song4U.01  

ものごころつくかつかない頃、銀時は山で暮らしていた。記憶と言うよりも断片的な風景しか思い出せないが、洞窟の中で笑い合う大人たちの声と、木漏れ日に照らされた両刃の剣のきらめきと、もうそこまで小さくはなかった銀時に乳を含ませてくれたおんなの乳房の柔らかさと、山を染めた炎の色は覚えている。今思えば、あれは天人からの砲火だったのだろう。ともかく山火事から生き残り、住み慣れた山を追われた銀時(当時は別の名で呼ばれていたが)と仲間たちは、里に降りてひどい迫害を受けた。銀時の白い髪が異質である事を知ったのは、その頃のことだ。
燃えた山は、小さな里にとっても恵みをもたらすものだったから、銀時の仲間は結局ほとんどが飢えて冬を越せずに死んだ。翌年の春には、幼い銀時を残して皆が戦に駆り出され、そして二度と帰ってこなかった。山では年を数える習慣も、里と同じ言葉も無かったが、それでもどうにか習い覚えた形式で指を折れば、銀時は五つか、多くても七つにはなっていない筈だ。ただ、銀時は幼くても山の子どもだった。働き手を失くした里に流行り病が忍び込む前に、銀時は何一つ思い出の無い里を出て、遠い山を目指した。それが父だったかどうかはわからないが、戦へ赴く前に銀時の髪を撫でた男は、銀時に南を目指すよう告げた。戦は都へやってくる。争いとは無縁な地へ、逃げるようにと。銀時の持ち物は、仲間から手渡された山刀と死んだおんなの簪と、里外れの竹やぶで切った竹筒だけだった。着の身着のまま放浪をはじめた銀時は、仲間がなぜ別の山を探さなかったのかを知った。人が住める山には、もう誰かが住んでいるのだ。戦火に巻かれた里の者も山へ逃げ込み、春だというのにどの山にも食料は乏しかった。銀時が並みの子どもなら受け入れられたかもしれないが、やはり白い髪は悪い意味で目立ち、銀時はいつもせき立てられるように山から山へと歩くことになった。一度、山刀で短く髪を刈り込んでも見たが、水に映る銀時はただ無様で、扱いは少しも変わらなかった。
そうして、春が過ぎ、夏を超え、秋が終わって、冬になった。ずいぶん短くなった着物の裾をおろした銀時は、雪が降る前に小さな炭焼き小屋へ潜り込むことができた。小屋の主は、腰の曲がった老人で、銀時の髪の色も異様に高い身体能力にも、まるで動じはしなかった。ここにいたいのならそれなりに働け、とそっけなく告げた老人について、銀時は拙かった里の言葉と、墨の熾し方と粥の炊き方を覚えた。かわりに、と銀時が冬うさぎを捕まえて皮を剥げば、「お前はヤマノタミだな」と、老人はにこりともせずに言った。春を前に、老人はひどい皺ぶきの音を立てるようになった。銀時は老人の背を撫で、湯を汲み、うさぎの毛皮をかぶせて寝かせたが、結局老人は雪解けを待たずに亡くなった。子どもの手で、凍った土を満足にかき分けることはできず、銀時は結局、老人を雪の中へ寝かせるしかなかった。
死の縁で、老人は銀時の手を握り、「ここにいてはいけない」と言った。銀時にも、それはよくわかった。春が来れば、炭焼き小屋にも人が来る。老人の亡骸と銀時が重なれば、おそらく銀時は殺されるだろう。銀時はそっと老人の頬を撫でて、「着物をもらっていいか」と訪ねた。老人は震える唇で頷き、「綿入れと、長持ちの刀も持っていけ」と言った。それは老人が長い冬の間に聞かせてくれた話だった。昔、この山で失意のまま死んだ侍がいたと。老人は侍を葬ったが、腰の大小は埋めてしまうには惜しく、さりとて売ることもできず、ずっとしまいこんでいたのだと。老人を葬った後、長持ちを開いた銀時は、大小だけでなく武具一揃いがきちんとしまいこまれていることを見て取って、侍は老人自身だったのではないか、と思ったが、だからどういうこともなかった。七つほどの銀時に、太刀を扱うことはできない。だから、銀時は迷わず小太刀を背に括り付けて、数ヶ月すごした炭焼き小屋を出て行った。老人の綿入れと着物は銀時を温めてくれたし、老人と編んだ藁沓のおかげで、足が濡れることもない。それでもどこか、身体の芯に穴が開いてすうすう風が通るようだった。
また春が来て、戦禍は広がっていった。走っても走っても、行く先々で山も里も人も燃えていた。ますますひとところに落ち着くことはできなくなった。食べていくだけならどうとでもなったが、生きて行くのは生半なことではない。いつのまにか藁沓も綿入れもなくし、銀時に残ったのはまた刀だけだった。山刀は懐に、小太刀は背に、簪は伸びた髪に。そうしてある晩、銀時が眠る朽ちかけた稲荷神社の扉が乱暴に開かれ、銀時は声もなく外に引きずり出された。地面に放り出される前に、胸に抱えていた刀ごと体を丸めて受け身を取った銀時は、そのまま土に耳を付けて、男が一人であることを確認する。土地勘はないが、山へ逃げ込めれば銀時の勝ちだ。けれども、そろり、と動きかけた銀時の首元に、男はすらりと太刀を突き付けた。目を丸くして男を見上げれば、それはまさしく異形の者だった。色が違うだけの銀時などとは比べようもなく、男の頭は確かにうさぎの形をしている。何がおかしいのか、下卑た笑みを落とした大うさぎは、笑ったまま銀時の首を跳ねようとし、逆に銀時の投げた山刀で絶命した。人間であればためらいもしただろうが、これは、うさぎだった。であれば、間違いなく銀時の獲物である。それでも自然と呼吸を荒くした銀時は、毛皮を剥ごうと大うさぎの着物に手を掛けて、首から下にほとんど毛がないことを見てしまった。これでは、皮を這いでも何の足しにもならない。せめて、と首を切り落としてみたが、やはりどうしようもなかった。血で汚れた山刀を大うさぎの着物で拭った銀時は、また稲荷の社に上って扉を閉める。あれが、噂に聞く天から来た何かなのだろう、と、うとうとしながら銀時は思った。
翌朝、首のない大うさぎの懐から金目のものと食料を探った銀時は、じっと刀を見下ろして、息を吐いた。食べる以上のことをしたいなら、きっとこれが一番早い。おぼろげに浮かぶ山の仲間や、雪解けの山に残してきた老人の亡骸を思い出した銀時は、木の枝を掃って大うさぎに被せると、そのまま放置された戦場へ向かった。まだあちこちに火の手が見えるような場所は、それでも驚くほど明るくて静かだった。死んでいるのはほとんどが人間だったが、異形の者もちらほら見える。手近な死体の懐中と腰を探って、水と携帯食を探り当てた銀時は、あまりの簡単さに拍子抜けするほどだった。それから銀時は、毎日新しい戦場を探して通い詰めた。ときおり生き残りに当たることもあったが、ほとんどが弱っていたので、銀時の山刀と小太刀で簡単に殺すことができた。死んでいても生きていても、銀時にはそう変わりがない。生きていたければ殺されるわけにはいかないし、死んでいる相手には何をしても構いはしないだろう。銀時の太刀筋はでたらめだったが、それでも振るい続ければ精度は増す。焼け落ちた里を、燃え上がる山を、死体がせき止める川を、まだ戦が続く野原を、銀時は延々歩き続けた。小太刀はやがて折れ、山刀も血で滑り、簪も抜け落ちてしまったので、あとは戦場で代わりを拾うことになった。いつしか、焼野原を荒らす白鬼の噂が流れ始めたが、銀時は知る由もない。人と関わることを止めたからだ。食べて、寝て、殺して、生きて、生きて、生きて。

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ある男に出会ったのは、そんなある日だった。春を待つことは止めたが、冬は忘れなかった銀時が、九つを数えた頃の話だ。野党が蔓延る夜ではなく、真昼を選んで戦場を歩く銀時の目の前に、男は忽然と姿を現した。目を閉じて開くまで一秒もなかった筈なのに、足音も気配もなくやってきた男は、鞘を払った銀時に、「おはようございます」とのんびり告げた。おはようございます。意味を飲み込むまでに数秒掛けた銀時は、炭焼き小屋を出て二年ぶりに、「おはようございます」と、白髪を揺らして頭を下げた。刀を抜いて、視線は男に向けたまま。はい、とゆるやかに頷いた男は、「君はこんなところで何をしているんです」と、銀時に問いかけた。別に隠すような話でもなかったので、「飯をさがしに」と、銀時は男の足元にも転がる真新しい死体を指す。「食べますか、人を」と、男が重ねるので、銀時は首を振って、「食いもんを持ってる。着物にも、腰にも」と、返した。「…食べ物でしたら、私も持っていますが」と、どこか拍子抜けしたように男は言って、背中に背負っていた風呂敷から握り飯を出す。「どうぞ」と、差し出された握り飯を、銀時は断った。「死なないやつは食え。俺は死んだやつからもらう」と、銀時が刀を抜いたまま男の隣を通り過ぎれば、「君は面白いことを言う」と、男は振り返って、銀時の身体ではなく、銀時が握る刀の鞘を掴んだ。「おもしろい?」と、銀時が振り返ると、「君は、死体でも装飾品でもなく食料を探しに戦場へ?」と、男は真顔で言った。そろそろ面倒になってきた銀時は、適当に頷いて、鞘から手を離す。代わりはいくらでも転がっているのだ。「腹へったから」と、銀時が断って走り去ろうとすれば、「ええ、ですから、一緒に食べましょう」と、男は今度こそ銀時の手を掴む。温かい手をしていた。
丸腰の相手を切る気にはならず、かといって手も離れず、銀時は抜き身を下げたまま、上機嫌な男の後をついていく。聞きたくもなかったのに、「実は、君を探しに来たんです」と男は言った。「戦場を駆ける鬼だというから、てっきり夜顕れるものだとばかり思っていたので、このところ戦場で不寝番をしていましてね。朝帰るようにしていたのですが、今日はうっかり寝てしまいまして、起き上がったところに君がやってきたというわけです」と、男は楽しそうに笑った。それではあの時、気配がなかったのではなく眠っていたのか、と銀時は半眼になって、乾いた砂の色をした男の頭を見上げる。眠っている人間は、死人と同じ匂いがするから、気付かなかったのだろう。「死体のそばで、寒くねえの」と、銀時がぽつんと尋ねれば、「それなりに温かいですよ。冷めてしまっても」と、男はごく普通の声で答えた。そんなものだろうか、とこれからの寝床について考えをめぐらせていた銀時に、「どうして私が君を探していたか、聞かないのですか」と、男は尋ねた。特に考えるまでもなく、「鬼退治」と、銀時が答えれば、「確かに、里の皆さんはそう望まれているようですが」と、男は何も取り繕わなかった。喋り終える頃、男と銀時は綺麗な清水が湧き出る泉に辿り着いた。さあ、と大きな岩に腰かけた男が、握り飯の他にもおかずを取り出して銀時に勧めるので、銀時は遠慮なく手を出す。少しばかり不格好だったが、妙な臭いはしないし、味も普通だった。「一晩持ち歩いてしまいましたが、意外と大丈夫ですね」と、煮物を抓みながら男が頷くので、「夕飯と朝飯だったんじゃねえの」と、ずいぶん多い食事を指せば、「これはもともと私と君の分です」と、男は満足げに頷く。「退治って、殺すことじゃねえのか」と、銀時が首を傾げれば、「本当に鬼だったら考えましたが、君が君である限り必要ないでしょう」と、男は答えて、空になった器に湧水を汲んだ。そして、「ご飯が食べたいだけなら、家の子になりなさい」と、男はあっさり言った。

少し考えたが、握り飯も美味しかったので、銀時は男の後について行った。何があるかはわからなかったし、何があっても仕方がないと思って戦場で新しい刀を拾ってみたが、男の家では拍子抜けするほど何もなかった。【銀時】と言う名も、男が付けたものだ。「私は吉田松陽と言います。里の外れで寺子屋を開いていましてね、ありがたいことに私と君の住む場所と食い扶持くらいは頂いています。吉田でも松陽でも、先生とでも、好きに呼んでください。それで、君のことは何と?」と、よどみなく言い切った男-松陽に、「鬼か、白鬼か、白子か、雪」と銀時は答える。銀時が山で付けられた名はもう覚えていなかった。後の名は、行く先々と炭焼き小屋で呼ばれたものだ。「選択肢が雪しかないですね」と、唸った松陽は、「白も綺麗ですが、君の髪は白より銀だと私は思います」と、銀時の髪を無造作に撫でる。「雪、銀雪、白銀、銀」と指折り数えた松陽は、「私が君の名を付けても良いですか」と、銀時の頭に手を置いたまま問いかけた。「すきに」すればいい、と松陽の掌を避けた銀時は、ぎゅっと刀を抱きしめる。銀時の味方は、いつでも刃物だけだった。何かあれば、またこの刀が守ってくれるだろう。
松陽の家は、戦場から数里もない里にあった。こじんまりとした表の畑と、作に囲われた裏の畑とを持つ家の木戸を押し開けて、「ただいま帰りました」と、松陽は言った。「誰かいんの」と、銀時がますます刀を抱きしめれば、「今のは家に挨拶したんですよ」と、松陽はからりとした声で笑った。家に。ますますわからなくなった銀時を置いて、心張棒を外して引き戸を開けた松陽は、「さあ、どうぞ」と、銀時を促す。そういえば、ちゃんと人が住む家に入るのは二つ前の冬以来だ、と思った銀時は、素足と板の間を交互に見比べた。「汚れても拭きますから、気にしなくて良いです。そうですね、落ち着いたらお風呂に入りましょうか」と、松陽は上り框に足をかけた。唾を飲み込んで、一足で板の間に飛び上がった銀時は、「おかえりなさい」と笑った松陽に何を言っていいかもわからなかったが、ともかく、刀を握る手は少しばかりゆるんだ。

風呂に入って、新しい着物を着て、こざっぱりとした銀時を見た松陽は、ひどく嬉しそうに「夜の雪原のようですね」と、まだ乾かない銀時の頭を撫でる。松陽の掌はひどく温かくて、銀時はいつかのたき火を囲むおとこたちの喧騒や、やわらかいおんなの乳房や、皺の寄る老人の頬を思い出した。どれも簡単に冷たくなってしまった。とたんに、銀時の身体にはまた大きな風穴があいてしまった。すうすうと染み透る何かに、銀時はまた刀を引き寄せる。銀時は、死人が怖いわけではない。死人を作ることも怖くない。ただ、死ぬことは怖かった。冷たくなりたくなかった。食べるだけで終わりたくもなかった。山に帰れるようになるまで、と銀時は思った。
夜、松陽と同じ部屋に枕を並べた銀時は、やはり布団の中で刀を抱いていた。松陽ではなく、もっと別の何かを警戒していたのだが、松陽は何も言わなかった。初めて触れた畳と、初めてと言っていい柔らかい布団に目が冴えてしまった銀時は、ずいぶん長いこと天井の染みを眺めていた。夜明けが遠い、と堪らなくなった頃に、「どうしました、銀時」と、柔らかい声で松陽は言った。「…ぎんとき?」と、銀時が呟けば、「君はサンカのようですから、昔話にあやかって、ついでに銀も取り入れて、【坂田銀時】でいかがでしょう」と、松陽はまた銀時にはわからないことを言った。さかた、ぎんとき。ぎんとき。「うん」と、銀時が頷けば、「はい、ではゆっくり寝てください。誰も君の眠りを妨げたりしませんから」と、松陽は返した。ほとんど間を開けずに、安らかな松陽の寝息が聞こえて、銀時も目を閉じる。冷たくて固い死体に寄り添って、それでも温かい、と言えた松陽は、きっとひどく温かい人間なのだ。お日様のように。深く息を吐いた銀時は、やがて深い眠りに落ちた。柔らかくてあたたかい絹のような眠りだった。


(出会う話 / 坂田銀時と吉田松陽 / 130716)