三人暮らし_02

風呂の準備、と一人でパジャマと替えの下着を出した土方が、「ときくんのパジャマは?」と銀時を見上げるので、「パジャマなんてもう十年着てねェな」と返せば、「ときくん、おかねないの…?」と心配そうに首を傾げられてしまって、言葉に詰まる。あんまり持ってないけどパジャマ買うくらいの金はある、と返すわけにもいかず、「世の中にはパジャマを着ないで寝るやつもいるんだよ、俺みたいに」となんとか言葉を搾り出した銀時は、「らぞく!」と間髪いれずに返った土方の声で今度こそ撃沈した。「裸では寝ません、つか今からパジャマ買ってくるから、ドンキなら二十四時間だから、もう裸族とか言っちゃダメだから!」と、銀時が錯乱しかけていると、「心配しなくても、パジャマならありますよ」と、いつの間にか姿を消していた松陽が現れて、銀時に平たい箱を手渡す。
真っ白なボール紙を開けてみれば、中から出てきたのは、「…いや、パジャマって言えばパジャマだけどよ」ピンクのネグリジェだった。別に透けてはいないし、実用的なものだと思うが、いかんせん銀時が着るようなものではない。父さん?と、銀時が薄暗い目をすると、「間違えました、こっちです」と、松陽はもうひとつ箱を出して、にこやかに笑う。冗談なのか本気なのかわかんないんだよなこの人は、と半ば死んだ目で蓋を開けると、中身はグリーンを基調としたごく普通のパジャマで、銀時はほっと息を吐いた。「父さんもパジャマなんて持ってたんだ」と、銀時がパジャマを広げながら常に和装の松陽を見上げると、「これも結婚祝いにペアでいただいたものです。一度も着ていませんから、使ってください。よければこちらも」と、松陽は銀時の膝にネグリジェを乗せる。「父さんは俺のことなんだと思ってんの?」と、濁り切った目で銀時が問いかける間に、銀時の膝へ乗り上げた土方は、「おひめさまのふく」と、興味深そうな顔でネグリジェを見つめた。
「うーん、確かにひらひらしてっけど、ネグリジェのお姫様はちょっと土方には早いなあ」と、銀時が腕を組めば、「銀時には早くそういう方が見つかるといいですね」と、松陽はさらりと言って、「でも、もちろん銀時が着ても似合うと思っていますよ」と、ネグリジェの薄い生地越しに銀時の太ももを撫でる。「ときくん、おひめさま?」と、きらきらした土方の目に見つめられて、「いや、そんな場末のお姫様にはなりたくねえっつうか、女装にはいい思い出がねえっつうか」と、口ごもった銀時は、「土方が王子様やってくれるなら、俺がお姫様でもいいけど」と、持ちかける。うーん?と難しい顔をしてから、「おうじさまじゃなくて、やぎがいい」と、土方が言うので、「や、やぎ?」と銀時が問い返せば、「やぎ!おおきいのと、ちいさいのと、もっとちいさいの。おれがおっきいので、先生がちいさいので、ときくんがいちばんちいさいの。はしががたがたって」と、土方は答えた。
「なんだっけこれ」と、思い出せそうで思い出せない物語に、銀時が松陽を振り返ると、「がらがらどんですね。三匹のやぎのがらがらどん。銀時も好きでしたけど、十四郎くんもお好きですか」と、松陽は言う。そうそれ、と頷く銀時の膝の上で、「うん」と土方もうれしそうな顔をして、「ようちえんで、おおかみとやぎだった。おれはやぎとやぎとやぎがよかったのに」と、土方は足をばたつかせた。んー?と曖昧に笑うことしかできない銀時をよそに、「十四郎くんはおおかみでしたよね」と松陽は土方へ確認し、「そう、ここんとこにいしがはいってた」と、土方はぺろんと着ていた服をめくって、無駄な肉は無いのにやわらかそうな腹を指す。ああ、とそこでようやく腑に落ちた銀時が、「劇かなんかしたの?やぎに食われそうなおおかみだな」と、土方の腹をくすぐれば、土方はきゃあきゃあ笑いながら、「おれ、やぎじゅうさんびき食べた」と、小さい両手を目いっぱい開いて見せた。
「十三にはあと三匹足りねーけど、やぎって七匹じゃなかったっけ」と、銀時があやふやな記憶を辿ると、「最近の幼稚園では、皆が主役になれるよう、登場人物の数を増やすそうですよ。十四郎くんの幼稚園はずいぶん大きかったようですから、こやぎも四十七匹くらいいたんじゃないでしょうか」と、松陽は言う。「それもう何か別の物語だけど、いいのか?」と銀時は首を捻ったが、「おおかみだったけど、やぎがいいの。がらがらどん」と、土方が銀時の首に抱きつくので、「がらがらどん、あるけど読んでもらうか?」と、銀時は土方を横抱きにしながら返した。零れ落ちそうなほど目を開いた土方に、「ある?あるの?」と、尋ねられた銀時が、「捨ててないよな?」と松陽を振り返って確認すれば、「もちろんです、思い出ですから」と松陽は微笑んで、「探しに行きましょうか」と、右手を差し出し、銀時の左手をぎゅっと握る。
当然土方の手を取るのだと思っていた銀時は、「え、俺も?」と間の抜けた声を出してみるが、「ときくんはやく」と土方は銀時の首にしがみついて離れない。そのまま運ばれる気らしい。さあ、と松陽にも促されたことで、はいはい、と立ち上がった銀時は、「つーかさ、もうとっくに風呂沸いてんじゃね?」と、寝室の鴨居から下がる柱時計を見上げた。二十時半だった。

▽ ▽ ▽

松陽の書斎で『三匹のやぎのがらがらどん』を探し当てたあと、「すぐ読むか?」と尋ねた銀時に、「おふろがさき」と土方が返すので、「土方は本当にできた奴だな」と、銀時は抱き上げたままだった土方の髪に頬を当てる。寝室に絵本を置いた銀時と土方は、全員分の寝巻きを抱えた松陽に続いて階段を下り、脱衣所で服を脱いだ。「ときくん、まっしろ」と、タオルを持った土方が言うので、「土方、お前今どこ見て言った」と銀時は土方の頭を撫でて、「白いとダメか?」と問いかける。首を横に振ってから、「やぎみたいでかわいい」と答える土方に、「褒めてくれてありがと」と返した銀時は、着物を脱ぐ松陽に声をかけて、風呂場の戸を潜った。
さきほどかぶせた浴槽の蓋を開けて、「触ってみ、熱かったらうめるから」と銀時が促せば、「うめる?」とお湯に手を入れながら土方が疑問符を浮かべるので、「えーと、水足してぬるくする、ってこと。熱かったら入れないから」と、銀時は返す。ぐるぐる湯をかき混ぜてから、「あつくないよ」と顔を上げた土方に、「ん、なら体洗って、浸かろうな」と銀時は言って、土方をいすに座らせた。子ども用ではないので、足が浮いてしまっている。「土方は、ひとりで風呂に入れんの?」と、ざらついた洗い布ではなく、やわらかいタオルに石鹸を擦りつけながら銀時が尋ねると、「頭あらうのむずかしい」と、土方は言う。「へえ、でもできるんだ。えらいな」と、銀時が土方の背中に泡立てたタオルを当てると、「もうおにいちゃんだからっ」と、土方は背筋を伸ばして答えた。
「いいな、俺一人っ子だから兄弟って羨ましい」と、銀時が笑った瞬間、「それは申し訳ないことをしました」と、松陽が浴室へ入ってきて、「今からでもがんばりましょうか」と続けるので、「いえ、もういいです」と、銀時は真顔で返す。両親の仲が良いことは知っているし、生まれると言うのなら歓迎もするが、銀時の一言で子作りを宣言されても困る。「それに、俺兄ちゃんが欲しかったんだよなあ。弟妹もかわいいと思うけど」と、銀時が付け加えれば、「ときくん」と、泡だらけの土方が銀時の胸を叩いた。「なに?」と銀時が屈み込むと、土方は銀時の首をぎゅっと抱きこんで、「おれがときくんのおにーちゃんになってあげる!」と言う。おお、と思いながら、「え、でも土方にはもう弟か妹が生まれるんだろ?その子のお兄ちゃんじゃなくていいの」と、ごく近い場所にある土方の顔を見つめた銀時に、「いもうとだから、ときくんがおとうとね」と、土方は咲き零れるように笑った。
「えー、どうしよ。父さん、俺土方ん家の子になっていい?」と、銀時が松陽に振ると、「いいえ、ダメです。十四郎くんが家に来てくれるなら歓迎しますが」と、松陽はぶれない。「だってさ。土方がお兄ちゃんなら俺も楽しいだろうけど、土方は土方だから、生まれてくる妹を大事にしろよ」と、土方を抱きしめた銀時が、「マナちゃんの娘で土方の妹なら、ほんとめちゃくちゃ可愛いんだろうな」と続ければ、「そういえば、銀時も生まれてくるまでは女の子だと思っていたんですよ」と、松陽は言った。「えっ、知らないんだけど」と振り返った銀時に、「ずっと膝を抱えていたので、エコー写真では性別が良くわからなかったんです。ただ、たぶん女の子だろう、と言われていたので、名前も服も皆女の子のものを準備していましたから、銀時が生まれたときは驚きました」と、洗い布を泡立てながら松陽は笑う。
松陽に背を向けて土方の手足を洗いつつ、「あー、だからちっちゃい頃の写真で白とかピンク着てるんだな…」と、しみじみ呟けば、「いいえ、それは似合うから着せていただけですよ。全部男の子のものですから、安心してください」と、銀時の耳の後ろを擦りながら松陽が言うので、「父さんの趣味かよ!」と、銀時は思わず突っ込んでしまった。「ときくん、おれのおとうとはいや?」と、眉を下げる土方に、「なっちゃおうかなあ、なんか、父さんは女の子が良かったみたいだし」と、銀時が言うと、「心外です、娘でも息子でも時くんは世界一可愛いに決まっているじゃないですか」と、松陽は銀時の背中をゆるく撫で下ろす。「うんうん、父さんにとってはそうかもなー」と松陽の声を流した銀時は、「うし、全部綺麗になった。じゃあ次は頭洗うぞ」と、土方の体にざぶっとお湯をかけた。
銀時の言葉を聞いた土方は、ぎゅっと目を閉じて、耳に指を突っ込む。なんだこれ可愛いな、と思った銀時は、できるだけ慎重に土方の髪を濡らすと、シャンプーを手にとって、先に良く泡立ててから土方の髪をかき混ぜる。細くて指どおりの良い髪を洗いながら、「土方の髪はまっすぐで綺麗だな、真っ黒だしな」と、銀時がうたうように声をかければ、「ときくんのしろいの、かわいいよ」と、片耳から指を外して土方が答えるので、「やぎみたいで?」と、銀時は返した。「うんっ」と弾むような声を出した土方に、「やぎ、間近で見ると結構怖い目ェしてるから、気をつけろよ。羊は可愛いけど」と、銀時が言うと、「そういえば、時くんは牧場も好きでしたね」と、銀時の背に湯をかけながら、思い出したように松陽は言う。
「ぼくじょう?うしがいるとこ?」と、振り返ろうとした土方を抑え、「待て待て、泡流しちまうから」と銀時が言えば、土方がまたぎゅっと目を瞑って俯くので、銀時はごく丁寧に土方の髪からシャンプーを落とした。よし、と土方の肩を叩いてやると、「うしはいた?」と土方はすぐさま振り返って、浴室の床であぐらをかいた銀時の足に座り直す。土方の目にかかる濡れ髪を撫で付けてやってから、「牛もいた。羊とやぎと馬と、あとうさぎと猫に犬もいたな」と銀時が数え上げれば、「うしとやぎとうさぎと犬」と、土方がそこに反応するので、「土方は牛とやぎとうさぎと犬が好きなのか」と、銀時は土方の言葉を繰り返した。うん、と頷いた土方は、「猫はダメですか?」と、銀時の後ろから尋ねる松陽に、「ねこもかわいい。でも、おかあさんがかわいそう」と答えて、しゅんと項垂れる。
「あ、マナちゃん猫アレルギーだったわ」と、銀時が思い出せば、「おかあさんは、ねこすきなのに」と、土方がさらに肩を落とすので、「好きなのに触れないのは、確かにかわいそうだよな。じゃあ、やっぱり牛とやぎとうさぎと犬だ」と、銀時は土方の髪をよしよし、と撫でた。うん、と気を取り直したように顔を上げた土方へ、「俺たちも体洗っちまうから、土方はお湯に浸かってて。熱くなったら、十数えてあがるんだぞ」と銀時が言えば、「おれも洗ってあげる!」と、土方は俄然張り切っている。えーと、と銀時が松陽の表情を伺えば、「それはいいですね。銀時はきっと私の頭も洗ってくれますから、十四郎くんは銀時をお願いします」と、松陽はゆるやかに微笑んだ。
あ、これは生け贄に近いな、と銀時は思ったが、土方がひどく楽しそうなので、「俺の髪は洗い辛いと思うけど、お願いします」と、土方に頭を下げておく。あれこれ考えて、洗い椅子の上に膝立ちした土方へ、「落ちるなよー?危なくなったら、どこでもいいから俺に掴まれよ」と、銀時が声をかければ、「おちない」と自信たっぷりに土方は言い切って、銀時の頭にシャワーで水をかけた。繰り返すが、水をかけた。ぎゃっ、と思わず叫んだ銀時は、「ちょっ、土方、そっち水!」と、シャワーのコックを逆方向に捻る。「大丈夫ですか、銀時」と振り返った松陽と、「ごめんねときくん、さむかった?」と申し訳なさそうな声を出す土方に、「まだちょっと冷水シャワー浴びる時期じゃねーかな」と笑って見せた銀時は、「悪い、赤いほうがお湯だって言ってなかったわ。俺もごめんな」と、土方の頭を後ろ手に撫でた。
気を取り直して、土方がかけてくれるシャワーを浴びながら、銀時は松陽の背中を流す。「タオルではくすぐったいですねえ」と、自分で体の前面を洗いながら笑う松陽に、「あかすりならあるけど、そっちにするか?」と銀時が尋ねれば、「それはまた今度お願いします」と、松陽は柔らかく首を振った。そうこうする間に、土方は銀時の頭にシャンプーをべたっと乗せて、小さな手でわしゃわしゃかき混ぜる。見る間に泡立つ髪を見て、「ときくんすごい」と土方が言うので、「おー、すげーだろ。ちなみにすね毛もすっげえ泡立ちます」と、銀時が返すと、「すごいすごい!やぎみたいになる!」と、土方は弾んだ声を出した。
その後、土方が一生懸命流してくれた髪に触れながら、「土方の褒め言葉はやぎなんだな」と、銀時が言えば、「やぎはかわいい。かっこいい」と、土方は誇らしそうな顔で、ずいぶんボリュームが減った銀時の髪を撫でる。へへ、とくすぐったい気持ちで土方を眺めていた銀時は、「私は一人で髪を洗えますから、二人ともお湯に入ってください。風邪を引きますよ」と松陽に促されて、「ん、じゃあ土方、百数えるか」と、土方を抱き上げた。広くて浅い風呂に浸かって、いーち、にーい、さーん、と声を合わせていれば、二十五を越えたあたりで土方の声が小さくなったが、「にーじゅろく、にーじゅしち、にーじゅはち、にーじゅく、さんじゅう」と、銀時は気づかない振りをして、ゆっくり数え続ける。四十一まで数えたところで、「よんじゅに、よんじゅさん、よんじゅし、よんじゅご」と、松陽の声が同じリズムで重なって、銀時はへらっと唇の端で笑った。給湯温度は三十八度だった。

▽ ▽ ▽

風呂上り、銀時がほんのり赤くなった土方の体をやわらかいバスタオルで包んでやると、「ときくん、ピンクだね」と土方が言うので、「うん、さっきからどこ見て言ってんのかな土方くん」と、銀時もぐるりとタオルを纏う。背にかかる長さの髪をまとめながら、「銀時は温かくなると全身ピンク色ですから」と口を挟んだ松陽に、「おひめさまみたい」と土方は返して、「ひらひらしてる」と、銀時が巻きつけたもらい物のタオルを引いた。「タオルだけ巻いたお姫様はちょっと困るな、姫違いだな」と、屈みこんだ銀時が土方の髪をスポーツタオルで拭っていれば、「十四郎くんは、お姫様の出てくる話も好きですか」と、松陽は銀時の髪を乾かしながら問い掛ける。「ともだちがすきなの」と、答えた土方に、「おー、その友達って女の子?」と銀時が重ねると、そう、と土方は頷いて、「ようちえんもがっこうもおなじ。おにいちゃんがふたりいる」と、指を三本立てた。ほほう、と俄然興味がわいて、「可愛い子?」と下世話な質問をした銀時に、「うん、でもときくんもかわいいよ」と、土方が気を使ってくれるので、「ん、俺のことはいいんだ。土方も可愛いからな」と、銀時は返す。
そうして、「そっかあ、三人兄弟の末っ子だと、ガード固そうだけどがんばれよ。兄ちゃんたちに負けんな」と、銀時が勝手に土方を激励すれば、「おにいちゃんともなかよし」と、土方は澄み切った瞳で銀時を見上げた。あ、眩しい、と思った銀時が、「仲良しがいっぱいいていいな」と、土方の頬をうりうりして話をそらすと、「ときくんもなかよし?」と、土方が期待に満ちた表情を作るので、「ん、もう仲良しだ」と、銀時は土方を軽く抱きしめる。鈴を転がすような声で笑った土方に、「はい、仲良しさんたちは早く服を着てくださいね」とすでに寝巻きを着込んだ松陽は下着を手渡して、「ひとりで着替えられますか」と、問いかけた。
「だいじょうぶ」と頷いた土方は、ばさっとバスタオルを肩から落とすと、その場に座り込んでもぞもぞと下着を穿いている。まだ片足だとバランス取れねーのかな、と銀時がなんとなく土方を見つめていれば、「時くんは、着替えさせて欲しいですか?」と松陽が言うので、「気持ちだけもらっとく」と、首を振って、銀時もイチゴ柄のトランクスに足を突っ込んだ。二十七年物のパジャマは、それなりに着心地が良かった。

▽ ▽ ▽

ついでだから洗面所で歯を磨いていこう、ということになったので、銀時は段ボールから避けておいた歯ブラシセットを取って、土方に手渡す。そのままだと鏡にも映らなければ蛇口に手も届かない土方のために、銀時が片手で土方を抱き上げていれば、「ときくん、いたくない?」と、口の中を泡だらけにした土方が不明瞭な発言で尋ねるので、「土方は軽いから平気」と、銀時は答えた。「でもいつまでもこれは不便だから、あした踏み台探しとくな。俺が昔使ってたやつ」と、続けた銀時に、「たしか裏の物置にしまったはずですから、見ておきますね」と、松陽は言う。
よろしく父さん、と返した銀時が、後ろ髪を結い上げた松陽を眺めて、「しかし、いつまで経っても白髪の無い髪だな」と呟けば、「わかりませんよ、毎週白髪染めで床屋に通っていたらどうします」と、松陽は飄々とした顔で反応に困る言葉を紡いだ。「べつにどうもしねえけど、そうなの?」と、気の無い返事をした銀時に、「銀時も大人になりましたねえ」と、松陽はしみじみ呟いて、「昔だったら驚いたあとに『白髪なら俺とおそろいだから染めなくていい』くらいのことは言ってくれたでしょうに」と、心から残念そうに重ねる。十年前なら確実にそうだっただろうな、と思った銀時は、軽く赤面しながら、「『銀時の髪は白髪ではなくて銀髪ですから』ってずっと言ってたのは誰だよ」と憎まれ口を叩いた。
すると、「けんかしないの」と、土方が銀時の胸をぽふぽふ叩くので、「土方が一番大人だな」と、銀時が土方の顔に頬を寄せると、「喧嘩ではありませんが、気をつけますね」と、松陽は銀時の腰を抱いて、ぴったり寄り添う。「先生とときくんも、なかよし?」と尋ねた土方に、「どうでしょう、私はそう思いますが」と松陽が大真面目な顔を作る様を見て、「すっごく仲良しだから、疑うなよ」と、銀時は歯ブラシを咥えたまま、松陽の背中に手を当てた。もちろんわかっていますとも、と松陽が頷いてくれて、正直嬉しかった。気恥ずかしかったが。
台所で土方に水を飲ませ、階段を上った銀時は、「トイレは二階にもあるから、夜はここな。もし暗かったり怖かったりしたら、俺でも父さんでも起こしていいから」と、寝室の脇にある扉を指した。うん、と頷いた土方は、ほんの少しだけ扉を開いて、トイレを覗き込んでいる。「明かりは点けっぱなしでいいよな?」と、銀時が一応松陽に確認を取ると、「電気代が上がったら私に請求してください」と、松陽は笑った。「それくらいは払えますぅ。正直家賃無しで助かってます」と、銀時が首の後ろを掻きながら返せば、「ここは銀時の家ですから、何も遠慮はいりませんよ」と、松陽はさらりと言って、「じゃあ、絵本を読みましょうか」と、十四郎の背をそっと押す。
ばふっ、と大きな布団に飛び込んで、真ん中に陣取った土方が、「おれ、ここ?」と尋ねるので、「ん、そこだな。俺寝相悪いから気をつけろよ」と、銀時が土方の右隣に陣取れば、「潰されそうになったらこっちへ逃げてきてくださいね」と、土方と銀時の背中に毛布を引き上げながら松陽は言った。「おとうさんも、おれにあしのせたりする」と、いっそ嬉しそうな顔をする土方に、「土方の父さんとはうまい酒が飲めそうだ」と銀時が笑うと、「おとうさん、お酒すき」と、土方もきらきら笑って、枕の上にあった絵本を引き寄せる。「せんせい」と、土方に本を差し出された松陽は、「はい、ありがとう」と絵本を受け取って、正座の膝の上に絵本を立てると、いつもより少し高い声で、題字と作者を読み上げた。
わくわくした顔で横になる土方の肩まで毛布を被せ、土方の背もたれになる形で松陽の声を聞いていた銀時は、物語の佳境でふいに土方の重みを感じて、そっと顔を覗き込む。こてん、と寝入った姿に思わず微笑んでから、「父さん、土方もう寝てる」と、銀時は松陽に小声で告げるが、松陽はちらりと目を上げて頷くだけで、絵本を読む声を止めようとはしない。結局、最後の美味しい草を食べてまるまる太ったやぎの絵まで読み終えた松陽は、「眠っていても、声は聞こえるそうですよ」と囁いて、「それに、銀時も聞いていましたしね」と、密やかに笑った。
本当の事なので、反論もできない銀時が、「ならあしたは俺のすきな本を読んでくれよ」とねだれば、「構いませんよ。時くんが昔好きだったのは、『ねずみくんのチョッキ』と『もぐらのズボン』でしたね」と、松陽が返すので、「…『ねこのオーランドー』も」と、銀時は付け加える。はい、と頷いた松陽に、「銀時も寝ますか?下でお茶でもいかがですか」と誘われた銀時は、「行く」と答えて、土方の隣からそうっと抜け出した。ころん、と転がった土方は、一瞬何かを探すような動きをしたものの、銀時が昔から家にあるエイのぬいぐるみを手渡すと、それをぎゅっと抱えて顔を埋める。
松陽と顔を見合わせて笑ってから、「すげーな、子ども可愛いよ」と、ほとんど感動しながら銀時が言えば、「銀時がそう思えるのなら良かった」と松陽は返して、そっと布団から立ち上がった。土方の毛布をもう一度直した銀時も、ぱちんと電気を消して、後に続く。襖を閉める前に、「おやすみ」と小声で声を掛ければ、「もしかして覚えているんですか?」と松陽が言うので、「何が?」と銀時は首を捻った。「私も、時くんを寝かしつけた後は同じことをしていました」と、松陽にごく大切なものに触れるような手つきで髪を撫でられた銀時は、くすぐったさを堪えて、「覚えてねえけど、知ってる」と返す。
「土方がされて喜ぶことは、たぶん俺も全部してもらってるってわかるから、できるんだよ」と銀時が続ければ、「時くんは少し私を買い被りすぎですねえ」と、松陽は僅かに苦笑して、「抱き癖が付くと怒られてしまったので、あんなに抱っこはしませんでした」と続けた。「え、でも夜中目が覚めるといっつも父さんの腕の中だったけど」と、銀時が言うと、「寝ている間は無効ですよ、もちろん。可愛くて仕方なかったんですから、それくらい赦してください」と、松陽が悪びれもせず答えるので、「や、俺は別に怒ってねえけど。父さんあったかいし」と、銀時は首を振る。それは良かった、と、心からほっとしたような表情の松陽に、「温かいのは身体だけじゃねえけどな」と銀時が付け加えれば、一瞬目を見開いてから、「時くん、顔が真っ赤ですよ」と、松陽は笑った。自分でも良くわかっていた。

▽ ▽ ▽

台所に立とうとする松陽を制して、ふたり分のコーヒーを淹れて居間に戻った銀時が、「ところで、父さんの荷物は?」と尋ねると、「着替えはありますし、ノートパソコンと手回り品だけ持ってきました。何か足りないものがあったら、時くんに借りようかと」と、松陽は言う。そっか、と頷いた銀時が、「今日は急に呼んでごめんな。父さんも忙しいのに、非常識だと思ってる。でもこんな機会でもないと、なかなか会えねえし」と、眉を下げれば、「何も謝る必要はありません。あまり帰ってこられなくて、私の方こそ時くんに謝罪すべきだと思っていますよ」と、松陽は銀時の髪に柔らかく触れた。
「相変わらず自由な髪ですね。今でも嫌いですか」と、問いかける松陽に、「まっすぐだったら楽だろうな、って思うことはあるよ」と答えた銀時が、「でも、父さんは俺の髪好きだろ?」と重ねると、「ええ、この色も手触りも、大好きです」と、松陽は言う。「なら、いい」と、銀時が薄く目を閉じれば、松陽の手は髪から瞼に降りて、頬を撫で、唇を渡った。「隈が出来ていますね」と松陽が呟くので、「最近忙しくて」と銀時が返すと、「時くんが選んだ仕事ですから文句は言いませんが、心配はしますよ。私と十四郎くんがいる間は、せめてきちんと食べて真っ当に暮らしてください」と、松陽は有無を言わさぬ口調で言う。「うん、父さんのご飯久しぶりで嬉しい」と、銀時が素直に答えれば、「あまり可愛いことを言うと、私が戻るときに連れて行ってしまいますよ」と、松陽は銀時の鼻を軽く抓んだ。
「ダメ、そうすると父さんの帰ってくるとこが無くなっちまうから」と、言いながら目を開けた銀時に、「それは心配ありません、銀時のいる場所はどこでも私の帰る場所ですから」と松陽は言って、「でも、その気持ちはありがたくいただきますね」と、銀時の膝を軽く撫でる。松陽の肩に寄り添い、カフェオレを通り越してコーヒーの気配がほとんどない砂糖入りの牛乳を啜りながら、「父さんこそ、最近仕事どう?」と銀時が話しかければ、「まあまあですね。ありがたいことに、また本を出してもらえることになりましたし」と、松陽はミルクと角砂糖をひとつずつ落としたコーヒーをゆっくり口に運んだ。
「そうなの?出たら買うわ」と、銀時が言うと、「ありがとうございます。今度出るのは評論集で、物語ではないのですが、大丈夫ですか?」と、松陽が問い返すので、「父さんが書いたんなら読むっつーの」と、銀時は松陽の肩にぐりぐり頭を押し付ける。はいはい、と優しく銀時の言葉を受け入れて、「時くんのために書いた短編がいくつかありますから、それもそのうち読んでもらえるようにします」と言う松陽に、「楽しみにしてる」と銀時が目を輝かせれば、松陽は一瞬笑いを堪えて、「今の顔、絵本を読んでもらう前の十四郎くんにそっくりでしたよ」と、銀時の頬を突いた。「えっ、あんなに?」と銀時が頬を押さえると、「ええ、あんなに。時くんはいつまで経っても、本当に可愛いですね」と、松陽はしみじみ銀時の顔を見つめて、「いつまで経っても、時くんが私の子どもであることは変わりませんから、一生可愛いでしょうね」と、穏やかに告げる。
松陽の言葉を聞いて、ぼすっ、と松陽の膝に突っ伏した銀時が、「俺も、一生父さんのこと好き」と絞り出すような声を出せば、「それはそれは、ありがとうございます」と、松陽はうたうような声で銀時の髪をゆるゆる撫でた。松陽の手をうっとりと受け入れながら、「あしたは、土方連れてこの辺回んねーとな。通学路もあるし」と、銀時が言うと、「そうですね、私も久しぶりですから、一緒にお願いします」と、松陽は返す。「父さんがいれば、俺の子と間違われることもなさそうだな」と、銀時が笑えば、「もしもの時は銀時の弟だと説明しますから、安心してください」と松陽が笑いながら言うので、「それは洒落にならないんで止めてください」と、銀時は松陽の膝の上で首を振った。
土方が七歳で、松陽が五十二歳なら、ありえなくはない。四十八歳と言う母の年を考えても、七年前ならどうにでもなるような気がするし、少なくとも母さんと俺とは血が繋がってるし、と、どんどん深みにはまっていく銀時の背を緩やかに撫でて、「心配しなくても、冗談ですよ」と言った松陽は、「どうせなら嘘でない形で作りたいですしね」と、さらに重ねる。一瞬間を置いて、「…ほんとに生まれるなら、嬉しいけど」と、銀時がむくりと顔を上げれば、「さあ、それは綾乃さんに聞いてみないと」と、松陽はまた薄く微笑んだ。ごく穏やかな、春の夜だった。


( 社会人の銀さんと父親の松陽先生が土方くん(7)を預かるはなし/銀時と松陽と土方/ 140326)