05.おにぎり

ぱち、と目を覚ました銀時は、知らない天井と、何より柔らかい布団の感触に、しばらく身を強張らせていた。数回瞬きして、意識が覚醒するとともに、昨日、数日ぶりの食物を口にしたことと、それが饅頭だったこと、その持ち主が酔狂にも銀時を連れ帰って、風呂に入れてくれたことを思い出す。湯に浸かってからの記憶がないのは、そこで気を失ったからだろうか。いつぶりかもわからない熱い風呂には、それだけの価値と衝撃があった。
そっと腕を持ち上げて見れば、新しくは無いもの、こざっぱりとした着物を着付けられているのがわかる。あのばーさんが言っていた旦那のものかもしれない。しばらくそうしていた銀時は、がらり、と音を立てて開いた襖に向かって少しばかり身構えたが、「起きたかい」と入ってきたのが昨日の老女だったので、緊張を解いた。
肘をついて起き上がろうとすれば、「まだ寝てることだね。骨と皮じゃないかィ、あんた」と、老女はそっけない口ぶりで言う。じろり、と銀時を見下ろす老女の視線は鋭く、銀時はなんとなく似ても似つかない松陽の顔を思い出した。夢に見るような首だけの松陽ではなく、銀時の手を戦場から引いて帰った、あの頃の。
何か言いたかったが、何を言っていいかわからずに、銀時がじっと老女を見上げていれば、「名前は」と老女は尋ねる。「さかた、…坂田銀時」と、一瞬裏返った声を押さえて銀時が答えると、「立派な名前じゃないか」と、老女は頷いた。「あたしはお登勢。ここ…かぶき町でスナックをやってる。たいした店じゃないがね、あんたみたいなガキの一人くらい、養えないことはないよ」と、老女が言うので、銀時は枕の上でぶんぶん首を振る。これ以上世話になる気も無い。
何より銀時は、戦場から逃げてきたのだ。どこから追手がかかるかもわからない。『護る』と言った舌の根も乾かない間に、登勢を危険にさらすわけにもいかなかった。登勢の制止を振り切って、身体を起こせば、身体の節々が痛かったが、だまして歩けないほどでもないだろう。今までずっとそうしてきたのだから。
「世話になったな、ばーさん」と、言いかけた銀時の声は、しかし、盛大な腹の音にかき消された。かあっ、と頬を染めた銀時に、少しばかりおかしそうな顔をした登勢が、「食事くらいして行っても罰は当たらないんじゃないかい」と言うので、「…おにぎり」と銀時は呟く。
「うん?」と、首を傾げた登勢に、「梅の入ったおにぎりが食べたい」と銀時が訴えれば、「おやおや、出ていくと言ったり、食事に注文を付けたり、うるさいガキだねえ。饅頭の片もまだついてないんだ、黙って出て行ったりしたら承知しないよ」と言い置いて、登勢は部屋を出て行った。
よろり、と起き上がった銀時は、昨日まで来ていた服を探したものの、どこにも見つからない。薄汚れていた自覚はあるので、捨てられていても文句は言えなかった。ただ、刀だけは部屋の隅に立てかけてあって、銀時はほっとする。刀を握って安心するなど、子どもの頃に戻ったようだった。あの刀はどこへ行ってしまったのだろう。戦の中で、松陽と一緒に失くしてしまった。
はー、と溜息を吐いたところで、「寝てろって言っただろうに」と、開け放したままだった襖の向こうから登勢が呆れたように声を掛けるので、「名前以外、聞かなくていいのか」と、銀時は返す。「顔を見て呼ぶ名前があって、他に何が必要さね」と、銀時におにぎりの乗った皿を手渡しながら登勢は言った。
「あいにく梅干しを切らしていてね、こっちが昆布で、こっちが明太子だ。梅が食いたきゃ明日作ってやるから、しばらくここで養生するんだね」と、登勢が言うので、「いい」と銀時は首を振る。「これでいい」と言った銀時は、きれいな三角に握られたおにぎりを掴んで、がぶりと噛んだ。塩と、米と、遅れて紫蘇風味の昆布の味がする。味がわかる。
「せめて座って食べたらどうだい」と、苦言を呈した登勢だったが、銀時がおにぎりを噛みながらぼろぼろ涙を流し始めるので、「…塩気を足す必要はないんだよ」と、少しばかり柔らかい口調で銀時を窘めた。うん、と頷きながら、銀時はぺたりと畳に座って、刀を抱いて、握り飯を平らげる。最後に、登勢が持たせてくれた茶を啜って、ようやく人心地付いた銀時は、「ここで生きていく方法を知りたい」と、登勢に告げた。
刀を握らずに、生きていくための方法を。


(お登勢と坂田銀時 / 130909)