まわるまわる_01

土方は今日、現代文で赤点を取った。初めての赤点に、じっと答案を見下ろしていた土方は、「再試は来週だから、それまで勉強しとけよ」と銀八に肩を叩かれて我に返る。それまで音の無い世界にいた土方がふらふら席に戻ると、「あーあ、あと一点じゃねえですかィ」と総悟が答案を覗き込むので、「うっせぇ、テメーはどうなんだよ」と、土方は総悟を睨みつけた。ふふん、と総悟が癪に障る笑みでひらひらかざした点数は、土方の二点上で、「それほど変わんねーだろが!」と土方は怒鳴ったが、「それでも赤点は免れやした」としれっとした顔で返されて撃沈する。そうだ、大事なのはそこなのだ。
銀魂高校の試験は比較的緩い。赤点に関しても、平均点の半分以下、というかなり譲歩した条件だから、そうそうのことがない限り赤が付くことはない。だが今回に限っては、学年平均が72点、赤点は35点以下、そして土方の点数はちょうど35点だった。ぐしゃ、と答案を握った土方は、ぐるりとあたりを見回してみたが、クラス内に赤点者はいないらしい。クラス平均が下がったのは土方(と沖田)のせいなんだろうか、と落ち込んではみるものの、そもそも答案の半分近くが白紙だったのだ。35点取れただけでも御の字かも知れない。少なくとも、これまではそれでうまく行っていたというのに。
再試の合格ラインは50点だ。まったく同じ問題は、おそらく出ないだろう。取れる気がしない。どうしたって取れる気がしない。だから赤点は取りたくなかったのに。どうしても取りたくなかったのに。普段の三倍ほど深くなった土方の眉間の皺を、隣の近藤がすっと押さえて、「トシ、あんまり怖い顔してると戻らなくなるぞ」と言うので、「近藤さんに顔のことを心配される日が来るとは思わなかったぜ」と、土方は思わず素で答えてしまった。それどーいう意味?!俺の顔がマズいってこと?!!そりゃトシと比べたら月とすっぽんだけど!むしろ月とゴリラだけどォォ!!と、喚き立てる近藤を無視して、土方はよし、と頷く。銀八が配ったテストの回答を丁寧になぞりながら、土方は来週まで国語準備室に入り浸ることを決意した。

❤ ❤ ❤

放課後を待って、第二校舎の一階へやってきた土方は、少しばかり緊張しながら国語準備室の扉を叩く。銀八がここを巣にしていることは、あまり接点の無い土方でも一応知っていた。とはいえ訪れるのは初めてで、二呼吸ほど置いて「どうぞー」と聞こえる間延びした声に、柄にもなくほっとしながら、「失礼します」と土方は引き戸を開く。中は真っ白だった。思わず咳込んだ土方に、「悪ィ悪ィ、寒いから換気忘れてたわ」と、煙の向こうで銀八は言って、がらがらと準備室中の窓を開いていく。げほっ、ともう一つ咳をしてから、「…校内は禁煙ですけど」と今さらと言えば今さらなことを土方が言えば、「だから煙草じゃねえって、ものすごく煙の出るペロキャンだって」と、今まさに吸殻を灰皿に押しつけながら銀八は答えた。
この野郎、とこめかみをひくつかせた土方だったが、銀八は腐っても教師であり、風紀委員である土方をもってしても教師の愚行を止めるほどの力はない。落ちつけ俺、耐えろ、こいつがこうなのはもうどうしようもない、と土方が脳内で三遍ほど念じていると、「んで、何か用か、再試の土方くん」と、うたうように銀八が言うので、「再試なんで、先生に試験内容を教わりに来ました」と、土方は返した。
ぱち、と眼鏡の奥で瞬いた銀八は、「珍しいね、お前が」と言ってから、ばさばさと積み重なっていた本やらプリントやらノート(あれは提出物じゃないのか)の山を掻きわけると、「じゃあまあ、座れば」と、キャスター付の椅子を引っ張って土方に勧める。どうも、と腰を下ろした土方に、「どういう風の吹きまわし?」と銀八が尋ねるので、「純粋に、再試で受かる気がしないんで来ただけです」と土方は言った。ああそう、と頷いた銀八が、下げていた指定鞄から筆箱と今日返ってきた答案用紙と現代文の教科書とノートを引っ張りだす土方を見下ろして、「あのさあ、今回のテスト、難しかった?」と言うので、「いつもと変わらないです。難しいと言うかわかりません」と、土方はきっぱり答える。
ああうん、と口ごもった銀八に、「何か言いたいことがあるんですか」と土方が問い返せば、銀八は言いにくそうに、「いや実はさあ、今回の現文、再試なのお前だけなんだよね」と答えた。は?と呆けた土方に、「考えても見ろ、近藤と長谷川が40点取ってんだぞ?言いたかねーが、お前が学年最低点だ」と、銀時は重ねて告げる。そう言えば、たしかに、近藤はさっき浮かれた顔を隠さなかった。学年で一人。学年最低点。35点で。
遅れてきたショックに、土方が動揺を隠せずにいれば、「ずっと聞きたかったんだけど、お前なんで現文だけこんなに成績悪いの?他、軒並み80点90点取ってんじゃん。現文と古文と何が違うの?」と、銀八は首を捻る。それは俺が聞きてェよ、と言いかけた土方が、「ちょっと待ってください、なんで先生が俺のテストの点を知ってるんですか」と顔を上げると、「他の先生に聞いたから」と、銀八の答えはストレートだった。
「だって、お前授業真面目に聞いてっし、ノートだって綺麗に取ってるし」と、銀八は土方の手の下にあったノートをぺらぺらめくる。「今回だって、漢字も文法も全部合ってんのに、なんで文章題だけこんなヒデーんだよ。せめて答えろよ、何か書いてあったら俺は考慮するよ?たとえあからさまなストーカー対象への愛が綴ってあっても温情点はやるよ?」と、銀八が言うので、「近藤さんの40点はそれかよ!」と土方は突っ込んだ。「もちろんそれだけじゃねーし、近藤だけでもねーけどな」と返した銀八は、「で?」と、土方の答えを待っている。
ぎゅ、と眉根を寄せた土方が、「…その、何を書いてもってのが、何を書いて良いか本当にわからなくて」と言えば、銀八はじっと土方を見下ろして、不意に「お前、本読む?」と問いかけた。「え?少しは」と土方が言うと、「ジャンルは?」と銀八は重ねる。「ノンフィクションとか、参考書とか、古典とか実用書とか…それくらいですけど…」と、意味を測りかねつつ土方が答えると、「じゃあ漫画は」と、銀八が真剣なので、「読まないです」と、土方は首を振った。
なるほど、と頷いた銀八は、「最後に聞くけど、お前昔話のあらすじってどれくらいわかる?」と、向かいから引いてきた椅子に腰かけながら言う。「昔話?」と、土方が首を捻れば、「ん、ももたろう、いっすんぼうし、かぐやひめ…は古典でやるか、除外して、かさじそう、かちかちやま、ゆきおんな、こぶとりじいさん…まで来るとちっとマイナーかな、あとはシンデレラ、しらゆきひめ、ねむりひめ、にんぎょひめ、ラプンツェル、それぐらいでいいよ」と、銀八はすらすら並べ立てた。
馬鹿にしてんのか、と眉をひそめた土方は、説明しようとして、最初から言葉に詰まる。ももたろう。「ばーさんが川で拾った桃が…割れて?いや割って?生まれた子供が鬼退治に行くんだよな?えーと、犬と…何かが一緒に…行く」と、目を泳がせながら言った土方に、「…犬と猿と雉な。ちなみに、だいたい『むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に行くと、川上から大きな桃がどんぶらこ、どんぶらこと流れてきました』くらいで始まるから。桃はたくさん流れてきて、一つ食べてみて美味かったからもっと流れて来いって念ずるパターンもあるし、ばあさんが甘い桃だけ引き寄せるパターンもある。擬音は『つんぶくかんぶく』なこともあるな。お前、絵本もそんなに読んでない口だろ」と、流れるように銀八が言うので、「それが試験と何か関係あんのかよ」と、イラッとした土方は思わず敬語を崩してしまった。
慌てて「関係あるんですか」と言い直してみたが、銀八は何を気にするそぶりも無く「大有りだ」と返す。「むしろそれしかねーだろ。『その時の筆者の心情を書きなさい』とか、真面目に考えても解けねーんだよ。こんなもん、出題者が何を求めてるか判断して適当にでっち上げりゃいいの。試されてんのは想像力なんだよ」と、続けた銀八は、「お前に欠けてんのはそれだ、土方」と、土方の額を突いた。
いてっ、と軽く呻いた土方に、「もうさあ、現文は捨ててもいいんじゃね?お前授業態度もいいし、ここが赤点で終わっても十段階で5くらいはやるって。そんくらいなら他で補えんだろ」と、銀八が教師らしからぬことを言うので、「ざっけんな、それが嫌だから今こうしてここまで来てんじゃねえか!教師なら何か解決策くらい提示してくださいよ!」と、土方が声を荒げれば、「土方、地が出てんぞ」と、銀八は言う。
ぐ、と言葉に詰まった土方の前で、「解決策…策ねえ…」と、銀八はがりがり頭を掻いて、「とりあえず本読め。実録じゃなくて物語な。お前が知らない世界のファンタジーだとなおいい。っつうか、まず童話?児童書?その辺りから攻めて見ろや」と、銀八が言うので、「んなもんどこで…」と、土方が戸惑ったように言うと、「あ?図書館でもどこででも、」と言いかけた銀八は、土方を一瞥して口を閉じた。
「…お前がその目付きで児童書コーナーにいたら、子供が泣きそうだな」と、目を反らした銀八に、「何なんだよさっきから、馬鹿にしてるんですか?!」と、土方は机を叩いたが、「そこで怒ると図星ですって言ってるようなもんだぞ」と、銀八はまるで堪えた様子もない。やるせなさに目を落とせば、嫌でも35点の答案が目に入って、土方はまたぐしゃり、と皺になりかけた紙を握り締めた。
今までどうにもならなかったことをこいつに相談しようとしたのが間違いだった、と、後悔しながら席を立とうとした土方は、「さすがに、ここで児童書を探すのは無理だしな」と言った銀八が、「仕方ねーから家来るか?」と続ける声に、「ハァ?」と思い切り間抜けな声を出す。「さすがに最近出たようなもんはねーけど、俺が読んできた本なら家にいくらでもあっから、読みに来るか」と、銀八がさらに重ねるので、「…先生の家に?」と、土方は繰り返した。
「持って来てやってもいいけど、ハードカバーは重いしな。お前が来る方が早い。これでも教師だからな、自分の言ったことくらいは責任持ってやるよ」と、銀八はにやりと笑って、「で、どうする?赤点のまま終わるか、子供泣かせながら図書館行くか、俺ん家に来るか」と、土方を見つめる。話が急すぎて良くわからないのだが、ともかく何か言わねばと、「今からですか?」と土方が尋ねれば、銀八は虚を突かれたような顔で、「お前が良ければ、良いけど」と返した。
見上げた時計は四時半を指している。「先生の家ってここからどれくらいですか」と、土方がノートと教科書と答案と筆箱をまとめながら言うと、「え?車で15分くらい…だけど、ほんとに今日?今から?」と、銀八が急に焦りだすので、「来週まであと何日だと思ってんですか、こっちは真剣なんですよ」と、土方は銀八を睨むように告げる。それはそうだね、と返した銀八は、がりがり頭を掻くと、「まあ、ボロくて汚い家だけど本だけはあるから」と言って立ち上った。

❤ ❤ ❤

白衣を脱いだ銀八は意外と普通だ、と言うどうでもいい情報を手に入れつつ、銀八が運転する車に乗った土方は、十六分で到着した日本家屋を前に、しばらく固まっていた。「何してんのお前」と、車庫に車を置いた銀八が土方を突くので、「先生の家って…コレ?でかくね?」と、土方が振り返れば、「狭くはねーけど、平屋だしボロいし冬は隙間風スゲーし、たいしたとこじゃねーよ」と、銀八は軽く手を振る。いやいやいやいや、と思いながら、そういえばこいつの家族って、と土方が様子を伺っていると、「だから、何だよその目。俺一人暮らしだし、そんな警戒すんなって」と、銀八は土方の背を家の中に押し込んだ。
おじゃまします、とおそるおそる足を踏み入れた土方をよそに、「半分くらいは使ってねー部屋だから、奥まで進めよ」と、銀八は先へ行ってしまう。締め切られた襖を見送りながら、土方が後に続けば、銀八は突き当りを曲がって、「ここ台所な。何か飲むか?」と、土方に尋ねた。「そういうの良いんで、本見せてください」と、首を振った土方に、「真面目だねお前」と、首をすくめた銀八は、「本もすぐだけど」と、台所を抜けた先の襖を開く。
と、そこは壁のほとんどが本棚になっていた。天井の高い日本家屋に、重厚な木目の本棚がびっしり並ぶ姿は壮観である。真ん中には卓袱台が一つあって、床にも卓袱台にも少しずつ本が積まれていた。「ここと隣が俺の部屋」と、本棚の隙間を縫うようにほんの少しだけ開いた襖の向こうは、さらに雑多な本の塔とジャンプの塔と敷きっぱなしの布団が見えて、「先生ここでしか生活してねーだろ」と、土方は呟く。
「わかる?」と、照れたような顔をした銀八に、「褒めてはいません」と首を振った土方は、改めて本だらけの部屋を見回した。「これ、全部先生の本なんですか」と、土方が尋ねれば、「俺の保護者から引き継いだもんもあるけど、今誰のもんかっつったら俺のだな」と、銀八は奥歯に物が挟まったような言い方をする。「今まで、先生がジャンプ以外の何かを読んでるとこなんて見たことないんですけど、これ全部読んでんですか」と、土方が言い募ると、「自慢にもなんねーけど、純粋に読んだ本の数で言えばこの三倍くらいはあると思うわ」と、銀時は答えた。三倍。
「…これって…千や二千じゃないような…」と、銀八を見つめた土方に、「一万ちょっとくらいはあんだろうな。目録も…しばらく更新してねーけど」と、銀八が答えるので、「いや無茶言うな」と、土方は思わず突っ込む。「は?何が?」と、首を捻った銀八に、「こんな本の山、一週間でどうしろっつーんだよ?!読む本を探すだけで終わるわ、むしろ探せずに終わります!」と、土方が噛みつくと、「だから言葉づかい」と銀八は指摘してから、「誰がお前に探させるっつったよ。見繕ってやるから、とりあえず何冊か読んでみろっつー話だよ」と、言いながら電灯の紐を引いた。
薄暗かった部屋が急に明るくなって、土方が目を瞬かせる間に、銀八は本棚に歩み寄って、「今までほとんど小説は読んでこなかったんだろ?じゃあやっぱ、エンデのやさしいのとかプロイスラーとか、グリムの薄いのとか、大きな森とかケストナーとかその辺から読んでみろよ。たぶんすぐ読めるから。で、慣れて来たらこっちのツバメ号とかシェパートン大佐とかグリーンノウとか、俺のおススメな」と、銀八はどんどん本を抜き取って土方の腕へ積み上げていく。
「ほんとは日本の作家の本を勧めてーんだけど、そうすると児童書がほんとの子供向けになっちまうからな、そういうのはこっちが終わってからそのうち」と、銀八がどんどん話を進めるので、「ちょ、待って、待ってください、重い!」と、土方は言った。「えっ?あ、そうだね、ゴメン」と、土方の腕に重ねた本を取り上げた銀八は、「とりあえず一冊読んでけ。お前にとって面白いかどうかはわかんねえけど、ともかく俺はこれを読んで育ったんだ」と、卓袱台の端にどさっと本を置いて言う。どこかから引っ張り出してきた座布団を敷いて、「まず、これな」と銀八が土方に差し出した本のタイトルは、『ジム・ボタンの機関車大旅行』だった。


(現代文だけ苦手な土方くんと本好きな銀八先生 / 3Z /坂田銀八と土方十四郎 / 130920)