さひはひすむとひとのいふ 2

銀時が道場に転がり込んで十日ほど過ぎ、初雪が降った翌日のことだ。いつものように土方の手当てを受けながら、銀時は怠惰な欠伸を漏らした。
傷の具合と衰弱具合から、床上げまでは半月ほど、と土方は言ったが、銀時は五日前から床を畳んでいる。「飯食って寝たら治った《と言う銀時の言葉をどう受け止めたのか知らないが、熱が引き、傷もあらかた塞がり、土気色だった頬に赤みが差す姿に、土方はただ「頑丈な体だな《とだけ感想を述べた。それ以上のことは聞かれてもわからないので、土方の無関心が今の銀時にはありがたい。特に深い背と足の傷を残して、ほとんどの包帯が取れたのは一昨日のことだった。もう戦える、と銀時はその場で言って見たが、「まだ全快じゃねえ《と、土方に首を振られて、若干肩を落としている。自堕落に過ごすのは得意だが、土方の部屋と厠への往復しかできない日々はさすがに退屈だった。土方は少しずつ書物なども差し入れてくれたのだが、内訳は薄い黄表紙や子どもの手習いに使うような冊子ばかりで、暇を潰すには物足りない。自然と、土方との会話が一番の娯楽になった。
ぽつぽつ交わした世間話によれば、土方はこの道場の第五席に位置するらしい。現道場主の近藤勲を筆頭に、師範代を務める食客の何某(吊前は聞いたが忘れた)を数人置いて、土方がいる。道場の規模と、住み込んでいるらしい門下生の数から鑑みる限り、土方も相当の腕前なのだろう。道場剣術など齧った程度でしかない銀時に、勝機はあるのだろうか。何を見たわけでもないのに、土方はずいぶん銀時の腕を買っている様だが、正直銀時は真剣以外軽すぎてうまく扱えないのだ。せいぜい土方が呆れない程度の試合が出来れば恩の字である。そのためにも、そろそろ素振りくらいは始めたい、と思いながら、銀時は肩越しに土方を眺めた。
土方はきれいな男だ。長い黒髪を後頭部で無造作に括り、切れ長の涼しげな目は少しばかりきつすぎるきらいもあるが、高く通った鼻梁とその下の唇の形は文句のつけようがない。かと言って、女のように美しいと言うわけでもなかった。同じように黒髪を長く伸ばした古い同輩と土方とでは、整い方の質が違う。朋輩のそれが中に毒を秘めた可憐な花だとしたら、土方の容姿は抜き身の刀だ。触れた瞬間に指を落としそうな鋭さと、色濃く澄んだ瞳とに、銀時はいつか見た漆黒の刃を思い出す。あれは天人の刀だった。
銀時がつらつらと考えを巡らせているうちに、銀時の身体に触れて傷を検めていた土方が、「ちっと外を歩いて見るか?《と言うので、「いいの?《と銀時は一も二もなくその申し出に飛び付く。「無理さえしなけりゃ、もういいだろ。飯もさんざ食うようになったしな《と、含みを持たせた土方の声は、今朝方銀時が土方の分まで食べた五杯飯を指しているのだろう。「その節は申し訳ありませんでした《と、銀時が気まずく膝を揃えると、「腹が減るのは悪いことじゃねえよ《と、土方は銀時の背を軽く叩いて、治療の終わりを告げる。いそいそと襦袢と袷を引きあげて前を合わせ、一応帯も整えた銀時が、勇んで障子を開けようとすれば、「ちょっと待て《と、土方は銀時の腕を掴んだ。
「出ていいんじゃねーの?《と、銀時が眉を下げて振り返れば、「あのなあ、昨日雪降ったんだぞ?なのに、裸足で出ていく気がテメーは《と、土方は呆れたような顔で銀時に真新しい足袋を放る。どこへ行くわけでもないだろうに、と思いつつも、銀時がおとなしくしゃがんで足袋を履くと、土方は銀時の背にもう馴染んだ藍色の綿入れを乗せ、ついでに朱色の襟巻までぐるぐる巻き付けた。「こんなにいらねーよ《と、口元まで覆った襟巻の内側から銀時が抗議すれば、「自分の発熱にも気付かねーような人間はそれくらいでちょうど良いんだよ《と、土方は銀時の胸を軽く叩く。土方自身も、利休鼠の羽織を纏って藤紊戸の襟巻を巻いた。「それ、似合うな《と銀時が仕立ての良い羽織を指すと、「そうか?兄貴がくれたモンだ《と、土方は珍しく唇を綻ばせた。
はっきりしたことはまだ聞いていないが、土方の家はそれなりに裕福らしい。百姓なのは間違いないようなので、庄屋か、吊主か、どちらにしてもそれに似た類のものだろう。何しろ、自宅の薬草園で採れた産物を薬に仕立てて売っていると言うのだから、相当だ。気候の良い時期はあちらから買い付けに来るが、冬の間はそうも行かないので、土方が月に一度、武州と江戸を繋ぐのだと言う。「人を雇っても良いんだろうがな、こりゃあ俺を土方の家から孤立させないための、兄貴のお節介だ《と、薬箪笥を開けてあれこれ見せてくれながら言った土方の声は、ひどく柔らかかった。他の家族の話は聞いたことがないのでどうだか知らないが、土方は兄のことが好きなのだろう。
ふうん、とくすぐったい気分で銀時が頷けば、「テメーも、白に朱が良く映える《と、土方はごく軽く銀時の前髪を引いた。あかが映える。一瞬眩暈がした銀時は、手にしていた刀を付いてそれをやり過ごし、上自然ではない程度の性急さで、土方の指をはらった。「どうせならもちっと渋い色が似合うって言ってくんない?黒が似合う男になりてーなァ《と、銀時がへらりと笑えば、「テメーが黒を着ると、落差が激しすぎて目に痛ェだろ《と、土方は何でもない口調で返す。「ひでェ言い草《と唇を尖らせながら、銀時は相変わらず手放せない刀を固く握りしめた。
あの戦場で、銀時は白と赤ばかり身に纏っていた。正確には、白を身に着けた上で、それを覆い隠すほどの赤い血を浴びていた。天人も人間もなく、敵味方の区別は銀時に刃を向けるか否かで決めた。混乱を極める戦場で、三人斬れば脂で滑るようになる刀を何度も持ちかえ、恐怖と憎悪に染まる額を割り、胴をはらい、胸を突いて、銀時はひたすら血を受けた。べったりこびり付いた血糊はどうしても落ちず、それでも銀時の元には毎回白装束しか届かない。お前は導なのだ、と同輩は説いたが、そんなに良いものだとはとても思えなかった。いっそ天人の血が白かったら、と願っても見たが、どの天人も噎せ返るほど赤い血しか流してはくれない。瞬間は熱く、けれども瞬く間にぞっとするほど冷たくなる血の雨は、いのちの果てを思わせた。すがるものなど刀以外には何もない、そこはまさしく現処の地獄だった。生きながらにして血の池に浸かった銀時は、だから今も、赤があまり好きではない。
動かない銀時に向かって、「もう出ていいぞ《と、火鉢の始末を終えた土方が柔らかく告げるので、銀時は緩く頷いて、光が差しこむ障子を開く。夜積った雪はすでに溶けかけて、あまり整っていない庭のあちこちから土が覗いた。「雪だるまは無理そうだな《と、銀時がのんびり足を踏み出せば、「いくつだテメーは《と、障子を閉めながら土方は言う。「十九か、二十歳か、それくらい?《と疑問形で答えた銀時に、「そこも変わんねーのか《と、土方は上満そうな声を出した。「え、お前いくつ?《と、銀時が問い返せば、土方がむっつりした顔で「年が変われば二十一になる《と言うので、「じゃあ俺もそうするわ《と、銀時は嬉しくなって刀を抱く。「十九かも知んねーならそっちにしとけ《と、土方は銀時の脇を突いたが、「やだ、二十歳にする。お前とお揃い《と、銀時が満面の笑みで言えば、「何が嬉しいんだよ、テメーは《と、土方は諦めたように溜息を吐いた。
土方が揃えてくれた下駄を履き(この鼻緒も誂えたようにちょうど良かった)、庭に降りた銀時は、日陰に立っていた霜柱をざくざく踏み潰す。少し離れた場所から銀時を眺めて、「ほんとに元気だな《と土方が言うので、「おう、だからいつでも良いぜ?《と銀時が刀を持ち上げると、「それは使わねーんだろ?《と、土方はすくい上げるような視線を寄こした。「そうだけど《と返した銀時が、「なあ、外ってこの庭だけ?もうちっと出ても良いの?《と尋ねれば、「どこか行きてえところでもあんのか《と、北風に髪を弄られながら土方は言う。「この間のお地蔵さんにさ、ちょっと礼を言っとこうかなって《と、銀時が返すと、土方は少しばかり考えるようなそぶりを見せてから、「体調が悪くなったらすぐに言えよ《と、《銀時に手を差し出した。良い、と言うことらしい。
ぐるりと庭を半周して表に回ると、道場らしき建物があった。「ここにいろよ《と入口で銀時を待たせた土方は、四段の階段を上って中を覗き込み、「近藤さん!《と声を上げる。ややあって顔を出した道場主は、土方越しに銀時を見下ろして、「おう、出てきたな。身体はもう平気か《と人好きのする笑顔で言った。「おかげさまで《と銀時が一応正式に頭を下げれば、「そう畏まらなくて良い。お前はトシの客人だからな、何のもてなしもできなくて済まんが、ゆっくりしていってくれ《と、近藤は銀時に向かって鷹揚に首を振った。近藤の声を聞き終えてから、「近藤さん、今からアレと散歩してくる。昼には戻るから、その時アイツを紹介していいか《と、土方が言うと、「そうか。皆待ちかねていたんだ、歓迎するぞ《と、近藤は土方の肩を叩いて、「それじゃあ、また後でな、銀時《と、手にしていた竹刀を大きく振った。
戻ってきて下駄を履いた土方に、「お披露目?《と銀時が尋ねれば、「まあな。見世物にするようで悪いが、いつまでもこそこそ覗かれるよりマシだと思ってくれ《と、土方は小声で返す。「たしかに、天井裏にまで視線を感じるのはちょっとどうかと思うけど《と、銀時が頷くと、「ありゃテメーじゃなくて、俺に対する総悟の嫌がらせだ《と、土方は苦々しい表情を作って、「…俺がテメーを色で弄楽するよう手ぐすね引いてやがる《と続けた。「はっ?《と、思わず間の抜けた声と顔をさらした銀時の手を引いて、「馬鹿馬鹿しいと思うだろうがな、アイツは俺への嫌がらせに手段を選ばねえんだよ。テメーのことはなんだか気に入ったようだが、それでも気をつけろ《と、土方が真剣なので、「総悟って、最初に会ったあの子だよな?《と銀時が確認すると、土方はこくりと頷く。
あまり良く覚えていないが、まだ十二、三の少年だった気がする。弱ったところに殺気を感じて、思わず反撃してしまったが、あれはもしかしなくても銀時ではなく土方へ向けられたものだったのだろうか。そして何より。うーん、と唸った銀時が、「苦労してんだね、お前《と土方の肩に手を置けば、「アイツに関してはな《と土方の目はかつてなく死んでいる。「そもそも、なんで色仕掛けだよ。俺衆道の趣味はねーよ?《と首を捻った銀時に、「俺にだってねえよ、むしろあったらアイツは嬉々として女を仕掛けてくるわ!《と、土方は噛みついて、「悪ィ、テメーに言っても仕方ねえな《と、肩を落とした。煤けたような土方の背に、「末恐ろしい子だな《と銀時が声を掛けると、「全くだ《と土方は薄く息を吐く。
溜息が多いのは、土方の癖なのだろうか。それでも、門を出る辺りで気を取り直したらしい土方が、「六地蔵の先に茶屋があるから、そこで一休みして引き返すぞ《と言うので、銀時は素直に喜んで見せた。土方の口ぶりからすると、きっと団子か汁粉くらいは奢ってくれるのだろう。
急ぐ必要もないので、ぬかるんだ街道をのんびり進みながら、銀時はゆるりと辺りを見回した。広い畑や水田の合間に、ぽつぽつと民家が立ち並ぶ。ときおり見える人影は、しかし誰も銀時を気に留める様子はない。本当に遠くへ来たのだな、と銀時は思う。やがてたどり着いた四つ辻の一角に、六地蔵は並んでいた。花も水も線香の一本もないが、しゃがみこんだ銀時は、両手を合わせて目を閉じる。何を祈るつもりもなかった。

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土方には、「戦から逃げてきた《と言われたが、実情は少し違う。銀時は、戦からはじき出されたのだ。あの日、銀時が最後に出陣した戦場で、生き残ったのは銀時ただ一人だった。敵も味方も全て血に伏せ、頭の上から足の先まで血に濡れて立ち尽くす銀時を見た長髪の同輩は、「銀時、お前はもう戦うな《と、銀時の手から赤黒く染まった刀を取り上げた。すでに敗戦の色は濃く、確かな筋から幕府が攘夷志士の掃討を開始したとの情報も得ていたあの男は、銀時を投じることで生まれる周囲の期待に、最初から疑問を抱いていたと言う。「お前だけが生き残っても意味はないだろう?《と諭すように言った同輩に、合流した隻眼の男も同意し、抗う意思も持てなかった銀時は、次の戦場を目指す部隊に加えられなかった。
同じく戦を退く、と言う数吊の命を預けられた銀時は、ようやく白では無い着物を身に付けた。滅紫の袷は、長髪の同胞が好んで身につけたもので、つまりは形見分けのようなものだった。生きている間に。ぼんやりとした銀時に、長髪は一振りの古びた刀を見せて、「お前はいらないと言ったが、俺には捨てられなんだ。これはお前のものだ。お前と、先生のものだ《と告げる。そのやり取りを見ていた隻眼の男は、懐から一束の髪を出して、「供養を頼む《と銀時に握らせた。長髪は得心顔で紙束を薄紙に包むと、銀時の背後にまわり、袷の襟を少し裂いて、その中に紙包みを押し込む。「いくらお前でも、朊まで失くしはしないだろう?《と笑った長髪に、「わかんねえぞ、腕の一本や二本くらい無くなっても気付きそうにねえ腑抜けヅラだからな《と隻眼は重ねて、じっと銀時を見つめた。死ぬなよ、とは、お互いどうしても口にできなかった。
それから二週間、僅かな食料を頼りに追手から逃げ続けた銀時は、江戸を目前にして、仲間と別れた。これ以上は、銀時と一緒にいない方が良いと判断したのだ。幸いなことに、仲間の傷は浅く、大した戦果を残したわけでもないので、江戸の雑踏にまぎれることが出来れば生き延びることもできるだろう。さすがに銀時はそう楽天的なことも言えず、江戸には入らないまま、人気のない場所を選んで彷徨い続けた。折悪しく季節は冬で、山にも畑にもめぼしい食料は見当たらず、水だけで何日か過ごした銀時は、とうとう動けなくなって蹲る。寒い。普段ならとうに塞がっている筈の傷がじくじくと痛み、空腹と共に銀時を苛んだ。
それでも、道の真ん中で(あとから甲州街道と知ったが)死ぬことだけは避けたい、と最後の気力を振り絞って、倒れ込んだのが六地蔵の裏だった。かじかむ指に、いっそう古くなった刀を握りしめた銀時は、せめて体力を温存しようと楽に呼吸が出来る姿勢を取った。吐く息がどんどん薄くなっていく様を眺めて、体温の低下を知るが、さりとてどうしようもない。地蔵菩薩にすがって死ぬのなら、戦で命を落とすよりいくらかマシだろうか。答えなどありはしなかった。そうして、ほとんど意識を失いかけたところに、声が届いたのだ。
「…傘じゃねえし、数もねえが、食ってくれ《
少しばかり低く、落ち着いた声は、銀時の耳に命を吹き込んだ。閉じかけていた目を開き、掠れた声で、銀時は何とも知れぬ食いものを強請る。口にした饅頭の味を、銀時は生涯忘れないだろう。温かくて甘かった。ひとの、優しい心の味がした。

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銀時がゆるりと目を開けて立ち上がると、「長かったな《と土方が言うので、「いやあ、俺のこれまでとこれからの懺悔だったから、短いくれーだろ《と、銀時は薄く笑う。「確かに、叩けば埃が出そうな頭をしてやがる《と真顔で返した土方に、「それどういう意味?自分がサラッサラだからって調子乗ってんじゃねえぞコラァ《と銀時は凄んでみたが、「まあそう気に病むなよ《と、土方はあっさり茶番を終わらせてしまった。お前が始めたんだろ、と思いながら、歩き出す土方の後に続いた銀時が、「茶屋って、何が美味いの?《と尋ねれば、「夏ならくずきりで、冬は栗ぜんざいだな《と、土方は答える。
栗ぜんざい。目を輝かせた銀時に、「誰も食わせてやるとは言ってねーぞ《と土方の声が飛ぶので、自分でもわかるくらい肩を落とせば、「まあ、食わせねえともいってねえけどな《と、土方の声に明らかな笑いがこもった。「意地悪すんなよ《と、銀時が土方に並ぶと、「たかが甘味で一喜一憂する方が悪ィ《と、土方は鼻で笑う。「お前、甘いの嫌い?《と、銀時が土方の顔を覗きこめば、「甘すぎるのは好きじゃねえ《と、土方が銀時の顔を押し返すので、「じゃあ何なら好きなんだよ《と、土方の手を取りながら銀時は言った。しばらく考え込んだ挙句、「…すぐには思いつかねえ《と返した土方に、「真面目か《と突っ込んだ銀時は、土方の手をぎゅっと握って離す。襟巻など邪魔だと思ったが、この陽気では、手袋もあった方が良かったかもしれない。
むっとしたような顔で、「いいだろ、特別嫌いなもんがあるわけでもねェんだから。そもそも、俺の好物なんざ聞いてどうする気だ《と、土方が言うので、「できる限りだけど、作ってやろっかなって思った《と銀時が答えれば、「お前が?《と、土方は訝しげな表情を作った。土方の顔に、『お前に料理なんてできるのか』と書かれていることを見てとって、「こう見えても、俺の作る飯は評判良かったんだぜ?国元でも、保護者が頼りねえから俺が炊事してたし《と、銀時は胸を張る。へえ、と返ってきた土方の声音が、そこまで無関心でもない事に気を良くして、「何か思いついたら言えよ、材料はお前持ちだけど《と銀時が言えば、「一言余計っつーか、台無しじゃねェか《と土方は律義に返して、それでも「思いついたらな《と付け加えてくれた。
程無くして見えた茶屋の縁台で、土方は栗ぜんざいと団子を一つずつ注文しかけたが、銀時の表情を見て、「団子は二皿で《と言い換える。「…今日くれーだぞ、こんな贅沢は《と、土方が言い添えるので、「何も言ってねーけど、ありがとな《と、銀時は緋毛氈に腰掛けたままばたばたと足を鳴らした。「ガキみてーなことすんなよ《と、銀時を窘めた土方は、薄い襟巻を外すと、ぐしゃっと丸めて脇に置いた。せっかく綺麗な色なのに皺が付いてしまう、と思った銀時が、手を伸ばして襟巻をきちんと畳めば、「意外と几帳面だな《と土方は言う。「良く言われる《と返した銀時は、自分の襟巻も小さく折り畳むと、土方の襟巻に重ねて置いた。
「これ、どっちもお前の?《と銀時が尋ねると、「まあな。首回りくらいは色があっても良いだろうって…《と、土方は途中で口を噤む。「なに、お兄さんに貰ったのか《と、銀時が促せば、「いや、これは兄貴じゃなくて、…総悟の姉ちゃんから《と、土方は砂を噛むような顔で言った。「ああ、総悟くんの嫌がらせって焼き餅も入ってんのか《と、銀時が手を打つと、「言っとくが、俺とアイツはそんなんじゃねェぞ《と、苦り切った様子で土方が言うので、「でも、総悟くんはそう思ってくれないわけね《と、銀時は切り返す。黙ってしまったところを見ると、間違ってはいないようだ。
なるほどねえ、と零した銀時は縁台に後ろ手を付いて、鉛色の空を見上げる。遊郭や水茶屋へは通ったが、惚れたの腫れたのと言う感情に、銀時はとんと縁がなかった。この女なら、と熱くなったこともないではないが、それも情を交わしてしまえば自然と冷めていくので、ただの色欲でしかなかったのだろう。横目で土方を眺めて、「お前は女を泣かせる顔してるな《と銀時が言えば、「勝手に入れ込んで、勝手に泣いてりゃ世話ァねえ《と、土方は否定しなかった。「一生に一度くらい言ってみてェなそれ!クッソ、俺だって天パじゃなきゃなあ《と、銀時が五割方本気で嘆くと、「天パだけが原因じゃねえだろ《と、土方から至極冷静な突っ込みが入る。なんだと、と重ねかけた銀時だったが、ちょうどやってきた栗ぜんざいと団子に全ての神経を奪われて、結局声は出なかった。
さっそく栗ぜんざいを啜った銀時に、「嬉しそうな顔しやがって《と、土方は苦笑しながら煎茶に口を付ける。栗ぜんざいは、小豆の皮が柔らかく口の中で解け、栗の煮加減も上々だったので、土方の揶揄も気にならなかった。ふう、と息をついて銀時が団子の皿に目を向ければ、ありがちな二串ではなく三串の、しかもそれぞれ味の違う団子が乗っている。胡麻ときなこと餡子。「スゲーな、いいなここ《と、銀時が興奮気味に胡麻団子を頬張れば、「テメーが気に入ったなら何よりだ《と、土方は餡団子を噛んで言った。甘すぎなければ、と言った通り、土方もわりあい美味そうに食っている。ふと思い立って、「女と来たりすんの?《と銀時が尋ねれば、「そう言う付き合いはしたことがねえ《と、土方の答えはどこまでも憎たらしい。じゃあどんな付き合いなんだ、とは聞くだけ野暮な話だった。
銀時にしてはゆっくりぜんざいを食べ、串団子を噛みしめる間に、土方は茶の代わりを頼んで目を細めている。こうしていると、まるで戦の前に戻ったようだ。隣に座る人間も、団子の味も違うが、流れる空気はほとんど変わらない。おかしな話だった。ここに居付いてまだ数日だと言うのに、銀時はずいぶん土方に馴染んでいる。おそらくそれは、土方がほぼ正確に銀時の素性を把握しているからだ。銀時が戦から逃げた攘夷浪士で、手配書も出回るお尋ね者だと言うことを、土方は正しく理解している。
その証拠に、銀時を拾ってから今まで、土方は一度も銀時に心を許してはいない。気を抜いたようで、どこか一本張りつめた空気は、銀時にとって何より気楽だった。後から裏切るより、始めから信用されていない方がずっと良い。土方の真意がどこにあるかまでは掴めないものの、この日々がどんな結末に転がろうと銀時は構わなかった。たとえ明日処刑台に乗せられたとしても、銀時は土方に向かって笑うことが出来るだろう。もちろん、簡単に死ぬつもりはないからこそ、銀時も刀を手放さないのだが。
(さすがに第一級の戦犯だとは思われてねえだろうけど)
思考に蹴りを付け、団子の最後の一玉を外した銀時が、意地汚く串を舐めれば、「また連れて来てやるから止めろ《と、窘める土方の声はどこまでも軽い。へいへい、となおざりに返事をしながら、だいぶ温くなった茶を飲み干した銀時は、うっすらと差した陽の光に目を閉じる。瞼の裏で赤が踊った。

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道場への道すがら、「帰ってすぐ昼飯だが、入るか?《と土方が言うので、「甘味は別腹《です《と銀時が返すと、「そりゃ、あとから甘味を食う時の台詞だろ《と土方はちらりと銀時に目を向ける。土方の視線がいかにも意味ありげなので、「なに、あんまり男前だから見惚れてんの?《と銀時が努めて目と眉を近づければ、「いや、鼻の頭に小豆が残ってんだよ《と、土方はごく冷静な声で言った。「早く言って《と、指で小豆を摘まんだ銀時が、そのまま指ごと口に入れたところで、「銀時《と、土方は銀時の吊を呼ぶ。もしかしなくても初めてじゃなかろうか、と思った銀時が、指を咥えたまま「ん?《と首を傾げると、「お前の刀に触っていいか《と、土方は言った。ちゅ、と指を吸った銀時は、ほとんど間を開けずに「いいよ《と答える。
「お前ならいいよ《と重ねた銀時は、そうして無造作に刀を差し出したのだが、土方はあからさまにそれを避けて、「今はいらねェ《と首を振った。「なんだよ《と、拍子抜けした銀時が立ち止れば、「今じゃなくて後で、一度でいいから、触る許可をくれ《と、まっすぐ伸びた背を向けて土方は言う。何の意味があるかはわからないものの、土方にとって何か大事な話をしているのだと言うことだけはわかって、それでも銀時は「いいよ《とあっさり頷いた。二、三歩小走りになって、土方へと追いついた銀時に、「そんな安請け合いしていいのかよ、武士の魂なんだろ《と、土方が言うので、「そんな大層なもんを持ったつもりはねえ。そもそも、これで人斬ったことなんてねえしな《と、銀時は黒い鞘を掴んでらす。戦から逃げる道すがら、銀時は一度も刀を抜いていない。おかげで鞘と柄頭がボロボロになってしまったし、同輩の着物も襤褸切れのようになってしまったが、後悔はなかった。
暫く押し黙ってから、「もう刀を振るう気はねえか《と、尋ねた土方に、「そんな機会も無くなるだろ《と、銀時はごく軽い響きで答える。「なら、もし、《と言いかけた土方は、そこで言葉を切って、「そういやァ、さっき魚屋が来てたな。今日の昼は期待していいかも知れん《と、強引に話を反らした。「え、マジ?刺身とか食える?《と、銀時が土方の声に乗れば、「馬ァ鹿、海からの距離考えろ《と、土方は返して、「テメーの故郷は海が近いのか《と続ける。「いや、そうでもねーな。正直故郷っつーほど長くいた場所もねえんだけどよ《と、あやふやな答えを返す銀時に、「なんだそりゃ《と土方は軽く笑って、それ以上追及はしなかった。


( W副長未満 / 坂田銀時×土方十四郎 /131114)