つないで、いつわって

no,016(TQ!!)                  つないで、いつわって

久しぶりに上がりこんだ嶋本さんの部屋で、何をするでもなく嶋本さんを見ていた。
そのひとはいつもよりすこしだけ眉間の皺を薄くして、楽な姿勢で広告を眺めている。パチンコやらスーパーの特売チラシやら、そんなものを真剣に吟味する姿はある意味シュールだったけれど。

凄く綺麗で、優しくて、強くて、かっこいい人
俺のことを可愛いといってくれる人
俺が、すきな人。だいすきなひと。

何がすきなのかとか、どうしてすきなのかと問われたことが何度かある。実際は何度もある。が、そのたびに首を傾げて「全部?」なんて答えていたら、いつの間にかその質問は消えていた。
すきなのは、嶋本さんが嶋本さんだから。笑い出したくなるくらいの感情を抱えながら嶋本さんを見ている。

「なんや」
「え?ええと」
「用もないのにあんま見るな。目線がうっとおしい」
「う?うっとおしいって、そんな」
「うっといもんはうっといんや」

なんつっても6.0だからな、刺さりそうなくらいや。

なんでもないような声で、いやなんでもないというよりは物凄く嫌そうな声なんだけれど、それはいつもどおりの嫌味ったらしい声なだけで、だからなんでもないのだけれど。目の前にある顔から紡ぎだされた、わずかにも他の感情を感じさせない声に、かえって意識が引き戻される気がした。
恐らく嶋本さん自身も気付かないくらいの、あるいは気付かないようにしているくらいの深層心理で気にしていることは確かなのだ。俺の視力。つまりは常人以上の能力を。
けれども嶋本さんは何事もないような顔をする。それを装っているわけでもないところが尚更、…なんなのだろう。

「えー、」

不自然にならない程度のわざとらしさで不満そうな声を出しながら、それでも視線を剥がす。少し落ち着きのないそぶりを見せると、嶋本さんが軽く笑ったのが見えた。ちらりと見やると睨まれたので、慌ててまた視線を剥がして、今度こそ嶋本さんが見えない位置に落ち着いた。見えない顔からかすかな笑い声が聞こえる。ああ、楽しそうだな。うん、楽しそう、なんだ。
軽く息を吐くと、何かもっと重いものが沈んでいく気がする。

6.0。

少し前から、俺と嶋本さんの間にある距離はそんな感じだ。
それがcmなのかmなのかkmなのか、或いはもっと長いのかは分からないのだが。あのとき7倍といっていた、もしかしたらそれが6.0なのかもしれない。あるいは、もっと別の単位なのかもしれなかった。速度、時間、次元、…それくらい?どれかは分からないんだ。なんにせよ、随分遠いような気がすることは変わらない。それ以前が今より近かった覚えもないのだけれど。
悶々としていると、同じ声で俺を呼ぶ声がした。少し間延びした、柔らかい音。

「神林ー」
「はい?」
「腹減った」
「俺もです」
「何か食いに行くか?」
「えーと…」

ちらりと窓の外を振り返ると、嶋本さんも軽くうなずくのが見えた。
しばらく前から、季節はずれの雨が降っているのだ。細くて冷たい雫が景色をゆるく煙らせている。

「めんどいか」
「いやっ、そんなことは、ないんですけど」
「あー…車出せばいい話なんやけどな…」
「えーと…」

それ以上は口を開くことも億劫になったのか、嶋本さんは緩く目を閉じた。腹が減ったのはどうするんだろう、また俺がパシるんならそれはそれでいいのだけれど。嶋本さん。
静かに上下する腹筋を眺めていると、また6.0を感じた。

その距離はつまり。
俺と嶋本さん、あるいは嶋本さんと真田さん、そして嶋本さんのなかの俺と真田さん。
相対的で、けれども絶対的な、それでいて絶望的なものなのだとおもう。

それは つまり そんなものなくても真田さんには嶋本さんが必要ということで、
そんなものがなければ必要とされない俺なんかとは全然レベルが違うのだということ。
そんなものがなければ嶋本さんは俺を気にかけることはなくて、
真田さんはそれよりもっとずっとたくさんのものを持ったままずっと遠くにいる。
だから嶋本さんが気に病むことはなにもなくて。

だから俺と嶋本さんの間には6.0なんて必要なくて

その言葉は辛うじて飲み込む。
嶋本さんが俺に望むものは、真田さんとは違う可愛い部下なのだ。真田さんと同じようなことをいう必要はなくて、またこんなことを思っているような存在であってもいけないのだと 思う。

俺は、確かに気も利かなければ頭も良くない駄目な新人だけれど、嶋本さんが考えるほど何も考えていないわけでは、ないのだ。真田さんを思う嶋本さんが辛くないわけがない。でもそれを見ている俺だって辛いのだ。誰にも迷惑をかけないようにそっと生きている(傍若無人なのとはまた別の話の)嶋本さんを見ているのは、俺だって辛い。
けれどもそれを口に出してはいけない。
俺は嶋本さんが好きだから。強くてかっこよくて、すごくやさしいひと。
やさしすぎて、誰も傷つかないようにと自分を傷つけることしかできないひと。

俺がだいすきなひと。
だから、俺はそれを、俺がそれを少しでも塞げるようになりたい。傷つけてもいい人間だと、傷つかない人間だと認識してくれることを願っている。ずっと願っている。
また広がっていた静寂の向こうから俺を呼ぶ。何度でも呼んでくれることは、俺も知っているから。

「なあ神林」
「はい」
「もういろいろめんどいからお前なんか作れ」
「ええっ?俺料理できないですよ?!!」
「知っとるわ。でも湯くらい沸かせるやろ」
「お湯って…」
「カップ麺がその辺に転がってるから、剥いてもってこい」
「はあ」
「早くしろよ、腹減った」

そう言い捨てて、ごろりと寝返りを打った。
その柔らかな髪(柔らかそうな、じゃなくて柔らかな。もう知ってる。知っているくらいには近いはず、)の持ち主に何か言いたかったけれど、何を言っても傷つけるだけのような気がして無言で立ち上がる。黙ってそばにいることが心地いいこの空間では、言葉のひとつひとつが水滴のように染み渡るのだ。
それでも俺は嶋本さんがすきで、すきで、だいすきで。

雨音が強くなる。濡れた窓ガラスの向こう側で、歪んだ景色がひどく遠く見えた。

END

12巻を読んで突発的に書いた嶋兵嶋。6.0がよほど燗に触った模様(わたしの)
うちの神林はどうも相手の理想とは3馬身ほどずれたところを走っているような気がする
そうしてそれをうまく隠しているのがすきな気がする。どんなんだ。

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