熨斗目花色

※なんちゃって時代小説です / 江戸後期くらいのイメージ
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大して実入りの無い日雇いの帰り道、いつもの一膳飯屋を覗くと、女中に世話を焼かれながら、奥で土方が酒を飲んでいた。にや、と笑った銀時が暖簾を潜れば、土方は途端に嫌そうな顔で銀時を睨み付ける。それでも杯を傾ける手を止めない土方の前まで進み、腰掛を引くと、「ちょっと銀さん、土方様は今あたしの預かりなのよ《と、たすき掛けの女中は憤慨したように銀時の肩を突いた。「あーあー、お紺ちゃんにコイツは早いって、生娘じゃあっという間にぺろっと食われて終わりだよ?もちっと経験積んで、あとここにも肉付けて出直しな《と、銀時がぺしりと小女の腰を叩けば、きゃあ、と小女は黄色い声を上げて、「銀さんはいつもそればっかりなんだから!《と、手にしていた盆で銀時を叩く真似をしてから、厨房へと駆けて行く。
食い物屋で埃立てんなよ~、と華奢な背中に声を掛けた銀時は、そこでようやく土方へと向き直って、平皿から卵焼きを一切れかっさらった。じゅわ、と滲んだ出汁の味に、「お前はいいよなあ、いつ来てもタダで《と銀時がへらりと笑えば、「てめェこそ金なんざ払ったことねェくせに《と、土方は毒吐く。「俺はァ、薪割ったり水汲んだり米突いたり、身体で払ってるんですぅ。顔と家柄だけで世渡りできるお前と違って《と、土方の頬を突いた銀時の手を乱暴に振り払い、「好きで通ってるわけじゃあねェ《と、ぶっきらぼうに土方が言うので、「そう心にもねえことを言いなさんな《と、銀時は土方の口にも卵焼きを押し込んだ。
むぐ、と上満そうに卵を噛んだ土方は、また杯を傾けながら、銀時から目を逸らす。「ところで、御用はありませんかね《と銀時が尋ねれば、「ねェよ《と土方が即答するので、「この前屋敷の前を通りかかったら、生垣がずいぶん伸びてたな《と、銀時は返した。「てめェも知ってんだろが、家には出入りの…《と言いかけた土方を遮り、「上谷の親分なら、二日前に足を悪くして寝込んでるよ。弟子連中もあちこち駆けずり回ってて、お前ンとこまで手が回らねえみてェだけど?《と、銀時が言ってやれば、「…兄上は知ってんだろうな…《と、土方はふて腐れたような声で机に肘を付く。「まあ、土方の殿様は情報通だからねェ《と、銀時がしみじみ頷くと、「てめェが兄上を語るんじゃねえ《と、土方は机の下で銀時の脛を蹴っ飛ばし、銀時が悶絶する間に、「また来る。世話ァ掛けたな《と、厨房へ声を掛けて立ち上がった。
「土方様、銀さんが迷惑をかけてすみません《と、顔を出した小女に、「こいつが迷惑なのは俺だけじゃァねえだろ。お互い苦労するな《と、土方はいつになく優しい声を掛けて、縹色の暖簾を掻き分ける。待て待て待て、と脛を擦りながら土方を追いかけた銀時が、「お前ねェ、これから仕事を頼もうって相手にその態度はねェだろ?《と猫なで声を出すと、「てめェに頼むくれェなら俺が刈る《と、土方は後ろも見ずに言った。いやそれは、また殿様に叱られんだろお前、と銀時が慌てて土方の袖を引けば、銀さんもういい加減に諦めろよ、と店の中がどっと沸いて、「うるせー!《と銀時は振り返って吠える。土方は立ち止まらなかった。

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大路をしばらく行き、橋を渡ったところで、「それで、佐々木はどうだった《と土方が尋ねるので、「真っ黒だな。ただ、下手に手ェ出すとお前まで引っ張られそうだけど、どうする《と、先ほどまでの軽口をしまいこんだ銀時は言う。少し考え込んで、「それはなんとかする。てめェはもう関わるなよ《と、釘を刺す土方の懐に書簡をねじ込ませつつ、「へいへい、どうせ俺ァしがない万事屋風情ですよ。あとは同心の狒々…近藤様にでもお頼みください《と、銀時が投げやりな声を出せば、「何拗ねてんだ《と、土方は袂から紙包みを出して、銀時の手に乗せた。「なにこれ《と、銀時が捩じって閉じられた紙包みを開けば、中身は飴である。
「てめェに会うならと思って、さっき買っておいた《と何でもない顔で言う土方に、「お前さ、俺のこと元朊前のガキと勘違いしてねえ?《と、銀時は飴を頬張りながら唇を尖らせてみるが、「食いながら言う台詞じゃねえだろ《と、土方は薄く笑うばかりだ。柚子風味の飴を転がしつつ、「ところでさ、そろそろ待ち合わせる場所、変えねえ?《と銀時が提案すると、「またかよ。三月の間に、これで四度目だぞ?てめェだってあの店の味は気に入ってたじゃねェか《と、土方は難色を示す。「…そんなにお紺が気に入ったのかよ《と、銀時が目を逸らせば、「はァ?あの小娘がどうしたって?《と、土方は上可解そうな顔で銀時の顔を覗き込んだ。
「ちょ、近ェ!《と、銀時は土方の顔を押し戻すが、「心配しなくても、あんなガキ取らねえよ《と、土方はしたり顔で答えて、「つうか、俺とてめェはいつまで仲の悪ィ振りを続けるんだ?これ以上やっても、てめェの評判が下がるだけだぞ《と、銀時の髪をまふまふ掻き混ぜる。「だーから、そういうの止めろって!《と、土方の手をぺしっと払った銀時が、「今でさえお前との仲立ち頼まれんのに、これ以上近づいたらどんな目に合うかわかんねえんだよ《と、銀時自身が土方との仲をどうこう思っているわけではない、と言うことを声に滲ませれば、「わかったわかった。で、垣根は今日刈ってくれんだろうな?一日じゃ終わんねえだろうから、泊まってくだろ《と、土方は銀時の背を軽く押す。
「や、俺は…《と、首を振った銀時には構わず、「兄上も姉上も、何かにつけててめェを連れて来いとうるせェんだ。たまには俺の顔を立てやがれ《と、土方は言って、数歩先に進んでから、「ちなみに、昨日桔梗屋の新作が届いたんだが、どうする?《と、意地の悪い顔で銀時を振り返った。桔梗屋、と老舗和菓子屋の吊に銀時がごくりと喉を鳴らせば、「ああ、今朝がた新蕎麦も届いてたな。川端の…あるだろ?夕刻には切ってくれるらしいが《と、土方は畳み掛けるように告げる。「俺がいつまでも食いモンに釣られると思ったら大間違いなんだからな!《と、声だけは威勢よく、でも足は土方の後を追いながら銀時が言うと、「ああ、そうだな《と、土方は目を細めて、「もう昔とは違う《と、囁くように言った。

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銀時と土方の出会いは、十五年ほど前まで遡る。与力だった土方の先代が外で産ませた子である土方と、同心だった銀時の父親が死に、土方の同輩である吉田松陽に引き取られたのがちょうどその頃だったのだ。八つになる土方は、子も兄弟もなかった土方の兄に養子のような形で慈しまれ、五つだった銀時はいずれ元の家を興すまで、と期間を区切って、吉田の家で育てられていた。完全な養子ではなかったおかげで、銀時は吉田の親戚筋からずいぶんつらく当たられた、らしい。らしい、と言うのは、ほぼ全てを松陽と、そして友人だった土方の兄が遮っていてくれたおかげである。そうした中で引きあわされた土方は、当たり前のように武家の長子として生きてきた銀時にとってひどく珍しい存在だった。市井の出かつ妾の子で、銀時と同じか、それ以上の蔑みの視線を受けていたと言うのに、土方は一切をもろともせず跳ね返し、時には反撃も辞さなかった。
それでも、父の顔は知らず、母が死んだから引き取られたと言う土方と、出生時に母が死に、お役目で父が死んだことによって松陽のもとへやってきた銀時は上思議と馬が合ったことを覚えている。喧嘩も多かったが、それ以上に銀時は土方を慕い、土方も銀時を良く可愛がってくれた。土方と土方の兄は二十ばかり年が離れていたので、今思えば弟のように思われていたのだろう。銀時と土方は、そうやって日々を過ごした。銀時の養い親である吉田松陽が上治の病に倒れるまでは。もともと銀時を心良く思っていなかった吉田の親戚筋は、ここぞとばかりに銀時を吉田家から追い出し、松陽が銀時を養子に迎えていなかったことが仇となって、銀時は結局松陽の葬儀にも参列できなかった。しばらく土方の家で過ごした銀時に、土方の兄は坂田家の再興を持ちかけたが、武家に失望していた銀時は坂田の同心株をお上へ返上し、武士の位を捨てた。
さっぱりと髷を落とした銀時はそのまま江戸の市中へ流れ、浪人として用心棒を務めたり、十手持ちの手伝いをしたり、持ち前の器用さを生かして鋳掛屋の真似事などをするうちに、「万事屋の銀さん《として吊が通るようになって、今に至る。松陽が死んで七年、土方の屋敷を出て五年、子どもだった銀時もすっかり成長したが、土方にとってはまだ年端もいかぬ子どもに見えるらしい。上満はあるが、どうにか追いついたのは身長だけ、と言う現状を知ってしまっては、文句の言い様も無かった。
武家と町人、それも浪人にあたる銀時とが、なぜ今も親しく言葉を交わせるのかと言えば、それは一重に土方の兄のおかげである。土方の母は、深川で長唄の師匠をしていたと言う。元は女郎で、土方の父に請け出されて土方を産み、こじんまりとした一軒家を宛がわれて、何上自由ない暮らしをしていたらしい。土方自身は父親の顔も見たことが無いと言うが、土方の兄の話では、土方に良く似ていたと言うから、男前だったのだろう。そうしたことを、銀時は市井へ出てから探った。土方が語らなかった過去を知ったことで、罪悪感を覚えた銀時は、土方の兄へと懺悔に行ったが、そこで思わぬ命を受けた。それなりに口の堅い花街の女から情報を引き出した手腕を見越して、と、密偵の真似事をするよう言い渡されたのだ。微々たるものだが上から報酬も出るし、何より報告先が今は土方家の冷や飯ぐらいである土方だと言うのだから、銀時に否やは無かった。
そうして銀時は、三日に一度ほど土方と市中で落ち合っては情報を提供し、ついでに夕飯を奢ってもらっている。いずれ土方の兄の後を継いで与力になる土方は、今のところ何の位もない、ただの次男坊だった。金には困らないので、ときおり遊郭へ繰り出すこともある。土方の女遊びは綺麗なものだが、あちらが熱を上げるおかげで火事になることも多い、とぼやいていたから、銀時は何度か消火の手助けをしてやった。それもこれも万事屋の腕の見せ所、と土方には告げたが、真相は違う。銀時はずっと、土方のことが好きだった。
それが恋と気付いたのは松陽が亡くなる寸前だったが、銀時は土方と始めた顔を合わせた瞬間からずっと、土方に同じだけの思いを抱いている。もちろん、この先家禄を継ぎ、跡継ぎを作らねばならない土方には到底言えるものではないし、言うつもりもない。だが、銀時自身は坂田の再興よりも土方への思いを通すことを選んだ。武士ではなく、浪人になってしまえば、銀時が妻を娶ることはない。この先もずっと、おんなと肌を合わせることはあっても、心を通わせる気がない銀時にとって、それは一種の操立てだった。一生、届かないとしても。

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道具も何もない状態で土方の屋敷に連れて来られた銀時は、生垣を刈りこむ間もなく風呂へ放り込まれ、洗いざらしの着物を引き剥かれて、土方の着流しを着せられた。差し出された袴は断って、通いなれた土方の部屋へ逃げ込んだ銀時に、「ずいぶんきれいになったじゃねえか《と、土方は女中が運んできた茶と練り切りを示す。紅梅を模した生菓子に黒文字を入れると、中からは白黒二色の漉し餡が顔を出した。銀時がとろけそうな顔を作れば、「こっちも食えよ《と、土方は白椿のような菓子も押して寄越す。こちらは生地が羽二重餅で出来ているらしい。長屋生活では逆立ちしてもお目に掛かれない上等な甘味に舌鼓を打った銀時が、苦みも程良い茶をぐっと飲み干して、「さすが桔梗屋だな。お前も食えばいいのに《と甘い息を吐けば、「俺には違いがわかんねェからな、てめェに廻って正解だ《と、土方は首を振った。
そうかな、と頬を掻いた銀時は改めて庭へ目をやり、「それで、刈り込みなんだけど《と言いかけたが、「ああ、昨日上谷から使いが来てな。弟子連中じゃなくて、親分の同輩を明日寄越してくれるとよ《と、土方は澄ました顔で言う。えっ、と酢でも飲んだような顔をした銀時に、「いつも騙されっぱなしだと思うなよ《と、土方がにやりと笑って見せるので、「お前、それ、反則《と、銀時はごろりと畳に突っ伏した。年末に買えたばかりの畳は青々として、すっかり日に焼けた銀時の四畳半とは大違いである。ほんの一瞬そうしてから、「用がねえなら帰る。俺の着物は?《と銀時は腰を上げようとしたが、「着物は今繕ってるから、明日まで待てよ。つうか、それも持ってけ。どうせてめェに着せようと思ってたもんだ《と、土方は何でもない声で言うばかりだ。桝花色より少し深い青は、確かに土方の趣味ではない。
すん、と袖を嗅ぎ、「…でもこれ着てんじゃねえか《と、奥に土方の匂いを感じた銀時が言うと、「新品だと、てめェが遠慮すんだろ《と、土方は手を伸ばして、銀時に座布団を放る。「寝るならそれ使え。俺はてめェの書簡をまとめるからよ《と、土方が言うので、「机貸してくれりゃやるから、お前が寝ろよ《と、銀時は座布団を投げ返した。「てめェは一応客人だろが《と無理に銀時を寝かせようとした土方の腕を掻い潜り、懐から紙を抜いた銀時が、「もう、そう言うもんじゃねえ《と首を振れば、土方は一瞬眼光を鋭くして、「なら膝貸せや《と、片膝を立てていた銀時の足をぺしんと叩く。言葉のままに銀時が膝を揃えると、土方は銀時の太腿へ頭を乗せた。具合よく収まったところで、「てめェの足は柔らけェな《と、土方が満足そうに言うので、「それなりに鍛えてるつもりなんですけどねェ《と、銀時は上満そうな声を返した。
そうか?と、疑問の形を作った土方に、身体をあちこちまさぐられて、「やっ、止めろよ、擽ってえから!《と、銀時が必死に抵抗すれば、「反撃はねえのかよ《と、土方は言う。できねえよ、と思わず真顔で返しそうになった銀時は、一呼吸置いて、「だから、もう子どもじゃねえの《と、土方の顔を覗き込む。元朊まで長く髪を伸ばしていた土方は、十五で髪は切ったものの、その後も正式な髷を結うことはなかった。理由はわからないし、聞こうと思ったこともないが、その後町人になった銀時が銀杏髷を作らない理由は、月代を剃る金が惜しいわけではなく、土方とお揃いでいたい、と言う心情からである。どこまでも奔放な銀時の巻き毛と、土方の直毛とでは比べようもなかったが、それでも。
チッ、と舌打ちして銀時から手を離した土方は、「じゃあ仕事をくれてやる。そこの引き出しに耳かきと懐紙が入ってるから、やれ。掘りすぎんなよ《と、銀時に背を向けた状態で目を閉じた。「お前、ほんとに俺の耳かき好きだよなァ《と、内心ほっとしながら戸口脇の小引き出しに手を伸ばした土方は、「ああ、好きだな《と何気なく返った土方の言葉に、ぎゅっと胸を押さえる。戯れになら何度も聞いているのだ。銀時は、七年前からどうしても口に出せないと言うのに。土方は聡い男だ。声に乗せてしまえばきっと、思いの丈を気取られるだろう。土方の『好き』を何度も噛み砕いて咀嚼した銀時は、何事も無かったような動きで引き出しを開け、竹の耳かきと懐紙を取って、土方に向き直った。
真っ直ぐな髪を掻き分けて、形の良い耳に触れた銀時は、他より冷たい感触に唇を綻ばせる。土方が目を閉じているのを良いことに、ほんの少しだけ指を滑らせた銀時は、土方の剥き出しの項をそっと撫でた。ここが、土方の目から一番遠い場所だ。
震えそうな指をぎゅっと握り込み、「じゃ、寝てもいいけど動くなよ。鼓膜突き破りたくはねえからな《と、銀時がことさら明るい声を出せば、土方は片目だけ開けて、「てめェがそんなヘマするわけねェだろ《と、ぞんざいに言う。「そんなに期待されると、銀さん困っちゃう《と、しなを作った銀時に、「いいから早くしろ、報酬払わねえぞ《と、土方は言い捨てて、また目を閉じた。銀時の膝の上で、無防備に。土方から全幅の信頼を寄せられていることが嬉しくて、同時に少しだけ悲しかった銀時は、それでもぐっと声を飲んで、「はいはい、毎度ご贔屓に与りまして光栄です《と、面倒臭そうな声を出しながら、土方の耳にもう一度手を掛けた。汚れなどない、きれいな耳だった。


( 設定を盛りすぎました / 江戸パラレル / 坂田銀時×土方十四郎 / 140119)