滔滔:02

劇場銀魂完結篇のネタバレを含みます
ラフな話です

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人工的な熱帯夜を何とか乗り切った翌朝、湿った布団で眠り続ける白夜叉の頭を蹴とばし、執拗に腰を抱こうとする厭魅を引き剥がしながら、(アレ、もしかして今一番弱いのって俺か…?)と銀時は益体も無いことを思う。「新八たちが来る前に起きてシャワーくらい浴びとかねーと、あいつらほんと容赦ねーんだよ、お前も汗臭いとか薄汚れた毛玉とか言われたくねーだろ?」と、なおも布団に潜ろうとする白夜叉の髪を抓めば、「なんで今の俺はそんなガキ共と仕事してんの」と、眠たげな声が返って、「なりゆきだよ、仕方ねーだろ」と、銀時はまた白夜叉の頭を張り飛ばした。ガキと言うが、白夜叉の銀時と新八はそう年も変わらない。せいぜい一つか二つ、三つは離れていないだろう。ガキが粋がって戦へ行き、そして世界の明暗まで分けてしまった。今考えれば恐ろしい話だ。
「飯にすっから、お前ら顔洗ってこいよ」と、ぐしゃぐしゃ髪を掻いた銀時に、「俺がするから、お前らはシャワーでも浴びて来い」と、厭魅は言う。見れば、厭魅はすでに寝巻を脱いで、勝手に取り出した普段着を身につけている。インナーのファスナーを喉まで上げて、着流しにも両袖を通したのは、呪印を隠すためだろうか。それでも顎の縁まで這う忌み語はどうにもならず、厭魅はゆるりと顔を撫でた。「ずいぶんやる気じゃねえか」と、銀時が首を捻れば、「あいつらがいつ来ても良いようにな」と、厭魅は笑う。その顔がずいぶん高揚しているので、つられて頬を染めかけた銀時は、「おい、いくぞ」と白夜叉の襟元を掴んで風呂場に向かった。生ぬるいシャワーを浴びながら、銀時はごしごし顔を擦る。昨夜の涙の痕も、汗と共に流れていくように。
風呂上がり、銀時は白夜叉の為にもう数年使っていなかった袴を引っ張りだす。洋装に慣れるまで、しばらく時間がかかったことを覚えている銀時の、それは思いやりの様なものだったのだが、「なんかカビくさくね?」と言う白夜叉の一言で思いやりはあっさり打ち砕かれた。「これでいいよ、楽だし」と、結局流水を染め抜いた着流し一枚に落ち着いた白夜叉に、「どうでもいいけど、刀持ってふらついてると瞳孔開いたポリ公にしょっぴかれっからな。持つならこっちにしろ」と、銀時は予備の木刀を放る。「良くわかんねーけど、面倒な時代になったんだな」と、【洞爺湖】の文字を指でなぞった白夜叉は、「先生が言った通りに」と小声で付け加えた。いずれ侍の時代は終わる。戦が無くなれば、剣よりも学問が生きる。そう教えてくれたのは松陽だった。それでも斬ることしかできなかった銀時は、身につまされるような思いがしたものの、いまさらどうしようもない。「…汗に変わっちまう前に、ちゃんと拭けよ」と、白夜叉の頭にバスタオルを乗せた銀時は、和室の窓にばさりと湿った布団を干した。三人分の寝汗を吸ったシーツと、寝巻と寝巻代わりの着流しは、厭魅が洗濯機に入れてくれている。ちょっと楽かもなァ、と銀時が洗濯機を回し始めたところで、がらりと玄関が開き、「おはようございます」と、のびやかな声が聞こえた。
「おう新八、はよ…」と、風呂場から顔を出した銀時の声は、その前にかけ出していた厭魅に遮られて、どこにも届かない。新八よりも先に玄関で靴を脱ごうとしていた神楽に、厭魅は必至で腕を伸ばす。「神楽」全身で神楽を抱きしめた厭魅の声があまりにも深いので、「銀ちゃん?」とおそるおそる声をかけた神楽に、厭魅は「やっと届いた」と、絞り出すように言った。少しだけ顔を上げた厭魅は、戸惑う新八を手招き、神楽ごとぎゅうと抱きしめる。「く、苦しいです、銀さん」と、新八は少しばかりもがいたものの、厭魅の様子が尋常ではないので、無理に抜け出そうとはしなかった。しばらく様子をうかがっていた銀時は、味噌汁が沸騰しはじめたところで台所に向かい、ガスの火を細くする。そうして、「もういいだろ、そいつらは消えねえし、お前も死なねえよ」と、銀時が厭魅に声を掛ければ、「夢みてーだ」と、震える声で厭魅は返した。神楽と新八の温かさは、銀時が一番良く知っている。「早く上がれよ。飯にするぞ」と、厭魅の肩越しに神楽と新八の頭を撫でた銀時は、厭魅の腕を掴んで、「お前も」と促した。素直に神楽と新八を離した厭魅は、それでも名残惜しそうにふたりをながめて、最終的に外で尻尾を振っていた定春に飛び付く。鼻先で撫でまわされ、両前足で押し倒され、挙句の果てにがっぷり咥えられて振り回されてなお楽しそうな厭魅に、銀時は呆れたような目を向けたが、それも一瞬のことだった。
飯をよそい、焼きあがった鮭を皿に盛り、茹でたブロッコリーを添え、茄子と油揚げの味噌汁をすくい、神楽のために生卵をつけ、ついでに昨日の残りのカレーも出して、万事屋の朝食である。すぐにでも手を出そうとする神楽と、何か聞きたそうな新八を制し、「おい、飯だぞ」と、銀時は和室に声をかけた。一瞬間を開けて、からりと開いた襖の向こうで、白夜叉は所在なさげに目を伏せている。そう言えばこの頃は少しばかり人見知りが激しかったような、と今では考えられない記憶を辿った銀時は、白夜叉の手を取り、定春の毛に埋もれている厭魅の腕も引いて、三人で長椅子に腰を下ろした。「いただきます」と銀時が手を合わせれば、他の五人も口をそろえて、朝食はあっという間に終わってしまう。神楽の食欲はいつものことだが、白夜叉も良く食べた。育ち盛りなのだ。風呂場で見た肉の薄い身体に、戦の爪後を見た銀時は、僅かばかり自嘲気味に微笑む。満足に飯も食えないような状況で、勝てる戦では無かった。最初から間違っていたのだ。そんなことは、松陽の教えを受けた銀時たちが一番良く知っていた。それでも欲しかったものは結局銀時の手からあっけなく滑り落ち、流れ着いた先で万事屋を建てる機会を得た。二度と離したくない、と今は思う。
食事の後片付けはひとまず置いておいて、新八が淹れてくれた茶を飲みながら、銀時は厭魅と白夜叉のことを掻い摘んで話した。白詛と、未来での万事屋への言及は避け、無くなるかもしれなかった未来のこと、その為に消そうとした過去のこと、そしてどちらも守ったからこそ、今に浮いた二人のことだけを。神妙な顔をした厭魅と白夜叉をよそに、「また面倒なことに巻き込まれたんですね、銀さんは」と、新八の呆れ声は軽く、「銀ちゃんが三人いたら、万事屋も繁盛するネ!」と、神楽の声はどこまでも明るい。順応性の高さはピカ一だった。さすが、万事屋として今までろくでもないことばかりをくぐりぬけてきただけのことはある。
「いや、でも神楽、良く考えろ。馬鹿は三人いても馬鹿なんだよ。見ろよ俺より馬鹿な十代の俺と、俺より目が死んだ三十代の俺だぞ?どうにもなんねえよ」と、銀時がひらひら手を振れば、「じゃ、この銀さんたちはどうするんです」と、新八は軽く眉を潜めた。「まさか追い出すんですか?」と、新八が避難するように言うので、「若い方は真撰組にでも放り込んだらいいんじゃね?腕は保障するし、…お前剣を捨てたくねーだろ?」と、最後は白夜叉に向けて銀時は言う。「そこが何なのかもわかんねーんだけど」と、半眼になった白夜叉と、「それはちょっとまずいんじゃないですか、だって銀さんは攘夷志士で、…銀さんなのに」と、口ごもった新八の肩を叩いて、「大丈夫大丈夫、本人はここにいるんだし、甥とか弟とか言っときゃごまかせるって」と、銀時は答えた。
そうして今度は厭魅に向き直り、「こっちの俺は、吉原の用心棒なんかどうよ?テメーは俺を経てるんだから勝手はわかんだろうし、この見かけも、あっちでなら逆に箔が付くだろ」と、銀時が笑えば、「俺にしちゃ悪くねー発想だな」と、厭魅は頷く。「でもかわいそうですよ、銀さんだけが頼りなのに」と、新八が食いさがるので、「あのなあ、他はともかく、金銭的な意味で俺が頼りになると思うか?」と銀時がまっすぐ新八の目を見つめると、新八は「ああ…」とだけ呟いて目を反らした。どういう意味だこの野郎。気持ちはわかるが。給料も払っていないわけだし。「銀ちゃんたちはそれで良いアルか?」と、厭魅の顔を覗き込んだ神楽の頭を撫でて、「どの道、ずっとここにいられるかどうかもわからないしな」と、厭魅が苦笑するので、「とりあえず出て見るか」と、銀時は立ち上がる。何しに、という顔をした白夜叉の腕を引いて、「お前らの面通しに」と続けた銀時は、「ひとまず下のババアからだな」と、いっそ楽しそうに笑った。

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神楽と新八に店番を頼んで、階段を降りてすぐのスナックお登世は、裏が居住スペースになっていた。煙管を吸って、すぱーっと煙を吐き出したお登世は、「相変わらず愛想のない子だねえ」と、白夜叉の顔をじろりと眺める。無表情でそれに応えた白夜叉は、「え、何このばーさん?俺今からここに売られんの?」と、銀時に耳打ちした。「誰がアンタみたいなのを買うんだい、そういうことは二丁目の西郷のところで言いな」と、ばっさり白夜叉を切り捨てたお登世は、「あんたはあんたで、妙な目をするようになったじゃないか」と、厭魅に目を向ける。「テメーじゃわかんねーもんだな」と首を捻った厭魅は、一歩踏み出して、両手でお登世の肩を掴んだ。「なんだい」と、少しばかりぎょっとした表情のお登世に、「長生きしろよ、ばーさん」と、厭魅は告げる。「どうしたんだい、コレ」と、胡散臭そうな顔で銀時を振り返ったお登世に、「いろいろあったんだよ、五年で」と、投げやりに銀時は答えた。正直厭魅の行動は恥ずかしいのだが、感傷的になったのは銀時も同じだったので、口出しはしない。たまとキャサリンの手も握った厭魅が、「体温って良いな」と素晴らしい笑顔で言ってのけるので、「たまに体温はねーだろ」と、それだけ銀時は返した。
子どもも増えたことだし、きりきり働いて家賃を払いな、と三人を追い出しながら、お登世は白夜叉に大福の包みを渡す。「こいつらは、初めて会ったときに家の亭主の備え物を盗み食いしていてね。あんたは食ってないから、これをやるよ」と、言ったお登世に、「…ありがとう」と白夜叉は答えて、包みを抱きしめた。「潰れる前に俺が食ってやろうか」と、銀時が手を伸ばせば、「ふざけんな、俺のだっつの」と、白夜叉はぴしりと銀時の手をはらい落す。「卑しいのも度を超すと笑えねーぞ」と、厭魅が白夜叉の肩を持つので、「んだよ、冗談だろ」と、銀時は軽く唇を尖らせた。と、お登世が堪え切れない、と言う風に笑って、「あんたたち、まるで兄弟みたいだねえ」と言うのに、「「「勘弁しろよ」」」と、三人の声が重なって、お登世の笑い声はますます大きくなった。ばつが悪くなった三人は、こっそり顔を見合わせて、薄く溜息を吐く。年の功には勝てなかった。


(おしあわせに /  坂田銀時と坂田銀時と坂田銀時 / 130813)