優しい角が見えない:01 

穏やかな風が吹く秋の午後だった。終了のチャイムで目を覚まして、屋上でくあああ、と欠伸をした銀時は、大きく伸びをして起き上がる。昼休みからずっとコンクリートに寝転がっていたせいで、体がこわばっていた。やっぱり枕だけじゃなくてマットも必要だなァ、と首の骨を鳴らした銀時は、鉄扉の向こうから何やら不穏な気配が立ち上ってくるので、十、九、八、と指折りカウントダウンを始める。三、二、一、ゼロ。両手の指を折り終えたところで、ドガッと吹き飛ばすような勢いで扉が開き、「テメッこら坂田ァァァ!丸々サボってんじゃねェェ!!」と、怒鳴りこんできたのは同じクラスの土方十四郎だった。面倒くさそうに頭を掻いた銀時が、「ちょっと寝てくっつったら、置いてったのはテメーだろ。何怒ってんだ」と言えば、「昼から数えて四時間はちょっとじゃねェ!見ろ、陽ィ暮れかけてんじゃねーか!」と、土方は西の空を指す。「あーそーだね、良い夕焼けだな」と、銀時が穏やかな顔で額に手を当てると、「お前の視界を一生夕焼けにしてやろうか…?」と、土方はこめかみに青筋を立てた。「はいはいやってみろよ、できるもんならな」と、ひらひら手を振った銀時は、土方の手から銀時の鞄をむしり取ると、「で、お前はそこで夕焼けを映す練習でもしてくの?」と問いかける。「するわけねーだろ!人を顎で使いやがって、何様だテメーは」と、頭から湯気を立てながらついてくる土方に、「頼んでねーのにやってくれてんのは多串くんでしょーが」と、銀時はけらけら笑った。誰が多串だこの野郎、と土方は唇を戦慄かせたが、銀時の隣に並ぶ足を止めはしなかった。

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土方十四郎とは、高校の入学式で知り合った。銀時の保護者は高校教師で、学校行事にはほとんど顔を出せない。今日も、自身が教鞭をとる高校の入学式が重なって、朝からひどく申し訳なさそうな顔をする保護者を、銀時の方が笑って送り出した。朝も多かったが、昼過ぎになった今も、看板が立てかけられた正門には新入生とその保護者(おそらくは両親)が群がって、かわるがわる写真を撮り合っている。羨ましいという考えも起きないが、特に馬鹿にする気もない銀時は、むしろ微笑ましい思いで、まだ膝丈の女子のスカート丈などを眺めつつ、何をしているかと言えば人を待っているのだった。
この高校には、銀時の保護者の旧知が勤めている。銀時も面識があるその古典教師に、そのうち挨拶をしておこう、と思ったのは確かなのだが、式が終わった直後に肩を突かれ、「30分ほどで後処理が終わるから飯でも食いにいこう」と誘われてしまったのが運の尽きだった。銀時の保護者は帰りが遅くなるというし、銀時の懐は薄ら寒いものがあるので、古典教師の申し出はありがたいといえばありがたいのだが、いかんせんこの入学を祝う空気は、銀時には温すぎてなんとも尻の座りが悪い。早く来ねーかなあ、と、植込みの縁石に腰掛けた銀時が顔を伏せたあたりで、「おい、お前大丈夫か?」と、ごく近くから声が聞こえた。んっ?と顔を上げれば、正しく銀時の目の前に顔があって、思わずのけぞってしまう。
がくん、と植込みに落ちかけた銀時を支えるその顔の持ち主は、「すまん、驚かせた」と、申し訳なさそうな声で言った。「あ、ああ、うん、いや、ありがと」と、銀時がなんだかわけのわからない声を返したのは、その声の主がさらさらストレートの黒髪だったからで、さらには、「気分でも悪いのか?人酔いとか」と、焦点が合わないほど近づいてくる顔に混乱したからでもある。「どっちでもねえよ、人を待ってる間にちょっと疲れただけで」と、銀時がぶんぶん首を振れば、さらさらストレートはあからさまにほっとした顔で、「そっか、悪ィ、本格的に邪魔しただけだったな」と離れていった。
うん、とも、ううん、ともつかない声で返事をした銀時をよそに、黒髪ストレートは思い出したようにポケットを探って、「これ、やるから許せ」と、銀時の手にスティックタイプの飴を乗せる。えっ?と、銀時が手のひらを見つめる間に、「じゃ、またな」と、ストレートは片手を挙げて行ってしまった。小走りで向かう先には、ストレートによく似た眼差しの女性が立っていて、おそらくあれが母親なのだろう、と銀時は思う。振り返りはせずに、雑踏に消えて行く後姿をなんとなく見送った銀時は、ぺりぺりと未開封だった飴の包みを開いて、オレンジの塊をぽいと口に放り込んだ。知らない人から物をもらっちゃいけません、とよく聞くが、銀時はそんな教育をされた覚えがないので、特に気にはしない。あー甘いな、と舐めしゃぶる飴が舌で割れるほど小さくなった頃、銀時の待ち人はようやく姿を現した。

「ごっめ〜ん銀くん、待ったぁ?」と、べったりした声で手を振りながら走ってくる古典教師−猿飛あやめの抱擁を避けて、「おう、待った待った。尻に根が生えるくらい待ちましたよさっちゃん先生」と、銀時は耳をほじる。「ああん、先生って素敵なヒ・ビ・キ。銀くんにならなんでも教えてあげるわ!」と、猿飛が体をくねらせるので、「あーはいはいありがとうございますぅ、オメーの授業だけは当たらないことを祈るわ」と耳くそを飛ばして銀時は答えた。いいから行こうぜ、と猿飛を促した銀時は、周囲の好奇の目線をもろともせずに猿飛の車に乗り込む。後部座席があればそちらに乗りたいが、あいにく2シーターだ。「教師ってもうかんの?」と、ふと銀時が尋ねれば、「欲しいものがあるなら、銀くんには私が全部買ってあげる」と、猿飛からは見当違いの答えが返った。こいつ本気で面倒くせーな、とイラっとした銀時は、シートの背を倒して、「店着いたら起こして」と、ゆるく目を閉じる。寝顔もカワイイわ、と不穏な声が聞こえたものの、銀時にとってそれは日常に過ぎなかった。
散々食って、家まで送ってもらって、そのまま中についてこようとする猿飛を締め出した銀時は、軋む階段をリズミカルに上って、向かって左の襖を開く。中には万年床とタンスに古びた文机がひとつ、それに数カ月分のジャンプが積み重なっている。松陽さんにはナショね、と猿飛に握らされた万札をタンスの一番下の引き出しに放り込んだ銀時は、制服をばさばさ脱ぐと、適当なハンガーにかけて鴨居にぶら下げた。制服、と言っても詰襟なので、冬まで着ていた中学のものとそう変ったところはない。むしろ貧乏性な銀時としては、釦だけ付け替えて終わりにしようとしていたところを、それはあんまりだ、と銀時の養い親が採寸に連れ出してくれたのだ。真新しい生地を撫でて、三年間大事に着よう、と頷いた銀時は、脱ぎ捨てたままの中学ジャージを着て、ごそごそと布団にもぐり込む。昨夜まで昼夜逆転の様な生活をして、今朝久々に朝日を拝んだので、純粋に眠かったのだ。起きたら飯の支度、と思いながら、銀時はとろとろと眠りに吸い込まれていった。

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銀時がこの古い家に引き取られたのは、8年前の夏だった。銀時は8歳の誕生日を迎える前だったが、すでに3軒の親戚と2件の施設をたらいまわしにされて、すっかり捻くれていた。銀時の父は産まれる前にすでになく、母は銀時が3つの春に首を吊って死んでいる。誰もいないアパートで、匂いに気付いた住人と大家が踏み込んだ時、銀時は死にかけていたらしい。最初に預けられたのは祖父母の家で、いっそあそこで死んでいたら楽だったのに、と言う程度の虐待を受けた銀時は、5歳の冬に家出を決行し、二日後に警察に保護された。祖父母の元へ戻ることはがんと拒否し、今度は世間体を気にした伯父夫婦が銀時を連れ帰った。そこでは2ケ月持たなかった。最後にいた施設で、銀時は一度死のうとしたのだ。そして、どうせ死ぬなら全員道連れにしてやろう、と真夜中に施設中の窓を目張りして、ガスの元栓を開いた。幸か不幸か、ガス中毒で死ぬ前に職員の寝煙草がガスに引火して、小さな爆発騒ぎになり、銀時の処遇も露見した。さすがに警察沙汰になったところで、7歳の銀時は施設の職員から受けた傷の痕を示し、施設自体がなくなって、銀時の存在はまた宙に浮いた。しかたが無いので一人で死のう、と銀時が警察管轄の保護施設のガラスを割って、浅く手首を切った日に、その男はやってきた。
白いシャツと白い包帯を手首に巻いた銀時を見下ろして、「死にたいのなら、もっと楽な方法があります」と、男は言った。男には珍しいほどの長髪に、柔らかい素材の服を着た男は、「私ならその方法も教えてあげますし、なんなら死にたくなくなる方法も教えてあげられます。死にたくなったら死ねばいいし、死にたくなくなったら私と一緒に生きましょう」と続けて、にっこり笑った。人に笑いかけられたのはずいぶん久しぶりで、そしてこんな風に死を肯定されたことも初めてだったので、「俺が死んだら嬉しい?」と銀時は問いかける。「今君は知らない子なので、正直どうとも思いません。嬉しくも悲しくもありません。ただ、一緒に暮したら嬉しくなるかもしれないし、もしくは悲しくなることもあるでしょうね。君は私に喜んで欲しいのですか」と、男が穏やかな口調で答えるので、「…死んで…喜ばれるなら、死にたくない。俺は死んで迷惑をかけたい」と、銀時は告げた。「では、やはり私と一緒に行くのが良いでしょう。私の家で君が死ねば、少なくとも私の迷惑にはなります。片づける必要もありますし」と、ごく柔らかい声で男は言って、銀時に片手を差し出す。数秒、数十秒、いや数分はためらって、でも結局、銀時は男の手に包帯だらけの右手を乗せた。ほんの少ししか切れなかった右手首からは、それでも驚くほど大量の血が出て、それは銀時を竦ませるのに十分な量だった。楽に死ねる方法があるのなら、それを男が教えてくれるのなら。柔らかくはない手で銀時の手を握った男は、そういえば、と言う顔で、「私は吉田松陽と言います。あなたの父親の従弟に当たります。わかりますか?」と、銀時に問いかける。「ばーちゃんが同じ」と、銀時が答えれば、「そうです。彼の葬儀には参列しましたが、…君の存在を知るまでずいぶん時間がかかった」と、男―松陽が薄く目を眇めるので、銀時は松陽の手をぎゅっと握り返した。松陽はゆるく笑って、そうして、あっという間に銀時を明るいところに連れ出してくれた。
銀時の手を引き、途中で少しばかり銀時のための買い物をした松陽は、「さて、今日からここが君の家です。私と、君の父親の祖母が暮らしていた場所で、今は他に誰もいません」と、古い二階建ての家へと銀時を導く。家の中は、思ったよりも明るかった。ここが居間、ここが台所、トイレと洗面台と風呂に、こっちが奥座敷。二階に上がって、向かって右が松陽の部屋で、突き当りが書庫。そして、「この左手の部屋が君の部屋です。まだ何もありませんが、明日以降に揃えましょう」と、松陽は襖を引いて言った。松陽の言葉通り、部屋の中はがらんとして、薄ら寂しい空気を孕む。けれども、銀時には、銀時の貧弱な語彙では言い表せないほど嬉しかった。たくさんの家を渡り歩いてきた銀時には、今まで自分の居場所と言うものが無かった。どの家でも、どこの施設でも、銀時は厄介者でしかなく、何をしても良い存在だった。銀時は、今まで坂田銀時ではなかった。今日、今、この瞬間まで。銀時の肩に置かれた松陽の手を掴んだ銀時は、「…坂田銀時です。よろしくお願いします」と、震える声で松陽に告げる。「ええ、できれば末永くよろしくお願いします」と返した松陽の声はどこまでも軽く、明るく、銀時を捕えて離さない。この人が悲しんでくれるようになったら死のう、と、銀時はその時心に決めたのだった。
やがて、空っぽだった部屋には物置から古いタンスと文机が運び込まれ、真新しい布団が敷かれ、何もない部屋から銀時の部屋になった。銀時はそれまでまともに学校へ通うことも無かったが、それでも本を読むことは好きだ、と言う話をぽつぽつしたところ、松陽は喜んで奥の書庫を解放してくれた。書庫と言うのは、松陽の祖母で、銀時の曾祖母に当たる人が本を集めていた場所で、松陽が家を引き継いでからも着々とその数は増えているらしい。銀時と松陽の部屋が和室の六畳なのに対し、十畳ある書庫は板張りで、大きな窓はない。明り取りではなく、空気取りの穴がいくつかあるだけの部屋には、銀時が読めない本もたくさんあったが、読んではいけない、と言われた本は一冊も無かった。そのうち、銀時の方で読む本と読まない本とをわけられるようになった。そうして7月が過ぎ、8月が終わって、銀時は近所の小学校に転入した。二年生だった。銀時は物事を斜めに見る子どもだったが、斜めに見ると言うこと自体が子どものすることだと言うやや鬱屈した考えも持っていたので、ともかく自然体で当たることにした。友達はすぐにできた。喧嘩もしたが、だいたい勝った。やりすぎないようにする方が難しかった。それまでの経験から、銀時が子どもを殴るとその矛先は保護者に向かう、と言うことは分かっていたので、銀時はあくまで冷静に、必要な分だけ殴った。銀時には、そうできるだけの力があった。
松陽は教師だったので、銀時の勉強は良く見てくれた。が、銀時自身にやる気が無いので、成績はあまり捗々しくなかった。いつか死のうと思っているのだから、当然と言えば当然だったが、松陽もそれほど気にはしていないようだった。そして、銀時が小学校を卒業する年の誕生日に、松陽は銀時に睡眠薬と丈夫なロープをくれた。「たぶん、これが一番楽に死ぬ方法です。これを飲んで、梁からぶら下がって、あとはもう二度と目が覚めなくなるだけです」と、松陽が笑うので、銀時は心の底から「ありがとう先生」と礼を言った。純粋に、松陽が約束を忘れていてくれなかったことが嬉しかった。問題は、いつ使うかである。松陽と共に数年生きて、銀時は生きていることがそう嫌でもなくなっていた。いつか死ぬのなら、いつ死んでも良いと思っていた。それが、いつか死ぬのなら今死ななくてもいいんじゃないか、に変わった時、銀時は少しばかり悲しかった。それでも、松陽より先に死にたいと言う思いに変わりはなくて、銀時は手にした睡眠薬とロープとを、タンスの一番下の引き出しへと大事にしまいこむ。ときおり眺めるそれは、3年経った今でも銀時の宝物だった。おそらくは、本当の意味で一生の。

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泥のように眠って、銀時が目を覚ますと、部屋にはもう西日が射していた。銀時はむくりと起き上がって、普段よりさらに膨らんだ髪をわしゃわしゃ撫でつける。耳を澄ませてみるが、家の中に物音はしない。まあわかってたけど、とがっかりしないように溜息を呑みこんだ銀時は、キィキィ鳴る階段を下りて、薄暗い台所に向かう。水を一杯飲んだ銀時は、冷蔵庫を開けて、中の食材を確かめた。基本的に料理は銀時がするのだが、ときおり気まぐれに料理(と言う名のストレス解消)をする松陽がいるので、冷蔵庫の中がどうなっているのかは銀時にも分からない。今朝は冷蔵庫を開けなかったので、昨日の夜から今朝までの間に松陽が何かしていなければ、今夜はカニ玉が出来る筈だ。が、そう思いながら開いた冷蔵庫にはぎっしりとプリンが詰まっており、ドアポケットには卵が一つも残っていない。きれいにラップが掛かったプリンのひとつに、『お昼にどうぞ。松陽』と、似顔絵付きでメモが貼られているので、銀時はがくりと頭を落とす。「…嬉しいけど、これ飯にはなんねーよ先生…」と、力なく冷蔵庫を閉じた銀時は、米を研いで炊飯器だけ仕掛けると、台所を出て居間に入った。銀時は、良く言えばレトロな電話台の下から今月の生活費が入った財布を引っ張り出すと、中から千円札を一枚抜いて、小さながま口に移し替える。裏が白い広告を八つ切りにしたメモを一枚とって、『買い出しに行ってきます。30分で戻ります。銀時』と書いた銀時は、少し考えると、端に猫の落書きを添えた。松陽は、こういうものを喜ぶ節がある。居間の時計は、18時を差していた。
中学ジャージのまま家を出て、ねじ式の鍵をかけた銀時は、裏に回って古い自転車を押してくる。松陽が乗っていたものだが、あまりに危なっかしいので、「先生、もうそれ乗らない方がいいよ」と、小学生の銀時が諌めて、中学二年の終わりから銀時が使い始めた。さすがにガタがきているが、完全に壊れるまで捨てるつもりはない。松陽は別に金に困った様子も無く、銀時が何か欲しがれば何でも買い与えてくれるのだが、残念なことに銀時が本当の意味で私的に欲しがったものは、今のところ睡眠薬とロープだけである。それも先月までの話で、この先はバイトでもなんでもして身銭を稼ごう、と思いながら、銀時は2km程先の業務用スーパーを目指した。途中で、中学時代の同級生が数人つるんでいる姿を見かけたが、声はかけない。自分からは吹っかけないものの、売られた喧嘩は必ず買い、そして負けなかった銀時は、いろいろな意味で有名人だったので、あえて彼らの平和を壊すつもりも無かった。10分ほどで着いたスーパーの駐輪場に自転車を置き、カゴは取らずにまっすぐ卵売り場へ向かった銀時は、10個入りの赤卵に手を伸ばしたところで、腰のあたりににぶい衝撃を受ける。大した力でもなかったが、つま先立ちで卵を掴み損ねた銀時は、ショーケースに掴まって難を逃れた。振り返れば、カートを押した(おそらくは)中学生と目が合って、「…痛ェんだけど」と、銀時は一応文句を言う。
「そうですか、それはすいやせん」と、まるで悪いとも思っていない様な顔で下げた中学生の頭を、後ろからやってきた誰かがぺしんと叩いて、「馬鹿野郎、そんな言い方があるか!すみません、大丈夫です…か…」と、声がだんだん小さくなった。それはそうだろう、銀時だって驚いた。中学生の後ろにいるのは、つい数時間ほど前に会った黒髪サラサラストレートだったのだ。「えーと」と、銀時が言葉を探すうちに、「すまん、大丈夫か」と、黒髪ストレートは口調を切り替えて、銀時に手を伸ばす。「え、うん、痛かったけどびっくりしただけだし」と、銀時が返せば、ストレートはほっとしたような顔で、「コイツ、いろんな意味で危なっかしくて。やっぱカートはだめだったな」と、中学生の頭をぐしゃぐしゃかき混ぜた。邪険に手を振り払われる様を見ながら、「その子、弟?」と、銀時が尋ねると、「幼馴染。ちなみに、こいつの姉ちゃんが俺らと同じ学校で、年も同じ」と、ストレートは答える。「そうなんだ」と、いらない情報に頷いてから、「俺、坂田銀時」と、銀時が名乗れば、「土方十四郎だ。こっちは沖田総悟、明日から中三」と、ストレートは言った。「ひでぇや土方さん、プライバシーの侵害ですぜィ」と、唇を尖らせた沖田の頭をもう一度押し下げた土方が、「本当に悪かった」と、自分も頭を下げるので、「も、いいって。なんともねーし、卵割れなかったし」と、銀時は手を振って、「それより、お前この辺に住んでんの?」と、首を捻る。「この辺…ってほどでもねえな。ここから車で20分くらいだ」と、土方が言うので、「そっか」と、銀時は土方の行動が腑に落ちて頷く。となると、学区が二つほど離れる筈だ。銀時の容姿を知らないのであれば、土方のこの気やすさも頷ける。銀時がなんとなくほっこりする間に、「お前は?」と、土方が問いかけるので、一瞬何が、と思いかけた銀時は、すんでのところで、「わりとすぐ。自転車で10分かかんねーくらい」と言い直した。そうか、と言った土方は、まだもう少し何か言いかけたものの、「土方さん、早くしねェと姉ちゃんが待ちくたびれてますぜィ」と、沖田に袖を引かれている。「あー、俺も急ぐから、もう行くな」と、銀時が片手をあげれば、「そうか、じゃあまた学校でな」と、当たり前のように土方も手を振った。もう少し買い物を続けるらしい沖田と土方をなんとなく見送ってから、銀時は改めて卵を手にとって、レジに向かう。夕食前のレジは、様々な客であふれかえって、ずいぶん時間を取られた。

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卵が割れないように、自転車のカゴではなく片手に下げて銀時が家に帰りつくと、玄関に松陽の靴があった。「ただいま〜」と、脱ぎ捨てた靴を一応揃えて銀時が言えば、「おかえりなさい」と、松陽は台所から顔を出す。「プリンは気に入りませんでしたか?」と、続いた松陽の声が心持ち沈んでいるので、「じゃなくて、昼はさっちゃんが食べに連れてってくれました」と銀時が答えれば、「あやめちゃんは元気でしたか」と、松陽は唇を綻ばせる。「先生さ、そのあやめちゃんて、止めない?」と、言いながら銀時は卵を作業台に乗せて、流しで手を洗った。「あやめちゃんはあやめちゃんでしょう」と、卵のパックを開いた松陽は、「今夜は何を作るんです?」と、銀時に問いかける。四人掛けのテーブルには、すでに副菜として大根とツナとコーンのサラダと、銀時のために砂糖掛けのトマトが乗っていた。「カニ玉。カニカマ古くなってるから」と、答えた銀時は、流しの下から中華鍋を取り出して、火にかける。「ああ、だから買い出しに」と、松陽は納得したような顔で、野菜室から長ネギとカニカマを取り出した。「そう、プリンすげー量だから」と、笑った銀時は、手早く材料をかき混ぜて、焼いて、ふんわりとしたカニ玉を皿に乗せた。鶏がらスープも便利だが、ウェイパーはさらに万能である。「君がいると楽出来ていい」と、途中から椅子に座って銀時の背中を眺めていた松陽は、銀時があいまに作った味噌汁をよそい、銀時が炊き立てのご飯をついで、夕食になった。
すっかり暗くなった部屋を照らす蛍光灯の下で、「高校はどうでしたか」と松陽が尋ねるので、「まだよくわかんないです」と、銀時は返す。「今日はほんとに式だけで、クラスも教室もわかんなかったし、俺学校見学にも行かなかったし」と、と首を振った銀時に、「友達は?」と松陽が重ねるので、「さっちゃんかな」と銀時は笑った。同中の人間は何人かいるものの、特に親しいわけではない。サラサラ黒髪ストレートの土方の顔もちらりと浮かんだが、あれはまだ友達ではないだろう。「電車通学はどうです」と、続けた松陽に、「三駅だから、たいしたことないです。先生と同じくらいです」と、銀時は答えた。松陽は、毎日車で30分先の私立高校まで通勤している。徒歩12分の駅まで歩き、10分電車に揺られて降りれば、銀時の高校は目と鼻の先なので、むしろ銀時の方が楽だろう。このくらいの距離なら自転車で通っても良かったのだが、それは松陽が反対した。遅刻しかけて猛スピードで自転車を漕ぐ君の姿が見えるようなので、と言う松陽の言葉は、全くその通りなので、銀時も反論しない。16歳になったら普通二輪の免許を取りたい、と思っている事は、今のところ松陽には内緒だった。カニ玉をすくい上げながら、「部活はどうします」と、松陽が首を傾げるので、「強制じゃないみたいなんで、帰宅部で通します」と、銀時は甘いトマトを飲み込んだ。「運動神経もいいのに、もったいないですねえ」と、苦笑した松陽に、「俺の青春はバイトに捧げるから気にしないでください」と、銀時は肩をすくめる。ちなみにバイト先は、松陽の知り合いの運送会社に話を付けてあった。
「お金が欲しいですか?」と、松陽がじっと銀時を見つめるので、「俺の手で稼いだ金が欲しいです」と、銀時も松陽を見つめ返す。親のいない銀時には、高校進学に当たって、公的にいくらかの助成金が出ていた。松陽は断ろうとしたらしいが、銀時はむしろ進んで受け入れている。高校くらいは出ておかないとこの先の就職口が見つからない、という程度の意識で通う学校なのだ。進級と卒業できるギリギリのラインで行こうと思っている銀時は、そんなことのために必要以上の金を使いたくはなかった。奨学金が取れたら一番良かったんだろうけどな、と箸を噛んだ銀時は、返さなくても良い奨学金のラインには到底及ばず、返さなければならない奨学金を返す当てもないので、そこは松陽に頼っている。むしろ松陽は大学まで出してくれるつもりでいるらしいのだが、そんなことは銀時がごめんだった。銀時は学校が嫌いではないが、集団行動には向かない人間だということも嫌と言うほど理解している。突然学校に目張りしてガスを流さないためにも、銀時には適度なガス抜きが必要だった。良く言えばリベラルな校風の、はっきり言えば単に荒れているだけの高校をあえて選んだのは、そのためである。基本的には銀時の自由意思を尊重してくれる松陽は、今回も困ったように笑って、「休みの日は、また一緒に木刀を振りましょうね?」と、銀時に約束を取り付けた。銀時は、もちろん喜んで頷いた。
夕食のあとは、二人で風呂に入った。銀時がこの家に来てからずっと続く習慣だった。髪を洗うのが下手だった銀時の為に、松陽は今でも銀時の頭を流してくれる。かわりに銀時は、松陽の背中を流すことになっていた。他はそう広くもないこの家の中で、風呂だけは場違いなほど大きい。湯桶にしても、ふたりで向かい合うのに十分な大きさだったが、銀時は松陽の胸に背を預けて足を伸ばすのが常だった。「ずいぶん大きくなりましたねえ」と、背後から銀時の手を握った松陽が言うので、「その内先生より大きくなります」と、銀時は宣言する。松陽は少し笑って、「そうですか?」と、銀時の腹を摘まんだ。骨と皮ばかりの子どもだった銀時の腹が、今はちょっと抓めるのだ。掴めるようになってしまったら困るのだが。「うわっ」と、くすぐったくて身をよじった銀時の身体を抱きしめて、「その内こんなこともできなくなりますね」と、松陽が言うので、「別に、いつまででもすればいいじゃないですか」と、銀時はごく軽く返す。「君が私より大きくなっても?」と松陽に問いかけられた銀時は、「そうしたら、今度は俺が後ろに回りますね」と、何でもない声で答えた。何でもない声になっていたらいい、と思った。
松陽の長い髪は、乾くまでに時間がかかる。銀時の頭は、どうしたって広がる一方なので、濡れたまま寝ても同じことだった。風呂のあと、松陽は大概部屋にこもってしまうので、銀時は松陽の髪が乾くまで、松陽の後ろで本を読むことにしている。今は、民俗学の塊に手を出していた。銀時は幽霊が嫌いだが、妖怪の類は好きである。あらゆる解釈の化け物たちは、銀時にとっても身近に感じられた。とくに、三つ指の件が。「先生、この河童の解釈ってすごいね」と、銀時が言えば、「そうですねえ、親指と小指がなくなったら、鍬と鋤だって持ちづらいだろうと思うのですが」と、松陽は返す。「足の小指が無いだけでも結構大変なのにね」と、頷いた銀時は、それきり松陽の答えは待たずに本をめくった。
銀時の右足には、小指が欠けている。元はあったのだが、銀時が5歳になった時、祖父が切り落としたのだ。詳しい理由は忘れてしまったが、空腹に耐えかねた銀時が祖父の食事をかすめ取ったとか、そう言ったことだったのだと思う。ろくな手当てもされなかった指は、けれども今はすっかり肉の芽の様になって、生活に支障はない。面倒なのは、周囲の目だった。ただでさえ目立つ髪をしている銀時は、あらゆる場面で奇異の目にさらされている。できる限り裸足になる場面は避けているが、体育でもプールでも自然学習でも、そんな機会はいくらでもあった。なぜないのか、を聞かれて答えているうちはまだ良かった。問題は、答えた内容が独り歩きするようになってからである。銀時の母方の祖父母は、死んだという話を聞かないのでおそらくまだ生きているのだろうが、少なくとも現時点で銀時とは係りが無い。だと言うのに、なぜそれが銀時の保護者である松陽の所業にすり替わって、しかも松陽の教育で銀時が形成されたと伝わっているのだろうか。小指の他にも、痕になった右手首のためらい傷と、他にもいくつか残る引き攣れた傷跡の全てに、松陽は関与していない。銀時が銀時になったのは松陽のおかげだが、しかし銀時のねじ曲がった人格を形成したのは、紛れもなく8歳までの鬱屈した生活である。8年かけて少しは強制されたそれを、松陽に感謝しこそすれ、悪し様に罵られる覚えはない。かと言って、そうねじこめばさらに松陽と銀時の立場は悪くなる。と言うわけで、銀時はある時期から、芽の様な小指の先にぐるぐる絆創膏を貼って、ないことを誤魔化す、と言う消極的な作戦をとっていた。今でも、銀時は先が開いたサンダルは履かない。夏でも長袖を着る、というようなことはしないが、あまり右手首の内側が見えるような動作もしないようにしていた。したことについて今も後悔はないが、死なないのならするものではなかった、とは思っている。
ぺらり、とまたページをめくった銀時の頭に、松陽はそっと手を置いて、「あなたは正しく人間なのですから、河童との相似点など探してはいけません」と、珍しく銀時を咎めた。うん、と頷いた銀時は、殆ど頭に入らなかった本を閉じて、「おやすみなさい」と松陽に告げる。「はい、おやすみなさい」と答えた松陽は、銀時を置いて二階へ行ってしまった。昨日までなら、銀時は適当に居間で時間を潰していたものだが、さすがに明日からは正式な高校生である。少しは早寝するか、と伸びをして、銀時はぱちんと居間の明かりを落とした。部屋に戻った銀時は、タンスの一番下の段を開いて、さきほど適当に放り込んだ一万円札を、ロープと睡眠薬の下に置いた【遺書】の中に滑り込ませる。大したことが書いてあるわけではない。松陽への感謝と、生きていて良かったと思いながら死んでいける幸福を適当に綴っただけの遺書は、おそらく遺書の体を成してはいないのだが、松陽に当てるのであればこれで充分だった。毎年誕生日に書き直すそれは、少しずつ内容が増えている。ここに松陽以外の誰かの名前を書き加えることがあったら、その時はきっと銀時が死にたくなくなったということなのだろう。ロープを一撫でして、引きだしを閉じた銀時は、適当に過去のジャンプをめくり、その内眠くなって、電気を消した。目を閉じる前に、明日の朝御飯はプリンだな、と、食べ忘れた大量のプリンのことを思った。

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顧問でもある剣道部の朝連に参加するため、松陽の朝は早い。6時過ぎに家を出る松陽を、かろうじて見送った銀時は、二度寝したい欲求を抑えて、台所でプリンと食パンと牛乳の朝御飯を食べた。ただの食パンは、それはそれで美味いと銀時は思うのだが、松陽にはなかなか理解してもらえない。素材の味を大事に、と言ってみたが、「素材の味を引き出すためにジャムやバターがあるのですよ」と、松陽の言葉はわりといつでも正論だった。顔を洗って歯を磨き、どうにもならない髪をどうにかしようと悪戦苦闘して諦め、制服を着る。支度が済んでも、時計はまだ7時前だった。二度寝しても良かったな、と、居間の座椅子に背中を預けた銀時は、今日が月曜日だということを思い出して頭をあげる。駅でジャンプを買って教室で読もう、と決意した銀時は、まだ軽い鞄を下げて家を出た。まあ、この先三年間もほとんど軽いままなのだろうが。
銀時のポケットでは、昼食代の500円が揺れている。お弁当を作りましょうか、と、松陽は割合楽しそうに提案したのだが、銀時が断った。松陽の学校には安い学食があるし、弁当が必要なら銀時が作ればいい。むしろ昼食など水道水でも事足りるくらいなのだが、当然ながら松陽は許さなかった。500円が多いのか少ないのかはわからないが、ともかくいちご牛乳とクリームパンとジャンプを買ってもおつりがあるので、銀時は満足である。ただ、毎日500円はいらないので、その辺はまた松陽に交渉しよう、と、10分の乗車時間でドラゴンボールだけは読み終えた銀時は力強く頷く。入学式の余韻はない校門をくぐり、ジャンプを開いたまま桜並木を歩いていた銀時は、不意に木の影から走り出てきた誰かと正面衝突して、尻もちをついた。昨日からついてねーな、と、とっさに取った受け身の姿勢のまま半眼になった銀時は、「おい、大丈夫か?!」と、ジャンプの向こうから聞こえた声に、「大丈夫だけど、良く会うね」と、ジャンプを持ち上げる。「坂田?」と、疑問形の土方に、「うん、坂田。銀時でもいけど」と返した銀時は、「なにその格好、剣道?」と、道着姿の土方を見上げた。立ち上がる銀時に手を貸しながら、「剣道部に入りたくてここに入ったんだ、デケー剣道場もあるし」と、土方が言うので、「春休みから参加してたとか?」と、尻の埃をはらいつつ銀時は重ねる。「ああ、まあ。剣道推薦だしな」と、少し笑った土方が、銀時の手を見下ろして、「…お前も何かしてんのか」と問い返すので、「すげーな。わかるほどじゃねーと思うんだけど」と、銀時は両手を広げて見せた。剣ダコの欠片もないが、「一応木刀の振り方だけ教えてもらってる」と、銀時が素直に答えると、「剣道部入らねえ?」と、土方は銀時の両手を掴んで詰め寄る。顔が近い。「あー、諸事情でバイトとかあるから。部活は入らない」と、銀時が首を振れば、土方はひどくしょげた顔で、「なら仕方ねーな」と肩を落とした。「うん、でも部活がんばってね。剣道強いんだろ、ここ」と、松陽からの情報を元に銀時が土方を応援すると、「おう、ありがとな」と、土方は白い歯を見せて笑う。銀時からあまりに遠いので、逆に眩しくもなんともない土方に微笑ましさを覚えた銀時は、ジャンプとコンビニ袋を拾い上げると、「じゃ、また」と、土方に片手をあげた。「ああ、またな」と手を振った土方が、木立を縫うように走って行く先には、瓦屋根の建物が見える。あれが剣道場なのだろう。
松陽も来たことがあるかもしれない、と微妙に感慨深く土方を見送った銀時は、人気のない下駄箱の前で、クラス分けを確認する。終わりのJからはじめて、結局B組で「坂田銀時」を見つけた銀時は、同じ紙に「土方十四郎」を見て取ると、思わず笑ってしまった。黒髪サラサラストレートで剣道部の土方十四郎くん。「結構面白そうな奴だったよな」と呟いた銀時は、一年B組の下駄箱にスニーカーを放り込み、真新しい上履きをさっそく突っかけて、第2校舎の3階に向かう。一、二階は科目室、三、四階が一年の教室、という説明を受けていた銀時は、何度か辺りを見回しながら、それでも危なげない足取りで一年B組の教室に辿りついた。まだ誰もいない。黒板にも貼られていた座席表で、一応『坂田銀時』を再確認した銀時は、五十音順になった座席表をなぞって、廊下から二列目の前から三番目に落ち着く。ついでに確認してしまった土方は、窓際から三列目の三番目で、それはつまり銀時の隣の隣の席だった。だからどうと言うことも無いが、遠いよりは嬉しい、と思いつつ、ジャンプを広げた銀時は、幽遊白書を読み終わったところで机に突っ伏した。時計は、七時五十五分を指している。八時四〇分からのHRにはまだ遠く、そして誰もやってこない。くわあ、と欠伸をした銀時は、静かな教室で、ジャンプを枕に小さな寝息を立てはじめた。

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「おい」と、小さな呼び声と共に軽く髪を引っ張られて、銀時は目を覚ます。うん?と、視線だけ動かせば、銀時の髪を引いたのは学ラン姿の土方だった。「部活、終わり?」と銀時が尋ねれば、「まあな」と土方は頷いて、「もう五分前だぞ」と、袖をめくって、八時三十四分を指す腕時計を見せてくれる。「あ、もうそんな時間?ありがとー」と、銀時は体を起こして、少しばかり皺の寄ってしまったジャンプをいそいそと鞄にしまいこんだ。土方が立ち去らないので、「なに?」と銀時が首を傾げれば、「いや…」と土方は口籠って、「その頭、天然か?」と問いかける。天然。ガタッ、と立ち上った銀時が、「ああん?天然だったらなんだよ、俺が天パだと何か不都合があんのか?後ろの席だったら前が見えねーとか文句も聞くけどな、テメー自分がそんなサラサラ黒髪ストレートだからって天パ見下してんじゃねえぞ!!」と、ほぼワンブレスでまくし立てれば、土方は一瞬ぽかん、と口を開いて、それから一気に眉根を寄せると、「ハァァ?!何いきなりテンション上げてんだよテメーは!!俺は染めたりしてんのかそうじゃねーのか聞きたかっただけだ、妙な勘違いしてキレてんじゃねーよ!」と、銀時以上のテンションで巻き返した。「こんな色に染めて何の得があるっつーんだ、地毛だ地毛!あたりめーだろ!!俺だってできればテメーみてーなサラサラ黒髪ストレートに生まれて見たかったわ、羨ましいんだよちょっと触らせろ!」と、銀時が土方の前髪を掴むと、「だからこその確認だろうが!!ずいぶんきれいで触り心地が良さそうだったから抓んでみたらフワッフワとか、それで天然てありえねーだろ!?いくらでも触って良いから俺にも触らせろ!」と、土方も銀時も髪にずぼっと指を入れる。さらり、と指通り良く零れた黒髪に、苛立つと同時に惚れ惚れとした銀時は、「お前さっきまで運動してたんだろ?汗かいたりしてねーの」と土方に問いかけた。「かいたに決まってんだろ。あんまり触ると汗臭くなんぞ」と、答えた土方の眉間にはまだ皺が寄っているものの、銀時の髪をモフモフする指は松陽のそれと大差ない。つまり、優しい。「…なに?ほんとに馬鹿にしてたわけじゃねーの?ただの好奇心?」と、土方の天使の輪の辺りを撫でながら銀時が呟くと、「悪ィかよ」と、ふて腐れたような声で、それでも土方は銀時の髪から手を離さなかった。その辺で、と、銀時が土方の手を押さえて、「なんかゴメン」と謝罪すれば、「いや、…気にしてたんなら俺も悪かった」と、土方もバツが悪そうな顔で銀時から目を反らす。土方越しに時計を見上げれば、ちょうど長針が八を指すところで、「戻って、先生来ちゃうから」と、銀時は土方の背を押した。ふー、と息を吐いて椅子に座れば、辺りはしんと静まり返って、そして教室中の視線が銀時と土方に集まっている。あれっ?と、銀時がぐるりと周囲を一瞥すると、まだ顔も知らないクラスメイトは一斉に銀時から目を反らした。あれ、ともう一度思った銀時は、同じく途方に暮れたような土方と一瞬だけ視線を合わせて、どちらからともなく目を伏せる。気まずい。めちゃくちゃ気まずい。妙な高校デビューをかましてしまったような気がする。どうしようこの空気、どう考えても俺のせいだけど、俺のせいなんだけど、四分の一くらいは土方のせいにしてもいいよね?っていうか三分の一くらいは。半分でも。はあああああ、と溜息を吐いた銀時は、天然パーマの銀髪をくしゃりと掻き交ぜた。

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中休みである。担任教師の自己紹介と、簡単な学校説明でHRは終わった。担任は、『吉原日輪』と名乗る女性で、かなりの美人である。前扉を勢いよく開けて入ってきた日輪は、お通夜のようなムードの教室に少しばかり引いていたものの、文字通り太陽のような明るさであっという間にクラスを盛り立て、空気を換えてくれた。一時間目は引き続き日輪の日本史と言うことで、教壇の脇に腰かけた日輪の周りには、もう人だかりができている。そして銀時の前には、また土方が立っていた。「なあ」と、机を叩く土方に、「なぁに」と、疲れ切った声で銀時が答えれば、「お前『白夜叉』?」と、土方は尋ねる。ぴく、と眉を動かしてしまった銀時が、「…どこで聞いたんだよ」と、問い返せば、「まあ、いろいろ」と、土方は返した。いろいろ、の内訳がそれこそいろいろ想像できてしまう銀時は、机に肘をついて、「だったらなに?別に俺お前に何もしねーよ?」と、薄く笑う。銀時としては、このまま土方に自分のつ席に戻って欲しかっただけなのだが、「そんな心配はしてない」と、土方はあっさり首を振って、「部活は入らなくていいから、今度木刀で勝負してくれ」と言った。がくん、と肘から顎を落とした銀時は、ぺたりと頬を付けた机から土方を見上げると、「俺たぶん弱いよ?」と、冗談ではなく告げる。銀時のそれは、ただ振りまわすだけの棒術で、剣道ではないのだ。一応型を習ったこともあるが、性に合わなくて、ろくに覚えてもいない。見るからに背筋の伸びた土方とは、勝負になる筈が無かった。が、土方は首を振って、「木刀を使うだけでいい。剣道じゃなくていい」と重ねる。うん?とますます首を捻った銀時だが、特に断る理由も無かったので、「勝負したら、何かしてくれる?」と、言ってみた。「何して欲しいんだよ」と、何の気負いも無く返した土方に、「いちご牛乳買って」と、銀時が頼めば、「十本くらいでいいか」と、土方は即答する。がばっと体を起こして、「十本?!お前それ一〇五円のでも千五十円すんぞ!いいのかよ」と、銀時が声を上げれば、「ちゃんと勝負してくれんならな。何なら、百四十八円のいちごミルクもつけてやる」と、土方は軽く請け負った。「乗った」と、銀時が左手を差し出すと、土方は一瞬妙な顔をしてから、同じく左手で銀時の手を握る。いちご牛乳。いちご牛乳が十本あれば、十日は幸せでいられる。安上がりな幸せかもしれないが、銀時にとっては大事なことだった。へら、と笑み崩れた銀時に、「じゃ、またあとでな」と告げて、土方は隣の隣の席に戻っていく。本鈴が鳴ったのは、そのすぐ後だった。


(現代パロディ過去編 / 坂田銀時×土方十四郎 / 130803)