自己再生の限界と他者修復の原点について

真冬の真夜中だった。隊服姿の土方が、共も付けずに歩いているところを見かけた銀時は、ちょうどコンビニで肉まんとあんまんとおしるこを買ったところだった。ひどく薄ら寂しい土方の後ろ姿に、この温かさを見せつけながら食ってやろう、と子供のような嫌がらせを思いついた銀時は、足を忍ばせて土方の後を追う。
土方の足取りは、とても軽いとは言い難いものだったので、全力ではない銀時の足でもすぐに追いつき、ニヤニヤしながら土方の前に躍り出た銀時は、瞬間、抱えていたビニール袋を放り出して木刀を引き抜いた。間髪入れず襲った真剣を受け止めて、銀時の腕はびりびりと痺れている。真正面から眺めた土方の半身はひどい有様だった。
「テメェか。紛らわしい真似すんな」と、血と脂の浮いた真剣を何事も無かったかのように鞘へと収めた土方が、そのまま歩き出そうとするので、「ちょ、ちょっと待てェ!善良な市民に斬りかかっといて侘びも無しか?!人の夜食まで台無しにしといて!」と、銀時は無残に零れたおしること、砂にまみれた肉まんを指す。究極に餓えていたらわからないが、さすがに今は拾って食べる気にもならない。
面倒臭そうに銀時を一瞥した土方は、舌打ちの一つも無く上着のかくしを探ると、財布から万札を取り出して、銀時の袂に押し込んだ。文句はねえだろう、とばかりに銀時の胸を叩いて、土方はまた歩き出す。屯所へ向かっているのだろうが、ここはかぶき町のど真ん中だ。屯所まで、急いでも二十分はかかる。そもそもどうして、こんな時間にふらふら歩いているのだ。真撰組の副長ともあろうものが、共も付けず、抗争の後を消しもせずに。
だからちょっと待て、と肩を掴めば、「これ以上は強請りでしょっ引くぞ」と、普段の三割増しに開いた瞳孔で土方が言うので、「つーかテメーが通報されるわ、んな格好で出歩いてっと」と銀時は返して、己が巻いていた青いマフラーをくるりと解く。千円で買った人工カシミヤではあるものの、それなりに気に入っていたんだが、と思いながら、銀時は躊躇いなく土方の顔にマフラーを押し付けて、ぐいぐい血を拭った。力任せに擦っていれば、当然のように抵抗した土方が銀時の手を掃い除けるが、乾き切っていなかった血は一応マフラーに移っている。
「何しやがる」と、銀時を睨み付けた土方に、「生憎手ぬぐいなんつーもんは持ち合わせてなくてよ」と銀時は飄々と返して、血塗られたマフラーを丁寧に畳んだ。明日は燃えるごみの日だ。「あとは首の布さえどうにかすりゃ、真っ黒だからわかんねえだろ」と、銀時が続ければ、土方は無言でスカーフを外してポケットにしまいこむ。外気に晒された首元に傷痕は見えず、隊服のどこも傷ついていないところを見ると、これはすべて返り血だと思って良いのだろう。
なんとなくほっとした銀時の前で、はー、と溜息を吐いた土方が、「それは今度代わりを届けさせる。さっさと帰れ、辻斬りが出る前に」と言うので、「辻斬りに狙われてんのはテメーだろ。もう一枚くれたらスクーターで送ってやるけど?」と、銀時が万札をひらひら揺すると、いらねーよ、と土方は返し、「今夜は歩きてェ気分なんだ」と残して、踵を返した。
わからなくもなかった。何があったかは知らないし、知りたくも無かったが、人を斬った後に訪れる言い知れない寂寞と高揚は銀時にも覚えがある。こんなところまで似ているのか、と思った銀時が、三度土方を引き留めれば、「何なんだテメーは」と、土方はさすがに焦れた顔で銀時を振り払った。どうしたい、と言う思いも無かった銀時が口籠ると、土方は疲れたような顔で溜息を吐いて、財布からもう一枚万札を掴みだす。
「もういいから、さっさと乗せてけ」と、土方が言うので、銀時はぶんぶん頷いて、そこからほど近い万事屋に取って返した。土方は歩いて行ってしまうかもしれないが、バイクでならすぐ追いつける。案の定、元の場所にはいなかった土方をタンデムで屯所まで送り届ければ、煌々と明かりのついた屯所からすぐに隊士が飛び出して、土方を浚っていった。名残惜しいわけでもないが、銀時がなんとなく土方の後姿を見つめていると、ちらりと振り返った土方が軽く手を上げるので、銀時は思わず手を振り返してしまう。
何事も無かったように屯所の門が閉じたところで、「なんか顔、熱…」とスクーターに突っ伏した銀時は、ほとぼりが冷める様に、とかぶき町までスクーターを押して帰った。
後日、土方の名で送られてきた淡い空色のマフラーが本物のカシミヤだったので、銀時は黙ってマフラーを広げて、顔に押し当てる。あきらかに新品のそれから、土方の匂いがする筈もない。そもそも、土方の匂いなど知らなかった。吸い続ける煙草と、マヨネーズと、「血の、」匂いがするのだろう。

そこで辻褄が合ったような気がした。

それまで銀時は、土方のことが嫌いだった。
斬り合いか、花見か、幽霊か、スナックか。どこでどうとち狂ったか知らないが、土方と顔を合わせる機会が増えるたびに、ひどく落ち着かない気分になった。初めはただ、馬が合わないだけなのだろうと思い、土方を避けてやり過ごそうとした。しかしそれは何の解決にもならず、むしろ銀時が絡もうとしなければ視線すら合わない土方に愕然とするだけで終わった。
そこへ来てようやく、銀時は土方にとっての銀時が『どうでもいい人間』だということを嫌と言う程悟った。冗談ではない、と思った。銀時にとって、土方はどうしても気に入らない人間だった。嫌いだったのだ。反らされる以前に、目が合うことすらないその態度が許せないほどに。

けれども、このマフラーはなんだ。土方が選んだとは思えない。どうせその辺の隊士か、いいとこ山崎あたりにでも言い付けて適当なものを見繕わせ、宛名だってきっと店で書いてそのまま送らせたに違いない。土方の筆跡など知りはしないが、どう考えてもこの優しい女文字が、あの土方の手によるものだとは思えなかった。その程度のことだ。土方にはその程度の、毛ほども痛くは無い懐の、そんなもので終わる話だった。血染めのマフラーはためらいなく捨てた銀時が、こんなマフラーに土方の匂いを想像するなど、正気の沙汰ではない。銀時の背には、あれから何日たっても土方の体温がこびりついているのだから。

嫌いだったのではなく、執着していたのだ、と気づいてからは、むしろ進んで土方に絡むようになった。どうせ何とも思われていないのだ。嫌われるくらいでちょうどいい。不快なものとして視界に入る方が、あるいは目を反らされる方が、無いものとして扱われるよりよほどマシだった。
ちょっかいを掛けるようになってから、銀時には生傷が増えた。土方が平気で真剣を抜くからである。さすがにどうよ、と不毛な戦いで快楽を得ることは無い銀時は何度か肝を冷やしたが、これはこれで土方のコミュニケーションなのだと、土方がひどく楽しそうに刀を振るう姿に無理やり自分を納得させた。決してMに転向したわけではない、と誰にともなく言い訳しながら。
傷を理由に、酒を奢らせることがあった。土方自身は不承無精、と言う態度だったが、むしろ近藤が快く送り出してくれた。熨斗付けてくれてやりまさァ、とは沖田の談で、貰っても困るけど財布ごとくれんなら貰っとく、と銀時は返す。飲みの席でも、大したことを喋りはしなかった。そもそも、銀時に人に語れるような何かが無いし、それは土方も同じだった。
ほぼ無言の二人飲み会は、けれどもどういうわけか気まずくもなく、土方も飲み始めてしまえば嫌がりはしなかった。それだけ銀時がどうでもいいのか、酒さえ飲めればそれでいいのか、わからなかったが、どちらも正しい気がする。どうでも良いととても良いは良く似ている。そのあたりで銀時はわからなくなって、酒を水に切替えると、土方の横顔を眺めることに専念した。マヨネーズを舐めながら酒を飲む土方の顔は、酔っていても男前だ。マヨネーズが付いていても男前なんておかしいんじゃないのか。少しわけろ。もしくはこっち向け。
そうやって銀時自身はほろ酔い程度に留め、べろべろに酔った土方をおぶって屯所に送り届けること数回、銀時の背で「テメーももっと飲め」と囁いた土方の声は、ずくりと銀時の下半身を射抜いた。やっぱりそういう方向性なのか、と土方に対する執着の着地点を見定めた銀時は、土方を揺すりあげると、屯所ではなく万事屋に連れ帰る。その方が近かったのと、単純に手放すのが惜しくなったからだった。
気崩れた着流しもそのままに、万年床へと土方を転がした銀時は、しばらく隣に座って土方の寝顔を眺めていた。居酒屋で一度吐いたが、それ以降はおとなしくなったので、この健やかな寝顔はおそらく朝まで続くだろう。そうあって欲しい。こんな夜くらいは、土方も安らかに眠るべきだ。銀時は、土方が銀時に斬りかかる理由を、たぶん知っている。人を斬った後に、殺しても死なない相手が隣にいるのは幸せなことだ。沖田にとっての土方がそうであるように。
眠る土方から血の匂いはしない。けれども、死の気配は色濃く残る。土方が銀時の誘いに乗るのは、いつだって土方の捕り物が終わった夜だ。銀時には土方の気持ちがわかるような気もするが、その寄る辺なさは土方だけのものである。銀時は、土方を見ている。見ているから気付くのだ。銀時を見ない土方にはわからないだろうが。
ほんの少し土方が身じろいだところで、銀時は土方に布団を掛け、自身は毛布一枚でソファに寝転んだ。万事屋では、どこにいても人の気配がする。たとえ神楽や新八がいなくても、階下の足音だって銀時には聞こえるのだ。当然のように届く土方の寝息が規則正しいことに安堵しながら、銀時は目を閉じた。

翌朝の目覚めは最悪だった。おい、と地の底を這うような声とともにソファから蹴り落とされた銀時は、仁王立ちの土方の手に抜き身の刃があることを見てとって、瞬時に身を返す。ざく、とそれまで銀時が寝ていたソファに斬り込んだ刀身は、刃毀れ一つなく銀色に光った。
「だっ…から、プラプラプラプラ刀振り回すんじゃねえっていつも言ってんだろーが!!つーかこれ備品!俺は治るけど、ソファに自動修復能力はねーんだよ、勘弁しろよ!」と、木刀を掴みながら銀時が叫べば、「だったら黙って斬られろや、自動修復能力付きのクソ天パ」と、土方は面倒くさそうに刀を構える。狭いところで刀を振り回すのは本当に止めて欲しい。こうなるかもしれない、とわかっていて連れ込んだ銀時にも半分責任はあるが、そうなって欲しかったわけでもない。ああくそ、と銀時が木刀を握る手に力を込めたところで、「おい、うるせーヨマダオ共。何時だと思ってるアル」と、不機嫌そうな声とともに神楽ががらりと引き戸を引いた。
マダオ扱いが気に触ったのか、銀時と同列に扱われたのが不満なのか、土方はかちんと刀身を鞘に収めると、「電話借りるぞ」と、銀時に五百円玉を投げてよこす。勢いを殺さずに、「神楽ァ、駄賃」と銀時が入り口に向けて小銭を弾き飛ばせば、神楽はガシっと小銭を受け止めると、「返さねーからな!」とすぐさま廊下を駆けていった。押し入れを開ける音がしたから、きっと枕の下にでも隠しておくのだろう。一週間忘れていたら回収してやる、とみみっちいことを考えた銀時は、土方が屯所に電話をかけて迎えを呼ぶ声を聞くともなしに聞いていた。
「朝飯食ってく?」と、まだ何の支度もしていない銀時が尋ねると、「いらねえ」と予想通り土方は首を振って、銀時が寝ていたソファに腰を下ろす。そこ、綿出てますけど、と濁った眼で銀時が土方を見下ろしていれば、土方は当たり前のように煙草を取り出して、流れるような手つきで火を付けた。「ん」と、土方が要求するので、銀時は仕方がなく机の引き出しからごついガラスの灰皿を取り出す。「人を殺せそうだな」と、灰を落としながら言った土方に、「こんなもんで人を殴んのは、斬るより怖ェよ」と、銀時が答えれば、「そうだな」と、珍しく土方は銀時の言葉を肯定した。
隣に座ろうとしたら蹴飛ばされたので、面倒になって床に落ちたまま土方を見上げた銀時は、「そういうふうに生えんのな」と、僅かばかり延びた土方の無精髭を指す。ああん?と顎を擦った土方が、「それがどうした」と返すので、「別にどうもしねーけど」と、銀時は土方を見つめたまま答えた。どうもしない。ただ、朝になれば髭が生えるような相手に欲情したのだなあ、と言う事実を改めて噛みしめているだけだった。
間もなく屯所からやってきた車は、土方を乗せてぐんぐん遠くなっていく。かぶき町の早朝は、静かすぎて少しばかり物悲しい。何の約束もしなかった銀時は、でも、土方がその内ソファを張り替える金をくれることを知っていた。

翌週、土方はソファの張り替え費用では無く、ソファ自体を送ってくれたらしい。らしい、と言うのは、その時万事屋全員が吉原で寝込んでいて、とても受け取れる状態ではなかったからだ。夜兎である神楽と、異様に頑丈な銀時はともかく、新八の怪我は早々治らず、結局銀時が万事屋へ帰ってきたのはそれから三週間後だった。ようやく歩けるようになったばかりの新八は、引き続き恒道館で養生することになり、新八の傍を離れたがらない神楽も一緒に、妙の世話になっている。食事については、三食吉原の伝手で届けてもらうことになった。神楽の食費を言い訳にしたが、もちろん二次災害を生まない為の策である。
誰もいない万事屋の玄関に挟まっていた不在票を取った銀時は、見慣れない送り先に首を傾げて、一応再配達を依頼してみたが、残念ながら配送期間を過ぎて、物は送り先に戻っていた。中身は家具だ、と言うことを聞いたところで、土方を思い出した銀時は、しばらく考えてから屯所の番号を回す。電話に出た誰かへ、「万事屋ですが、土方君いますか」と気安く声を掛ければ、長い保留の後ですげなく電話は切れた。
特に気にもせず、銀時が電話の前で待っていると、程なくしてベルが鳴るので、「はァい、万事屋です」とやる気なく受けると、『何か用か』と、電話口から土方の声がする。「今帰って来たんだけど、お前家に何か送ってくれた?」と銀時が尋ねれば、『自動修復能力のねえもんだ』と、土方は苦々しく言った。やっぱり、と頷いた銀時が、「もっかい送ってくんない?」と重ねると、『次は受けとれんのか』と、土方は返す。「俺がいなかったらババアに受け取ってもらうよう頼んどくわ。お前もそう言っといて」と、続けた銀時に、『最初からそうすりゃよかったな』と土方は言って、電話は終わった。
ふー、と息を吐いて、綿の出たソファへ横になった銀時は、顔の上で指を組んで目を閉じる。久しぶりに聞いた土方の声は、いつもと変わらなかった。それがたまらなかった。お互い、いつ死んでもおかしくない生き方をしている。望むと望まざるとに関わらず、そうやって生きて行くしかないのだろう。たとえば土方が真撰組を辞したとして、江戸のどこかで、あるいは故郷で、妻子に囲まれて生きる姿など想像もつかない。
というのは嘘で、いつでも考えている。土方が妻子を持つ上で、土方が真撰組であることは、何の障害にもなりはしないのだ。土方だけがそれを頑なに拒んでいる、と言うことが最後の砦になるだけで。銀時は、土方が愛した女を知っている。愛した女の最期まで知っている。振り払ってまで守りたかった愛の最期があんな風だなんて、きっと土方も思いはしなかっただろう。土方の心の一番やわらかで優しい部分に、きっと彼女がいる。
そこに触れてみたいとは、さすがに思わなかった。銀時は土方にとって優しい存在ではない。ただ、都合が良いだけの人間だ。ぶん殴っても斬りかかっても殺意を向けても壊れない、頑丈な玩具のようなもの。それも、あれば使うが無ければ無いでどうということも無い程度の。
土方にぶん殴られても死にはしないが、先日、銀時は確実に死にかけた。ギリギリのところで渡り損ねた川の水の冷たさまで感じたような気がする。川の向こうで先生が手招いていたら危なかったかもしれない。だからどうというわけでもなかった。土方への執着を自覚してから今まで、そんなことは何度もあった。だから本当についさっきまで、銀時は土方のことなど思い出しもしなかったのだ。日を開けて六枚溜まった、宅配の不在連絡票を見るまで。
土方は、あれはあれで義理堅い男だ。傍若無人であることも確かだが、それだけではない。常日頃からどうしようもない上司と部下に挟まれているからだろうか、器用貧乏の苦労性で、いつだって尻拭いに奔走している。そのくせ人に迷惑をかけるのも得意なのだから、始末に負えない。
寝返りを打った銀時は、ソファからはみ出した綿をそっと撫でる。実のところ、ソファに穴が開くのは初めてのことではない。こんな傷くらいはずっと、銀時が針と糸で修理していたのだ。それはあんまりだとしても、いきなりソファ送ってくる人間などそうはいないだろう。少なくとも、銀時の周りにはいなかった。何度も配送依頼をかけるくらいなら、一度銀時に連絡を取れば良かったのに。
「…っても、一ヶ月いなかったしな」
呟いた銀時は、またごろりと寝返りを打って、ソファの背に額を擦りつけた。土方は、万事屋の不在をどう理解しているのだろう。吉原の屋根が落ちたことはもちろん知っているだろうが、そこに銀時の存在があることは知っているだろうか。知っていたら、ソファを送りつけはしなかっただろうか。何度も寝返りを打った銀時は、とうとう床に滑り落ちて、なんとなく溜息を吐いた。だからどうということもない。確かなのはその内ソファが新しくなることと、銀時がまだ生きていると言うことくらいだった。
あーあ、とやる気のない溜息を吐いた銀時は、緩慢な動作で立ち上がる。こんな日は、一杯引っ掛けて寝てしまうしかない。財布は軽いが、歩いていれば誰かしら捕まるだろう。何しろここはかぶき町で、吉原ではないのだから。

同じ夜の街でも、かぶき町と吉原とではやはり匂いが違う。深く息をする場所ではないのはどちらも同じだが、やはり銀時には、吉原の淫靡な香りよりも、かぶき町の薄ら暗い匂いが性に合っていた。明けない夜は無いのだと言うところも。袖を引かれたり声を掛けられても、なんとなく店を決めかねていたのは、感動の薄い銀時でも、それなりにかぶき町を懐かしんでいたからだろうか。薄汚れた縄のれんも赤ちょうちんもネオンサインも、今日は飛び切り美しく見えるのだから、銀時も単純だった。
浮かれていた銀時は、「おい」と不意に後ろから襟首を掴まれて、たたらを踏む。ひっくり返ることは無かったが、単純に苦しくて、「っなに?何すんの、土方」と、振り返らないまま銀時が声の主に尋ねれば、「テメーこそ、何ふらふら出歩いてやがる」と、土方の声は厳しい。とにかく一度離してくれ、話はそれからだ、と、どうにか土方の手を逃れた銀時が、襟を正して土方に向き直ると、土方は隊服姿に仏頂面で銀時を睨んでいる。
「えーと、こんばんは」と、銀時が片手を上げると、土方は銀時の挨拶を無視して、銀時の胸倉を掴んだ。土方が喧嘩腰なのはいつものことだが、刀を抜かないまま暴力に訴えるのは珍しい、と銀時が木刀を抜くタイミングを計っていれば、土方は銀時の胸元を覗き込み、袖を通した着流しを捲り、最後に銀時の前髪を掻き上げて離れて行く。
ふうん、と鼻を鳴らした土方がそのまま踵を返そうとするので、「ちょっ、待って、何今の?何か意味があった?」と、銀時が土方の腕を掴むと、「意味なんかねえよ。ねえんだろ、いつだって」と、土方は含みのある言葉を返した。普段、無意味に土方の身体を覗き込むのは、銀時の方である。もちろん本当に意味が無いわけではなく、土方に新しい怪我が無いか確認するための行為なのだが、まさか土方は銀時と同じことをしたのだろうか。
「えっと…刺さったり切ったり打たれたり折れたり裂けたりしたけど、一応もう治ってて…」と、銀時が言えば、「だからどうした」と、土方は銀時の腕を振り払う。「だからもうふらふら出歩いても平気だっつー話なんだけど、お前まだ仕事?」と、銀時が重ねると、「今終わった」と土方は返して、いきなり上着を脱いだ。ベストとスカーフも取って、シャツのボタンをひとつふたつ外した土方は、「行くぞ」と、銀時を促す。「奢り?」と銀時が土方に並べば、「本当はテメーが持つところだろ」と、土方は言った。
一瞬息を呑んだ銀時は、でもすぐに笑みを浮かべて、「残念ながら、しばらく食うには困らねーけど金はねーんだよ。ソファ来たら金に換えていいか」とろくでもないことを口にする。「換えてもいいが、古い方の回収も込みだっつーことは覚えとけ」と、咥え煙草に火を点けながら土方が言うので、「あー、じゃダメだな、次お前が来たときに俺が寝る場所が無くなっちまう」と、銀時は土方の唇から煙草をさらった。
おい、と土方は銀時を射殺すような眼で睨んだが、銀時は気にしないまま、煙を灰まで落として吐き出す。三回ほどそうしてから、「もういいわ」と、銀時が土方の指に煙草を戻すと、「携帯灰皿も持たずに路上喫煙とはいい度胸だな」と、土方は言った。「突っ込むとこそこか?本当にそれでいいのか?」と、銀時が言い募れば、「なんて言って欲しいんだ?」と、逆に問いかけられて、言葉に詰まる。
黙り込んで、手持ちぶさたに見上げた空に掛かる月は、満月に少し足りなかった。陽の光は吉原でも目一杯拝んできたが、月を見るのは久しぶりである。「宵待月だな」と、銀時が呟くと、「馬鹿、もう十六夜だ」と、土方はぶっきらぼうに言った。あれ?と首を捻った銀時を置き去りに、土方はどんどん先へ行ってしまう。満月はもう過ぎてしまっていたようだ。
小走りに土方を追いかけながら、「なあ、俺、今度お前にお天道様を紹介したい」と銀時が言うと、「テメーの天パがどうしようもねえのはもうわかったから、せめて俺にわかる言葉で喋りやがれ」と、土方は返す。「そこ天パ関係なくね?人の身体的欠陥をあげつらうのは人としてどうかと思うよ」と、言いながらゆるく笑った銀時は、「キレーなお天道様なんだよ。今夜はアレだけど、またいつか」と続けて、土方の返事を待った。ふー、と深く煙を吐いた土方が、「お日さんだけじゃなく、お月さんもいるらしいな。ま、悪くはねえか」と答えるので、「だろ」と銀時は軽く土方の背を叩いた。
今夜の土方から、血の匂いはしない。それが無性に嬉しくて、こらえきれずに銀時が笑い声を落とすと、「飲む前から酔ってんじゃねえよ」と、土方は呆れたように銀時の背をどやしつける。ん、と頷いた銀時が、「じゃあ今夜は土方に送ってもらえるくらい飲むことにします」と宣言すれば、「鍵が開かなかったら入口に捨てて帰るからな」と、土方は返した。大丈夫、いつも鍵は開いてるから、と銀時は心の中で呟いた。


(ごちゃごちゃ考える銀さん / 坂田銀時と土方十四郎 / 130918)