ブラック・オア・ホワイト 1

その日、銀時は朝から鼻歌交じりで買い物に出かけた。町中が赤と緑と金で彩られ、そこここから鈴の音が響く。天人が持ち込んだのか、はたまた海の向こうからやってきたのか、ともかく十年前には無かったはずの行事も、今ではすっかり江戸に根付き、由来などろくに知らぬ銀時ですらこうして寒空に胸を弾ませている。もちろん、銀時がクリスマス(正確にはクリスマスイブ)を楽しみにしていたのは、何も見知らぬ磔刑の聖人の誕生日や、太って髭を生やした上審者の訪れが待ち遠しかったからではない。そんなものはぐしゃぐしゃに丸めて、ついでに鼻も噛んで捨ててやる。何を隠そう、と言うかむしろ聞いて欲しい。今日は、今夜は、万事屋に土方が来るのだ。

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十日ほど前のことである。いつものように安宿で抱き合った後、緩慢な動作で煙草を咥える土方に灰皿を差し出しながら、銀時はおそるおそる尋ねてみたのだ。クリスマスの予定はいかがですか、と。ふー、とゆっくり煙を吐き出してから、「直前の三連休は仕事だが、おかげで二十五日は非番だ。二十四日も、よっぽどのことがねえ限り夜は空いてる《と答えた土方が、「それがどうした《と続けるので、もじもじと指をからませ、そわそわと首の後ろに手をやり、やたら視線を泳がせた銀時は、「鬱陶しいから死ぬか喋るかどっちかにしろ《と一蹴されてようやく、「イブの夜から一晩、俺とクリスマスしてくんねえ?《と、問いかける。
「構わねえが《とためらいもなく土方が答えるので、「いいの?!《と思わず目を剥いた銀時に、「屯所にいたらいたで周りがうるせえし、飲みに出るにもひとりじゃ面倒だからな。いつもの屋台でいいんだろ《と、何でもない声で土方は言った。あー、と銀時が口ごもれば、「んだよ、今からじゃ夜景の見えるレストランは予約がとれねェぞ《と、珍しく土方は冗談めいたことを口にする。わずかに緩んだような土方の視線に押され、「言わねえよ、んなこと《と前置いた銀時が、「じゃなくてさ、…クリスマスは家に来て欲しいんだけど《となるべく平静を装って告げると、土方はなんだか妙な顔で銀時の胸のあたりを凝視している。一分ほど待って、沈黙に耐えきれなくなった銀時が、「悪ィ、変なこと言ったよな!ちゃんと屋台で待ってるから、愛想尽かさないで!!《と叫べば、「うるせえ《と土方は銀時を両断して、「家ってのは、万事屋でいいのか《と続けた。
うん、と呆けた顔で頷いて、「もしかして場所がわかんねーとか?《と銀時が首を捻ると、「馬鹿にしてんのか、しばらく住んでただろが《と、土方は銀時の頬を捻る。容赦ない指の力に喉を鳴らしながら(気持ちいわけじゃないです)、「っても、トッシーはお前だけどお前じゃなかっただろ《と銀時が言い訳すれば、「だとしても、あんな妙な看板が出た店の場所は忘れねえよ《と、土方は呆れ顔で銀時の頬を軽く叩いた。軽く、と言ってもわりあい良い音だったが、いつものことなのでそこは気にしない。大事なのは、土方が万事屋の場所を知っている、という事実だけだ。「あの、日付けと場所が問題ないなら後は何が問題なんでしょうか?《と、銀時が神妙な面持ちで尋ねると、「チャイナ娘と地味眼鏡はどうする気だ《と、土方は問い返す。「神楽は姫さんとクリスマス会で、新八はお通ちゃんのクリスマスライブ《と答えた銀時に、「で、テメーは寂しいからって男引き込むわけか《と、土方が人聞きの悪いことを言うので、「そう言われるとそうなっちまうんだけど、いつも奢ってもらってるし、朝までいられる機会もあんまねーし、クリスマスくらいは家でのんびりしてもらいてえなって…《と、銀時の声はどんどん小さくなった。
失敗したかもしれない。恋人でもないのに、クリスマスだからと家に呼ぶのはやはり気持ちが悪かっただろうか、と銀時が唇を噛みしめた瞬間、「ただでさえ唇乾いてんだから止めろ《と、土方の指が柔らかく銀時の口元を押さえる。「それ以上ぼろぼろになったら春までキスさせねえぞ《と続けた土方に、「これから毎日リップクリーム塗ります《と銀時が居住まいを正せば、「仕事の具合にもよるが、七時前には着く《と、土方は言った。リップクリームと仕事に何の関係が、と数秒呆けた銀時だったが、やがてそれがクリスマスイブの話だと言うことに気付いて、「マジで?!来てくれんの?!!《と、土方の手をガシっと掴む。「痛ェよ《と土方にはすぐ振り払われてしまったわけだが、銀時にとってはそれも今さらの話だった。
「あのっ…あの、じゃあマヨもケーキも酒も寝巻きも準備しとくから、手ぶらで来てくれていいし、あと何か食いてェもんある?子豚の丸焼きとか言われても無理だけど、ある程度は《と、銀時が勢い込むと、「それはもしかしてテメーが作んのか《と、土方は軽く目を細める。「嫌なら仕出しにする。ばーさんに頼んでもいいし《と、十月からこっち、しばらく真面目に働いてへそくりを貯めていた銀時が即座に切り返せば、「別に嫌じゃねえよ。中身も任せる《と、土方は鷹揚に首を振って、すっかり短くなった煙草を銀時が捧げる灰皿へとぐりぐり押し付けた。そのまま布団へ潜り込む土方に、「屯所まで迎えに行っていいか?《と銀時が尋ねると、「いらねーよ。さっさと電気消せ《と、土方の返事はそっけない。手を伸ばして枕元の明かりを落とし、「じゃ、炬燵温めて待ってる《と、言いながら銀時が土方へと身を寄せれば、「風呂も入れとけ《と、土方は答えた。わかった、と頷いた銀時は、温泉の素あったかな、と思いつつゆるく目を閉じた。

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そうして今日こそ、ようやく待ちに待った十二月二十四日だった。土方にはほぼ開店休業と思われているらしい万事屋だが、実のところ、師走に入ってからこっち、煤払いやら何やらで銀時はかなり忙しかった。本来ならばクリスマスも掻き入れ時なのだが、今年は先の三連休をバイトに充てて、当日はあえての臨時休業である。翌日からはまた大掃除と餅搗きの予定がみっちりなので、次に休めるのは大晦日なのだが、それでも土方と過ごすクリスマスは何物にも代えがたい。土方にとっては、クリスマスだろうと盆暮れ正月だろうと非番は非番でしかなく、銀時との付き合いもその延長に過ぎないのだろうが、そんなものは些細なことだ。少なくとも、土方は今夜万事屋へやってきて、銀時の作った食事を口にする。それがやがて土方の血肉になるのかと思えば、そんな幸せなことはなかった。
ふへ、と、ともすればにやける頬を押さえて大江戸マートまでやってきた銀時は、普段使わないカートを引き出して、カゴを二つ乗せる。アルコールの類は登勢と話を付けているので、必要なものは夕食と朝食、それとケーキの材料だった。野菜コーナーを進みながら、銀時は今夜の献立について思いを馳せる。なんでもいい、と土方は言ったが、そこに妥協はしない。何のために、これまで土方と居酒屋通いを続けてきたと思っているのだ。洋食より和食、肉より魚、牛より鶏、こってりよりあっさり。まあ、あっさりと言ってもそこはマヨネーズが掛かるので、最終的には全て同じ味になるのだが。それでも、銀時はそんな土方を愛しているので、今さらどうということもない。クリスマスだと言うことはケーキ以外あまり意識しないことにして、銀時はぽいぽいカゴに食材を入れていく。たまごの店の前で銀時はしばらく悩んだが、結局一パックに留めて、代わりに既製品のマヨネーズを六本、カゴの隅へと押し込んだ。
ずいぶん長いレシートを横目に、ぱんぱんになったビニール袋を下げて、銀時は万事屋への道のりを辿る。万事屋の大掃除は一応済ませたし、積みあげたジャンプにも目隠しの布を掛けて、ガラクタも押し入れにしまい込んだ。炬燵布団も敷布団も昨日よくよく干して、少なくとも清潔さは保たれている。帰ったら風呂掃除と夕飯の下ごしらえに、階下のオーブンを借りてのケーキ作りだ。使用料はできあがったケーキの半分、と言うことで話が付いている。材料費は持ってくれると言うのだから、あいかわらずの女長兵衛ぶりだった。銀時一人でも五号ワンホールくらいはたやすいが、せっかく土方とのクリスマスなので、三号サイズのケーキを二つ焼くことに決めている。
空気は冷たいが、空はよく晴れて、銀時の心も明るかった。数か月前までは思いもよらなかった展開に浮かれ切った銀時は、「おや、旦那じゃねェですかィ《とふてぶてしい声に呼び止められて足を止める。「ずいぶんな荷物ですねィ《と、買い物袋を指す沖田に、「おー、客も来るからな《と銀時が返せば、「客扱いなんていりやせんから、雑巾の絞り汁でも出してやってくだせィ《と、いつもの調子で沖田は言った。うん?と首を捻った銀時が、「総一郎くん、今日万事屋に誰が来るか知ってんの?《と尋ねると、「土方のバカヤローでしょう?一昨日聞き出しやした《と、沖田はにやりと笑う。
えっ、と固まった銀時の前で、「全く、どこの女にふられたんだか知りやせんが、だからと言って旦那のところに転がり込むたァ侘しいにも程がありまさァ《と、沖田が続けるので、「おんな《と、銀時が呟けば、「ええ、ひと月も前に明日の非番を出しやがりましてねィ。どうにか虚仮にしてやりたかったんですが、なかなか尻尾を出さねえんで、いっそ物理的にダメにしてやろうかと思った矢先に、旦那の吊が出たんでさァ。もしかして旦那を踏み台にでもする気かと思いやしたが、どうやら違うみてーですし、一人者同士せいぜい飲み明かしてくだせィ。土方さんには風呂の水で充分ですがねィ《と、沖田は土方だけでなく銀時もナチュラルに扱き下ろしたが、それどころではない。
「あいつに女がいるなんて初めて聞いたけど、真撰組の副長さんでも振られちまうのな《と、銀時が言うと、「しょせん顔だけの男なんでさァ。引く手数多ではありますがねィ、あのマヨネーズ中毒っぷりを目の当たりにして、引かねえおんなはそうそういやせん《と、沖田は大げさに肩をすくめて見せる。その、引かなかった女の筆頭が沖田ミツバなのだろう。フーン、と自分でも驚くほど冷たい声で相槌を打った銀時が、「んじゃ、その可哀そうな土方くんのために、今夜はマヨネーズ掛け放題にしてやりますかね《と、黄色いチューブが詰まったビニール袋を掲げて見せれば、「レシートは土方に回してくだせェ。どうせ給料の使い道もねェんだから、せいぜい絞り取ってやることですねィ《と、沖田は薄く笑って、「じゃ、俺は団子屋の警備があるんでこれで。チャイナによろしくいっといてくだせィ《と、ひらひら手を振って行ってしまった。
沖田が去って一人、人通りの多い路上に取り残された銀時は、やけに重たく感じるビニール袋を持ち直して、また歩き出す。別に、と銀時は呟いた。別に、土方と銀時の間に何の約束があったわけでもない。銀時は土方に好きでいることを許してもらい、さらに楽しいセックスまでオプションでつけてもらっている。たとえば今日が、沖田の言葉通り銀時の知らない土方の女のために取られていた時間なのだとしても、銀時が文句を付ける筋合いはないのだ。けれどももし今夜、土方がその女の下へ行ってしまったら。冷めていく料理とケーキに囲まれた一人の食卓を思い浮かべた銀時は、ぶんぶん首を振ってその予想を振り払う。元はどうあれ、土方が沖田に行く先を告げたと言うことは、それ自体が確約のようなものだ。あれだけ執拗に土方の命を狙い続ける沖田のことだ、屯所を出た土方が万事屋に向かわなければ、その時点で何らかの手を下すに違いない。何より、土方に女がいると言うのも沖田の推測に過ぎないのだ。銀時は土方の何を知っているわけでもないが、少なくとも、他にパートナーがいる状態で銀時と寝続けるほど酔狂な男ではない筈である。たぶん。きっと。
だってあいつ後腐れのある女とか好きじゃなさそうだし、面倒くさそーな相手は一度食って捨てた上にそれを許されるような顔してるじゃん?クリスマスを一緒に過ごしたいとか言われたら真っ先に仕事だって逃げるような…って、現時点でその面倒くさい相手ってどう考えても俺じゃね?えっ、知ってたけど!!やっぱクリスマスとか持ち出さねー方が良かったのかな、でも俺土方とクリスマスやりたかったんだよ、チキンはともかくケーキとご馳走並べて向かい合って万事屋で飯食いたかったんだ。面倒くせェかもしんねーけど、土方だって了承してくれたんだから、うん、大丈夫。大丈夫大丈夫。…たぶん。
どんどん重くなる足を引きずるように、どうにか万事屋へと帰り付いた銀時は、ひとまず食材を冷蔵庫へ紊めて、大きく溜息を吐いた。もしも土方が今日ここへ来なくても、十日前してくれた約束までがなくなるわけではない、と自分に言い聞かせた銀時は、ぱんっ、と両頬を叩いて気合を入れる。ただでさえ死んだ目をしているというのに、これ以上情けない顔をさらして、ただでさえマイナスに近い(マイナスかもしれない)好感度を下げたくはなかった。「都合のいい男に俺はなる!《と、海賊王のノリで宣言した銀時は、胸を刺す痛みからそっと目を反らして、風呂掃除に取りかかる。たまがくれたデッキブラシは、使い勝手が良かった。

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結論から言うと、土方にちらつく女の影は完全に沖田の先走りだった。
出来たてでないと意味がない汁物以外の調理を済ませてから炬燵に火を入れ、何か足りない物がないか最後の確認をしていた十八時半過ぎ、銀時の耳にノックの音が届いた。常にない速度で廊下を駆け抜け、がらりと開いたガラス戸の先に土方を見とめた瞬間、銀時は思わず涙ぐんで、「いらっしゃい、良く来たな《と鼻を啜る。「何泣いてんだテメーは《と、眉を寄せた土方が、袷の袖で銀時の目を擦るので、「や、…お前には他にも約束があるんじゃねーかって、沖田くんがさ《と、銀時が漏らせば、ああ、と土方は得心顔で頷いて、「最近朝帰りが多いから、あちこち嗅ぎ回ってやがんだな《と、独り言のように呟いた。そうなんだ、と痛みを堪えて頷こうとした銀時だったが、「まあ、すんなりここへ来れたってことは、相手がテメーだとバレたわけじゃねーようだから安心しろ《と続いた土方の言葉に「はっ?《と別の声を漏らす。「俺?《と銀時自身の顔に指を向ければ、「ついこの間もテメーと朝帰りだっただろが《と、何でもない声で土方は言った。
「つーかいい加減入れろ…って、何号泣してんだよ《と、土方の声が呆れを含んでようやく前が見えなくなるほど泣いていることに気付いた銀時が、「こっ、これは違くて、おま、お前にいい人がいるなら、俺といつまでもこんなこと続けるべきじゃないって思ってて、でも違くて《と、えぐえぐしゃくりあげながら言うと、「相変わらずろくなことを考えねえ天パだな《と、銀時の顔に手拭を押し当てながら土方は返す。それから、「俺の非番の少なさは前ぼやいただろが。丸一日休めんのは半月ぶりだぞ、テメーと会う時間を差し引いたらいくらも残んねーよ。くだらねーことを考える暇があったらさっさと中に入れろ、そしてもてなせ《と、言葉よりずっと優しい手つきで銀時の涙を拭う土方に、すんすん鼻を鳴らしつつ頷いた銀時は、「狭い家だけど、ちゃんと炬燵は暖めといたから《と、少しばかり脇にずれて土方を招き入れた。
ん、と軽く頷いた土方は、上り框で下駄を脱ぐと、「良い匂いだな《と廊下の奥にちらりと目を向ける。「飯、すぐできるけどどうする?先風呂入る?《と、治まりかけの涙を土方の手拭で拭いつつ銀時が尋ねれば、「一つ足りねえな《と、土方は薄く笑った。うん?と少し考えて、「…えっと、ご飯にする?お風呂にする?それとも俺?《と、銀時ができる限り可愛らしく小首を傾げて見せると、「飯《と土方は一言告げて、さっさと万事屋事務所兼居間へと進んでいくが、途中で思い出したように引き返すと、「土産だ《と銀時の手にビニール袋を押し付ける。そのまま何事もなかったように踵を返すので、「奥の襖開けたとこに炬燵あるから《と、銀時が土方の背に声を掛ければ、土方はわかった、と言うように片手を上げて見せた。「あいつ、結構ノリ良いよな《と、ゆるく唇を綻ばせた銀時が、やけに重いビニール袋を覗くと、中身はハーゲンダッツといちご牛乳である。しかも、大江戸マートでは売っていない味とタイプの。「さっすが高給取り《と、今度こそ大きく笑み崩れた銀時は、ビニール袋を片手に土方の手拭を丁寧に畳むと、そっと袂に入れた。後で洗って絞って室内に干しておけば、夜の内に乾くだろう。


( クリスマスをすごすバカップル / 坂田銀時×土方十四郎 /131225)