死ぬか死なぬかではなくどう死んだかが問題だ ありえない夢を見ていた。現実ではないことを見るのが夢なのでそれはそれで夢として正しいのだが、盤にはどう足掻いてもそんなことをできはしないので、これは夢なんだと盤自身が知っていた。それでは夢の意味がないのではないかと夢の中でぼんやりと思う。 でも知っていても見ていたかった。その夢の続き、悪夢に当たるであろうその続きを。 気がついたらもう朝だった。 浮遊した意識に任せて緩慢に目を開くと、薄汚い天井が霞んで見える。視力が悪いのは体質だ仕方がない、と思ってのろのろと上体を起こした。正確には起こそうとして、そのまま前のめりに倒れる。…は?おかしい、これはおかしい。力の入らない体に戸惑って、自分の体のあちこちに触れる。ひどく熱かった。どうにか布団から這い出て、引き出し漁って数年前に放り込んだ体温計を探し出す。脇に挟んで…1分?ずいぶんと早く鳴ったそのディスプレイに表示された数字は38.6分。 「微妙ばい」 高熱の部類には入る、自覚してしまえば症状も測れる。霞む視界は裸眼のせいだけではなく、力の入らない体は寝起きだからではないのだ。けれどもどうにも実感がなかった。身体は丈夫になったはずだったのだ。こんなふうに崩れ落ちるのは何年ぶりだろうか。まるで状況は違うけれど、4年前の、あの日以来だ。 『ないてくれた?』 無神経に言い放った兵悟の顔を殴り飛ばしたのは、もう4年も前の話だ。インドネシアから帰ってきた兵悟は当然のように女の子の身体を引き寄せていて、なのに当然のように盤に笑いかけてただいま、と言った。盤の居場所はもうとっくに兵悟のとなりにはなかったというのに、兵悟は何も説明しなかった。自覚すらなかったのだろう、兵悟が結婚したいほどその子を好きだということと、盤が兵悟のとなりにいることが同時に存在できないという事実の。結局なんの約束もくれなかったのに、兵悟は盤の心を持ったままひとりでいってしまった。ほんとうになにひとつ、残してはくれなかった。 「頭、痛か…」 ぐったりと布団に突っ伏して、薄い布団に包まって震える身体を抱いた。それ以上は僅かでも動くのが億劫で、うつ伏せたまま目を閉じる。閉じた目の奥のほうで世界が揺れているような気がした。 夢の中で盤は、怒って怒鳴って喚いて泣き叫んで縋っていた。 どうして無理をした、どうして手を伸ばした、どうして逃げなかった、どうして。 どうして、俺を選んでくれなかった。 どうして、俺のことを真剣に考えてくれなかった。 どうして、俺のために生きて帰ってきて、くれなかった。 俺を。見てくれなかった。 本当はわかっているのだ。一度も言わなかった自分が悪い、 兵悟をすきでしかたがなくて、兵悟がすきでしかたがない女の子を思う。。 髪が長くて、目が大きくて、胸が大きくて、料理上手で、その上外国まで兵悟を探しに言ってしまうような、女の子だ。適う筈がない。そもそも土俵が違いすぎて、きっと兵悟は盤とあの子を比べることすらしないのだろう。男同士の恋愛というものが最後まで理解できない人間だった。最後まで。 なぜなら一度も言わなかったからだ。すきだと、一度でも伝えていれば、兵悟も気付いたかもしれない。辛いと言えば、きっと兵悟は甘やかしてくれる。やさしさでも同情でもなんでもなく、そういう人間だから。あれはきっと生来持って生まれた性分なのだろう。熱に浮かされた頭で素直に羨ましいと思った。気付かなくてもよかったのだ。あのやさしさが自分だけのものにならないのなら伝えたって仕方がない。そうおもって言わなかったのだ。わかっている、言い訳だ。最後まで、男だからダメなのではなく、あの子の方がすきだからといわれることが怖くて何も、いえなかった。全部全部臆病な自分のせいだ。 SEXをした。一緒に遊びに行った。人前で手を繋いだ。一緒に暮らした。一緒に、レスキューした。 けれども今となってはその全てがあまりにも、遠い。 さむいのに、あつい。なきたいのに、なけない。喉の奥になにか大きなものが詰まっていて、はずしたいのだけれどこれをはずしてしまったら盤はもう駄目になってしまうのだと思う。もう笑えない。兵悟を見て、笑えない。泣いてしまう。だってすきなのだ。兵悟がすきなのだ。けれどももう、二度と言えはしない。 いつまでだって無神経に優しいあの男は、明日あの子と結婚する。 二度と盤の手の届かないしあわせな場所へ行ってしまう。もうどうしようもない。 友人の少ない兵悟の、友人代表スピーチをするのはなんと盤なのだ。笑えてしまう。 俺はコイツとSEXしたんですよ、下手糞で早漏だけどまあ勢いはあって悪くはないのでコレから励んでくださいなどと、冗談めかして言ってしまおうかと思っている。笑顔で言わなくてはならないのだ。顔を真っ赤にする兵悟に、性質の悪い冗談として。笑わなくてはならない。全て事実だけれど、きっと誰も信じてはくれない。だって兵悟と盤なのだ。 だからこの熱は、今日一日限りで終わらせなければならない。 すきだ。すきだ。すきだ。すきだ。だいすきだ。 だいすき、だった。 最初から最後までの後悔は、最後に一度だけ滑り落ちてそして、誰にも届かないまま胸に染み込んだ。 END
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