vivo!

良く晴れた晩秋だった。窓側の前から三番目、可もなく上可もない席に座った銀時は、ゆっくりと流れていく雲を眺めながら、盛大な欠伸を零した。目頭から落ちた涙を指先で拭い、「スゲーいい天気《と銀時が呟けば、「どっか行きてェな《と隣から肯定の声が返るので、「だよなあ《と何の疑問もなく銀時は答える。「どこ行く?《と振り返った銀時に、「お前金あんの《と尋ねたのは幼馴染かつ同級生の土方で、「まかせろよ、昨日臨時収入があったんだよ《と、銀時は財布の入った尻ポケットを叩いて見せた。「ところで部活は《と銀時が問い返せば、「松平のおっさんが休みだから、近藤さんも女の尻追いかけに行くだろうし、総悟と二人っきりなんて怖すぎるから行かねえ《と、土方はきっぱり首を振った。うんまあ、あの子怖いよね、と後輩である筈の一年生がどんなふうに笑うか思い返しつつ、「んじゃ、弁当も食ったし行くか《と、銀時が立ち上がり、土方もそれに続いたところで、「ちょっと待てお前ら《と青筋を立てて登場したのは担任の朊部全蔵である。
「授業中に堂々とサボりの相談か《と、歴史の教科書を見せつける全蔵に、「せんせい、俺お腹痛いんで帰ります《と銀時が言えば、「すいません先生、二日目なので俺も帰ります《と、土方も真顔で重ねた。「何の二日目だ!!?お前らいい加減にしやがれ!《と、教科書を振り上げる全蔵をかわし、がらりと窓を開けた銀時の横で、「えっ、でも先生にも二日目があるんじゃないんですか?この前姉が先生を薬局の一角で見かけたって…《と言いかける土方の口を、全蔵は全力で塞ぎにかかる。「どこにでもいるな土方は!お前んとこの一族郎党多すぎてわけわかんねーんだよ、いい加減にしろ!《と喚く全蔵に、「はあ、俺に言われても困るんで、両親と祖父母と曽祖父母に言っときます《と、土方は丁寧に頭を下げると、「置いてくぞ~《と窓枠に足を掛けた銀時の背を軽く押して、土方自身もためらいなく飛び降りた。
あー!!と叫んだ全蔵が、「だから、二階から出てくんじゃねえっていつも言ってんだろ!せめて階段使え、はずみで足折ったら責任問題になんだよ!《と、何事もなかったような顔で中庭の芝を踏む二人を見下ろすので、「せんせーい、その言い方はどうかと思います~、傷付いたんで早退しまーす《と、銀時は窓に向かってひらひら手を振る。弁当箱しか入っていない鞄を背負って駆け出せば、「ふざっけんな!お前らの内申最低にしてやるからな!!《と、全蔵の声が遠吠えのように追いかけたが、銀時も土方も聞いてはいなかった。

下駄箱で靴を履き替え、銀時の自転車に二人乗りしながら(土方は基本徒歩通学だ。たいてい銀時の後ろに乗っているが)、「で、本当にどこ行くんだ《と土方が言うので、「ばーさんからコレ貰ったんだけど、行く?《と、銀時はポケットから数枚綴りのチケットを出して、土方に後ろ手で渡す。一旦気の無い顔で受け取ってから、「あ、スーパー銭湯の《と、土方の声が一瞬で高くなったことに気を良くして、「そうそう。客から貰ったみたいだけど、あの人そう言うとこ嫌いなんだよね。『温泉は熱海からだ』って力説してさァ。換金してもたかが知れてるから、行かねえ?《と銀時が重ねれば、「行く。お前にいちご牛乳も奢ってやる《と、土方は嬉しそうに銀時の腰へと腕を廻した。
いちご牛乳はありがたく貰うことにして、「ついでに、こーゆーのもあるけど《と、銀時がまた別のチケットを取り出すと、「岩盤浴…だと…?わかった、アイスも付けてやる《と、土方は感極まったように銀時の背中へぴたりと張り付き、「ソフトクリームでも良いぞ《と、肩口に顎を乗せて言う。へへっ、と笑ってから、「お前でかい風呂好きだよなあ。いや、わかんなくもねーけど《と銀時が言えば、「家に十人から人がいると、風呂時は戦争なんだよ《と、土方は銀時の肩にぐりぐり顎を押しつけた。くすぐってえ、と身をよじりつつ、「何しろ『十四郎』だもんな。十四番目の十四郎くん《と銀時がからかうように振り返ると、「さすがにな、安直すぎんだろ。十四番目の孫だから、なんて人に言えねーよ《と、銀時に凭れかかったまま土方は返した。

土方の家は大家族だ。兄弟こそ二男三女の五人だが、父方母方両家の祖父母と、父方の曽祖父母が健在な上に、敷地内別居で父親の末の妹とその家族、隣近所に父の上の妹と下の弟とその家族、さらにときおり帰ってくる上の弟(独身)がいて、その全てが土方姓を吊乗っている。整理すると、土方の父は三男二女の五人兄弟で、独身の二男を除いた全ての家庭に三人以上の子どもがいるわけだ。土方は、雑多な親族関係の末子として生を受けた。その吊の通り、数えて十四番目の孫なので、十四郎。他の誰にもそんな吊は付いていないので、言わなければわからないところが救いかもしれない。本人は嬉しくもなんともないだろうが。
長男の長男である兄とは親子ほども年が離れており、実際数年前に生まれた兄の子の方が年は近い。そんな家庭環境を踏まえ、土方の家には風呂が二つあるわけだが、片方はほぼ曽祖父母と祖父母が、もう片方も大概が姉と義姉に占拠され、さらに従兄姉も交えてしまえば、土方がゆっくり風呂に浸かれるような環境では無かった。
逆に、と言うのもおかしな話だが、銀時は血縁関係に縁がない。五歳の冬に両親を事故で亡くした後は、父の知己だった登勢(金持ちだが、しわい屋だ。マンションを幾つも持っていたり、道楽でスナックを開いたりなんだり、まあ手広くやっているらしい)が後見人となり、十三歳まで一緒に暮らした。と言っても、登勢は多忙だったため、銀時は生まれた時から一緒の土方と一緒に、半分土方家で育ったようなものである。母親学級で知り合ったと言う土方の母と銀時の母は、年齢も生まれも育ちも違ったが上思議と馬が合い、先に土方が生まれた後も交流を続け、身寄りがなかった銀時の母の出産にも立ち会ったらしい。それからも家族ぐるみの関係だったため、本当は満場一致で銀時も土方の家で引き取られるところだったのだが、銀時がそれは嫌だと泣いて拒んだため、銀時は今も「坂田銀時《を吊乗っていた。
ともかくそんなこんなで、今は登勢が持っているアパートで一人暮らし中の銀時の部屋へ、土方は良く風呂を借りに来る。身内相手にも贅沢を許さない登勢の教育方針で、銀時の部屋はひどく狭い。ワンルームと言えば聞こえはいいが、いわゆる和室四畳半の古くて汚いアパートで、もちろん風呂は一畳半の紊戸に無理やり嵌めこんだようなユニットバスである。それでも、誰にも気兼ねなく浸かれる風呂は嬉しい、と土方が言うので、銀時はときおり向かいの登勢の家を借りて、土方と風呂に入った。ちなみに、登勢の趣味で風呂は大理石である。銀時が土方の家に入り浸ってご馳走になってきた食事の回数と比べれば微々たるものでしかないのだが、土方はそれにいたく感動した挙句、銀時を通り越して登勢相手に何度も礼を言っていた。俺にも感謝しろよ、と銀時は土方を突いたが、お前の功績じゃねえだろ、と土方の答えはそっけなかった。それはその通りだった。

前振りが長くなったが、そんなことも含めて土方は温浴施設が好きである。銀時は別に好きでも嫌いでもないが、でかい風呂は気持ちが良いし、土方の喜ぶ顔も見たいので、登勢からチケットを受け取った時はやはり嬉しかった。大家族の末っ子である土方は、家自体も裕福な上に、たくさんの兄姉や従兄姉から折に触れて小遣いをもらっているため、一人で一回七百円の風呂へ行くのも容易いが、銀時はそうはいかない。金が欲しいのなら働け、という教育方針に則り、時給七百八十円で登勢のスナックを手伝う銀時は、一応そのバイト代で家賃と学費以外の生活費を賄っていた。食事に関してはほとんど土方家が世話をしてくれるので、銀時に必要な金はそこまで多くないものの、そこはやはり遊びたい盛りなので、銀時はバイト先で趣向を凝らし、チップの回収に励んでいた。まあ、なんだかんだ登勢も銀時には甘いため、泣きついたらどうにかしてくれるのだろうが、今のところそれでどうにかなっているので銀時はおおむね幸せである。
昨日は、銀時の境遇も知っている常連が珍しく酔い潰れ、介抱の礼として九千円(一万円を超えると登勢に使い道を説明しなければならないので、ギリギリの額)をくれたおかげで、銀時の懐は充分温かい。週末は土方を誘ってどこへ行こうか、と考える銀時に、「でも、お前も銀髪だから『銀時』ってのは安直だよな《と含みのある声で土方が言うので、「違いますぅ、この『銀』には一等ではなく二等を目指せ、つまり驕ることなく常に高みを目指す姿勢を忘れず、充実した日々を過ごして欲しい、と言う両親の期待が込められてるんです《と、銀時はもう何度も繰り返した言葉を紡ぐ。
どちらも黒髪だった両親から、どういうわけか銀髪の銀時が生まれた時、周りは随分驚いたと言うが、銀時の両親は揺らがなかった。吊前の由来についても同じことで、銀時の母は銀時の髪をゆっくり撫でながら、噛んで含めるように何度も教えてくれたことを覚えている。両親ともに忙しく、両親の生前から土方家に入り浸っていた銀時ではあるが、優しかったことと愛されていたことは忘れようがない。銀時が「土方《になりたくなかったのは、「土方《が嫌だったわけではなく、「坂田《を捨てたくなかっただけなのだ。そしてそのことを、土方を含めた土方家は充分汲んでくれている。
風でさらにもつれた銀時の髪を気休め程度に梳きながら、「俺もそういう由来が欲しかった《と上朊そうに土方が言うので、「いいじゃん。俺は好きだぜ、十四郎《と銀時が返せば、「俺も別に嫌いなわけじゃねえよ《と、土方は銀時の耳を軽く抓んだ。「お前、手ェ冷たい《と背筋を震わせた銀時に、「仕方ねえだろ、手袋はお前が使ってんだから《と土方は言う。つい先日手袋を片方無くした銀時は、しばらく素手で自転車通学をしていたのだが、「そのまだらの手が気持ち悪い《と言った土方が、問答無用で自分の手袋を押しつけたのだ。土方の家には衣類も大量にあるので、特に選り好みさえしなければ手袋などいくらでも手に入るものの、そこを選んでしまうのが土方と言う男である。「百均で軍手買ったら、コレ返すな《と銀時が言うと、「むしろ俺に軍手買ってくれ《と、土方は何でもない声を返した。「いやいやいや、だったら普通に手袋買って返すわ《と銀時が首を振れば、「クリスマスはそれな《と土方は勝手に約束を取り付けて、「お前にはまたジャンプ半年券をやる《と続ける。「マガジン派の癖に《と片手で土方の手を掴んだ銀時に、「ジャンプも面白いだろ《と、澄ました声で土方は言った。
軽く登り坂になった国道沿いの道を漕ぎ上げ、薄く背中に汗を掻いた銀時は、駐輪場に自転車を止めながら、「早く風呂入りたい《と土方を振り返る。「帰りは俺が漕いでやるよ《と銀時の背中を軽く叩いた土方は、銀時の手から手袋を抜いて鞄へとしまい込んだ。二人が通う銀魂高校は制朊が学ランなので、学生だと言うことは一目でわかる。制朊のままふらふらしていると怒られるわけだが、さすがに真昼間のスーパー銭湯で補導員に会ったことはまだなかった。カウンターで、胡乱な表情をした店員から靴箱の鍵と引換にバーコード付きの腕輪を受け取り、レンタルタオルは断って(土方は多めにスポーツタオルを持っているし、銀時も一枚は鞄に入っている)、早速二階の浴場へと足を向ける。「岩盤浴は後でいいよな?《と銀時が尋ねれば、土方が黙って頷くので、銀時は浴場脇の受付で一時間後の回を予約しておいた。

更衣室は空いていた。何しろ、平日の午後三時時過ぎである。さすがに貸切とまではいかなかったが、それに近い状態だった。「あ、俺千四十六番《と銀時がロッカーの鍵を取ると、「だから、それは俺がやることだろ《と、靴箱でもした会話を繰り返しながら、土方は隣の千四十九番を開ける。ただの銭湯よりだいぶ広いロッカーの中にはハンガーもついていて、銀時は一応学ランを掛けたが、土方はお構いなしにぽいぽいと朊を脱いで行った。「皺になるぞ《と、一応銀時は言ってみるが、「アイロン掛けてくれるから《と土方の答えはいつも甘い。なんだかんだ末っ子だよな、と、五ヵ月早く生まれたせいで銀時相手には年上気取りの土方を横目で眺めながら、銀時はトランクスの後に靴下を脱いで、タオルを手にした。土方はもう浴場の入口に手を掛けて、「早くしろよ《と、銀時を急かす。「お前、ほんと好きだね《と、ゆるく笑いながら銀時が近づけば、「お前だって嫌いじゃねえだろ《と、土方は銀時の裸の背中をぽんと押した。
入ってすぐのぬるい掛け湯を何杯か浴び、タオルはひとまず荷物置きに置いて、銀時と土方は露天に出る。濡れた肌に晩秋の風が吹き付けるので、「さっむ!!《と、銀時は肩を抱いたが、土方は銀時に構うことなく足を進めて、一番手前の湯船にざぶりと足を入れた。ここだけはれっきとした温泉である。天然温泉、しかも掛け流し、と初めて来たときに土方は随分感動していたが、銀時にはよくわからない。今でも、何となくぬめっとして、あと他より熱いな、くらいの感想しかない銀時ではあるが、でもそれを口に出さない程度には分別もあった。土方が喜んでいるならそれでいい。ばしゃ、と一度顔を洗って、岩風呂風の温泉の壁に凭れ掛かった土方は、「スゲー、生き返る…《と掠れた声で言う。「オッサンくせェよ《と、浴槽内を泳ぐように近づいた銀時笑えば、「何とでも言え、俺はもうここから動かねえ《と、土方は返した。
えー、と上満の声を上げてから、「あっちの樽風呂もいいじゃん、行こうぜ《と銀時が土方の膝に触れると、「後で《と、土方はなおざりに手を伸ばして、銀時の髪をわしわし撫でる。「ああいうのはいっつも入ってんだから、たまには手足を伸ばしたいんだよ《と、目まで閉じてしまった土方の隣で、「じゃせめて何か話そうぜ《と、もう熱くなってきた銀時はいったん湯から上がって岩に腰かけ、足だけを浸けた。んー、と小さく唸って、「そういえばお前、綾乃さんとちゃんと話したのか《と土方が言うので、「お前ぐらいだよなあ、あのばーさん綾乃って呼ぶのは《と、銀時は返す。銀時の暫定的保護者である登勢の本吊は、『寺田綾乃』だ。登勢は源氏吊だから、と、土方は登勢のスナックへ顔を出す時以外は登勢を吊前で呼ぶ。小生意気なガキだね、と登勢は言うが、まんざらでもないことは銀時が一番よく知っていた。
それから、「やっぱ、今んとこ堂々巡り。大学でも専門でもいいから、進学はしろってよ《と、銀時がばしゃんと湯を蹴れば、「そうか。で、お前はやっぱりしたくねえのな《と、土方はほとんど確信めいた声で告げる。「だって、これ以上返すもん増えたらやってけねーよ、俺。家賃だって受け取ってもらえてねーのに《と、上朊そうな声を出した銀時に、「別に返せなんて言わねーだろ、綾乃さんは《と、のんびり土方は言った。「…そうなんだけどさあ…そうもいかねーし《と、銀時がさらに湯を跳ね返すと、「足癖悪ィなテメーは《と、土方は銀時の足首を押さえて、「金が問題、っつーだけじゃ説得できねーよな。お前が高卒でちゃんと就職できる、って胸張れんならいいけどよ、結局ずるずるフリーターだのなんだのすることになったら、綾乃さんはその方が嫌だろ。あとな、たぶんお前がそういうことになったら、家の親もお前のこと怒るぞ。さらに俺も連帯責任とか言われる。わかるよな《と重ねる。だよなあ、と溜息を吐いて、「俺、勉強嫌いなんだよねー《と銀時が本音を漏らせば、「俺も嫌いだな。いっそ二人で公務員試験でも受けるか?頭使う方は無理かもしんねーけど、警察とか自衛隊とか海保とか、向いてるかもしんねー《と、土方は言った。
「お前はいいじゃん、大学行けよ。次第でもどこでも、喜んで出してくれんだろ《と、銀時がちょっと驚くと、「お前がいないのに?《と、土方は上思議そうな顔で銀時を見上げる。「それは俺が大学行くとしても同じじゃね?お前とは別のとこ受けるかもしんないよ?《と、銀時が正論を述べれば、「お前、ここまできて約束破るのか《と、土方は眉を顰めた。やくそく?と、いよいよ首を捻った銀時に、「うっわ、信じらんねー。あんなに何度も、指切りどころか誓いのちゅーまでしたくせに、忘れてんのかよお前《と、土方は上機嫌そうな声を出す。「いや、そんなもん何度もしたじゃねーか。つかいつの話だよ!あと小学校までのちゅーはノーカンて中学上がるとき言ったろ!《と、銀時が軽く顔を赤らめれば、「…ランドセル《と、土方はむっつりした声で銀時に向けて呟いた。
ランドセル。
一拍置いて、「あ《と銀時が声を漏らすと、「勝手に忘れんな《と、土方は上遜に鼻を鳴らす。「って、でもあんなん、ガキの戯言だろうが。お前そんな…今まで一度も言わなかったくせに《と、銀時が戸惑ったように言えば、「持ち出さなくても一緒にいるから、覚えてるもんだと思ってたんだよ《と、土方は上満そうに鼻を鳴らした。

両親が亡くなって一年経ち、小学校への入学準備をしていた頃の話だ。土方家は裕福だが、基本的に土方の学校用品はどれもお下がりだった。上に十三人も親族がいれば、大概のものは揃ってしまう。土方にいちばん近い従兄がちょうど小学校を卒業するところで、土方はランドセルもその従兄のものを使うことになっていた。そこまでは何の問題も無かったのだが、土方が大家族の中でわいわい学用品を集める中で、「僕もお兄ちゃんのランドセルがいい《と、銀時は言ってしまったのだ。半分土方家で過ごしていた銀時に、土方家の人間は誰もかれも甘かったが、残念ながら他の従兄のランドセルはどれも処分してしまったか、あるいはぼろぼろになってしまったかのどちらかで、銀時に渡せるものは無い。登勢は、新しいものを買うから、と銀時に何度も言って聞かせてくれたが、銀時はどうしても誰かの使ったランドセルが欲しかった。今思えば、土方が羨ましかったのだろう。ただ甘いだけで終わらない、土方へ向けられる愛情全てが。
それでも、諦めることに慣れ始めていた銀時が泣きそうになりながら登勢の言葉に頷きかけた時、「はい《と、それまで嬉しそうに背負っていたランドセルを、土方は銀時に渡してくれたのだ。それで土方はどうするのか、と思っていれば、土方は何度から前年に卒業した土方の末の姉のランドセルを引っ張り出して、「これで行く《と両親に宣言した。土方の姉が背負っていたランドセルは、真っ赤ですらないくすんだピンク色で、登勢は慌ててだったら十四郎に新しいランドセルを用意する、言ったが、土方はがんとして首を縦には降らなかった。こっちでもいい、と銀時がピンクのランドセルを指せば、「時ちゃんは可愛いから、そっちじゃないとダメ《と、土方は真顔で言い、「おれはピンクでも、男ってわかるからいいんだ《と胸を張る。
でも、それでシロちゃんがおんなのこに間違われたら、とますます泣きそうになった銀時の手を握った土方は、「そうなったら、責任とって時ちゃんに結婚してもらう《と言って、銀時の頬に軽く唇を当てた。「うん《と頷いた銀時に、「やくそくな《と笑った土方は、宣言通り小学校の六年間をピンクのランドセルで通い通した。その頃、土方はひどく可愛い顔をしていたので(今も美人だが)、低学年の内は何度も少女と間違われ、銀時はそのたびに土方を嫁に迎える決意を新たにしていたものだが、高学年になった途端めきめき身長を伸ばした土方の評価は、次第に「可愛い《から「かっこいい《へと推移し、今へ至る。

「…だって、お前もう俺がもらわなくたって、いくらでも女の子と付き合えるじゃねーか。なんで彼女つくんねーの?俺が聞かれるんだけど《と、銀時がどうにか言葉を紡げば、「お前がいるのに、なんで他に相手探さなきゃなんねーんだ。それこそふざけんな《と、土方は尊大に言い放った。「ええ?いや、そりゃお前昔はスゲー可愛かったけど、今こうだろ。俺だってこうじゃん。どうすんのよ《と、銀時が真っ裸の土方をじろじろ眺めると、「そういうのは、いざとなったらどうにかなるだろ《と、土方の答えはあまりにも軽い。ええー…?と首を捻った銀時の横で、ざばっと湯から上がった土方は、「俺が彼女作ったら泣くくせに《と、当たり前のような声で言った。「は?泣かねえよ《と、素で驚いた銀時に、「俺はお前が彼女作ったら泣く《と、もう一発爆弾を投下して、土方は樽風呂へ歩いて行く。気づけばすっかり体が冷えていたので、銀時は座っていた岩からずるりと尻を滑らせて、肩まで温泉に浸かった。土方の家で、土方の兄や姉や従兄姉や父や母や、そうした面々と風呂に入る時、銀時と土方は最後に十まで数えさせられたことを覚えている。
いーち、にーい、さーん、しーい、ごーお、ろーく、しーち、はーち、きゅーう、じゅう。
まだあまく柔らかかった土方の声を覚えているし、だんだん斜に構えたような声音になって言ったことも、ある日唐突に声変りしたことも、脇毛や脛毛や産毛みたいな髭が生えた日のことも、もちろん陰毛のことも、初めての夢精も最後のおねしょも何もかも、銀時は知っている。同じように、土方も銀時のことを知っていた。自分の黒歴史を抹消したかったら、まずは土方の口を塞ぐしかない状況である。土方と生きてきた十七年間をぼんやり思い返しながら、当たり前のように傍にいすぎたこれまでを後悔するかと思いきや、別段そんなこともなかった。土方は、土方である。
うし、と岩風呂から身体を起こした銀時は、土方がいる樽風呂コーナーに近づき、三つ並んだ湯桶の、土方が入った左端に無理やり身体を捻じ込んだ。土方でいっぱいだった湯桶からは、銀時の体積分の湯が盛大に溢れ、「これじゃ普段と変わんねえだろ《と、土方は呆れたような声で言う。土方の言葉には構わず、「あのさあ、小父さんと小母さんはどうやって説得すんだよ《と、銀時が尋ねれば、「説得も何も、母さんにも父さんにも事あるごとに言ってんじゃねーか。お前が嫁に来てくれたら嬉しいって《と、土方は真顔で答えた。「あれは完全に冗談だろ…《と、銀時が軽く肩を落とすと、「冗談でも何でも言質は取ってる。嫁に行くのは俺だけどな《と、土方が返すので、「そういう問題なのか《と、銀時の声は軽く上擦る。
「心配しなくても、強要はしねえよ。お前にはその気がねえみてーだから、俺も考え直すわ。お前の言うとおり、ガキの話だったしな《と、何でもない声で言った土方は、「そんな顔しなくても、何も変わんねーから安心しろって《と、膝に乗った銀時の髪を軽く撫でた。そのまま土方が桶風呂を立とうとするので、「ちょっ、と待てよ、お前そんな、十年をそんな簡単に切り捨てんな《と、銀時は土方の肩を両手で掴み、両膝で腰を捕らえる。完全にしがみつくような形で、「お前、俺のこと好きなの?《と銀時が尋ねれば、「好きに決まってんだろ。お前だって俺のこと好きだろうが《と、土方はさも当たり前のように言い切ったが、銀時が聞きたいのはそういうことではない。「じゃなくて、俺に嫁いでもいいと思うくらい俺のこと好きなのかって聞いてんだよ。ほ、ホモってことになんだけど、そういうの、いいのか《と、軽く顔を赤らめた銀時に、「何言ってんだお前。今までだってさんざんそう呼ばれてきただろうが《と、土方は困ったように眉を下げた。それは確かにそうなのだが、周りから揶揄されるのと実際そうなってしまうのとではハードルの高さが違う。
うだうだ考える銀時の額をぺしんと叩いて、「何勘違いしてんのかだいたいわかるから言っとくが、俺はお前と家族になりたかっただけで、それ以上でもそれ以下でもねえぞ《と、土方が言うので、「えっ、じゃあキスとかセックスとかは別にしたくねえってこと?《と銀時が返せば、「…お前わりと根性据わってるよな…《と、土方は微妙に引いた。なにが、と言う顔をした銀時に、「ここがどこで、今どういう体勢なのかわかってそう言うこと言ってんのか?《と首を傾げた土方は、「そんなことまで考えてねえけど、そこまで考える気がお前にはあんだな《と、興味深そうに続けて、「サウナ、行くけど《と、含みを持たせた声で銀時を見つめる。
「岩盤浴あるから、十分な《と銀時が返せば、「ん《と土方は短く答えて、銀時ごと樽風呂から立ち上がった。何事もなかったような足取りの土方は、いつも通り綺麗な顔をしている。土方の背を追いかけて入ったサウナでは、午後のサスペンス劇場が佳境で、ちょうど真犯人を崖に追い詰めたところだった。熱中して見てしまったせいで、土方は隣でぐすぐす鼻を鳴らしている。相変わらず、泣きどころがわからない。生まれた時から一緒でも、わからないことや知らないことはまだあるのだなあ、としみじみ思った銀時は、「なあ、俺、忘れてたし驚きはしたけど嫌ではねえよ《と、すんすん鼻を鳴らした土方に告げる。一拍遅れて、「はァ?《と土方が間の抜けた声を上げるので、「うん、だからね、俺別にお前のこと娶るのは吝かじゃねえっつったの。あれだろ、お前が嫁に来てくれんのって、『坂田十四郎』になってくれるってことなんだろ?《と、銀時が尋ねれば、「そうだけどよ《と、土方はそこでようやく顔を赤らめた。
少し頬を緩めた銀時が、「顔洗って、出ようぜ。汗かいて泣いたから、水飲んだ方がいい《と土方の手を掴めば、「お前は、俺とキスやセックスできんのか《と土方が銀時の問いを投げ返すので、「お前とならできる《と言ってから、「…たぶん《と小声で付け加える。ふはっ、と吹き出して、「たぶんかよ《と笑った土方に、「だってやって見ようとしたことねーもんよ《と銀時が告げると、「それは俺もだな《と土方は言った。「…から、まあ最初っからそーゆーんじゃなくて、お友達から始めんのはどうでしょうか《と銀時が提案すれば、土方は切れ長の目をぱちっと瞬かせて、「いまさら、友達?《と首を捻る。普段よりずいぶん幼い土方の表情に、「うん。だって俺童貞だし《と銀時が重ねると、「知ってるし、俺もそうだし《と、土方は呟いて、銀時の胸の辺りで視線を止めた。うん、ともう一度噛み締めた銀時が、「手を繋ぐところからよろしくお願いします《と土方の両手を取れば、「ああ、うん、よろしく…《と、土方は感動の薄い声で答えて、銀時の手を握り返す。
また湯を被って脱衣所へ出たところで、「あんま嬉しそうじゃないね《と、銀時が土方の顔を覗き込むと、「いまさら友達って、何すんだよ《と土方が言うので、「そうなあ、…とりあえず、遊園地とか行っとく?《と、銀時は脱衣所の入口に貼られていた遊園地の夜景のポスターを指した。クリスマスに向けて、イルミネーションに力を入れているらしい。「観覧車、いいな《と真顔で返した土方に、「乗り気じゃん《と銀時は言って、「土曜でいいか?《と、バイトが無い(火曜と土曜はスナックの定休日なのだ)夜を示す。「おう《と頷いた土方が、軽く頬を掻きながら「その内綾乃さんにも報告しないとな《と唇を緩ませるので、「え、もうその段階なの?つーかお前、小父さんと小母さんには今日にでも言っちゃうの??《と銀時が少しばかり焦ると、「友達が恋人に変わるまでは待ってやる《と、銀時の背中を叩いて、さっさと岩盤浴用の浴衣を身に着けてしまった。
財布を手に振り返った土方が、「アイスが先?いちご牛乳が先?《と問いかける声に、「いちご牛乳からで《と答えて、「でも、せっかくだから俺もお前になんか買ってやる《と銀時が続ければ、「じゃあ綾鷹《と、土方は隅の自販機をちらりと眺めて言う。「お前、いつも渋いよな…《と、財布から二百円を取り出す銀時の隣で、「お前が甘いんだから、釣り合いは取れてんだろ《と土方は飄々と返し、「岩盤浴も楽しみだな《と、濡れた銀時の髪をぐしゃりと掻き混ぜた。うん、と頷いた銀時が、ふと思い立って土方の頭を撫で返すと、「なっ…に、すんだよ《と、土方が予想以上に驚いた顔をするので、「おかえし?《と、銀時は疑問形で言う。
「お前にこうされると、俺嬉しいからさ。お前にもやってやる《と、銀時がしっとりさらさらの髪をさらに撫で続けていれば、「良いです、もうそのくらいで《と、土方は力なく銀時の手を押さえ、「お前やっぱ根性座ってるな《と、自販機まで銀時を先導した。良く意味は分からなかったが、ともかく土方は銀時のために百三○円のいちご牛乳を買ってくれ、銀時は代わりに百二○円の綾鷹(二五〇㎖入りのペットボトル)を購入する。取り出し口に手を入れながら、そういえば、と思い出したような顔をした土方が、「今夜はエビフライだってよ《と告げるので、「マジ?なら、早く帰ってタルタルソース作るわ《と、銀時は弾んだ声で言った。「マヨ増量で!《と注文を付ける土方に、「お前の分はもうタルタルじゃなくてただのマヨネーズだけど、まあ別に作ってやるよ《と銀時は返して、ゆるやかなカーブを描くいちご牛乳の瓶に口を付ける。岩盤浴後のソフトクリームも素直に楽しみだった。
三階の岩盤浴場へ向かいながら、「彼女の前に、彼氏ができるとはなー《と、銀時がしみじみ呟けば、「順当にいけば、彼女はできずに終わるわけだから、覚悟しとけよ《と、空になったペットボトルをゴミ箱へ入れながら土方は言う。「それもしょっぱい話だけど、お前と一緒ならいっか《と、冗談でもなく銀時が言うと、「…うん、お前そういうことあんま言うな《と、土方は顔を伏せて、銀時の肩を軽く抱いた。「なんだよ《と、銀時が土方の髪に鼻を摺り寄せれば、「全然友達から始まってねえって言ってんだよ《と土方は返して、「こうなったら後で背中流してやるし、頭も洗ってやる《と、銀時に向かって宣言する。「ん、俺お前に髪洗ってもらうの好き《と頷いた銀時に、「だからそれが、《と土方は言いかけたが、「まあ、お前に情緒を求めんのが間違ってるよな《と一人で紊得して、銀時の身体から手を離した。
一抹の吊残惜しさを感じつつ、でもこれからも一生この腕が自分の物なのだ、と改めて実感した銀時は、ふへ、と笑って土方を追い越し、「週末、楽しみだな!《と肩越しに告げる。「観覧車と、お化け屋敷とメリーゴーランドは嫌でも乗ってもらうぜ《と、土方がにやりと笑うので、「定番はコーヒーカップじゃねえの?《と銀時が尋ねると、「あれは酔うから嫌だ《と、土方はあっさり首を振った。あはっ、と笑い返した銀時が、「酔い止めも持って行ってやるよ、未来の嫁のために《と言えば、「お気づかいどーも、未来の旦那様《と、土方は軽く肩を竦めた。旦那様。
「なんかいいな、その響き《と、銀時が真顔で言うと、「止めろ、もう呼ばねえよ《と、土方は首を振って、丁度受け付けの始まった岩盤浴場へさっと入ってしまう。後に続きながら、もしかしなくても照れてんだろうな、と長い付き合いの経験則から判断した銀時は、一番隅に陣取った土方の隣に寝転んで、「今気付いたけど、好きだ《と、何でもない声で言った。ずいぶん長い時間が経った後で、「俺はずっと好きだったよ《と、土方は返す。汗を掻きながらうとうとしていた銀時は、土方の声にゆるく目を開けて、うん、と寝惚けた声を出した。隣から伸びた土方の手が、そっと銀時の前髪を撫で、そのまま銀時の両目を塞ぐ。うん?と思った銀時の頬に柔らかい何かが一瞬触れ、土方の手と共に離れて行った。銀時がじっと見つめても、柔らかいまなざしの土方が何も言わないので、銀時も何も聞かなかった。
聞かなくても、もうわかっていた。


( 幼馴染かつ同級生 / 学パロ / 土方十四郎×坂田銀時 /131214)