誰 か の 愛 が 過 ぎ て 逝 く
社会人になった城之内は、学生時代よりよほど自由だった。給料は安かったが、家賃はタダ同然だったし、ガス水道電気が毎月止められそうだった時代に比べればなんでもない。父親は順調にリハビリを進めているというし、借金も海馬が整理してくれたおかげでなんとか完済できそうだ。中学・高校と必死になってバイトした成果がようやく実って、あと2、3年で返し終えるかもしれない。幼い頃は途方もない金額に思えたが、働き始めればそこまで高い道のりじゃなかった。これで、と城之内は思う。これでようやく海馬と並べる。海馬が無条件で差し出すものを受け取っても、もう卑屈にならなくてすむ。いつか同じものを返せるかもしれないからだ。海馬ほど贅沢なことはできないだろうが、いつか海馬と、ついでにモクバもつれて旅行に行きたい。城之内の金で。 (うん、俺の、金で) 城之内にとってはそれが一番大事なことだった。海馬に寄りかかる生活は、城之内にとって心地よいものであったけれど、それが良い結果を生まないことは城之内自身が一番よくわかっていた。少し忙しくなった城之内の生活は、それでもあまり以前と変わらなかった。海馬は就職を喜んでくれた。城之内がマンションを離れたことは怒っていたけれど、これ以上海馬の世話になっているわけにも行かない。借金返済はなおさらだ。だって城之内の借金は、城之内が借りた金じゃない。海馬がすきなのは城之内で、城之内の父親ではない。もしもそうだったら海馬を殺して俺も死ぬ。むしろ親父殺す。というか、こんなことを考えているとわかったらそれだけで海馬にヤり殺されそうだ。ごめん親父。海馬も。だけど、海馬が見返りを求めないからこそ、城之内も同じだけのものを返したいと思うのだ。だって、城之内は海馬がすきなのだ。そして、城之内も男なのだ。自尊心のひとつやふたつ持ち合わせている。海馬には通じないとしても。 それでも、この前の海馬はすこし変だった、と思う。妙に優しいというか、いつもの傍若無人ぷりがすっかり形を潜めて、まるで常識人みたいだった。おもにSEX方面で。まず2回しかしてないし。あれから、城之内の携帯はしばらく静かなままだ。用もないくせにいつでもかけてくる海馬が。珍しいな、と頬を緩める。社会人だということを理解してくれえたんだろうか。KCの社長にはとても叶わないけれど、それでもひとりの、人間として。認められたようで嬉しかった。 鼻歌交じりで海馬の家に行った城之内の気分は、けれども無表情なモクバの一言で簡単二崩れてしまった。ドア越しに聞こえた、たった三文字。そこから派生する、信じられない、ある意味では腑に落ちすぎる、話。海馬が。---え?と、城之内は呟いた。インターフォンの向こうで、モクバが繰り返す。 『だから、兄様はいない』 「いないって、何」 『昨日、ここから出てった』 「は?え、何、社長は?どこに?」 『俺は知ってる、けど、でもお前にだけは教えられない』 「なんで」 『お前のせいだからだよ』 「なんで」 「お前ともう一緒にいられないから、っていなくなったんだよ!!!」 ガシャン、と重い扉が叩きつけるように開いて、飛び出してきたのは悲痛な顔をしたモクバだった。本当、なのか。そんな顔をするんだもの。そもそも嘘をつく理由がない。城之内にはあったとしても、モクバには、ない。俺ともう一緒にいられない。ああ、と城之内は呟く。俺捨てられたのか?そっか。驚くほど軽かった。驚くほどのことでもなかった。わかりきっていたからだ。海馬がいつまでもこんなどこかの馬の骨に関わっていたこと自体、おかしかったのだ。随分長かったくらいだ。高校卒業から数年。この間の、あっさりした態度も、最近連絡がなかったのも、全部。全部。もう要らないって言う、ことだった。 「そんなの、それならそうといってくれればさ」 俺別に縋りついたりしないのに、と城之内は思う。他に好きなやつができたとか、もう嫌いになったとか、そういう一言も城之内にはもったいなかったのだろうか。昨日だって会ったのに。あれが決定打になった?急にうとましくなった?でもそんなことで、急にいなくなったりするんだろうか。知らなかったのは、城之内だけなんだろうか。はは、と軽く笑って、踵を返す。ごめんモクバ、邪魔した。帰って来いって、海馬に言えよ。俺のほうが、いなくなるからさ。吐き捨てた城之内の袖をモクバが掴む。振り払おうとして、振り返った城之内の目に飛び込んだモクバの顔が鎮痛すぎて、できなくなった。 「城之内」 「なん、だよ」 「何で兄様に引っ越すこと伝えなかったの。就職も含めて」 「だって絶対許さないだろ、あいつ」 あいつもそうだろ?結果を見せればもう何もできないって、あいつから教わったようなものなんだけど。ああそうか、じゃあ今回の行動も、全然おかしくないんだな。うん、わかった。もうわかったからいいだろ。だけど、モクバの指は離れない。痛いほど握り締めるモクバの手が、どんどん白くなっていく。おい、何。どうしたんだよ。お前は知っているんだろう。あいつの居場所。 「じゃあ、携帯は」 「社会人なんだからもう払ってもらわなくていいだろ。番号は、俺あいつの覚えてるし。すぐ連絡したし」 「バーーカ!」 「バ?バカってなんだよ」 「お前兄様のこと好きなんだよな?!」 「い、いきなり何だよ…知ってるだろ」 「兄様は知らないんだよ…!!!」 知らないって。 「なんで、だって二年も付き合ってるのに」 「兄様が、その、常人離れしてるのは、お前だって良く知ってるだろ…」 「知ってるけど…え、待てよ、でもそんなことでなんであいつがいなくなるんだよ」 「お前が一番だったからよ!」 「じゃあここにいろよ!」 叫ぶように告げたモクバに、思わず怒鳴り返した城之内は、モクバが本当に泣いていることに気づいた。モクバに言ったって仕方がなかった。それを告げるべき相手は、今、ここにいなかった。こんな、場所で泣くなよ。でも、広い広い屋敷の広い玄関から道路までは広い庭があって、広い広い屋敷の使用人はモクバと城之内のやり取りに声を荒げることもない。誰も助けてくれない。海馬とだって向き合えなかった城之内の心を、城之内とモクバが暴いていく。そう、だよ。 「そんな顔…するんだったら、なんで言わなかったんだよ」 「…怖かったから…」 「じゃあなんで!今!ここにいるんだ!」 「すきだって、言いに来た」 「じゃあ行けよ!電話番号!住所!大学!!」 「あ、…え?俺には教え、ないんだろう?」 「そんなの良いよ…!!兄様が一人でいるほうが嫌だよ…」 モクバ、は。モクバのほうが、分かっていた。城之内と、海馬のことを。 本当は一言目から、分かっていた。城之内が招いた結果だった。海馬に、好きだと告げなかったのは、城之内の意図的な行為だった。だって。好きじゃなかったら、嫌われたって辛くないだろう。好きだといわなかったら、去り際にきっと、笑って見せることも出来ただろう。海馬がさよならと言った瞬間に、お前のことなんて大嫌いだったと、そういってやる事だって、できる。そうだ、城之内のつまらない自尊心と、それから臆病な性根が導いた結果だ。だってこんなことになるとは思わなかった。何も言わずに海馬が城之内の前からいなくなる未来なんて、予想していなかった。 そこまで愛されていることを理解していなかった。 モクバの白く、白く握り締められた指と、同じ色をした紙切れ。この一枚で。城之内は震える指でそれを受け取ろうとして、けれどもどうにかそれを閉じて、そっとモクバの指を押し返した。黙って首を振ると、どうして、とモクバは掠れる声で言った。城之内の胸に突きつけられるそれを、モクバの指ごと握って下ろす。だめだ。 「まだ、行けない」 「どうして?」 「今迎えにいっても、また同じことになる。俺に、自信がないから」 「そんなのどうだっていいよ!兄様はきっと待ってる!!」 「うん、俺も待ってる」 「何を?!!」 「俺が俺として生きられる日を」 わけがわからない、という顔でモクバは俯いた。ごめん、ごめんな。モクバから、海馬を取り上げたのは城之内だった。ふたりでだって生きていけただろう兄弟の、間に割り込んだのは城之内だ。だけど返せない。大事なんだよ、海馬が。好きなんだ。海馬が。だからきっと、今も、まだ、俺は言えない。だって対等じゃないんだ。悔しいんだ、それが。愛していると、言ってしまったら、俺はもう何もあいつに差し出せるものがない。それしかないんだ、まだ。もっとちゃんと、あいつに。かえせるようになるまでは。 「大学、って言ったよな」 「言った」 「じゃあ、少なくとも何年かは同じところにいるんだろ?」 「うん」 「俺、がんばるからさ。海馬がいなくなる前に、借金返して、親父のこともどうにかする。それ以上のことも、できるようになる。それで、絶対海馬を迎えに行くから、それまで待ってくれ」 「…俺に、言うなよ」 「だって海馬には言えない」 もう、言えない。泣きそうだった。本当は泣いてしまいたかった。泣いているモクバの前で、顔を歪める城之内はきっと滑稽だっただろう。でもそれを笑ってくれる、海馬は今ここにいない。今すぐにでも会いに行きたい。だけど、まだ愛に生きられない。生きられるようになりたいから、モクバはまだ泣いていたけれど、城之内の顔を何回か見直して、小さく頷いた。まだ。それを理解してくれるモクバが哀しくて仕方なかった。もっと、求めたっていいんだ。モクバは。 「モクバ」 「…なに」 「お前が言ったって、帰ってくると思うぜ」 「…俺はしない…兄様が、望まないから」 「うん。いい弟だな、お前」 城之内は、まだだいぶ下にある、でも出会った頃に比べたら随分成長したモクバの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。こどもだ。だけど、城之内と海馬だって子供だった。欲しいものを欲しいということができない、不器用な子供達だ。望みさえすれば、いつでも手に入ったはずのものを思う。それが甘えで、弱さで、恐怖の対象だった。でももう変わってしまった。先が見えたとたんに、今がなくなってしまった。だけどそれはもう、起こってしまったことだ。なかったことには、できない。だって海馬は今ここにいない。 いなくなってしまうくらいなら泣いて縋るほうがよかったと、思った。 海馬がここにいないことのほうがずっと怖いことだと、思い知った。 だから。 海馬のいない三年間を乗り切れたのは、つまり、そういうことだ。もういないなら、いつかいなくなるという恐怖は消える。いつか迎えに行くという、希望が出来る。目標のために生きることは、城之内にとって造作もないことだった。海馬がひとりでいるという確証がなかったとしても、それでも。だって愛していた。愛している。それじゃあ足りないくらい城之内は、海馬が好きだった。海馬にすら伝えたくないくらい、好きだった。それが城之内の理由だった。 古びたマンションの、6階。エレベータも故障しているような、ただのコンクリートの壁。およそ海馬には似つかわしくない建物。プレートもない部屋の前で立ち止まる。深く呼吸する。電車を乗り継いで4時間半、3年間に比べたらなんでもないはずの時間が、とてつもなく長かった。そっけないドアにもたれて、息さえ潜めて住人を待つ。やがて、足音が聞こえる。こんな、こんな。足音で分かるほど、近くにいたのに。どうして離れる必要があったんだ。城之内のせいなのか。だけど。なあ、海馬。お前は。 「お帰り、海馬」 お前の世界は、今も俺を内包しているか? |
( 城之内視点の三年前。三年かかった理由。 / 海城 / 遊戯王 / 20090704 ) ▲ |