生クリームとマヨネーズ

夏の夜だった。万事屋の黒電話から、屯所の土方へと一本の電話が入ったのは、つい三十分ほど前のことである。長引いていた仕事が明けて、遅い夕食も終わり、汗も流して、さて寝るか、と思っていた土方は、ずいぶん切羽詰った声の銀時に負けて、着流し姿のまま万事屋へと駆けつけた。ガラス戸から覗いた廊下と事務所には灯りがなく、遠慮がちに扉を叩いても答えはない。舌打ちしたい気持ちで扉に手を掛ければ、不用心なことに鍵はかかっていなかった。勝手は知っているものの、他人の家には変わりがなく、土方は一応後ろ手に鍵を閉めてから草履を脱ぐ。入ってすぐの物入れに耳を澄ませば、微かな寝息が聞こえて、神楽はもう寝入っているようだ。一応覗いてみた事務所では、定春が巨体に似合わぬ可愛らしいいびきをかいて横たわっている。奥まで進んで、銀時の寝室である和室の襖を叩いてみるが、やはり返事はなくて、開いてみても人気はなかった。あの馬鹿、どこに、とますます苛立つ土方の耳へと、不意に水音が届いて、土方は振り返る。まだ探していない場所と言えば、台所と、便所と、「風呂か」と、ため息交じりに呟いた土方は、足早に廊下を引き返して、がらりと風呂場に踏み込んだ…のだが。
「…何してんだ、テメーは」
洗い場の椅子の上には、ピンクのミニ丈の浴衣を身に着けた銀時…と言えば銀時なのだが、付け毛のツインテールに濃い化粧を施した、いわゆるパー子が、遠慮がちに股を開いて座っていた。手に毛抜きと剃刀を持ち、泡だらけの股間をさらしたパー子は、涙目で土方を振り仰ぐと、「けが」と呟く。「怪我?」と、土方が問い返せば、「うん、アンダーヘアが、上手く抜けなくて」と、長い睫毛の先から大粒の涙をこぼした。どっと疲れた土方は、先ほどの電話を思い返す。『今、刃物と金属で戦ってんだけど、どうしても勝てねー相手がいる』と言っていた、その相手と言うのが、陰毛だというのだろうか。
崩れ落ちそうになった膝にぐっと力を入れ、「そんなもん、その剃刀でばっと剃っちまえば済む話だろ」と、土方が告げれば、「わ、わかってんだけど!でも、剃ると濃くなるからあんまよくないって、ママが…」と、パー子はもじもじ足を擦りあわせる。はっきり言って気色が悪い。動作が可愛い分だけ、ゴツい身体とケバい化粧にまるで合わないのだ。が、そんなことを口に出せばパー子が本格的に泣きだすことは目に見えていたので、賢明な土方は口を噤んだ。かわりに、「そもそも、なんでそんなとこの毛を剃るんだよ」と、土方が尋ねると、パー子はぱっと顔を輝かせて、「お店でね、コレ、皆で着るの!」と、背後からおもむろに取り出したのは、「み、水着?」である。しかもビキニだ。ピンクの地にいちご柄のそれは、パー子ではなく銀時がたまに履いているトランクスの柄そっくりである。
うん、と頷いた銀時は、水着を脇に置いて、「だから、脇と腕や足は皆とワックスで脱毛したんだけど、下は…は、恥ずかしかったから」と、両手で顔を押さえた。言う間も、股間は土方に向けて丸出しである。恥ずかしがるならその辺ももう少し気にしろ、と突っ込みたかった土方は、ともかく一度深呼吸して、「そうか、…まあ、なんだ、たぶん似合うと思うぞ」と、心にもないことを口にした。言わないと泣くからだった。

万事屋銀ちゃんこと坂田銀時が、かぶき町有数のオカマバー、かまっ娘倶楽部で定期的なバイトをするようになって、数か月が経っている。始めのうちこそ、同僚のオカマをののしりながら一線を引いていた銀時だが、ある時それが一変した。同僚のアゴ美とやらに言わせれば、「一皮剥けた」と言うことらしい。何が剥けたのかは恐ろしくて聞けないが、ともかく坂田銀時には、とあるXデーを境に、女装した時特有の人格が生まれてしまったのだった。それが、パー子である。どの時点で銀時とパー子が入れ替わるのかはわからないが、ともかく髪を結って化粧をして女物の衣装を身にまとうと、もういけない。動作にしなが付くようになり、歩くときは半歩後ろに続き、可愛いものを見て歓声を上げ、良い男を見て顔を赤らめる。まあ、いわゆる完全なそっちの人になるわけだ。どっちの人なのかは土方には聞かないで欲しい。
初めてパー子を見かけとき、土方は見廻りの最中だった。店の前で客引きをしていたパー子は、土方に気づくと、あろうことか看板を置いて土方の胸に飛び込んできたのである。わりといろいろなことを経験してきた土方も、これには度肝を抜かれた。ほとんど変わらない体格の、と言うか土方よりも若干ではあるが難いの良いパー子(銀時)の体重をもろに受け止めた土方は、「テメー何しやがる!!ふざけた格好でふざけたことしやがって、返答次第では叩っ斬るぞ!!?」と、いつものように抜き身で唾を飛ばす。やーねえ多串くん、財布と同じくらい器も小せぇの?役にも立たねえ見廻りなんか止めてここで金落としてってくんない?むしろ金だけくんない??くらいの軽口を予想していた土方は、しかし、目の前でぽろぽろ涙を流し始めたパー子(銀時)にがくん、と顎を落とした。
「ひっ、土方くん、お仕事がんばってるから、応援したかっただけなのに、会えてうれしかっただけなのに、なんでそんなこと言うのぉ…?」と、目元を押さえることも無く大粒の涙をこぼすパー子(銀時)に、土方はまずドッキリを疑い、次にいつかのような記憶障害を疑い、さらに人違いを疑い、果てには自身の幻覚まで疑ったが、何一つ正解はなく、結局連れ込まれた店の中で非難囂々の憂き目に合いつつ分かったことは、パー子は紛れもない銀時であり、そしてパー子でもあるということだけである。何が問題かと言えば何もかも問題なのだが、土方にとっての一番の問題は、一応土方と銀時が恋中だということであり、ついでに言えばそれはパー子との間にも継続しているものであり、果ては土方の方が受け入れる側だということなのだが、どっとかいた汗の中で土方にできることは、どうにか泣き止んだパー子のためにドンペリのボトルを入れてやることだけだった。
それが三か月前のことだった。三か月の間に、土方は四度、パー子と遭遇している。普段の銀時は、それはもう土方に対して愛想がない。それはまあ、土方の方から告白した手前、照れ隠しと言う部分も多々あるだろうし、元々の性格なのだろう。愛がないわけではないということは一応土方にも伝わるので、さしあたって文句はない。が、パー子になった銀時の、土方に対する求愛行動は、それはもう凄まじい。会ったのは四度だが、パー子がホステスとして入るたびに店から営業電話がかかってくるし、パー子が書いたと思われる葉書も送られてくるし、個人的な土方の携帯にもデコメが送られてくる。銀時の時に聞いてみたのだが、パー子は営業用の携帯を持たされているらしい。銀時自身には払えない携帯が、代金は店持ちで持てるというのであれば、それがピンクのデコ携帯でも文句は言うまい、と言うのが銀時の考えだと言う。
パー子の所業を、銀時がどこまで意識しているかはわからないが、いろいろ恐ろしくて聞けない、と言うのが土方の本音だった。何しろ、初めてパー子としてあった時から、四度全部、土方はホテルに連れ込まれている。何をしてくれるかと言えば全体的に性的なマッサージで、銀時の時にはないサービスが様々盛り込まれているのだが、いかんせん差し込まれるのは土方なのだ。可愛い身振りで、半分涙を浮かべながら、それでも土方の膝を割り開いて振り袖姿のパー子が差し込んでくるのである。萎えても仕方がない図だというのに、萎えないどころかむしろ興奮してしまった土方は、正直パー子とのセックスに嵌りかけていた。倒錯的な良さがあるのだ。男である身で、男の銀時に組み敷かれる(というか組み敷かせる)のは、いろいろな意味での葛藤を覚えるのに、パー子にたいしてはもういっそ清々しいほど突き抜けてしまっているので、何も感じない。感じすぎて振り切れているのかもしれない。ちゃんと土方の名前を呼んで、土方の目を見て、土方のために尽力してくれる。土方が好きなのはもちろん銀時なのだが、パー子は銀時なので、若干後ろめたい思いをしながらも、土方はパー子との逢瀬を重ねているのだった。

前振りが長くなったが、ともかくそういうことなのだ。パー子は銀時だが、まぎれもないパー子であり、その心は清廉な女性となんら変わることはない、らしい(オカマ談)。だから水着を着るときには陰毛にまで気を使いたいのであり、同性の同僚であっても股間を見せることには抵抗があって当然であり、恋人である土方には恥ずかしくてもさらけ出せるものなのである。だんだん辛くなってきたが、そういうことにしておいてください。
いろいろなものを飲み込んで、風呂の入り口にしゃがみ込んだ土方は、そう濃いわけでもないがみっしりと生えそろったパー子の下生えを覗いて、「お前、銀色なんだし剃らなくたってそんな目立たないんじゃねえの?」と言ってみたのだが、「ダメ、毛の色に肌が負けちゃって、やっぱりおかしいの。だから、ある程度は…」と、パー子は指でTラインを示す。全部剃る気はないらしい。そうしてやってくれ、と、明日の銀時を思って手を合わせる土方は、「剃るのが嫌なら、なんで泡だらけなんだよ」とパー子の顔を見上げる。「長いのを抜いてみたら痛くて…ある程度剃刀で削いで、そこから抜くのが一番かなって思ったんだけど、でも、痛いの」と、パー子はぎゅっと膝の上で拳を握る。詰め物入りの胸が強調されて、土方は何となくパー子の上半身から目を逸らした。目の毒、とか思ってんじゃねえよクソ野郎が!!と、脳内で土方自身をフルボッコにした土方は、あらためてパー子の股間に目を戻すと、「貸せ」とパー子に手を出す。「えっ?」と、不思議そうな声を上げたパー子から、「俺が抜いてやるから、貸せ」と、毛抜きを取った土方は、「泡、流すぞ」と、なみなみ満たされている浴槽から湯を汲んで、そっと泡を流した。ピンクの浴衣の裾が濡れて、パー子の足にまとわりつく。たしかに、そう白くはないパー子の足からは綺麗に無駄毛が抜かれていて、「がんばったな」と、土方はつうっと太腿を撫でた。「あっ、ありがと!」と、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに礼を言ったパー子の手が、胸の辺りでもじもじと重なっているので、「いいから、俺の肩に置いとけ」と、土方は促す。うん、と頷いたパー子の手は、いつもの銀時と同じものなのだが、綺麗に切りそろえた爪には色がついて、丁寧にクリームを塗りこんであるお陰で普段よりも滑らかだ。着流し越しではわかる筈のないてのひらの質感まで思い浮かぶ土方は、重傷だ、と目豚を落としてから、短くなったパー子の陰毛を一本、つまんで引き抜く。とたんに、土方の方に置いたパー子の手に力が入って、「痛いか?」と土方は尋ねた。「い、痛いけど、でも我慢する…」と、弱弱しい声で返したパー子がけなげなので、「なるべく丁寧にやっから、な」と、土方は告げる。こくん、と頷いたパー子は、「土方くん、優しいから大好き」と、土方の耳元で囁いた。
一本ずつではあるが、それでもそう多くはない陰毛のことである。それなりに時間はかかったものの、どうにかビキニラインにかかる毛をすべて抜き終わった土方は、妙な達成感に額の汗を拭った。比喩もなんでもなく、夏の風呂場なのである。着流しの前はほとんど寛げていたが、それでもひどく暑い。パー子の股間を何度か撫でて、「おし、これでどうだ」と、満足げにパー子を見上げた土方は、目の前のパー子が酷く切なげに眼を揺らしているのを見て、ぎょっとした。「どうした、やっぱり痛かったか?なら、途中で止めろって言えよ」と、土方がパー子の頭を撫でれば、「そうじゃなくて、いっ、痛いのは本当なんだけど、きっ、きもちよく…なっちゃってぇ…」と、パー子は土方の肩口に頭を埋める。
そんなことは土方にだってわかっていたのだ。パー子はもちろん銀時で、銀時として生きている以上股間にアナログスティックがぶら下がっている。下がっていてもらわなくては土方も困る。そして、下がっていてくれればいいアナログスティックが、なぜか自立し始めていることにだって、股間を触っていた土方には当然わかるに決まっているのだった。「わたし、痛いのがすきなんじゃないの」と、泣きそうな声を上げるパー子の頭をもう一度撫でて、「知ってるから、…俺の手で気持ち良くなっちまったんなら、最後まで俺で気持ち良くなればいいだろ」と、土方は言う。「いっ、いいの?でも明日の仕事は?」と、顔を上げて土方を気遣うパー子に、「俺を誰だと思ってやがる、真撰組鬼の副長、土方十四郎だぞ?テメーの愛の一本や二本、受け止められねえでどうする」と、土方は笑ってやった。
ひじかたくん、と潤んだ目で呟いたパー子は、ちゅ、と柔らかく土方に唇を重ねて、「ありがと」と小首を傾げて笑う。可愛くはないのだ。繰り返すが、パー子は銀時で、ベースの銀時にかなりの塗りを重ねた顔は半分化物のようなのだ。今夜は風呂と言う場所だからか、夜だからか、あっさりとした化粧だが、だからと言って可愛くはなっていない。ピンク色のミニ浴衣は、素材のせいもあって、がっしりとしたパー子の体の線をくっきりと浮き上がらせているし、そもそも下半身はほとんど裸のようなものだ。重ねて言う、パー子は可愛くない。が、それでも土方にとってはこの上なく可愛く見える。重症だった。完全に、土方は病気だった。
「まずは、土方くんにしてあげるね」と言ったパー子は、薄化粧でもそこだけは真っ赤な唇で土方の身体をなぞっていくと、着流しの袷を開いて、土方の股間に顔を埋める。

(中略)

翌朝、万事屋の布団で目を開けると、銀時はもう目を覚ましていた。パー子が着て眠った薄紫のネグリジェではなく、あっさりした白の甚平を身にまとって窓際に腰かけていた銀時は、土方の気配に気づいたのか、「おはよう」と声を掛けてきた。「ああ」と答えて、体を起こした土方は、股間の辺りに走る鈍い痛みに、薄く顔を引きつらせる。そんな気配を隠し通せる相手でもなく、あー、と妙な声を出した銀時は、「昨日は…世話掛けたみたいで、悪ィな」と、窓の外を眺めながら言った。土方は、他人行儀な声に少しばかり眉をひそめたが、坂田銀時はそういう人間なので、「他ならぬテメーの頼みだからな、構わねえよ」と答えておく。
少しばかり間を開けて、「俺じゃねーだろ」と銀時が言うので、「お前じゃないと困るんだ」と土方は返して、窓際に干された土方の着流しに触れた。夏のことだ。着流しはすっかり乾いて、屯所とは別の洗剤の香りがする。身支度を整えた土方に、「飯、食ってけば」と、銀時は勧めてくれたが、「いや、出先を伝えなかったからな。そろそろ帰る」と、土方は首を振った。心を惹かれないわけではなかったが、ここで居座ってしまっては、誰の益にもならない。「…アレの頼みは聞いて、俺のことは聞かねーのかよ」と、銀時は小さく呟いたが、土方の耳には届かなかった。
最後に刀を差して、「邪魔したな」と銀時に告げた土方は、すっきりした顔で万事屋を出ていく。土方が道路に降りたところで、外階段の手すりに肘をついた銀時は、「ひじかたくんのばぁか」と、早朝のかぶき町を急ぎ足で進む土方の後姿に恨み言をぶつけた。銀時の唇には、赤く紅が引かれていた。


(出来心でした / パー子×土方十四郎 / 130808)