いな奴を突き詰めたらてめェが残った」
土方の言葉はひどく冷静で、銀時の胸にもすとんと落ちる。がりがり頭を掻いてから、「なんか随分な言われようだから言うけどよ、俺がお前との…セックスなんかを盾にお前を脅したらどうする気だった?」と銀時が尋ねれば、「そんなもんは何の脅しにもなんねぇから手錠掛けてしょっぴく」と、コーヒーカップを手にした土方はいっそ楽しそうに言ってのけた。
「そういうことはしねぇって信じてるとか言ってもいいんじゃね?恋人なら」と、若干凹んだ銀時に、「もう恋人じゃねェだろ」と、土方は薄く笑う。そうだった、と思い出した銀時は、まとめていた前髪をぐしゃぐしゃ掻き混ぜると、「最初はどうなるかと思ったけど、一切金に困んねェ生活は快適だったぜ」と、土方に向かってにやりと笑って見せた。
「なんならケツ毛まで毟ってやりゃ良かった」と芝居がかった口調で付け加えた銀時に、「てめェに集られたくらいで毟れる毛だと思うなよ」と土方は言うと、「心配しなくても約束は守る。米と味噌と醤油はしばらく届けさせるし、報酬もすぐ振り込む。なんならたまには奢ってやってもいいぞ」と、楽しそうに続けた。
マジで、と首を縦に振りかけた銀時は、けれどもすぐ思い直して、「ばぁか、それじゃいつまで経っても誤解が解けねえよ。俺とお前は元通り仲悪くなって、道で会ったら悪態吐いて、仕事先でかち合ったらお互いの足引っ張り合うくらいが関の山だって」と、土方の胸を拳で突く。ほんの少し目を見開いた土方は、一瞬何かを言いかけたがすぐに口を閉じ、しばらくしてから「それもそうだな」と頷いた。
それから、「何か聞かれたら、てめェが振ったことにしろよ。頼みこまれて金積まれて付き合ってやってたけど、やっぱり気持ち悪かったってことにすりゃあながち嘘でもねえだろ」と土方が言うので、「何言ってんの?うちのガキ共がそんな話信じるわけねーだろ、一万歩譲っても『身体の相性が悪くて振られた』くらいじゃねーと万事屋から追い出されちまう」と、銀時はいかにも困ったような顔で息を吐く。
「そこまで料金に入れといてやるから、お前が振ったことにしろよ。その方が俺も働かない理由になるし」と銀時がひらひら手を振ると、「そうか」と土方は頷いて、チーフが覗く胸ポケットから三百円を出すと銀時のてのひらに乗せた。
それだけでなく、尻ポケットからもシャツのポケットからも財布からも土方はどんどん百円玉を掴みだして、「ちょっ、お前こんなに小銭持ち歩いてたの?重くなかった?」と、両手から溢れそうな小銭を抱えた銀時は焦ったように土方の顔を見つめる。
これで最後だ、とスーツの内ポケットから三百円と一万円札を出した土方は、ソファから身を乗り出すと、両手の塞がった銀時の頬に手を当てて、ちゅ、と触れるだけのキスをした。
「これで最後だ」ともう一度繰り返した土方は、「じゃあな。帰りは送ってやれねェが、ひとりで平気だな」と、銀時に向かってゆるりと笑う。
うん、と頷いた銀時に背を向けた土方は、直後に掛かってきた電話を取りながらするりと右手の薬指から指輪を抜いて、胸ポケットにしまい込んだ。流れるような、美しい動きだった。
もちろん、伝票は土方が持って行った。

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師走も半ばに差し掛かった木曜日のことだった。
いつも通り閑古鳥が鳴く万事屋で電話番をしていた銀時は、何度も読み返した今週のジャンプを放り投げて、大きなあくびを落とす。
十一月の最終日、初めてタクシーを使って帰って来た(土方から受け取った最後の一万円札だ)銀時に、万事屋のこどもたちは目を丸くして、「なんで帰ってきたんですか?」と問いかけた。
仮にも一国一城の主にその言い草はねえだろ、と銀時は唇を尖らせたが、冗談が通じる空気ではなかったので、「えーと、…振られたから…」と、銀時がおそるおそる切り出すと、「銀ちゃん、今すぐ謝って来るといいヨ」と、神楽はまっすぐ玄関を指す。
「待て待て、誰も俺が悪いとは言ってねェじゃん?」と、銀時は首を振って見たが、「何言ってるネ、どっちが悪くても謝った方が勝ちだってマミーが言ってたヨ。ここで男を見せないと、トッシーを尻に敷けないアル」と、神楽のセリフは滅茶苦茶だった。
 がりがり頭を掻いた銀時が、「どっちにしろ、今土方はお仕事中だからどうにもなんねーの。お前らちゃんと風呂入って歯ァ磨いたか?もう遅いんだから騒いでねェで寝ろよ」と言い置いて和室に入ると、「銀ちゃんはそれでいいアルか?」と神楽の声が追いかけて、銀時は唇を歪める。
 良いも悪いもない。銀時は初めから今日までの契約で土方と恋人ごっこをしていただけで、そこに銀時の感情が入り込む隙はないのだ。少なくとも土方は、金が絡んだ時の銀時を信用して銀時に身を任せてくれた。それで充分だった。
乱暴に正装を解いた銀時は、最後にまだはめたままだった指輪を引き抜いて窓から放り投げようとしたが、中に彫られた文字を思い出してぎゅっと左手を握り込む。簡単に捨てることも売ることもできないようなものを残されてしまった。
ばふっ、と下着一枚で敷きっぱなしの布団に倒れ込んだ銀時は、枕を抱きしめて顔を埋める。これではまるで、本当に失恋したみたいだった。ひとりの布団は、いつも通り冷たかった。
翌々日、確認した通帳の残高には見たこともない数字が並んでいて、銀時はいっそ全部引き出して馬券でも買ってやろうかと思ったが、どうせするだけ止めておく。結局、銀時がギャンブルにつぎ込めるのは小銭だけなのだ。
小市民でしかない銀時自身に意味もなく苛立ちながら、せめてパフェでも食べて帰ろうと銀行を出た銀時は、こんな時に限って沖田と連れ立ってやって来る土方を認めて、軽く眉をひそめる。
見ない時は一ヶ月もかち合わないのに、どうしてこう会いたくない時に限って、と溜息を吐いた銀時が、けれどもすれ違い様に何か言ってやろうと口を開いた瞬間、確実に目が合った筈の土方が「総悟、帰るぞ」と沖田の腕を引いて行ってしまうので、銀時は中途半端に開いた口を閉じることが出来なくなった。
なんだそりゃ、と銀時は思う。確かに、しこりを残さないよう不要な干渉は避けようと言ったのは銀時の方だ。これ以上の誤解を招かないように、出会い頭に罵り合うような関係に戻ろうと思ったことも嘘ではない。
でもシカトはないだろ、とにわかに腹が立った銀時は、パフェを食べることも忘れて家に帰ると、また布団に潜りこんでばふばふ枕を叩く。枕に罪はないが、それくらいしか当たる場所が無かった。
それきり銀時は土方と顔を合わせていないし、もちろん連絡が入ることもない。神楽と新八は何度か銀時に土方との『仲直り』を迫ったが、「米と味噌はしばらくくれるっつうから、それで我慢しとけ」と銀時が手を振ると、それぞれ呆れたような顔で銀時を見限った。それも、もう数日前の話である。
だから、直すほどの仲もなかったんだっての、と椅子の上で足を組み替えた銀時の耳に、万事屋の引き戸が開く音が届くので、「新八ィ、いちご牛乳取ってくれや」と間延びした声で銀時が言うと、「悪いが俺はメガネじゃねェし、いちご牛乳もねェぞ」と、ごく低い声が答えた。
はっ?と姿勢も考えずに身体を起こしかけた銀時は、狭い椅子から転げ落ちて、鈍い音を立てる。廊下から居間兼応接間を覗き込んで、「何してんだ」と呆れ声を出したのは隊服姿の土方で、咥え煙草を携帯灰皿に押し付けてから、「ほら」と机を回って、銀時に片手を差し出した。
口も利けないまま、銀時が土方の手を借りて立ち上がると、土方は銀時の手を握ったまま来客用の長椅子まで移動し、片側に並んで腰を下ろす。「煙草、吸っていいか」と、箱を取り出しながら土方が言うので、銀時はテーブルの下から来客用のガラスの灰皿を取り出した。
なんでもない顔で煙草に火を点け、ふうっと吸いこんだ土方は、銀時を見ることも無く、「米は足りてるか」と銀時に問いかける。「おかげさまで、昨日届けてもらったばっかだよ」と、返した銀時に、土方は「味噌は」、「醤油は」、「金は?」と重ねて、銀時はそのたびに「ある」、「まだある」、「それはお前に関係ねェだろ」、と答えた。
そんなことを聞きに来たんなら帰れ、と銀時が言いかけた瞬間、「俺は?」と土方が言うので、銀時は思わず「足りない」と返してしまって、「いや、違う、今の無し」と、片手を上げる。土方は相変わらず涼しい顔のまま、「違うのか?」と銀時を見つめた。
相変わらず綺麗な顔をしている、と一瞬見惚れかけてから、「元から一個も俺のじゃねえんだから、足りるも足りねえもねえだろ」と銀時が言えば、「なるほど」と土方は少しばかり考えるそぶりを見せて、もう一本煙草を引き出す。
今度は火を付けることも無く、しばらく指先で煙草を玩んでいた土方は、やがて「総悟と近藤さんが」と口を開いた。「早くてめェと仲直りしろってあんまりうるせェもんだから、本当のことを話したんだが、信じてくれなくてな」と、続けた土方に、「本当のことって」と銀時が尋ねると、「仕事だったってことだ」と、なんでもない声で返す。
ふうん、とやる気のない調子で相槌を打った銀時が、「それで、俺にどうしろって?証言しろっつうなら預金通帳でも持って洗いざらいぶちまけてやってもいいけどよ、またいくらか寄越せよ」と、固い声で吐き捨てるように言えば、「いや」と、土方は首を振った。
「それはもうやって見た。契約書も振込履歴も経費で落とした領収書も全部見せたんだが、どうにもこうにも」と、言葉を濁した土方は、またちらりと銀時に視線を送る。がりがり首を掻いた銀時が、「じゃあなんなんだよ、はっきり言え」と苛立った様子を隠そうともせずに目を閉じると、「俺はてめェと一緒だった三ヶ月が金と引換でも楽しかったんだが、てめェはどうだった」と、土方は言った。
ぎゅ、と両手を握り込んだ銀時は、「そりゃ、タダ飯タダ酒三昧でその上金まで貰えたんだから、俺にとっちゃ楽な仕事だったよ。まあ、前にもまして女は寄り付かなくなったけどな」と、唇を歪めて笑う。嘘だった。外堀を埋められた時よりずっと早く、かぶき町は銀時と土方の破局をまことしやかに囁いて、おかげで銀時は廓で土方との閨の話を聞かれるようになった。これがモテているとは欠片も思えなかったが。
そうか、と別段気に掛けた様子も見せずに頷いた土方は、「なら、いい。邪魔したな」と指先の煙草をふたつに折ると、ガラスの灰皿に落とし込んで長椅子から腰を上げる。「は?本当にそれだけのために来たのか」と、銀時が尋ねれば、「理由があったらまた来ていいのか?」と、土方は言った。
 話が噛み合っていない、と思った銀時は、一瞬躊躇ってから土方の袖口を掴み、「今ちゃんと話ができねェなら、二度と万事屋の敷居は跨がせてやんねえ」と告げる。こんなことが脅しになるわけもない、と思った銀時をよそに、土方はすとんと銀時の隣に戻って、「っても、何から話していいかわからん」と、指を組んで言った。
少し考えて、「実際、沖田くんとゴリ…近藤はなんだって?」と銀時が水を向けると、「てめェといる時の俺が…その、ずいぶん幸せそうだった?とか」と、言い辛そうに土方は返して、口元を手で覆う。「いや、俺あのふたりとまともに会話したのってあのおでん屋での記憶しかねーんだけど、お前幸せそうだったっけ?」と、銀時が問い返すと、「そんな記憶はねェが、あのふたりにはそう見えたらしい」と途方に暮れたような声で土方は言った。
「そういやあの時も、最初からなんかスゲー誤解されてたよな…なんだっけ、俺がお前に口説かれた?とか」と、銀時が言うと、「それはまあ、俺が辻褄を合わせるために吐いた嘘だから近藤さんの誤解っつうわけでもねェんだが」と、土方は小声が返す。
 一瞬二の句が継げなかった銀時は、居住まいを正してから「土方」と声を掛けた。ああ、とも、うん、ともつかない声で返事をした土方に、「ちゃんと話せ。お前は沖田くんとゴ…近藤の誤解を解きたくて来たのか、それとも他に理由があんのか、どっちだ」と、尋ねた銀時に、「…他に理由がある」と、土方は言う。
うん、と頷いた銀時の隣で、ゆるく息を吐いた土方は、「言った通り、俺は結構てめェと飲むのが楽しかったから、これからもそうやって…友人、みてェなもんになれたらいいと思ってたんだが、それをてめェに断られたのが妙に堪えて、」と、そこで一度言葉を切った。
 それから、「なんで嫌がった。タダ飯タダ酒っつったら、てめェは飛びついてもおかしくなかっただろ」と、土方が銀時を軽く睨むので、「お前が全部話したら教えてやるよ」と、今は金をもらっているわけでもない銀時は真顔で返す。
チッ、と舌打ちした土方は、「てめェ、本当はもうわかってんじゃねェか」と銀時の肩に触れて、「この間、一瞬外で会っただろ」と言った。
「会ったっつうか、すれ違ったっつうか、お前が逃げた時な」と銀時が指摘すると、「それはてめェがあんまり嫌そうな顔するからだろうが」と、土方は銀時の肩を掴む手に力を込める。正直痛い。痛いがその前に誤解である。
「そんな顔してねェよ」と、身に覚えが無い銀時はぶんぶん首を振ったが、「嘘付け、ため息まで吐いてただろが」と土方の眉間の皺はますます深くなって、「あれはっ、お前から最後の金が振り込まれてんのを見て寂しくなったところだったか…ら…」と、言ってしまった銀時はぱっと口を閉じた。
 笑われる、と思った銀時の前で、土方はぱかっと口を開けて銀時を見ている。土方の頬がじわじわ赤くなる様を見つめながら、なんだこれ、痴話喧嘩か、と銀時はやはり熱くなり始めた耳を軽く擦る。
「…寂しかったのか」と、落とした土方に、「繰り返さなくていいから!」と銀時が言えば、「否定はしねェのかよ…」と、土方は両膝に肘を置いて両手に顔を埋めた。
ひじかたくん?と、銀時がおそるおそる土方の肩に手を置くと、「いくらだ」と、土方はごく軽い声で言う。「は?」と、意味がつかめなかった銀時が問い返すと、土方は隊服の胸ポケットからいつかと同じように通帳を取り出して、銀時に突きつけた。
「この先いくら払ったら、てめェは俺のもんになる」と噛み砕くように土方が尋ねるので、銀時は一度瞬いてから、「ぼったくっていいか?」と問い返す。「てめェにぼられたくらいで痛むほど寒い懐じゃねェよ」と土方が不遜に言い放った土方に、「じゃあ、お前」と、銀時は土方の鼻先に指を突き付けた。
「俺を全部やるから、てめェを全部寄越せ」と、銀時が続ければ、土方は三秒ほど間を置いてから、「破格だな」と呟く。だろ、と頷いた銀時は、「これ一度やって見たかったんだよ」と前置いてから、土方の前に百円玉を三枚積んで、ちゅ、と土方の頬に唇を当てた。
それから、「友達じゃ我慢できそうになかったんで、タダ飯とタダ酒を棒に振りました」と、銀時が正直に言うと、「てめェにも理性が残ってたんだな」と、土方は感心したように銀時の頭を撫でる。
やっぱり褒められている気はしなかったが、土方の手が気持ち良くて銀時がしばらく大人しくしていると、「まあ、でももう我慢しなくていいけどな」と土方がなんでもない声で言うので、「お前今夜暇?」と銀時は早速尋ねた。
「残念ながら夜勤だ」と返された銀時は、ああそう、といまさらがっかりもせずに頷いたが、「だから、夜までは暇だな」と、土方はさらりと続ける。思わず顔を上げた銀時が、「なんで隊服だよ」と突っ込みを入れると、「そのまま仕事に行けるようにだ」と、土方は薄く笑って、銀時の頬をゆるく撫でた。
あ、こいつ完全に負ける気は無かったんだな、と悟った銀時は何か言ってやろうと思ったが、結局出てきた言葉は「爪切るからちょっと待って」だったし、土方の返答は「切ってやるから貸せ」だったので、元から銀時に勝ち目はなかった。
どうでもいい話だが、その日は二時間の休憩時間を二度延長したので、結局宿泊料金を払う羽目になった。それも土方の金だった。


( ほんものになりました / 坂田銀時×土方十四郎 / 140806)