滔滔

劇場銀魂完結篇のネタバレを含みます
ラフな話です

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時間泥棒に盗まれた時間も元に戻り(正確には時空を一巡しているので元通りではないのだろうが)、銀時がいつも通り騒がしくて物騒なかぶき町の味を噛みしめている頃の話だ。寝苦しくて目を覚ますと、銀時の体の両側に、銀時と同じ顔をした人間がそれぞれ貼り付いている。しばらくじっとしていた銀時は、しかし滴る汗に耐えきれず、無言で二人を引き剥がそうとし、ますます強くなる腕の力に「ああァァァうっぜェェェ!!」と怒鳴り声を上げた。「うるせーよ、耳元ででけー声出すな」と迷惑そうに顔を上げた銀時と、「まだ夜中だろ」と、銀時の肩口に頭を押し付ける銀時とを交互に殴り飛ばして、「いい加減にしろよテメーら!!季節考えろ!真夏だぞ、冷房ねーんだぞ、死ぬぞ?!」と叫んだ銀時は、汗でどろどろの寝間着を脱ぎ捨てる。目を擦りながら起き上る若い銀時―白夜叉―と、なおも銀時の膝にすり寄る少しばかりくたびれた銀時―厭魅―とをうんざりした目で眺めた銀時は、熱の籠る部屋の中で深く溜息を吐いた。

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過去も未来も変わった世界で、誰の記憶からも時空移動の記憶は消える、と思っていたのだが、そもそも五年後の世界に飛ばされていたせいだろうか、銀時だけは何も忘れていなかった。以前と何も変わらない姿で銀時の前に立っていた新八と神楽をおもむろに抱きしめて、不審がられたことも良い思い出である。「銀ちゃん加齢臭がするアル」と嫌そうな顔をした神楽と、「加齢はともかく汗臭いです、帰ったらお風呂入って下さいね」と的確なダメージを与える新八のコンビネーションに、銀時は大いに笑った。そこまでは満ち足りた気分だった。映画館から薄い給料袋を受け取り、買い物を済ませた帰り道、万事屋の前で銀髪の二人を見つけるまでは。
両手に刀を下げた白夜叉と、右手で錫杖を付いた厭魅とは、間合いを計りながらじっと睨み合っていた。どさっ、と手にしていたスーパーの袋を取り落とした銀時は、「…銀ちゃん?が…三人?」と呟いた神楽の声で我に返ると、木刀を引き抜いて、二人の真ん中に斬り込んでいく。「天下の往来で何してやがる」と、銀時が一喝すれば、あからさまにほっとした顔の厭魅と、ぽかんとした顔の白夜叉は、どちらも戦意を失ったように銀時を見つめた。「何の騒ぎだい」と顔を出したお登世に、「なんでもねーよババア!」と上ずった声を浴びせた銀時は、白夜叉と厭魅を引きずるように階段を上る。銀さん?と戸惑った声をかけた新八に、「悪ィ、まだうまく説明できそうにねーわ。ちょっと整理するから、今日は神楽と帰ってもらっていいか?」と、銀時が眉を下げれば、物分かりの良い十六歳は、スーパーの袋を万事屋の前に置き、定春ごと神楽を連れて行ってくれた。いろいろな意味で隔離が出来た、と息を吐いた銀時は、玄関から事務所へと二人を押しこむ。当然の様な顔で合皮のソファに腰を下ろした厭魅と、物珍しそうにあちこちを見回す白夜叉に、銀時は冷や汗をかきながら「はァい質問。君たちはいったいどこの誰で、こんなとこで何してんのかなー?」と問いかけた。ほとんど表情を揺らさずに、「俺を殺しに来てくれたんじゃねーのか、坂田銀時」と答えた厭魅に、「それはもう終わったんだけど」と返し、「なにお前ら、俺の…兄貴かなんか?」と危ぶみながらもどことなく嬉しそうな白夜叉には、「こんな目の死んだ人間がそう何人もいてたまるか、同一人物だ同一人物」と、銀時は墓穴を掘る。二呼吸ほど開けて、「なんで俺が三人もいるんだ」と白夜叉が言うので、「俺が聞きてえよ…」と、銀時は途方に暮れてうなだれた。

それでも銀時は、わかる範囲で二人に状況を説明する。白夜叉として身に受けた蟲毒のこと、蝕まれて逝った厭魅のこと、それらすべてを打破した銀時―ではなく万事屋のこと。世界が変わらずにあると言うことは、厭魅の体内にも、白夜叉にも、ナノマシンは欠片も残っていないだろうということ。身体中を縦横に走る呪印の痕は消えないが、厭魅が自由に動いているということ自体がその証拠だろうと言うこと。
茫然とした顔の厭魅に、「俺が過去も未来も変えちまったから、無くなった未来のお前も飛んできたのかもな」と、銀時が告げれば、「俺はなんでここにいるんだよ」と、白夜叉は銀時の袖を引く。「あー…俺が一度お前を殺したから、宙に浮いたんじゃね?」と、頭を掻いた銀時に、「テメーのせいじゃねーか!」と、白夜叉が刀を抜きかけるので、「仕方ねーだろ、世界と俺とを秤にかけて見ろよ、どう考えたって世界の方が重いだろうが!」と、銀時は全力で白夜叉の腕を押さえた。そこに、「世界じゃねーだろ」と笑った厭魅が加わって、なぜか白夜叉ごと銀時を抱きしめる。
「取りこぼしそうになったもん全部、お前が救ってくれた。…俺たちが最初に守りたかったものの代わりにはならねーが」と、続けた厭魅は、白夜叉の髪をぐしゃりと撫でる。厭魅も覚えているのだろう。白夜叉が厭魅と対峙したのは、松陽が処刑されてすぐのことだった。まだ傷も新しい。塞がることを恐れて、逆に強くなっていた頃の話だ。力の抜けた白夜叉の身体を、銀時もそっと引き寄せる。「…もうずっと前に、終わったんだな」と、呟いた白夜叉の声はひどく透明で、「終わったよ。ちゃんと笑えるようになった」と答えた厭魅の声はどこか遠い。「ここで盛りあがんの止めてくんない?頑張ったの銀さんなんだけど、お前ら二人ともぶっ殺したわけだけど」と、照れ隠しのように銀時が言えば、白夜叉は何も言わずに、銀時の首をぎゅっと抱えた。
「なに?」と、一歩引きかけた銀時に、「怖かっただろ」と、厭魅は言う。「ハァ?」と銀時が声を上げれば、「自分の存在を自分で消すのは、怖かっただろ」と、厭魅は噛んで含めるように重ねた。「…テメーなんざ、俺が行かなきゃ未来永劫あそこで一人だったんだろうが」と、随分幸せそうに死んでいった銀時にとってはついこの間のことを揶揄すると、「うん」と厭魅は素直に頷く。「ずっと一人だった。お前が来てくれるのだけを待ってた。でも、もう、未来は変わったんだな」と、噛みしめるように言った厭魅は、もう一度銀時と白夜叉を抱きしめた。ひどく温かかった。
いつかの過去の延長線に、銀時の姿はない。そうして、変えられなかった未来の先にも、銀時の居場所はない。誰が願ったのかはわからないが、時間泥棒の、たまの、神楽と新八の、万事屋の、そして銀時自身の願いが、この二人を呼び寄せたのだろうか。何もわかりはしなかった。けれども、戦場からも、あんな絶望の未来からも逃れたふたりが、銀時が、今この騒がしくて下品で物騒なかぶき町に立っているということが嬉しくて仕方ない。
「オメーらはもう自分の足で立って、自分の未来を開いていける。まあ、結局俺だけどな」と、ことさら軽く言った銀時は、二人を突き放すと、「おら、もういい時間なんだから、飯食って風呂入ってクソして寝んぞ。どうせ腹減ってんだろ、俺なんだから」と 続けた。「減ってる!めっちゃ減ってる!」と両手を上げた白夜叉と、「まともな飯も五年ぶりだな」と笑う厭魅と、連れ立って台所に立ちながら、銀時はなんだか泣きそうだった。まるでほんものの家族のようだ、と思ったことに、自分でも驚いた。(家族どころか、自分だっつーの)と、ぶんぶん首を振った銀時は、けれども自身が木刀で貫いた厭魅の死に顔も、一度は貫いたはずの白夜叉の背中も忘れられそうにない。生きていて良かった。ここにいて、良かった。そう思えるのが、ここにいる自分だけでなくて良かった。過去も未来も現在も、銀時のすべてが幸福につながるのであれば。

「あー、染みるっ」

カレー用のタマネギを刻みながら、わざとらしく目を擦った銀時は、ついでのように鼻水も啜って、両隣の銀時に文句を言われた。が、その二人だってぼろぼろ涙を流しているので、まるで説得力はないのだった。

そこそこ美味いカレーを食べ(厭魅は三杯お代わりをした)、いちご牛乳をコップ一杯ずつ飲み(白夜叉はコップを捧げて松陽に祈っていた)(かみさまの代わりに)、三人で無理やり狭い風呂に浸かった銀時たちは、奥の和室に目一杯布団を広げて横になる。寝巻は三人分もなかったので、白夜叉にはいつもの着流しを与えておいた。その方が慣れているだろう、と言う考えもある。
「布団で寝るの久しぶりだな」と、ごろごろ転がった白夜叉に、「俺は眠るのが久しぶりだな」と厭魅が続き、「俺もしばらくソファ続きだったからな」と銀時が混ざろうとすれば、「「テメーはちゃんと布団で寝ろ」」と、白夜叉と厭魅の声がきれいに重なった。その通りなのだが、自分に言われると無性に腹が立つのも確かで、「こっちはともかく、お前は俺を経てるんだから言えた義理じゃねーだろ」と、厭魅を軽く睨む。「俺は五年を通して生活を見直したんだよ。ちゃんと働いてやるから安心しろ」と、上から目線の厭魅に、「いや、お前ナチュラルにここに住むわけ?」と、銀時は首をひねった。
「お前まさか自分を追い出す気か」と、白夜叉の方が抗議の声を上げるので、「そんな身も蓋もねえことを言うんじゃねーよ、身の振り方くらいは考えてやるから安心しろ」と、銀時は白夜叉の肩を叩く。「安心できるかァァ!!こちとら勝手がわからなくて結構ドキドキしてんだよ!!」と、銀時に詰め寄った白夜叉の頭を、銀時越しに厭魅が撫でて、「まあそういきり立つなって、お前も俺なんだから、俺が本気じゃねーことくらいわかるだろ」と、わかったような口調で白夜叉を宥めた。
「お前ちょっと気持ち悪いんだけど、銀さんそういうキャラじゃねーんだけど、なんかすげーやりづらいんだけど」と、まともに照れることもできずに銀時が振り返ると、「言っただろ。俺は俺をやり直したいんだよ」と、厭魅は唇の端をほんの少し歪める。全体的に色素が薄くなった。白詛のせいで、銀を通り越して完全な白になった髪は、厭魅の顔を半分ほど覆っている。元から死んだ魚と称されていた目は、今度こそ本当に半分以上が閉じられていて、「んな死人みてーなこと言うんじゃねーよ」と、銀時は厭魅の髪をぐしゃりと持ち上げた。
「せっかく全員で生き残ったんだから、これまでのことなんてぱーっと忘れちまえ」と、気楽に言い放った銀時は、銀時の寝巻を掴んだ白夜叉の額を一つ叩くと、「お前には忘れろとは言わねー。逆に全部思い出して、好きに泣いちまえ。何が悲しいかなんて俺たちが一番知ってんだから。で、全部泣いたら次はまた笑えるだろ」と、少しだけ笑いながら告げる。「お前がちゃんと笑えるようになるまでは追いだしゃしねーよ」と銀時が重ねれば、白夜叉は普段から眠そうな目の縁にぼろっと大きな水の粒を溜めて、「せんせい」と零れるような声で言った。「そーだな、先生の言いそうなことだな」と、つとめて冷静に言ってのけた銀時は、背後の厭魅が銀時の背中に張り付く感触に、「テメーは離れろよ気色悪ィな」と、小声で脇腹を突いたものの、「松陽先生」と小さく落ちた厭魅の声も震えているので、がくりと肩を落とす。
それでも笑う気にならなかったのは、きっと銀時も、最期に思い出すのは松陽の顔だと思うからだ。生きるために思い出すのは万事屋の姿だが、死ぬときはきっと、その瞬間はきっと、あの人のことを思う。それはたぶん、銀時を生かした最初の人間が松陽だからなのだ。刷り込みのようなもので、今さら変えることはできない。銀時は、決められた未来を変えることができた。それでも、受け入れた過去を変えることはできなかった。時間泥棒を使えば、松陽が処刑される前まで時を戻すこともできただろう。だが、厭魅は、五年後の銀時はそれを選ばなかった。何物にも代えがたかった松陽の命より、この地球の、今の、神楽と新八の、未来を育むことを選んだ。後悔がないと言えば嘘になる。今泣いている白夜叉のように、厭魅のように、燻る思いは今の銀時の中にも確かに息づいていた。でも。
きっと松陽は、銀時の決断を褒めてくれるだろうと思ったから。

守るための剣は、松陽に届かなかった。
けれど、松陽の教えは銀時を支え、育み、そして地球の命になった。
ぽろり、と落ちた涙は、もう誰のものかわからなかった。
なにもかも銀時のものだった。

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そうやって眠りについたので、銀時の周りに白夜叉と厭魅がいるのはまあ仕方がないと言えば仕方がないのだが、だからと言って暑さが引くわけでもない。一度眠りに落ちて冷静になった分、先ほどまでの状況が恥ずかしいという意味でも、ひたすら顔が熱い。白夜叉の自分が人を恋しがっていたことは覚えているし、五年間孤独だった厭魅が人肌を求める理由もわからないではないのだが、いかんせんこのままではせっかく助かった命が儚くなってしまう。「そんなにくっつきてーなら、お前らふたりでやってくんない?俺隅で寝てるから」と、銀時は名案だとばかりに提案して、膝の上の厭魅の頬を突いたのだが、厭魅と白夜叉は一瞬顔を見合わせると、「お前が良い」と声を揃えた。
「俺はお前でお前らも俺だろーが」
頭を抱えた銀時の腕を両側からとった厭魅と白夜叉は、「でもお前はお前だろ」とこともなげに言い放って、もう一度布団にダイブする。寝巻は放ってしまったので、素肌の上半身に触れる人肌はさらに熱かった。何でもない顔で眠りに付こうとする二人に、「明日覚えとけよ」と呪詛を吐いた銀時は、熱帯夜にうなされながらもう一度目を閉じる。あしたもきっと、かぶき町は騒々しいだろう。


(おしあわせに /  坂田銀時と坂田銀時と坂田銀時 / 130809)