今 、 透 明 か



満開の桜は咲く端から散るようだった。なぜか担ぎ出された入学式準備−人のいい遊戯の付き添いのようなものーを追え、式中の裏方にまで回る気のなかった海馬は校舎裏に逃げ込んでいた。間が抜けるほど空の青い日だった。一本だけ生えた桜の根本に腰を下ろして眼を瞑る。緩やかなざわめきが聞こえる。9時の鐘が鳴っている。花びらは後から後から降り注いでいる。不意に日が翳る。瞼を持ち上げると学生服の足が見えた。顔を上げれば明るい青にぶつかる。今日の空を映したような瞳だった。金髪だった。

「良かった、起きてくれて」

真新しい制服を着た青い眼のそれは、講堂の場所が分からないのだと言う。受付はもう終わっているはずだった。黙って方向を指すと、あっちだな、と青い眼も指を伸ばした。花びらはそれの制服にも次々と降り積もっていく。背を向けたそれがありがとう助かった、と歩き出すので式はもう始まっていることを告げる。知ってる、と頷いたそれがあまりにも平然としているので、海馬はもう少しで付き添いを申し出るところだった。上級生に連れられた遅刻者なんて目立つに決まっている。どちらも。開きかけた口を閉じた海馬を、青い眼が見下ろしている。そのまま行くだろうと思ったそれは、なぜか屈みこんで海馬の両肩を掃った。積もった桜がはらはらと落ちた。一瞬首を掠めたそれの指先はとても冷たかった。

「綺麗な顔してるな」

呟いた青い眼の指先は、海馬の前髪を一筋すくって離れていった。振り返らずに歩いていった。冷たい桜と指の感触だけが残っていた。


帰り道、日の落ちかけた坂道を下りながら遊戯はしきりに海馬を仰いでいた。頭一つ分違う身長のせいでもあるが、遊戯がいつになく興奮していたせいでもあった。「城之内くんがきたんだ」と遊戯は言った。誰かは知らない、けれども名前は知っている。一年次の、遊戯のクラスメイトだった。気弱そうな外見と引っ込み思案な性格から、周囲に馴染むまで時間のかかる遊戯を、海馬は少しばかり心配していた。中学時代に仲の良かった連中はほとんど別の高校へ進学した。海馬と遊戯は別のクラスだった。海馬と違い、遊戯はひとりでいたくない人間なのだ。けれども、入学から一月ばかりして、友達が出来たんだ、と遊戯は言った。城之内だった。城之内はあまり学校に来ないのだという。仕事が忙しいらしい、と首を捻りながら。ゲームがすき。良く笑う。喧嘩が強いみたい。頭がいい。断片的な、それでも純粋な好意に満ちた情報は海馬にも影響を与えている。

「そいつも運営委員だったのか」

もしくは遊戯を手伝いに来たのか。海馬のように。しかし遊戯は首を横に振って言った。

「ううん、城之内の妹が入学するから、その付き添いだって」

春休み中は会えなかったから、ちょっとでも話せて嬉しかったよ、と遊戯は笑う。兄弟で同じ高校。ふうん、と相槌を打って、青い眼の新入生を思い出す。桜だらけのあれは無事に辿り着いたのだろうか。気を飛ばした海馬に、遊戯が話しかけている。

「海馬君にも紹介したかったのに、いつの間にかいないんだもん。どこ言ってたの?」

遊戯が首を傾げるので、桜の下で転寝をした、と海馬は告げる。だから桜だらけだったんだね、と笑う遊戯に頷いた。まだ春なんだから気をつけないと風邪引くよ、海馬君が健康なのは知ってるけど油断しないでね。続ける遊戯にわかった、と答えて、青い眼のことは口にしなかった。


始業式は翌日だった。クラス分けが貼り出された掲示板の前にはたくさんの生徒がひしめいている。視力にも身長にも恵まれた海馬は、離れた場所から眼を凝らした。端のJから順に追って、結局Aで名前を見つけた。海馬。武藤もいた。海馬の下に城之内がいることも確認してしまったのは刷り込みのようなものだと思った。
講堂に入ると、人ごみの中から遊戯がかけてきた。独特の髪形をした遊戯は、身長を差し引いて尚良く目立つ。同じクラスだね、嬉しいな、と遊戯が笑うので、海馬も黙って頷いた。こんなとき、「嬉しいね」とは決して言わない遊戯が気に入っていた。些細なことだったが。城之内くんも一緒だけど今日はこられないみたい、と遊戯は言った。どうでもいいことだったが頷いておいた。

「海馬君も城之内くんもだいすきだから、ふたりが仲良くなったら嬉しいなあ」

行列に加わりながら遊戯が言った。海馬は聞き流した。


『城之内』は翌日の昼休みに現れた。新年度の微妙な空気でざわめく教室の扉を開けて入ってきたのは入学式の青い眼で、それをいぶかしむ間もなく遊戯が立ち上がった。「城之内くん!」と声を上げて。「よお」と手を挙げて遊戯に答えた『城之内』は、当然のように海馬の前の席についた。今までそこに座っていた遊戯は、がたがたと自分の椅子を引きずってくる。

「おはよう城之内くん」
「もう早くないけど。今年も同じクラスでよかったな」
「うん。城之内くん、今年は学校に来るの?」
「あー、静香がうるさいからな。去年よりは出るようにする」
「静香ちゃん制服似合うね」
「はは、ありがとな。俺に似なくて良かったぜ」
「そんなことないよ、よく似てる。城之内くんはかっこよくて、静香ちゃんはかわいいけど」
「おまえなあ、そういうことさらっというなよ…」
「あはは、照れた?城之内くん」
「くっそ、からかったな遊戯ィ!」

『城之内』は遊戯にヘッドロックをかけている。絞められた遊戯も絞めている『城之内』もひどく楽しそうだった。農耕で親密な空気だった。真新しい制服、青い眼、金髪。昨日と同じ。ぱしぱしと『城之内』の腕をタップした遊戯は、上気した頬で海馬を振り返った。

「海馬君、こっちが城之内くん」
「ああ」
「城之内くん、海馬君だよ」
「よろしく。お前の話ばっかりしてるんだぜ、遊戯」
「俺はお前の話ばかり聞いたな」
「へえ?そうなんだ」
「もー、やめてよふたりとも!僕の話はいいから」
「て、言ってもなあ…えーと、城之内克也」
「海馬瀬人だ」

うんうん、と頷く遊戯の上で本鈴がなった。じゃあまた後でね、とガタガタ椅子を引きずっていく遊戯を見送った。向き直る寸前に、「新入生じゃなくて悪かったな」と城之内が言った。遊戯に桜の話をしていないことを思い出した。


翌日、二時間目の途中にやってきた城之内は席に着くなり海馬を振り返った。何もないから紙とペンを貸してくれ、という。そういえば昨日も何も持っていなかった。何をしに来たんだ、と思いながらルーズリーフとボールペンを渡すと、助かる、と手を合わせて教師に向き直った。当然のように教科書もなかった。
休み時間に消えた城之内は、三時間目の始めにボールペンを返してきた。息を整えているところを見ると購買まで走ったらしい。講堂は知らなかったのにな、と呟けば薄い背中が小さく震えた。笑っているようだった。今週はどの授業もオリエンテーションでつぶれるため、たいした中身はない。代わり映えのしない教師の会話と、張り詰めた空気で室内は静まり返っている。窓の外で桜が舞っている。目の前で金髪が静かに呼吸している。


昼休み、遊戯が椅子を引いてやってきた。海馬の隣に座った遊戯は、当然のように城之内を交えて食事を始めている。海馬の机の上で。楽しそうな二人を眺めながら、別に構わないんだが、とプラスチックの蓋を開けながら海馬は思う。どうしてこうなっているのだろう。席が近かったからか。海馬の目の前で、城之内もビニール袋から冷やし中華を取り出している。もう始まっているのか。気の早いことだ。ひとり、布袋から弁当箱を取り出した遊戯は、ふたりの食事を眺めて顔を顰めている。

「ふたりともコンビニ?」
「ああ」
「そうだな」
「もー。海馬君はともかく、城之内君は作ってもらえるんでしょ?」
「うー…ん、まあ、そうなんだけど」
「だったらちゃんとしたもの食べたほうがいいよ。食べなきゃダメ。そうだ、一緒に海馬君のも作ってもらえないかな。僕のママに頼んでもいいけど、海馬君いいもの食べなれてそうだし」
「な、」
「わかった、遊戯がそういうなら次からそうする」
「うん、お願いね」
「おー」

何を、といいかけた海馬の言葉を遮った城之内は、あっさり遊戯の言葉に頷いて笑っている。些か慌てた海馬は、そんなことはしなくていいと城之内に言ったが、遊戯が眉を下げて海馬を見るので結局断りきれなかった。苦笑するしかない海馬の隣で、城之内も困ったように笑っていた。
翌日、城之内が開いた風呂敷には小さな重箱が置かれていた。蓋を開けると、彩りも鮮やかな料理が並んでいる。上がおにぎり、下がおかず。遊戯も食えよ、と言いながら、もうちょっと地味でも良かったよな、と首を捻る城之内に見えないようにビニール袋をそっと隠した。昨日の今日だとは思わなかったので買ってしまったのだ。城之内はともかく、遊戯の前で開いてはいけないだろう。これは今日の夕飯に決定だ。向き直った海馬に突きつけられたのは割り箸で、受け取った海馬に「好きに食えよ」と城之内は言った。遊戯と城之内が何かを待っているようだったので、押されるように卵焼きをひとつつまむ。うまかった

「僕飲み物買って来るね。ふたりとも何がいい?」
「あ、俺も行くわ」

ほっとしたように息をついて立ち上がった遊戯が言うと、城之内も一緒に席を立った。海馬がお茶なら何でもいいと告げると、「紅茶花伝もお茶に入るかなあ」と遊戯は笑った。好きにしたらいいと思う。煮物の彩だったさやいんげんを口に入れると、筋も残らず出しのうまみが広がる。これは本当に美味い。去り際に城之内が「おにぎりは俺が握ったから安心して食えよ」と言った。意味を測りかねて海馬が城之内を見上げると、城之内は少しばかり首を傾げて、

「知らない奴が握ったものは食わないような気がした」

違うか?と問いかけられて口を噤む。違わなかった。黙っておにぎりを手に取ると、城之内はひとつ頷いて遊戯を追いかけていった。小振りのおにぎりはじゃこと梅の味がした。

いくらか払うべきだと思ったので城之内にそういうと、じゃあ俺の分まで飲み物代を出してくれと城之内は言った。100〜150円の弁当になった。普段よりずっと豪勢なのに安かった。主食はおにぎりだったり、サンドイッチだったり、パスタのときもあった。どれも詰めるのは城之内だといった。二、三日に一度やってくる城之内は、朝方遊戯にメールを入れるようになった。そこから海馬にメールが来るので、弁当のある日とない日がわかる。一度、遊戯に城之内への伝言を頼んだら、もう交換したらいいじゃない、と城之内のアドレスを渡された。それから海馬の携帯に連絡が入るようになった。遊戯のいない日、城之内とふたりで食事をした。いつもより口数の少ない城之内は、それでも海馬から目をそらすことなく笑った。食後、眠くなった、と城之内は海馬の机に突っ伏した。半分開いた窓から風と光が差し込んで城之内の金髪を揺らしていた。


城之内のいないある日、午後から降り出した雨は放課後になっても止まなかった。降水確率は10%だった。濡れて帰ることに決めた海馬が昇降口までやってくると、校門の前に見慣れた−意図的でなく−車が停まっていた。見慣れた金髪が、見慣れない格好で、見慣れない少女を伴って乗り込むところだった。淡い栗色の髪を靡かせた少女だった。あれが城之内の妹なのだろう。雨脚は一層激しく、地面に叩きつけている。海馬が雨の中に踏み出すと、なぜかもう一度車のドアが開いてスーツの城之内が降りてきた。何か用があるのか、と思いながら歩いていると、ぱしゃぱしゃと水音を立てて近づく城之内は海馬の前で立ち止まった。

「傘は」
「ない」
「乗ってくか」
「いや」
「だろうな」

頷いた城之内は、差していた傘を海馬の肩に乗せて車に戻っていった。質のいい黒い生地が見る間にずぶ濡れになる後姿を見ていた。見た目よりずっと軽い傘だった。城之内を乗せた車は音もなく走り出し、すぐに見えなくなった。

翌日は快晴だった。城之内からはいつもどおりメールが来ていた。海馬は、見た目より軽い城之内の傘を持って学校に行った。海馬より後にやってきて椅子を引いた城之内に、昇降口にある、と主語もなしに告げると、城之内は軽く顎を引いて頷いた。

「仕事帰りだったのか」
「いや、移動中だった」
「妹を大事にしているんだな」
「静香は少し目が悪いからな」
「そうか」

昼食の時間、珍しく海馬が城之内に話しかけると、なあに、と遊戯が首を傾げるので、昨日傘を借りたのだと海馬は言った。

「持ってなかったの?入れてあげたのに」
「真崎がいたのにか?」
「何で知ってるの」

真っ赤な顔をする遊戯を見て、知らないのは遊戯だけだと海馬は思った。城之内も同じような顔をしていた。しばらくして立ち直った遊戯は、でも、そう、仲良くなったんだね、とふたりの顔を順番に眺めて笑った。よくわからなかった。海馬と城之内には、遊戯と城之内の間に流れるようなものは何もなかった。そこにいてもいなくても何も変わらなかった。海馬にとって。答えられない海馬の前で、城之内は何も言わずに遊戯を見ている。
微笑む遊戯の向こうでは、桜の木が青々と葉を茂らせている。


( 何も始まってない。続きます。 / 海城 / 立場逆転 / 遊戯王 / 20090505 )