三人暮らし_03

小一時間ほど経って、銀時と松陽が寝室に戻ると、土方は布団の真ん中で大の字になっていた。「お前だって寝相悪いんじゃん」と、屈みこんだ銀時がひそやかに笑えば、「銀時は直立不動で眠るでしょう、どうしてあんな嘘を吐いたんです」と、松陽は土方の足元に丸まっていた毛布を広げながら言う。「その方が何かあったときにさ、土方じゃなくて俺のせいにできるだろ」と、入り口近くまで飛ばされていたエイを拾った銀時が返すと、「時くんは相変わらず<ツンデレ>ですねえ」と、松陽が言うので、「や、それはちょっと違うと思う…ってか、父さんの口からツンデレとか聞きたくない」と、銀時はふるふる首を振った。
「そうでしょうか、ぴったりだと思いますけれど」と、笑みを含んだ声で告げる松陽に、「もっ、それはいいから寝ようぜ。あんまり騒がしいと土方が起きるだろ」と、銀時はぶっきらぼうな声で言って、ばさっと毛布をかぶる。はいはい、と毛布の上から銀時の肩を軽く叩いた松陽が、「おやすみなさい、時くん。あたたかくてやわらかい絹のような夢を見ますように」と囁くので、「ずっと聞きたかったんだけど、それ何のおまじない?」と目を閉じたまま銀時が尋ねれば、「さあ、なんだったか。何かの本の一節ですが、ここ以外は忘れてしまいました。でも、良い言葉でしょう?」と、松陽の指は柔らかく銀時の髪を梳いた。うん、と素直に頷いた銀時は、「おやすみなさい、父さん」と呟くように言って、そのまま意識を手放す。優しい声がもう少し聞こえた気もするが、覚えてはいられなかった。



小さな手に揺すられて銀時が目を覚ましたとき、部屋はまだ真っ暗だった。「おきて」と、か細い声に囁かれて、一瞬びくりと体を振るわせた銀時だったが、その後土方の存在を思い出して、「ん、どした。トイレか?」と、寝起きにしては精一杯優しい声を作る。「うん」と、返した土方を抱き上げ、「良く起きたなあ、えらいな」と、銀時がまっすぐな黒髪を撫でれば、「いえなら、ひとりでもいける」と、土方は銀時の胸元にぎゅっとしがみついた。「しょうがねーよ、この家広くて暗いから。マンションとは違うだろ」と、なだめるように土方の背を撫で下ろした銀時は、そっと襖を開いて、常夜灯が光る廊下へと踏み出す。二階のトイレは寝室からすぐなので、銀時は土方を中に下ろすと、「戸は半分開けとくし、ここで待ってるから、ゆっくりな」と土方に言い含めた。ん、と声は出さずに頷いた土方のために、銀時は半開きの扉へ背を向けて立つ。
俺も小さい頃は父さんについてきてもらったな、と、その小さい頃がだいぶ長かったことは棚に上げて銀時が薄く笑う間に、土方は用を足して、手前の蛇口で手を洗い終えたらしい。「ときくん、タオルないよ」と、困ったような声を出す土方に、「あ、悪い、昨日洗濯してそのままだわ。とりあえずここで拭いとけ」と、銀時が屈んでパジャマの裾を差し出せば、「だらしない」と、土方はそこだけやけに明瞭な声で言った。「はい、すみません」と思わず謝罪してしまった銀時をよそに、土方は濡れた手をごしごし拭ってから、銀時に向かって両腕を広げる。はいはい、と当たり前のように土方を抱き上げながら、「良く寝られるか?俺たちのいびきがうるさかったりしねえ?」と、銀時が尋ねると、「ときくんもせんせいも、しずか。いきしてない」と、土方は銀時の肩に頭を預けて言った。あはっ、と笑った銀時は、「それ、良く言われる。息はしてっから、大丈夫だよ」と返して、後ろ手に襖を閉めて、土方を布団へ下ろそうとしたのだが、土方は銀時にしがみついて離れない。
「なに、さみしくなっちゃった?」と、銀時が尋ねれば、「さみしくない」と言いながらも、銀時の首をぎゅっと抱いた土方が、パジャマの胸元にぎゅうぎゅう顔を押し付けるので、「んー、でも俺は寂しいから、このまま寝るか」と、銀時は土方を抱えたままごろんと布団へ横たわる。さらに銀時が土方をぎゅっと抱きすくめれば、「ときくんおもい」と、土方は銀時に文句をつけつつ、銀時の腕の中で具合良く丸まった。「首苦しくないか?」と、銀時が腕枕どころか肩枕になった土方へ声をかけると、「へいき」と土方は答えて、ふわあ、と大きな欠伸を落とす。「ん、じゃあもう遅いからゆっくり寝な」と、毛布を足で探った銀時は、少し考えて、「そしたら、あたたかくてやわらかい絹の夢を見るよ」と、土方の耳元で囁いた。
「ん」と、夢現で答えた土方は、何事か呟きながら、銀時の腕の中で目を閉じる。全幅の信頼を抱いた銀時が、「…これは離せないわ」と、思わず声に出せば、「そうでしょうとも」と、暗がりから松陽の声がして、銀時はさあっと赤くなったが、逃げ場はどこにも無かった。

▽ ▽ ▽

翌朝、「ときくんときくん、あさだよ」とぐいぐい揺さぶられて目を開けた銀時は、「まだねむい」とあやふやな口調で呟くと、土方の体をがしっと掴んで毛布に引きずり込んだ。きゃあっ、と高い声で悲鳴を上げる土方に、「やすみなんだからごごまでねよう」と銀時が妄言を吐けば、「ダメですよ銀時、今日は忙しいんですから」と、松陽は言って、銀時から土方を取り上げる。湯たんぽを失った銀時が力なく空をかくと、「ときくん、つらい?」と、土方が心配そうな声を出すので、「…や、ごめん、起きる、起きます」と、銀時は寝ぼけ眼で布団に起き上がった。ふわあああ、と魂が出そうな長さのあくびをすれば、「すごい」と、銀時の頭を見た土方の目はまん丸で、「ん、すげーだろ。毎朝こうなんだよ」と、銀時は爆発したような銀髪をもしゃもしゃかき混ぜる。
それから、「土方は寝癖つかねえの?直してきた?」と、銀時がさらさらした土方の髪を撫でれば、「なにもしてないよ」と、土方はふるふる首を振って、「先生も」と、松陽を振り返った。首の後ろで結ばれた松陽の髪には、今日もキューティクルが光る。「うん、いいんだだいたいわかってたから」と、一人いじける銀時をよそに、「ご飯の前に着替えてしまいましょうか。十四郎くん、今日は何を着ましょう」と、松陽は土方との会話を進めていた。ちぇー、とつまらない疎外感に襲われつつ、銀時が部屋を出ようとすれば、きゅっと小さな手が銀時のパジャマの裾を握って、「どこいくの?」と、土方が不安そうな顔をした。えっなにその顔、と思った銀時が、「俺も着替えんの、隣で」と、寝室脇の自室を指すと、「おれもいく」と、土方は箪笥から引っ張り出した着替えを小脇に抱えて、銀時の手を掴む。
「布団は畳んでおきますから、着替えたら降りてきてくださいね」と、手を振る松陽に見送られ、徒歩五秒の部屋へ入った銀時は、まず締め切っていたカーテンと窓を開けた。うおっまぶし、と朝日に目を眇めれば、「いいてんき」と土方が銀時の腰にしがみつくので、「なー、絶好の散歩日和だな」と、言いながら銀時は土方の頭をぽんぽん撫でる。いい位置なのだ。「じゃあここで着替えな」と、マットレスの上に土方を乗せ、クローゼットから適当なジーンズとカッターシャツを出した銀時は、パジャマをぽいっと脱いで三十秒の着替えを済ませた。
胸元のボタンを留めている土方の足元で、てのひらに収まる小さな靴下を穿かせてやりながら、「今日は小学校までの道を確認して、あと買い物にも行くから、そのつもりで。あしたも学校だよな?」と、銀時が尋ねると、「うん、あしたは、さんすうとこくごとずこうとせいかつ!」と、土方はマットの上で飛び跳ねる。「時間割覚えてんだ、すげーな」と、あながち冗談でもなく感心した銀時に、「さんすうとずこうがたのしみ」と土方は笑って、マットから降りた。階段を下る時、「ときくん、くつしたは?」と、土方に裸足を見咎められた銀時は、「家の中は裸足がいいから、玄関にあんの。出るときに穿くよ」と、土方に握られた指を軽く揺らす。ふうん、と不思議そうな顔で頷いた土方が、階段の終わりでしゃがみこんで、「あしのゆびもまっしろ」と笑うので、「俺インドアだから」と、銀時は弾みをつけて土方を抱き上げた。
階段脇の洗面所で顔を洗ってから、銀時が向かいの居間へ続くガラス戸を開けると、「今朝はこっちでご飯にしましょう」と、台所から松陽が顔を出す。はーい、と足取りも軽く近づいた銀時と、銀時の腕を定位置にした土方の顔を交互に眺めて、「はい、ふたりとも綺麗ですね。髪も直りましたし」と、松陽がゆるく笑うので、「直ってももっさもさだけどな」と銀時が頬をかけば、「やわらかくてかわいいよ」と、土方は手を伸ばして、銀時の頭を撫でた。「ん、ありがとな」と、土方の手を受け入れてから、四人掛けテーブルに近づいた銀時は、クッションをいくつも重ねて座面を上げた椅子を見て、「父さん、これ逆に危なくね?」と松陽に問いかける。
「手すりもありますし、十四郎くんはお行儀が良いですから、大丈夫ですよ。時くんは膝でないと大変でしたが」と返す松陽に、「うん、いちいち俺を引き合いに出すのは恥ずかしいからやめてくんねーかな」とぼやいた銀時は、「じゃ、土方の席はここな」と、クッションの上へ土方を座らせた。ふかふかした感触が気になるのか、少しだけ体をもじもじさせた土方だったが、やがて、「ときくん、となり?」と銀時を見上げるので、「うん、隣。父さんが向かい」と、銀時は椅子の背を軽く叩いた。
サンドイッチを皿に盛る松陽の隣で、銀時は三人分のカップを用意し、土方には牛乳、銀時には紅茶と牛乳が一対一のミルクティ、松陽にはストレートティ、とそれぞれ作り分ける。ちなみに茶葉はもらい物のティーバッグだった。台拭きでテーブルを吹いてから、はい、と手渡されたサンドイッチの皿とマグカップを並べた銀時は、ガス台にかかった鍋を一瞥して、スプーンも準備する。「コーン缶なんてあったっけ?」と、松陽がぐるりとかき混ぜるコーンスープを覗きながら銀時が言うと、「無いと思ったので、コーンクリームの缶とバターは持ってきました。たまねぎと牛乳があって良かった」と、松陽はふわりと銀時に笑いかけた。どんだけ食い物持ってきたんだ、と銀時は思ったが、その全てが銀時の好物なので、「…そんなの、すぐそこのコンビでも買えんだろ」と素っ気なく返す声にも今一実が入らない。松陽にも、そうですね、と軽く流されてしまった。
熱いスープを食卓に並べ、「お待たせ、土方。腹減ったか?」と、銀時が土方の隣に座り込めば、「へったけど、ときくんとせんせいがなかよしでよかった」と、土方は良い顔で笑う。何を言っていいかわからず、「…ん、そっか、うん」と、頷くに止めた銀時の斜向かいで、「銀時は良く手伝ってくれるいい子なんですよ。さ、いただきましょう」と松陽は言って、土方へとマヨネーズを手渡した。
アボカドディップと生ハム、スモークサーモンとオリーブとトマトとリーフレタス、卵とチーズとキュウリのサンドイッチと、ホワイトソースをベースにみじん切りのたまねぎとコーンクリーム缶で作ったコーンスープ、それにめいめいの飲み物で朝食を済ませ、デザートに三連のヨーグルト(銀時がおととい買った)を食べてから、「何時頃出かけましょうか」と松陽が尋ねるので、銀時は開け放したガラス戸越しに、居間の時計を見上げる。時刻はちょうど九時だった。
「買い物もして帰りたいし、昼飯との兼ね合いもあるし、十時前くらいでいんじゃね?午後はマナちゃんのお見舞いにも行きたいし」と銀時が提案すれば、「そうですね、では私はここを片付けますので、銀時は洗濯物をお願いします」と、松陽は言う。はーい、と返事した銀時が立ち上がると、土方は銀時のカッターシャツを引いて、「おれは?」と首を捻った。「今日日曜だし、アニメでも見るか?何かやってんだろ?」と銀時が尋ねれば、「おかあさんがかえったら、いっしょにみる。おてつだい」と、土方が言うので、「そんなに気ィ使わなくてもいいぞ、親戚なんだし」と土方の頭を撫でてから、「一緒に洗濯物畳もうぜ」と、高い椅子から土方を抱き上げる。
「ドングリの木も見ないとだしな」と、銀時が付け加えれば、「うん!」と土方ははしゃいだ声を上げて、「せんたくは、いど?」と銀時を見上げた。期待しきった目を見つめられた銀時が、若干の罪悪感に苛まれながら、「洗濯機あるから、井戸ではしない。でも水は出るから、漕いでみるか?」と言うと、「みる!」と土方がぴんと手を上げるので、「はい、じゃあまずは洗濯物を畳んでからな。全部俺ので悪いけど」と、銀時は土方の頭を撫でて、一階の物干し場に向かう。
居間の掃き出し窓からサンダルを突っかけて出ると、土方が羨ましそうな顔をするので、「ちょっと待ってな」と一声かけた銀時は、玄関へ回ると、サンダルをもう一組出して、靴脱ぎに揃える。「大きいから、引っ掛けて転ぶなよ」と銀時が言えば、「きをつける」と土方は返して、ぴょんと踏み石から飛び降りた。ほんとにわかってんのか、と苦笑しつつ、銀時は洗濯物を取り込み、ときどき土方にも小物を渡してやる。「ときくん、パンツたくさん」と、風にそよぐ大量のトランクスを眺めながら土方が言うので、「洗濯すんのが面倒くさくてさ…家の洗濯機、九キロ洗えるし」と、銀時は頬をかいたが、「ピンクおおいね」と、土方はろくに聞いていない。いいんだけどさあ、と洗濯バサミからトランクスを開放した銀時は、「これ持って、中入ってて。俺もすぐ行くから」と、土方の手に八枚のトランクスを乗せた。
ぱたぱたかけ戻る土方が居間に入るのを確認してから、銀時は最後に残ったバスタオルとスポーツタオルを回収して、ばきっと首を鳴らす。まだ低い位置にある太陽を見上げて、「ほんとにいい天気だな」と目を眇めた銀時は、「ときくん」と銀時を呼ぶ声に、「今行く」と答えて、太陽に背を向けた。銀時のトランクスは、綺麗な正方形に畳まれていた。

▽ ▽ ▽

土方とふたりで洗濯物を畳んだり、土方に指摘された部屋の隅を掃除したり、二階の物干し台で布団を干したりしているうちに時間がたってしまったので、ドングリ拾いと井戸遊びは午後へ回すことにして、銀時は玄関で靴下を履く。「ときくん、くつしたもピンク?」と、靴を履く手を止めて土方が言うので、「これ安かったんだよ、近所のスーパーの二階で」と、銀時が返せば、「よく似合いますよ」と、灰色の足袋に下駄を突っ掛けた松陽は、楽しそうに笑った。鼻緒の柄に見覚えがあるので、「それ、懐かしいな。昔よく着てたろ」と、銀時が指すと、「ええ、生地が弱ってきたので、ほごして小物にしていただきました。帯もあります」と、松陽はさらりと足元を撫でる。
「先生は、先生ってかんじがする」と、松陽を見上げる土方の頭に手を置いた松陽が、「着物だからでしょうか。良かったら十四郎くんも着てみますか」と言って、「時くんも、昔は着物で過ごしていた時期があるんですよ」と、銀時に視線を移した。「そうなの?」と、なぜか嬉しそうな顔をする土方に、「土方くらいの頃、春とか夏の長い休みにな。父さんが張り切って、何枚も作ってくれたんだよ」と、銀時が返せば、「たのしかった?」と、土方はぱちりと瞬いて、銀時に問いかける。「ん、父さんとお揃いだったし」と、銀時が頷くと、「それは初耳ですね。芳しい反応がないので、嫌がられているのかと思っていました」と、土方越しに松陽は言って、「惜しいことをしましたね」と、ゆるく笑った。
玄関に鍵をかけながら、「だって、あのまま続けてたら桂や坂本まで着物になってたろ。お揃いは俺と父さんだけで良かったの」と、何の含みも無く言った銀時に、「時くんはときどきすごいことを言いますねえ」と、松陽は感嘆したように呟く。なにが、と問い返す間もなく、「おれともおそろいはいや?」と土方に腕を引かれて、「土方ならいいよ」と、銀時が頷けば、「その時は銀時も着物にしましょう」と、松陽はすかさず言った。「さんにんで、おそろい」と弾んだ声を出す土方に、それはちょっと、と口を挟むこともできず、結局銀時は「家の中でなら」と、小声で言って松陽から目を逸らす。「今の銀時には紺が似合いそうですね。十四郎くんにはもう少し淡い色を探しましょう」と、ひどく楽しそうな松陽へ「お手柔らかに」と返した銀時は、土方の手を取ってそれほど立派でもない門を潜った。
住宅街の中にあるこの家は、住民以外の車はほとんど通らない生活道路に囲まれている。「よし土方、ここが家な。この門と、この表札が目印だ。これは『よしだ』って読むから、わかんなくなったらその辺の人に、『吉田先生のおうちはどこですか』て聞くと良い」と、銀時が言うと、「ときくんは、…さかた?」と、土方が不思議そうな顔をするので、「おー、良く覚えてたな。うん、俺は坂田。父さんも今は『坂田松陽』だけど、昔は『吉田』だったの。ここは父さんの家だから、名前もそのままなんだよ」と、銀時はできるだけ噛み砕いて説明した。んー、うん?と、良くわからない顔をする土方に、「ほら、十四郎くんのおばあさまは『寺田』でしょう。お母さんも、昔は『寺田愛佳』だったと聞いたことはありませんか」と、松陽が続けると、土方はぱあっと顔を明るくして、「ねんがじょう」と言う。
「おかあさん、おてがみにひじかたじゃないなまえかいてた」と土方が重ねるので、「うん、たぶんそれは旧姓を書いてたんだろうな。昔の名前。結婚すると、どっちかの苗字が変わるんだよ」と、銀時は握っていた土方の手を揺らしながら言った。
もう一度考え込んだ土方に、「おれとときくんがけっこんしたら、ときくんもひじかた?」と尋ねられた銀時は、一瞬答えに詰まったものの、「…そうだな、俺が『土方銀時』になるか、お前が『坂田十四郎』になるか、どっちかだ」と、なんでもない声で答える。「でも、俺はできれば坂田のままでいたいかなあ」と、銀時が付け加えれば、「うん、わかった」と、土方が頷いて、それで話は終わった。
気を取り直し、「家の前の道をまっすぐ行くと、ちょっと大きい道にぶつかるから、ここで右に曲がる。大きい道を道なりに歩いて、一つ目の橋を渡ってもうちょっといくと、次の橋がある。この橋の手前で左に曲がったら、もうここが学校」と、十年以上前に通った小学校までの道のりを歩きながら説明すると、「あのはし、いつもわたってる」と、土方は正門の前から見える二つ目の橋の欄干を指して言う。「ん、土方の家と俺の家は、学校をはさんで逆方向だから、そうなるな。あそこに住んでる友達がいたから、俺もあの橋は良く渡った」と、銀時が頷けば、「ときくんのおともだち」と、土方は少し不思議そうな顔を作った。「あー、ともだち?友達じゃねえかなあんなの。今はもう結婚して、マンションは出てるんだけどな」と、土方の頭を乱暴に撫でた銀時は、「…そういえば、土方はいつも誰と登校してんの?今小学校って、ひとりで通っていいんだっけ」と、前半は土方に、後半は松陽に問いかける。
「いつも、ミツバちゃんとおにいちゃんたちとかよってる」と返す土方に、「そのお友達はどこに住んでいるのですか」と松陽が尋ねれば、「おおきいおうち。こうえんであうよ」と、土方は答えた。「あー、マンションの前にでけえ公園あるわ。あそこで待ち合わせるってことは、すぐ近くの子か。帰りはともかく、朝はこっちまで来てもらうのは無理だろうし、ちょっと怖いな」と、眉根を寄せた銀時に、「ひとりであるけるよ?」と土方は言うが、「ん、信号渡んねーからそんなに危なくはないと思うけど、最近はそういうんじゃない危ないことがたくさんあるからさあ」と、銀時はがりがり首の後ろをかく。親戚の贔屓目を差し引いても、土方は可愛い。女の子と見間違えた自分の経験と、子どもであれば性別は関係ないという輩がいることを踏まえて、銀時が唸っていれば、ふいに「先生、松陽先生ではありませんか」と、良く通る声が背後から響いて、さっと現実に引き戻された。
振り返れば、「お久しぶりです。昨夜は挨拶しかできませんでしたが、お元気ですか?もうずっとこちらにいらっしゃるのですか」と、松陽に向かって矢継ぎ早に尋ねる幼馴染の姿が見えるので、銀時は反射的に「なに断りもなく人の父親に話しかけてんだ、このヅラが!」と、長髪の横っ面を張り飛ばす。ぶへっ、と吹き飛んだ桂を見て、「ときくんすごい!」と、拍手をした土方は、「おまえ、とおしろー?」と、それまで桂の陰になっていた子どもに声をかけられて、ぱちりと大きな目を瞬いた。「しんちゃん」と、子どもの名を呼び返した土方に、「なに、お前ら知り合い?」と、銀時が尋ねれば、「うん、くみはちがうけど、ともだち」と返した土方は良いとして、「なんで銀時がとおしろといっしょにいんだ、もしかして、とおしろのかあちゃんねとったのか?」と、きつい目で銀時をにらむ晋助はいただけない。
「バカヤロー、お前の義父ちゃんと一緒にすんな。土方の母ちゃんは、子どもが生まれるから入院してんの。土方はしばらく家に住むことになっただけだから、変なこと言いふらすなよ」と、銀時が晋助の頬を突付くと、「ならいい。銀時こそ、とおしろにへんなことすんなよ」と、晋助はどこまでわかっているのかわからない台詞を吐いた。「しねえけど、お前そういうの全部あの馬鹿に教わってんの?」と、銀時が据わった目で桂を示せば、「あのばかにおそわることなんかなにもねえよ」と、晋助は鼻を鳴らす。それは同感だ、と重々しく頷いた銀時の服を引いて、「ときくん、しんちゃんとおともだち?」と、土方が言うので、「ん、そうだな、高杉とは友達だな。ちなみに、さっき言った土方と同じマンションに住んでたって言う友達じゃないのが、あそこのヅラだ」と、銀時はようやく立ち直って、性懲りもなく松陽に声をかけた桂を薄く睨んだ。
「あのひと、しんちゃんのおとうさん?」と、土方に尋ねられた晋助は、心底嫌そうな顔をしながら、「ちがうけど、かあちゃんのだんなではある」と返して、「あのきもののひとは、あいつのなんなんだ?」と、今度は銀時に振る。「あの人が、俺の父さんで、あいつがいうところの『松陽先生』だよ。家に上がりこんで散々語ってた、あの人。あいつにとってはなんでもないです」と、銀時が答えれば、「おんなじゃなかったのか」と、晋助は拍子抜けしたように言って、「なら、もっときもちわりいな」と、桂の後姿をじっと睨んだ。だろ、と晋助の肩を叩く銀時を置いて、「おれ、あいさつしてくる」と土方が駆け出すので、「なるべく父さんの近くにいろよ、ヅラが移るから!」と、銀時が声をかけると、「ヅラじゃない、桂だ!」と桂は叫んで、松陽に宥められている。
ちらり、と銀時の様子を伺って、「ときくん、てなんだよ」と、銀時を突付く晋助に、「お前こそ、しんちゃんかよ」と、銀時がやり返せば、晋助はしばらく銀時を見つめて、やがてお互いふはっ、と笑った。「いいじゃん、時くん。可愛いだろ」と、銀時が笑いながら言うと、「まあな、とおしろならいい」と、晋助も頷く。ふと思い立った銀時が、「そういや、お前今誰と学校行ってんの?」と尋ねると、「ひとりにきまってんだろ」と晋助が答えるので、「ん、ならしばらく土方と通ってやってくんねえ?迷う距離じゃねえけどさ、やっぱ、何かあると怖いから」と、銀時は頼んでみた。通学路として銀時の家の前を通っている晋助は、少し考えて、「どれくらい」と問い返す。「土方の母ちゃんが帰って来るまでだから、えーと、二週間か、もうちょっとか、それくらい」と、銀時が返せば、「しかたねえな、むかえにいってやる」と晋助は尊大に言い放って、「そのかわり、またプリンくれよ」と、続けた。銀時の手作りプリンは、桂・晋助親子にひどく評判がいい。「おう、あの馬鹿に見せつけて食ってやれ」と、銀時が請け合うと、「まかせろ」と、晋助はにやりと笑った。
交渉成立、と銀時が土方と拳を合わせたところで、「ときくん、せんせいがみんなでごはんこうって」と、土方が駆け戻って来るので、「高杉はいいけど、ヅラもか」と、銀時が露骨に顔を顰めれば、「おれなんてまいにちこいつとめしくってんだぞ」と、高杉は深く溜息を吐いた。六歳とは思えない重さに、「…お前も苦労するな」と、銀時がそっと晋助の肩を叩くと、「しんちゃん、おとうさんきらい?」と、土方は首を傾げる。「銀時、ちょっと」と松陽に袖を引かれた銀時は、「すききらいじゃなくて、あわない」と返す晋助と、「俺は好きだぞ、晋助」と真顔で晋助へ迫る桂とに土方を任せて、声が届かない正門脇の紫陽花の前まで移動した。
「小太郎くんは、いつあんなに大きな子どもができたんです?」と、松陽が尋ねるので、「あの子は嫁さんの連れ子。嫁さんとは四年前から付き合ってて、二年前に結婚したんだけど、いろいろあって親権は移してないから、あの子は『高杉晋助』なんだ」と、銀時は説明する。もう少し詳しく言うと、晋助が生まれてすぐ幾松の前夫が無くなり、前夫の遺産を巡って骨肉の争いが起きた挙句、晋助の親権は前夫の両親に渡ってしまったらしい。ただし、養育権は幾松にあったため、晋助と幾松は引き離されることなく、小料理屋を営んで生計を立てていた。そこに通い詰めたのが、当時大学生だった桂である。もとは幾松の料理に、はては幾松自身にほれ込んだ桂は、七歳と言う年の差と、晋助の存在をもろともせず、二年前にとうとう籍を入れた、という具合だった。幾松が再婚する際、前夫の親族は晋助をしつこく奪おうとしたが、結局晋助自身が幾松を−あるいは桂を−選んで、今に至る。普段から銀時と桂を貶し続ける晋助だが、心底嫌っているわけではない、と言うのは、休日にふたりで出かけるところから見ても明白だった。まあ、桂から目を離すとあとあと面倒なことになる、ということを、あの幼さで学んでいるだけかもしれないが。
「親と苗字が違うから、いろいろ嫌なことを言う連中もいるらしいけどよ、あいつはそんなん気にしねーし、土方とも友達みたいだし、…父さんにこんなこと言う必要はねーと思うけど、色眼鏡では見ないでくれよ」と、銀時が重ねれば、「銀時は優しい子になりましたねえ。昔からですが」と、松陽は銀時の頭を撫でて、「やはり、昼食は一緒にとりましょう。川向こうのファミリーレストランは、まだありますか」と、問いかける。「ん、ガストからデニーズに変わったけど、あるよ」と、銀時が答えると、「ではそこで」と松陽は頷いて、土方を抱き上げようとする桂から必死で土方を庇ったせいで自分が抱き上げられてしまった晋助へ、「こんにちは、いつも銀時がお世話になっています」と、にこやかに声を掛けた。
桂との攻防を続ける晋助と、それをもろともしない松陽を眺めて目を丸くする土方の隣にしゃがみ込み、「土方、あしたから高杉が一緒に学校行ってくれるって」と、銀時が告げれば、「しんちゃん、おうちちかいの?」と、土方は目を輝かせる。「ん、さっき家の前を右に曲がったろ?あれを左に曲がって、突き当りをもう一度左に曲がった、三件目のアパートがあいつんち」と、銀時が答えると、「あそびにくる?」と、土方は銀時の膝に手を乗せた。
「来る来る、もう、誘わなくても来る。だいたいあのバ…えーと、お父さんは『桂小太郎』って言うんだけどな、あれが平日でも休日でもお構いなしに連れてくる。父親はともかく、晋助はいい奴だから、仲良くしてやってくれると嬉しい」と、銀時が土方を抱き寄せると、「しんちゃんやさしいからすき」と、土方は銀時の胸に頭を預けて、ふわりと笑う。「へー、高杉優しいんだ。俺には結構厳しいんだけどな」と、銀時が言えば、「ときくんはだらしないから」と、やはりそこだけはっきりと土方が言うので、「土方それ、もしかして母さんの仕込み?」と、銀時は情けない声を出して眉を下げた。
げんきだして、と頭を撫でてくれる土方の手を受け入れていると、「とおしろ、ひるめしくいにいくって」と、どうにか桂の腕から抜け出したらしい晋助が走って来るので、「おう、ヅラの奢りにしてもらおうぜ」と、銀時は土方の背をポンと叩いて立ち上がる。あ、と言う顔をした土方が、銀時と晋助を見比べてもじもじするのを見た銀時は、「高杉、お前こっち。土方はこっちな」と、ふたりを両腕で抱き取った。きゃあ、と歓声を上げる土方と、「いきなりはやめろ」と、それでもまんざらでもない顔で言う晋助を見て、「銀時、お前ばかりずるいぞ」と、桂は言うが、「仁徳の差だろ」と、銀時はばっさり桂を切り捨てて、「行こうぜ、父さん」と、松陽を促す。
むう、と眉根を寄せて立ちすくむ桂に、「置いてくぞー、財布」と銀時が声を掛ければ、「財布じゃない、桂だ!」と、いつもの調子で桂は返し、銀時の隣に並んだ。ファミレスまでは、銀時の足で徒歩五分だった。


( 社会人の銀さんと父親の松陽先生が土方くん(7)を預かるはなし/銀時と松陽と土方/ 140327)