song4U.02  

松陽の家に鬼がやってきた。 と言うのは、三日ほど門扉を閉ざしていた村塾が再開したとき、松陽がにこやかに告げたことだ。刀を抱えた銀髪の子どもの背を押して、「この子が、皆が噂していた鬼の正体です。名前は『坂田銀時』と言います。昨日うちの子になったので、これからよろしくお願いしますね」と言い放った松陽に習って、「銀時です。よろしくおねがいします」と、その鬼はぺこりと頭を下げた。鬼の声は、人と変わらない色をしていた。鬼退治と言っていた筈が、鬼を連れ帰ってくるとは、さすが先生、と桂は至極感心したのだが、そうではない者も多かった。
その日のうちに、松陽の塾にはたくさんの大人が詰めかけ、村塾は午後からまた休塾になった。医師である桂の父も会合に駆り出されたので、桂は父について松陽の家に残っていた。とはいえ、子どもの桂は早々に座敷から放り出されて、暇になった桂は適当に持っていた教科書をめくってみたり、柱の節を数えていたりしたのだが、どちらも直ぐに飽きてしまった。まだ当分終わりそうにない喧騒を襖越しに確認した桂は、松陽の家を探検する事にした。松陽は寛大なので、今までにもあちこち覗いたことはあるが、ひとりで、と言うのは初めてだった。それだけで、何の変哲もない障子戸の向こうがたまらなく魅力的に映る。

懐に教科書をしまった桂は、そっと立ち上がって廊下を駆け抜けると、まずは手近な松陽の自室の障子を思い切り開いた。と、そこに銀髪の鬼が立っていた。思わず叫びかけた桂の口を押さえた鬼は、桂を無理やり部屋に引きずり込んで、後ろ手に戸を閉める。「しゃべんな、人が来る」と、面倒くさそうに言った鬼の身体は、桂より一回り小さいと言うのに、桂の口を塞ぐ左手はひどく力強い。そして右手には刀を下げている。
ぶわ、と恐怖に駆られた桂がめちゃくちゃに手足を振り回せば、「なんだよ」と、鬼は桂の口から手を放して、桂の腕を掴んだ。「お前は、俺を食う気か」と、鬼から目いっぱい身体を放して桂が尋ねれば、「食えるもんなのか?」と、鬼は不思議そうに問いかけた。食いたいかどうかを尋ねられたら答えは否だが、食えるか食えないかと言われたら、「…人間も動物だから、しかるべき処理をすれば食べられると思う」と、桂は答えた。「覚えとく」と頷いた鬼は、桂の腕を放して、壁際の一角に落ち着いた。見れば、いつもはしまいこまれている布団が二組置かれたままで、松陽の寝間着も畳まずに放られている。「鬼も布団で寝るんだな」と、桂が呟けば、「鬼ってなんだ?」と、返されて、桂は返事に詰まった。
「鬼は…人を食ったり、おなごをさらったり、他にも悪いことをする」と、桂が答えれば、「どんな」と、鬼は重ねて問いかけた。ええと、とますます進退極まった桂は、ちらりと障子に視線を送り、銀髪の鬼に視線を戻し、入口に一番近い畳の隅で、雨月物語と一寸法師と酒呑童子と羅生門と橋姫と瓜子姫と桃太郎の話をしてやった。鬼はときおり言葉の意味を尋ねたが、それ以外はおとなしく桂の話を聞いていた。途中で桂が軽く咳払いすると、鬼が水差しから水を汲んで渡してくれた。桂が知る、というか松陽が語ってくれた鬼の話を一通り終えると、鬼が「おもしろかった」と言って桂に新しい水を注いでくれるので、「それより茶を淹れよう。先生は気になさらないはずだ」と、桂は立ち上がる。障子を開いて、「お前も手伝え」と桂が振り返れば、鬼は差し込んだ夕日に眩しそうな顔をして頷いた。

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桂と鬼が竈場へやってくると、ちょうど松陽が茶を汲みに来たところだった。「これは良いところに」と、唇を持ち上げた松陽は、桂に茶碗、鬼に菓子鉢を持たせ、自身は茶筒と急須を持って桂と鬼の背を押した。「先生」と、桂が松陽を見上げれば、「意見も出尽くしましたから、このあたりで銀時のお披露目をしようと思っていたのですよ」と、松陽は桂に片目を瞑って見せた。「君が仲良くなれたのなら安心です」と、松陽が勝手に頷いているので、「でも、鬼なのでしょう?」と、桂は不安げに眉を下げた。桂の肩に手を置いた松陽は、「君はどう思いますか」と、黙って菓子鉢を運ぶ鬼に視線を落とした。しばらく考えてから、「俺の知っている鬼とは違う気がします」と桂が答えれば、松陽はひどく嬉しそうにほほ笑んだ。

障子を開けて入った銀髪の鬼に、大人たちはざわめいた。ひとしきり動揺が回ったところで、「昨日から私の養い子になった坂田銀時です。年は九つ、戦で家族を失った子どもです。どうか温かい目で見守ってやってください」と、松陽は何でもない顔で鬼の頭に手を置いた。その、銀色の頭に角の欠片もないことを見てとって、桂はうん、と頷く。鬼、白髪、鬼子、忌まわしい、余所者、天人、不吉な、吉凶の、白鬼、などと言う声が聞こえる中で、桂は湯呑を床の間に置くと、銀髪の鬼−ではなく、銀髪の子どもの手をぎゅっと握った。「銀時は、鬼のことを知りませんでした。鬼がするようなこともしたことが無いようです。水もくれたし、俺の話をおもしろいといってくれました。銀時は、鬼でも鬼の子でもなく人の子です」と言った桂は、銀時に向き直り、「申し遅れたが、俺は桂小太郎と言う。お前と同い年だ。わからないことがあったら、さっきみたいに聞いてくれ。答えられる事は答える」と、銀時に告げた。しばらく桂の顔を見つめていた銀時は、ふ、と桂の頭に視線を移して、「若いのに大変だな。かつら」と、なんだかひどく気の毒そうに言った。「誰が鬘だ!!!そうじゃなくて桂だ、か(→)つ(→)ら(→)じゃなくてか(↑)つ(→)ら(→)!!」と、桂は銀時の併せを握ってゆすったが、「わかった、コタロウだな」と、銀時は何もわかっていない顔で頷いた。松陽が言うところの「まいぺーす」というやつだろう。銀時にはそのうち桂の木を見せて説明しなくては、と決心した桂の後ろで、「御覧の通り、友人もできたようですし」と、松陽は和やかに話を進めている。

もう友でいいのか、と思った桂の脇腹を突いて、「ユウジンてなんだ」と銀時が尋ねるので、「一緒に遊んだり、勉強したり、喧嘩したり仲直りする相手のことだ。たしか先生の書斎に本があったから、また話してやろう」と、桂は請け負った。銀時が松陽を手伝って茶を淹れる間に、桂は座敷を一回りして茶受けの饅頭と茶碗を配り歩いた。父親の前で呼びとめられた桂は、「あまり親を心配させるものではない」と窘められたが、桂は平気だった。「父上はいつも、人を見かけで判断するなとおっしゃいます。俺はそうしただけです」と、桂が答えれば、父親は深く溜息をついて、「お前は屁理屈ばかりうまくなる」と、ゆっくり茶を啜った。

駄賃代わりに、と残った三個の饅頭を貰った桂は、銀時と連れだって座敷を出ると、松陽の部屋に帰って桂と銀時の為に茶を淹れた。いくぶん濃くなりすぎた茶に、桂は舌を焼いたが、銀時は気にせず湯呑を開けていく。問題は饅頭だった。一つ半の分け前を見下ろして、怪訝そうな顔をした銀時は、桂が半分を口に入れるのを見て、「…食いもんなんだな」と、おそるおそる皮の端を齧った。目を丸くした銀時に、「美味いだろう、甘くて」と、桂が言えば、「あまい」と、銀時は鸚鵡返しに言った。 少し考えて、「銀時、塩はわかるか」と、桂が尋ねれば、銀時はこくりと頷いた。「塩はしょっぱいが、この饅頭には砂糖と言う甘いものが使われている。そうだな、柿とか栗とか花の蜜とか、ああいうものを甘い、と言うんだ」と、桂は一生懸命説明した。あまい、うまい、しょっぱい、と一つずつ確認する銀時の手に、もう半分饅頭を乗せた桂が、「甘いものはうまいと俺は思う。銀時もそうだったらいい」と告げれば、銀時は掌を見つめて、「食えればなんでも、…」と言いかけて止まる。饅頭を口に押し込んで、もぐもぐ噛んで飲み込んだ銀時は、「うまい」と、真顔で桂に言った。頷いた桂は、銀時のためにもう一杯、妙に濃い茶を注いでやった。
夏にはまだ手が届かない春の陽はやがて落ち、ちらちらと星が瞬く頃になって、ようやく会合は終わった。良くわからないが、銀時はこのまま松陽の家で暮らしていけるらしい。「君のおかげです、ありがとう小太郎」と、松陽に両手を握られた桂は、顔を真っ赤にして「俺は、自分の思ったことをしただけです。先生が、悪い鬼を連れてくるわけがないです」としどろもどろで口にした。半歩下がって桂と松陽を眺めていた銀時に、「また明日な」と、桂が声をかければ、「あした」と、銀時がまた呆けた顔をするので、「一つ寝て、朝になったら『明日』だ。ちなみに今ここにいることは『今日』で、寝る前のことは『昨日』だ。また、明日」と桂は重ねた。頷いた銀時と桂を交互に眺めた松陽は、「小太郎は銀時の先生になれそうですね」と、嬉しそうに言った。松陽に頭を下げた桂は、門の前で待っている父親の元まで駆けて行き、そこで振り返って銀時に手を振った。銀時は首を傾げていたが、松陽に何事か言い含められて、ぎこちなく手を振り替えした。桂は満足そうに頷いて、早足で父親に続いた。

夕食の席で、桂は銀時の髪の色について父親に尋ねてみた。医者の話を聞きたかったのだ。父親の話では、生まれつき色素が薄く、体毛も肌の色も真っ白で、眼は赤い者が生まれることもあるという。また、何らかの理由で髪が白くなってしまう病気や心の病があることも教えてくれた。熱心に頷く桂に、「だからと言って、あの子がそのどれかに当てはまるとは限らないし、そのどれであっても、里の目が変わるわけではないということも覚えておきなさい」と、父親は釘を刺した。あの子が手放さない刀に何の意味があるのかも良く考えなさい、とも。その晩床に入った桂は、真っ白な子どもが真っ白な刀を抱えて、水の中で体を丸める夢を見た。まるで×××のようだ、と夢の中で思った桂は、けれども目を覚ましてからそれが何のようだったのか、まるで思い出せないのだった。

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桂の背が見えなくなるまで見送ってから、指を使って昨日と今日と明日を並べる銀時へ、「食事にしましょう」と、松陽は声をかけた。松陽を見上げて、「もう食った」と、銀時が言うので、「饅頭は食事ではありません、あれはおやつです」と、松陽は返した。「それとも、もう食べられませんか」と、松陽が尋ねれば、銀時は薄い腹に手を当てて、「食えるときに食う」と答えた。はい、と受けた松陽は、銀時の背に手を当てて、「ここにいる間は、少なくとも三食食べられますから、安心してください」と噛んで含めるように言った。
朝炊いたご飯に、味噌汁と漬物、表の畑で取れた芹のお浸しと近所から届いた卵を加えた夕食は決して贅沢なものではなかったが、銀時にとっては温かい食事自体がご馳走だった。黙って味噌汁を啜る銀時に、「明日の朝は魚の干物が付きますからね」と、松陽は誇らしげに言う。魚。山にいるときも、山を出た後も、魚は良く食べた。うさぎよりも捕まえやすかったし、食べるのも簡単だったからだ。戦の残り火で焼く魚は、桂が言ったような「うまい」ものではなかったような気がする。腹に入れば、何もかも同じだった。ずっと腹の中にいてくれるわけではないところも。 「…まんじゅう」と呟いた銀時に、「気に入りましたか?あの店のお菓子は、饅頭以外もお勧めですよ。三色団子も餅菓子も練りきりも」と、松陽ははしゃいだ声を返した。餅以外、何を指しているのかもわからなかったが、「それはあまいのか」と尋ねた銀時に、「ええ、甘いです。甘くないお菓子もありますが」と、松陽は答えた。「食べたいですか?」と問い返した松陽に、銀時は一瞬躊躇って、でも小さく頷いた。「おやつの時間を作るのも良いですね。毎日、八つ時がおやつですよ」と、松陽は言った。首を捻った銀時に、「さっき、小太郎から今日と明日を教わりましたね。時間は、今が今日のいつなのかを知るためのものですよ」とざっくばらんに松陽は返すと、「ご飯を食べたら、お風呂の中で数と時間の勉強をしましょう。それがわかるようになったら、季節のことと月のことも」と、続けた。松陽が何を言っているのかは良くわからなかったが、それがわかるようになるのならば、と銀時はまた頷いた。少し冷めてしまった味噌汁を飲み干した銀時は、手を合わせて、「ごちそうさまでした」と膳に頭を下げた。これは、炭焼き小屋で習ったことだった。


(出会う話 / 坂田銀時と桂小太郎 / 130717)