10.屋台のラーメン

月の夜だった。一仕事終えて手間賃の入った銀時は、何か食って帰ろうか、とかぶき町をふらついていたが、ふと見上げた店の三階に、見慣れた顔を見つけて足を止める。銀時が気付くのと同時に、見知った顔も銀時を見とめて、一瞬固まった。
さっと目を反らした銀時は、その店が『泡っ娘倶楽部二号店』という名のソープランドであるという事に気付いたところで一目散に逃げだしたのだが、「違う!待て!誤解じゃ!!」と後ろからクナイが飛んでくるので、「大丈夫、俺何も見てねーから!テメーがとうとうそっちにデビューしたことなんてなんとも思ってねーから!!女の歓びに目覚めんのも悪いことじゃねーよ!!」と、走りながら叫ぶ。
「見とるじゃろーが!!あと違うわ、デビューしとらん!ただ移転の準備に駆り出されとっただけじゃ!!」と、叫び返した月詠は、あっという間に追いつくと、顔を真っ赤にして銀時の襟を掴んだ。全速力に近かった勢いを殺された銀時が、ぐえっ、と声を漏らしながらひっくり返れば、月詠は銀時の顔を覗き込んで、「大丈夫か?」と眉を潜める。
いやテメーのせいだろ、と喉を押さえながら起き上った銀時が、「お前さあ、そのすぐ暴力に訴える癖何とかしてくんない?誤解なら誤解でいーだろが」と恨み事を漏らすと、「いや、ぬしはどうせないことないこと言いふらすに決まっとるからな、災いの芽は早めに摘んでおかねば」と、月詠は真顔で言った。
「摘むって何、殺すってこと?俺そんなことで殺されんの?!どんだけ信用ねーんだよ、たとえお前がほんとに嬢でも普通に言わねえよ、つか言えねーよ」と、銀時がぶんぶん首を振れば、「だったらなぜわっちを見て逃げたんじゃ」と、月詠がぎゅっと眉を顰めるので、「それは、アレだ、ソープ行って姉ちゃんとか妹とか身内が出てきたらぎょっとすんだろ、そういう感覚で」と、銀時は頬を掻く。
月詠の視線が絶対零度になるのを感じながら、「まあ、なんだ、違うんならそれでいいじゃねーか。お疲れさん、仕事がんばれよ」と、銀時が立ち上がれば、「仕事はもう終わりんした。帰るところだったから、こうして追ってこれたんじゃ」と、月詠は銀時の着流しの埃をぱたぱた掃いながら言った。
「へえ」と返した銀時が、少し考えてから、「お前、飯食った?」と尋ねると、「いや、昼から目が回るほど忙しくてな。吉原へ戻ったら何か抓もうかと」と、月詠が言う。あそ、と頷いた銀時は、「なら飯食いに行くぞ。誤解の侘びに、奢ってやる」と、銀時は月詠の背を叩いた。
は?と目を丸くした月詠が、「ぬしに奢ってもらう程、わっちは落ちぶれてはおらんぞ」と、やはり真顔で言うので、「テメーが小金溜めてんのは知ってっけどよ、銀さんだって今日はちょっと真面目に働いてきたの、ラーメンの一杯くらいは奢れんの」と、銀時はさっさと歩き出す。三歩ほど歩いて、「無理にとは言わねえけど?」と、銀時が肩越しに振り返れば、「…わっちはチャーシューメンがいい」と返して、月詠は銀時に並んだ。
「お前な、ちったぁ遠慮しろよ。チャーシューメンはだいたい普通のラーメンの200から300円増しだぞ?300円あったら餃子も付けられんだぞ?」としみったれたことを言った銀時に、「だったら餃子とビールはわっちが奢ってやろう」と月詠が譲歩するので、銀時はびくっと体を震わせて、「ビールよりソフトクリームにしねえ?ラーメン屋って、なんでソフトクリーム一緒に出してるとこが多いんだろうな」と、額に尋常ではない汗を浮かべつつ提案する。
ふ、と笑った月詠が、「ぬしは本当に甘いものが好きじゃな」と誤魔化されてくれたようなので、銀時は汗を拭いつつ、「お前だって嫌いじゃねえだろ」と、手近なラーメン屋の暖簾をくぐった。月詠のチャーシューメンから三枚ほどチャーシューを分けてもらったおかげで、銀時の味噌ラーメンはいつもよりずっと豪勢だった。


(月詠と坂田銀時 / 130911)