コール・オン・ミー_01

三月の終わりだった。
一週間前の雨の夜、「もうすぐ桜が咲くな」と何の気無く銀時が呟けば、「どうせまた花見の日取りは重なるんだろうから、お前ら席取っとけ」と、土方はなんでもない声で言う。「それは万事屋への依頼ですか」と、ベッドの上で足を正した銀時に、「花見弁当と酒で手ェ打てよ」と、土方は薄く笑った。少し考えて、「いいけどよ、俺のお願いも一個だけ聞いてくんない?」と、銀時が持ちかけると、「内容による」と、土方の答えはそっけない。いつものことなので気にせず、「皆とする花見の前に、ふたりだけで花見したい」と、銀時が言えば、「あんな人ゴミは年に一度で充分だ。非番もねえし」と、土方が返すので、「探す!人がいなくて静かで桜咲いてるとこ探しとくし、非番がねえなら夜行こう?飲みにいく程度の感覚でいいから。あっ、あと弁当作ってく!」と、銀時は勢い込んだ。
他はともかく、「てめぇの弁当か」と、まんざらでもない顔をする土方に、「うん、手作り。何食いたい?サバはもう旬じゃねえけど、春の魚も旨ェし、弁当ならやっぱ握り飯?」と、銀時が上気した顔を近づければ、土方は銀時の髪をぐしゃっと撫でてから、「旨いもんならなんでもいい」と言って、「三十一日なら都合つけてやる。あんまり早くは無理だが」と、続ける。「えっマジで?!いいの?」と、銀時がぎゅっと土方の腰を抱き締めると、「お望みなら嘘にしてやろうか」と、土方は呆れたように言うが、「やだ、もう約束したから。土方が来なくても、当日どしゃ降りでも弁当作って待ってるから」と、銀時は土方の腹に額を押し当てた。「ばか、雨だったら花は諦めろ」と、もつれ放題もつれた銀時の髪を引きながら言う土方に、「弁当は?」と、銀時が問い返せば、「弁当は宿でも食えんだろ」と、土方はほんの少しだけ柔らかい声を返す。
うん、と頷いた銀時が、「なら、八時前くらいに川端で待ってる」と言うと、「三十分以上は待つなよ」と、土方が釘を刺すので、「わかった、九時まで待って来なかったら、屯所まで行く」と、銀時は返した。「何もわかってねえだろ」と、土方に耳を引っぱられた銀時が、「いたいいたいいたいいたたた」とわざとらしい悲鳴を上げつつ、「すっぽかすってことは仕事が忙しいってことだろ?なら飯も食ってねえだろうし、弁当の差し入れすんのは当然の流れじゃねえか」と、自身の正当性を主張すると、「ばか、だったらなおさら屯所には来んな。俺宛の荷物は全部検閲が入るから、食い物は処分されちまうんだよ」と、土方は苦々しい口調で言う。
「てめぇはともかく、てめぇの飯に罪はねえしな」と、続ける土方を見上げて、「土方、俺の料理好き?」と銀時が尋ねれば、土方は一瞬面倒臭そうに目を細めてから、「…まあな。髪と性格は捻じ曲がってるくせに」と答えた。料理と髪は関係ないと思うが、しかしそんなことはもうどうでもいい。胃袋を掴んで良かった。本当に良かった。土方の腰へしがみつく腕に力を込めつつ、「月末が雨でも嵐でも吹雪でもいいから、土方の仕事がちゃんと終わりますように」と銀時が唱えると、「花見がしたいんじゃねえのかよ」と、土方は銀時を鼻で笑って、またぐしゃぐしゃと銀髪を掻き回す。「ふたりでいたいんだよ」と呟く銀時に、土方は答えなかった。
▽ ▽ ▽

銀時の執念が勝ったのか、三月の末日は快晴だった。昨日の段階で土方から断りの電話はないし、かぶき町からそう遠くない住宅地の中に、五本ほどの桜が咲き誇る場所も見つけた。ベンチと砂場しかない小さな公園は、桜の屋根に覆われたような具合で、昼はともかく夜訪れる者はほぼいない。どんちゃん騒ぎには向かないだろうが、ふたりで弁当を突付くくらいは許されるだろう。飲み物は買ってやる、と土方が請合ってくれたので、コンビニを経由してのルートも計算済みだ。銀時の料理にも、ますます気合が入ると言うものである。
浮ついた足取りでスーパーに入った銀時は、あれこれ吟味して生ものを買った。ほとんどの買い物と下拵えは昨夜の内に済ませているし、弁当にあまり傷みやすいものは入れられないので、量は多くない。それでも、酢飯が好きらしい土方のために、手毬寿司のひとつくらいは作ってやりたかった。表情の硬い土方は、銀時の料理を口にしても簡単に笑み崩れたりはしないが、それでも箸を止めることなくすべての皿に口をつけてくれる。何より食べ方が雄弁だった。わしっと掴んだ料理を口に運び、むぐむぐと良く噛んで飲み込んでから、間髪入れず次の一口へ移行する。見ていて気持ちの良い食べっぷりに加え、銀時が何も言わなくても、マヨネーズの量を減らしてくれたり、時にはマヨネーズがないまま器を空にすることもあって、銀時はそのたびに胸が震えた。美味い、と百度言われるより、綺麗になった皿を洗う瞬間がよほど幸福な銀時は、土方が喜ぶことをしてやりたい。そういう意味では、セックスと食事の相性が良くて本当に良かった。
今夜は食事だけで終わってももちろん良いのだが、一応新八と神楽には、花見弁当の半分を手渡すことで恒道館へ行ってもらう手筈が整っている。こういう時、余計な横槍を入れないところがあの二人の良いところだ。しっぽりするなら布団へ行けヨ、ソファは汚すんじゃないアル、と釘を刺されてしまったのは、まあご愛嬌である。どこで教育を間違えたのか、新八は嘆いていたが、お前は神楽の母親か。あの娘は最初から完全に擦れていただろうが。
機嫌取り、と言うよりは、単純に気分が良かったので、神楽のために酢昆布も買った銀時が、鼻歌交じりで帰路につけば、途中の団子屋から声がかかった。新作ができたから寄っていかないか、と呼び込む馴染みの親父は、どうやら暇を持て余しているらしい。少し考えた銀時だったが、念のため氷も貰ってきたので、三十分くらいなら、と断って、床机に腰を下ろす。すぐに出てきた緑茶は濃くて熱く、銀時の腹を温めた。道明寺を丸めたような、粒を残したもち米で漉し餡を包み、桜の葉の塩漬けでくるまれた団子をもっちもっち噛みながら、銀時が店主と他愛もない会話の応酬を続けていると、「旦那、久しぶりですねィ」と、不意にふてぶてしい声が届く。
顔を上げた銀時が、「よう総一郎くん、今日もサボり?」と逆行に浮かび上がる爽やかな顔へ声をかければ、「嫌ですねィ旦那、これは立派な市井の見廻りでしょうに。親父ィ、俺にも同じもの二本。土方のクソヤローのツケで」と、沖田は言い放ち、銀時が突っ込む間も無く走ってきた土方に頭を張り飛ばされた。「みっともねえ真似してんじゃねえ、団子の二本も買えねえような懐具合じゃねえだろが!」と、少しばかり論点のずれた突込みを入れる土方に、「もう追いついたのかよ土方ァ、さっきの連中はどうしたんでィ」と、沖田は苦々しい声を出す。「伸してきたよ、おかげさまでな」と、相変わらずギスギスした空気のふたりを見上げた銀時は、土方の隊服からかすかな血の臭いを嗅ぎ取って、ごくん、と噛んでいた団子を飲み下した。
湯飲みの底に残っていた緑茶も飲み干した銀時が、「親父、勘定頼むわ」と、武装警察を前にわずかながら萎縮したような店主に声をかければ、「もう行くんですかィ?一本くらい奢りますよ、土方さんの財布が」と、沖田が言うので、「銀さんもあんま暇じゃねえんだよ、悪ィな総一郎くん」と、銀時はあくまでさりげなく沖田の頭に手を置いて、「副長さんも」と、付け加える。一瞬だけ視線を交差させた土方は、「せいぜい働いて納税しろよ、貧乏人」となんでもない声で言った。「はいはい、公務員様は優雅でよろしいですねぇ」と伸び上がった銀時は、店主のてのひらに小銭を流し込んで、明るい表通りへ踏み出す。「おい」と声をかけた土方が、「てめぇのじゃねえのか」と差し出すビニール袋を受け取り、「おー、生モンだから忘れたら面倒なことになってたわ」と銀時があいまいな笑みを返せば、「…菜の花だな」と、土方は袋から覗く緑の蕾に目を落とした。
「春だからな」と、頷いた銀時に、「マヨネーズに合う」と土方は言って、「総悟、行くぞ!団子は帰りに買ってやるから」と、沖田を引きずって行ってしまう。旦那ァ、次は土方の財布だけ持ってきますんで!と言う沖田へ、「捕まんない程度にしとけよ」とひらひら手を振った銀時は、わざと置き忘れた菜の花入りのビニール袋をぎゅっと握って、万事屋へと帰り着いた。ともすれば緩みそうな唇を引き締め、「ただいま」と、銀時が気だるい声を上げれば、万事屋では新八の作った昼ごはんが待っている。今日は大量の釜揚げうどんだった。

▽ ▽ ▽

その夜、息せき切って現れた土方に、「よう土方、半日ぶり」と、銀時が軽く手を振れば、「ばかやろう、なんでここにいやがる!」と、土方は荒い呼吸を整えもせずに銀時を怒鳴りつけた。「なんでって、約束したじゃねえか」と、なんでもない声で返す銀時に、「約束は何時で、今何時だと思ってんだ、てめぇは…!」と、土方は言って、両膝に手を置く。苦しげな土方の背に手を伸ばしつつ、「十一時すぎだろ、わかってるよ。携帯はねえけど、そこに時計あるし」と、銀時が苦笑すると、「三十分で切り上げろつったろうが」と、土方は銀時を睨み付けるが、「うん、そろそろ屯所に押しかけようと思ってたから、お前が来てくれて良かった」と、銀時はもろともしない。はー、とため息を吐いた土方が、「…何度電話しても繋がんねえから来たんだよ。驚かせんな」と、だいぶ冷静になった声で言うので、「心配してくれた?」と銀時が目を輝かせれば、「するか、ばか」と、土方はぺしんと銀時の頭を叩いた。
そっか、と頷いた銀時が、「もう飯食っちまった?」と大して気落ちもせず問いかけると、「ついさっきまで馬鹿どもの後始末だったんだ、そんな時間はねえよ」と、土方は倦み疲れた様子で隊服のポケットに手をやり、煙草を取り出す。するりとライターを抜いた銀時が、お疲れさま、と火を点ければ、土方は美味そうに煙をのんで、銀時の顔へ吹きかける。げほげほげほ、と咳き込む銀時には構わず、銀時の指からライターを取り返した土方は、「にしても、すげぇ荷物だな」と、銀時が手にする風呂敷包みと布バッグを一瞥した。どうにか呼吸を整え、「ん、ババアに重箱借りてきたから、それがでけえの。あとは…夜桜だから、防寒具とかよ」と、銀時が頬をかくと、ふうん、と土方はたいして興味もなさそうに頷いて、「で、桜は咲いてるんだろうな」と、先に立って歩き出す。「それは問題ねえよ、朝も見てきたから」と、土方に続いた銀時が、「あとすこしでコンビニもある」と重ねれば、「てめぇもビールでいいか」と、土方は咥え煙草のまま、しゅるりとスカーフを緩めた。

三分先のコンビニを出るなり、土方がビニール袋から五百mlのビール缶を取り出すので、「あっ、いいな」と銀時は声を上げる。大荷物の銀時をちらりと眺めた土方は、「てめぇはこれで我慢しとけ」と、明るいパッケージの棒つきキャンディを銀時の口へと押し込んだ。ダブルいちごみるく味のキャンディをからころ転がしながら、「ちょっと遠くて悪い、かぶき町を始点にしちまってよ」と、銀時が言い訳めいた言葉を口にすると、「構わねえが、面倒だから万事屋に泊めろ」と、土方は面倒くさそうにビールの缶を振る。「そ…れは願ってもねえけど、いいのか?相当早起きしねえと、着替えに帰る時間もねえだろ」と、銀時が動揺のあまりいちごみるくを噛み砕けば、「今日の分、遅出で良くなった。朝飯も食わせろよ」と、土方は缶に口を付けながら言った。「米と味噌と卵くらいしかねえけど、それでもいい?」と尋ねた銀時に、「てめぇが作るんならな」と、土方が視線も向けずに言うので、「どうにかします」と銀時は赤くなった頬をそっと押さえる。布団を干して置いて本当に良かった。

やがて辿り着いた公園の前で、「洪水みてえ」と土方は呟く。桜の洪水。言い得て妙だな、と思いつつ、「お前、ときどきそういうこと言うね」と銀時が感心すると、「馬鹿にしてんのかてめえは」と、土方は銀時を睨んだ。してねえよ、と首を振った銀時が、「中に椅子あるから、そこで飯にしようぜ。腹減ったし」と、土方を促せば、「…よく見つけたなこんなとこ」と、土方はほんの少しだけ唇を綻ばせる。その顔を見ただけでも誘った甲斐があった、と思った銀時は、土方を促して、淡く光るような桜の中へと踏み出した。
片隅のベンチに土方を座らせた銀時は、肩にかけていたバッグからビニールシートを出して、ばさりとベンチの前に広げる。「靴脱げよ。その方が楽だろ?」と、銀時が言うと、土方は素直に足首丈の靴を脱いで、空色のシートに足を乗せた。「靴下も脱がせてやろうか」と、銀時が足先を突けば、「馬鹿やってねえで、さっさと弁当を出せ」と、土方は右足で銀時の胸を軽く蹴る。「ひどいわ、俺の弁当だけが目当てだったのねっ」と小芝居をしつつ、そんなことは最初からわかりきっている銀時は、ビニールシートに座り、ベンチの上で提げていた風呂敷包みを開いた。小ぶりではあるが堂々三段の重箱に、「張り切りすぎだろ」と土方は呆れたような眼をするが、「だって楽しみだったんだもん」と、銀時は譲らない。蓋を取った一の重にお握りと手毬寿司、二の重に揚げ物と焼き物、三の重にお浸しと煮物。お握りの具はツナマヨ、じゃこと青紫蘇と梅、牛肉の時雨煮で、手毬寿司はサーモンとエビ、一口カツと鰆の浸け焼きに、付け合せの新ジャガとブロッコリー、菜の花の辛子和えと具だくさんの筑前煮だった。
「あと、これ」と、銀時がバッグの底から業務用の一s入りマヨネーズを取り出せば、「てめぇはこんなもんまで持って三時間も待ってたのか」と、土方は鋭い目つきでマヨネーズを見下ろす。「こんなもんって、お前が言うなよ。お前にとっちゃ大事なもんだろ」と、銀時が苦笑すると、「…まあ、そうだな」と土方は不自然に銀時から目を逸らして、手にしていた缶ビールを銀時に突き出した。「なに、くれんの?」と、首を傾げた銀時に、「泡が消えてきた。俺は新しいのを開ける」と土方は言って、脇のビニール袋からもう一本缶ビールを取り出す。俺はこっちの方が嬉しいからいいけど、と、銀時がまだ半分以上残った土方の飲み掛けに口を付けようとすれば、「乾杯」と土方が銀時に向かって缶ビールを傾けるので、銀時も慌てて「乾杯」と飲み口を合わせた。
乾杯の後に、いただきます、と土方は続けて、銀時が差し出した割り箸をぱきっと割る。これも銀時が取り出した紙皿にねろねろとマヨネーズを絞り出した土方は、迷うことなく菜の花の辛子和えを抓むと、マヨネーズ経由で口に運んだ。最初の一口を見守った銀時が、土方の咀嚼を待って「土方、菜の花好き?」と尋ねれば、「苦みのある葉物はマヨネーズに合うだろ」と、土方の答えはいつもブレない。「春菊とか?」と重ねた銀時に、「春菊も蕪の葉もほうれん草もふきのとうもパセリも菜の花も」と、土方は返して、またしゃくしゃく菜の花を噛んだ。
それから、「手ェでかいくせに、握り飯は小せェのな」と、土方が手毬寿司を抓んで言うので、「や、それは寿司に合わせたの。握り飯だけでけェと、なんかかっこ悪いだろ」と、銀時は鰆の切り身と筑前煮を紙皿へ取り分けながら首を振る。「腹に入りゃ全部同じ…とは、確かに言えねえか」と、独り言のように呟いた土方は、「勝手に食うから、てめぇも食えよ」と、銀時の口に一口カツを抓んで押し込んだ。指を舐めた土方が、「なんだこりゃ、味噌?」と、首を捻るので、「ん、せっかくなので味噌カツにしてみました。この甘いのがマヨネーズに合うかなーって」と、カツを噛みながらもごもご銀時が答えれば、「食ってから喋れ」と、土方は銀時の唇をきゅっと抓む。
一本目のビールが空になり、土方が三回目のマヨネーズを絞り出した頃、「てめぇはこれで楽しいのか」と、土方は言う。筑前煮のコンニャクを味わっていた銀時が、慌てて飲み込もうとしたせいでコンニャクを喉に詰まらせれば、「何してんだ」と土方は呆れたように新しいビールを取り出し、ぷしゅっとプルタブを起こして銀時に手渡してくれた。ごくごくごく、とまだ冷たいビールを流し込んで人心地付いた銀時が、「すげえ楽しい」と何よりもまずそう告げると、「幸せそうな顔しやがって」と、土方は理不尽な言葉と共に銀時の頬を抓む。「土方といる時はいつも幸せだぜ?」と、銀時が内心ドキドキしながら土方の指に手を重ねれば、「三時間待たされてもか」と、土方は無表情に問いかけた。
「土方、もしかして気にしてくれてんの?」と、一抹の期待を胸に問い返した銀時へ、「約束は約束だろうが」と、土方はそっけなく言って、「下手すりゃ弁当も傷むしな」と、また辛子和えに箸を伸ばす。「だから、ちゃんと保冷剤は山ほど用意してきたんだって。昼間会った時も忙しそうだったしよ、準備は万全」と、土方の膝を撫でながら笑った銀時は、「それに、お前走って来てくれただろ、さっき」と、震えそうな声を押さえて重ねた。
「弁当が目的なのも、土方が優しいから俺に付きあってくれてんのも知ってる。三時間待ってる俺が気持ち悪いのも知ってんだよ。だけど、後五分、もう十分て数えながら待ってたら、いつの間にか三時間だっただけで、悪気はねえんだ。お前のこと考えるだけで幸せなのに、お前が血の付いた隊服のまま走って来て、さらに俺の事まで心配してくれたのがマジで死ぬほど嬉しいんだよ。我侭ばっか言ってごめん、俺の方が約束破ってごめん。でも、俺、それくらい土方が好きなんだ」と、ともすれば歪みそうになる唇を必死で押しとどめながら銀時が言うと、「てめぇは、本気で何もわかってねえな」と、溜息交じりに土方は返す。
なにが、と言いかけた銀時の頭に手を置いて、そうだな、と呟いた土方は、「もう別れるか、俺たち」と、酷く明瞭な発音で言った。え、と目を丸くした銀時の前で、土方は最後の菜の花を口に入れ、歯ごたえが残るよう茹でた茎をさくさく噛み砕く。二十二回。ごくん、と菜の花を飲み込んだ土方が、「俺といても、何一つてめぇのためにはならねえだろ。俺からの何もかもが、てめぇにとっては負担になるみてえだしな」と、やけに楽しそうな声を出すので、「なに、…何言ってんだよ、お前俺とするセックスは嫌いじゃないって言ってたじゃん!俺の作る飯だって、美味そうに食ってたじゃねえか!」と銀時が詰め寄れば、「悪ィが、俺はてめぇほどのめりこんじゃいねえ。確かに飯も体の相性も悪くはなかったがな、そろそろ潮時だろ。総悟の追及も厳しくなってきたしよ」と、土方は淡々と言い放った。
ちょっと待て、と縋りつこうとした手を振り払われた銀時が、ぺたん、と地面に座り込んで、「やだ、なんでいまさらそんなこと言うんだよ、俺半年前にちゃんと言っただろ、ここでおしまいにしようって、じゃないともう離してやれなくなるって…でも、それでもいいって、言ってくれたじゃねえか…」と、力なく顔を覆えば、「だからお前は何もわかってねえって言ってんだよ」と、土方は銀時の頭をぐしゃぐしゃ撫でる。「何がだよ!」と、叫んだ銀時に、「嘘だ」と土方は言った。
「気付いてねえみたいだがな、日付変わってんだよ」と、ポケットから携帯を出した土方は、「見ろ、今日は何日で、何の日だ」と、銀時にとんとんと画面を指して見せる。呆然としながら、土方の指先を眺めた銀時は、「四月一日、…エイプリルフール?」と、無機質なカレンダーの文字を読み上げた。「そういうことだ」と携帯をしまい込んだ土方に、「え、…え、ちょっと待って、何が嘘?どこから嘘?」と、銀時が追いすがれば、「最初から嘘だろ。別れるも何も、付き合った覚えがねえ」と、土方はあっさり言った。「それは、なんていうか嬉しいような嬉しくないような」と口籠る銀時に、「てめぇがはっきりしねえからだろ」と、土方が返すので、「つ…付き合ってください」と、銀時は土方の手を取る。が、「いまさら何をどうしろと」とあっさり土方に却下されて、「うん、土方はそういうよね、わかってた!」と、銀時は土方の膝に突っ伏した。
おい、と土方は銀時の肩を揺するが、「ごめん、ちょっと、むり、たてない」と、銀時は溢れそうな涙を堪えて返す。こんな嘘を吐かなくても、土方は銀時との関係をいつでも解消できるのだ。ずいぶん長い時間が経った後で、「てめぇは、俺が嘘を吐いてるとは思わなかったのか」と静かな声で土方が言うので、「俺が土方の言葉を疑うわけねえだろ」と、銀時が返せば、「そうか、じゃあ俺は、お前に何も期待されてねえんだな」と、土方は薄く笑って、銀時の身体を力任せに引き剥がした。そのままビニールシートに押し倒された銀時は、ごく近い場所にある土方の顔が歪んでいるのを見て取って、「なんで、お前がそんな顔してんだよ」と、瞼の縁に溜まった涙を堪えるのを止める。堰を切ったように涙が溢れて、銀時の視界を曇らせた。
「てめぇこそ、何泣いてんだ」と言う土方に、「だって、俺もうずっと、お前にいつ振られるかって、そればっか考えてて、でも土方は俺に嘘付かねえから、じゃあ今のも嘘だっていうのが嘘で、ほんとはずっと俺が負担だったんじゃないかって、そうじゃなくても俺がお前にそんな顔させてんのかって、もっ、どうしていいかわかんねえ」と、しゃくりあげながら銀時が返せば、「あんまり人を馬鹿にするなよ」と、土方は厳しい声を出しながら、銀時の涙を指先で柔らかく拭う。「しっ、してねえよっ」と、銀時は必死で首を振ったが、「してんだろうが。てめぇは俺が何をしても許して、何の見返りも求めなくて、そんなもんどう考えてもまともな人間関係じゃねえだろ。何もかも言葉にされなきゃわかんねえのか。俺がほんとに、てめぇの飯を食うためだけに現場から走ってくるような人間だと思ってんのかよ。てめぇは、そんな人間のどこを好きになった」と、土方の声は止まない。
だって、と声を出さずに唇だけで呟いた銀時が、「だって、期待したら裏切られるだろ。俺が勝手に期待して、勝手に失望したら、お前に失礼じゃねえか。どこがって、全部好きだよ。土方の目も髪も指も、沖田くんといるときの複雑そうな顔も、近藤といるときの幸せそうな顔も、俺といるときの面倒臭そうな顔も、お前がすきだった女が死んだときの泣き顔も、全部」と、言い募れば、「全部外見だな」と、土方はいっそ優しいと言えるような口調で、銀時の頬を撫でた。冷たい手をしている。
ぶわあ、とその瞬間言い知れない感情に襲われた銀時は、「外見以外のものを上げたって、お前の心には一切響かねえだろうが!俺がどんな思いで弁当作ってたかも、知らねえくせ…に…」と、感情のまま叫んだが、土方の顔にはっきり表れた笑みを見て、勢いを失くした。「なんだ、できるじゃねえか」と満足そう声で土方が言うので、「なにが」と、拍子抜けした銀時が尋ねれば、「もう長い事、腐ったような笑い顔しか見てなかったからな」と、土方は返す。だからその絶妙に心を抉る言葉の選び方だけは何とかしてください、とまた涙しかけた銀時は、次の土方の言葉に心臓を打ち抜かれた。

「俺はてめぇとするセックスと同じくらい、てめぇとのくだらねえ喧嘩がすきだった」

そう言って、大きく息を吐いた土方は、押し倒していた銀時を脇へ転がして、煙草に火を点ける。立ち上る煙は桜の花を薄く煙らせて、薄闇に消えた。目を見開いた銀時は、降り注ぐような満開の桜を、ただ見ていた。


( 「クラップ・ユア・ハンズ」のふたりで花見をするはなし/坂田銀時×土方十四郎/ 140401)