気付かなくてもいつかわかることだから

006/TQ!!                気付かなくてもいつかわかることだから

『ーーはい、神林です』
「あ、もしもし、姉ちゃん?」

数コール後に聞こえてきた声に答える。続けて俺だけど、と言おうとしたところで電話の向こうからさまざまな声が飛び込んできて、その音量に思わず携帯を取り落とした。なんだこれ、うるさい。いや家のことだからいつものことなんだけど、いつも以上に。慌てて拾いなおして、少し離して耳に当てる。

『兵悟ーー?もしもしーー?何ーー?』
「や、皆元気…って聞こうと思ったんだけど、元気そうだね皆」
『あーー、元気も元気、相変わらずよ聞こえるでしょ』
「聞こえる聞こえる。もっすごい聞こえる。なんかあったの?」
『なんかっていうか、毎年こんなもんだったでしょクリスマス前は。なによアンタ、だからかけてきたんじゃないの?』
「あーー、そっかそろそろ…ただ漠然と休みだから電話かけてた」

クリスマス。クリスマスか。そういえば忙しさにかまけてすっかり忘れていた。
普段なら大きなケーキを買って皆でわけて、やりくりしてプレゼントなんか買ってみたりもして。
電話の向こうの喧騒の中に、俺もいたはずなんだ。
そう思うと少しだけ鼻の奥が痛くなる。なんだ、俺、寂しいのか。

『まあそんなことだろうと思ったけど…もううっさいのよ、子供たちがアンタからクリスマスプレゼントせしめるんだって、あっちょっと?!』
『兵悟にーちゃん?!久しぶり!』
「学か?久しぶり…」
『あのねーおれクリスマスX-BOX欲しい』
「は?なにそれ?」
『知らないのー?いいよ電気屋さんで聞けば売ってくれるよ』
「電気屋さん…?」
『うんよろしく…たっ、』
『コラ!兵悟の安月給じゃ無理に決まってんでしょ!あ、ごめんね兵悟気にしなくていいから』
「あ、うん…でも姉ちゃんその言い方は酷くない?俺ちょっとは給料上がったよ?」
『…アンタX-BOXが何か知らないでしょ?』
「知らないけどさ、何なのかくらいは」
『ゲームよゲーム』
「それくらいなら、」
『それくらいって、ハードが3万ちょっとしてソフトが一本1万円くらいすんのよ?』
「………すいませんでした」
『でしょ?』

やっぱり無理だって、とこれは向こうに告げているようだ。さすがによんまんえんの出費は痛い。もうちょっと安い何かを買ってもらえるようにいくらか送ろう、と決意する。それにしてもゲームなんてそんなに欲しいものだろうか?ほとんどしたことがないから分からない。ぼんやり考えているともしもし?と声がかかった。

「――兵悟?聞いてる?」
「えっ、あっ、何」
「何じゃなくて、次はいつ帰ってくるかって」

一人減って部屋が広くなって嬉しいのは確かだけど、皆心配してんのよ、一応。
一応は余計だよと思うけれど、どうでもよさそうなその声に確かにそんな声も混じっていたからやっぱり鼻の奥が痛い。駄目だなあ俺、しっかりしなきゃいけないのに。
とりあえず年末は無理だけど年始には一度帰るから、といって電話を切った。

とたんに喧騒が消える。当たり前なんだけれど一人きりだと思った。幸か不幸か当直には当たっていないから、招集がかからなければたぶんクリスマスも大晦日も ここに一人で。
考えてみたらそんなことは初めてなのだ。イベントにはいつだって大勢の家族と臨んでいたから。

(あ、やっぱり寂しい…)

これ以上考えていると本当に泣いてしまいそうだったので早々に布団にもぐりこんだ。
いい夢がみられますようにとおもったけれど、結局翌朝になると悪夢しか覚えていなかった。少なからず気落ちしたけれど、そんなことに構ってはいられないのでそのまま羽田に向かう。きがつけば官舎から羽田へ向かう道もクリスマスムード一色で、今まで気がつかなかった自分に少し呆然とした。周りが見えないのは昔からだったけれどこれはさすがにひどすぎるんじゃないか。
羽田に着いたら着いたで嶋本さんにクリスマスの予定を聞かれたりして。佐世保のことはどうなったなんて聞かれても何も答えられない。早くこの日が過ぎればいいのにと、思うときほど時間は進まないものだ。当直明けの頭にクリスマスイブという文字が重く圧し掛かる。

もう面倒くさいから家に帰って寝てしまおう。そうだそうしよう。とおもったけれど、気分だけでもと目に付いたケーキ屋に入ってみる。が、入り口をくぐった時点で後悔した。
家族連れとかカップルとか、そういった人たちがそれはもう楽しそうにケーキを選んでいる。そのノスタルジックさにまた泣きそうになった。やっぱり寂しいんだ、俺。今日だって、当たり前だけど部屋に帰っても誰もいない。いないのに。それでも、とぶんぶんとその思いを振り払ってショーケースを覗き込んだ。
いつも買っていたのはスタンダードな苺と生クリームと、あとサンタやら家やらで飾られたワンホール。なんだけど、さすがにそれは無理だろうと思って、ショートケーキのほうを注文した。少しばかり迷ったけれど二つ。クリスマスらしくきれいに包装されてしまったりなんかして、店を出てしまってから、生クリーム嫌いだったらどうしようかと考える。まあいいや、そうだったら一人で二つ食べればいい。

官舎まで帰ってきたところでもう一度、ああそういえばあっちは一人じゃないかもしれないんだと今更思った。ノックして彼女が出てきたりしたら目も当てられない。どうしようか。まあいいや、その時はその時だとまた思って、階段を上って部屋の前に立った。盤君の、部屋の前に立った。

「…なんね、朝っぱらから」

不機嫌そうな顔が覗いてほっと胸をなでおろす。よかった、一人みたいだ。あれ、ていうか朝っぱら?ああそうか当直明けだったっけ。仕事終わりは一日の終わり、見たいな気がしてたけどまだ朝なんだ。あれ、じゃああのケーキ屋にいた人たちはなんだ?
ごちゃごちゃ考えていると盤君がイライラとまたなんね、といった。

「あ、ごめん…寝てた?」
「寝てた」
「当直明けだったから良く考えてなくて…あ、これケーキ」
「…ケーキ?」
「クリスマスだから」
「……クリスマスだから?」
「うん、クリスマスだから」
「………とりあえず寒いっちゃけん、上がるばい」
「お邪魔します」

寝ていた、という言葉どおり、いつも小奇麗な部屋の中で今日は布団が敷きっぱなしで(万年床になっている自分の部屋よりはマシだが)、なんだか少し嬉しかった。人の匂いがする。

「コーヒーしかなかけどそれでよかね」
「あ、うん手伝おうか」
「インスタントコーヒーに手伝うも何も。兵悟君が触るとお湯が早く沸いたりしとーと?」
「しないけどさ…気持ちだよ気持ち」
「あー、それだけもらっとくばい」

盤君は軽口を叩いて、お湯が沸くまでと俺の前に腰を下ろした。
箱の中を覗き込んで「芸のない選択っちゃね、兵悟くんらしかー」などというものだから、嫌なら食べなくていいよと言うと もらえるものはもらっておくばいとすまし顔で返される。ああ本当に。人がいるのは良いことだなあとしみじみと思った。

「ほんとはおおきいの一個買いたかったんだけどさ、二人じゃ無理だろうと思って」
「大羽君たちも呼べばよかったろー」
「あ、そっか」
「はあ?」
「や、なんか一人で食べるのは寂しいから誰かと、って思ったら盤君しか思いつかなかったんだけどそういえば皆もいるよね。彼女いないって言ってたし当直じゃなかったら」

今から買ってこようかなあと腰を浮かしかけると、盤君は目の前で深くため息を吐いた。あれ?

「…………わかってやってるのかと思った俺が馬鹿だったばい」
「え、なに?」
「もうよか、んなにホールで食いたいんなら明日でもよかろーもん」
「あー、そっかクリスマス自体は明日だもんね。そうだね明日にしよう」

というとまた大きなため息が聞こえた。あれ?

「わかっとったけど、兵悟君はクリスマスでも兵悟君っちゃねー」
「???どういう意味?」
「なんでもなか…あ、お湯沸いたばい」

ん?と首を傾げる。今のは誤魔化されたんだろうか。なんとなく悪いことをしたような気がするけれど、良く分からないのでとりあえずコーヒーをかき混ぜる盤君の手元を見ていた。途中で顔を上げて

「ぼーっとしとらんと、ケーキ出すとかすることはあろうが」
「あ、うん」

促されるままに箱からケーキを出して、付属の玩具みたいなプラスティックのフォークを添える。良く見るとおまけのようにろうそくが数本入っていたのでそれも立ててみる。それを見て盤君は眉を顰めたけれど、それでもどこかからライターを出してきてくれたのでそれで火をつけた。敷きっぱなしの布団の前にコーヒーカップを下ろして言う。

「…楽しか?」
「んー、燃えてても良くわかんないね朝だから。カーテン閉めていい?」
「すきにすればよか」

じゃあお言葉に甘えて、と部屋中のカーテンを閉めて(といっても1箇所なんだけど)盤君の前に座った。うん、それなりに暗くなってよくみえる。この大きさも、後から切ったんだと思えばこんなもんじゃないかな。いいかんじ。満足した俺に比べてろうそくの灯に照らされた盤君の顔はやっぱり不機嫌そうだったけれど、儀式めいた仕草で二人でろうそくを吹き消して薄暗い中でもそもそとケーキをつつく。
生クリーム大丈夫?別に平気ばい、結構おいしいよね、まあそれなりに、苺いる?いやそれは大事なものっちゃけん、そうだよねそう思うよねショートケーキの苺って大事だよね、力説はせんでよか。
話は弾まないけれど、弾まないながらにケーキは食べ終わった。

「さ、食ったら帰るばい」
「え、もうちょっといいじゃん。せめてコーヒー飲み終わるまで」
「……すきにすればよか」

薄暗い中でコーヒーも飲む。クリープがこれでもかというくらい入っていて死ぬほど甘い。
まあこれはこれで、とそれを啜りながら。

「盤くん」
「なんね?」
「なんかさあ、クリスマスに欲しいものとかある?」
「ブッ」
「ええっ?」

普通の会話のつもりだったのだけれど、なぜか盤君は盛大に咽てクリープだらけのコーヒーを噴き出した。ゴホゴホと咳き込む背中をとりあえず摩っておく。

「気管に入ったばい…」
「え、どうしたの大丈夫?」
「兵悟くんが変なこと言い出すから…」
「えっ、俺?なんか言ったっけ?や、昨日実家に電話したら甥っ子になんか高いものねだられて、そういう話だったんだけど」
「…」
「…大丈夫?」
「大丈夫じゃ、なか」

盤君はゴホ、と最後に一度咳き込んで、俺の手を振り払うように敷きっぱなしの布団にもぐりこんだ。そのまま頭まで毛布を引き上げる。また何か悪いことをしたんだろうか。良く分からない。メグルくん?と呼んでみるけれど返事はない。軽く揺すってみると背中を向けられる。むーん。仕方がないので布団の側で正座して待ってみた。すぐに痺れた。慣れない事はするものじゃない。

「めーぐーるーくーん」
「うっさか…」
「もう朝だよ」
「社会人は休日は寝て過ごすのがセオリーばい」
「でもさー今日クリスマスだよ」
「それがなんね」
「いいの?彼女とか」
「…この状況で俺にそれを聞く兵悟君の神経を疑うさー」
「なんか悪いこと言ったかな」
「言った」
「ごめんね?」
「疑問系」
「うん、よくわかんなくて…でも、ごめんね」
「意味も分からずあやまられても嬉しくなか…」

言ったけれど、それでも毛布から顔だけは出してくれた。今は不機嫌、というよりなんとなく哀しそうな顔に見える。なんだろ。良く見えなくて、メッシュから覗く眼鏡を外してみた。妙にフレームの太い眼鏡。俺には一生縁のないもの(だと思う)。そうするとまたため息が聞こえる。

「また何か気に障った?」
「なんで平気でそーゆーことするかがわからんばい」
「眼鏡外すのってだめなの?」
「普通は、普通にはせんやろ」
「そうなの?じゃあ返そうか?」
「せんでよか」
「そう?…ところでさ盤君」
「なんね」
「足崩してもいいかな」
「…なし正座しとーと」
「え、反省?やっ、ちょっ触らないで!」
「痺れるとなんともいえん感じがするったい」
「今そんな感じの真っ最中だから…!触んないで!!」
「鍛え方が足らんと」
「ひど…、…あ」

笑った。今日はじめてみた。足の痺れも忘れてまじまじとみつめると、ばつが悪そうに目を反らされる。また布団をかぶろうとする手は止めて。

「あのさー盤君」
「なんね」
「ほんとに、なんか欲しいものとかある?」
「………なんでも?」
「あんまり高いものじゃなかったら」
「別になか」
「ないの?なにも?」
「必要な自分で買うっちゃけん。それ以外のものは兵悟くんには買えんね」
「えー、じゃなんかCDとかさ」
「音源はパソコンだから必要なか」
「あ、そう…」

他に盤君のすきなものなんて思いつかないので、そういわれてしまうと引き下がるほかない。別に何でもよかったんだ。盤君が欲しいというなら今日の夕飯の買出しでもいつも読んでる雑誌でもコミックの新刊でも。何か欲しいものを買うというならお金でもよかったんだけど。ああでもそれはプレゼントじゃないか。

「兵悟君は」
「ん?」
「兵悟君は、何か欲しいものあると?」
「俺?俺は、…うーん…」
「ほら、急には思いつかんばい」
「うーん……もう何かもらったような…気がする?」
「はあ?」

何かもらったような。それは別にものじゃなくて。なんだっけ。電話が来て一人でいるのが寂しくなって、気分だけでもと思ってケーキを買って、一人の部屋に帰って来たくなくてここに来たんだ。

「ああそっか。俺もう寂しくないんだ」
「何の話ね?」
「盤君がここにいてくれただけでいいってこと」
「……………は」
「一緒にケーキ食べてくれてありがとう」
「…そんなの、俺じゃなくてもよかったい。誰でも」
「うん?それはどうなんだろうそうなのかな?…や、だけど俺は誰かのいるとこに帰ってきたかったんだよ。俺のとこには帰って誰もいないし、それ以外のとこは帰るんじゃなくて行くことになるから。盤君しかなかった」

もう一度ありがとう、と言うとまた大きなため息が聞こえる。もう何回目だっけ?4回?5回?また何か悪いこと言ったかな。いやでもありがとうはわるいことじゃないしな。うーん。

「とりあえずコーヒーも飲んだし話も終わったから帰るね」
「はあ?そこで帰る神経も分からん!」
「え?だって寝るんでしょ。俺も眠いし」

邪魔してごめんね?というと次はもう溜め息すら帰ってこなかった。アレ?

「兵悟君はどこまで天然なんか分からんばい」
「天然?何が?」
「…そういうところがよかときもあるけど、さすがにもう…」

枕に突っ伏す形で諦めたように言う。やっぱり良く分からない。

「俺帰んなくて良いの?」
「今日は、ここにいればよか」
「眠いんだけど」
「一緒に寝ればよかろーもん」
「えっ?わ、」

抗議する間もなく布団の中に引きずり込まれた。二人で寝るにはどう考えても狭いその中は盤君の体温で暖められてとても気持ちが良かった。いつもよりはずっと静かな、でもその分暖かな。良いクリスマスなんじゃないか、と目を細める。遠ざかりかけた意識の向こうで、プレゼントはこれで。とかなんとか小さく聞こえたような気がしたけど空耳だったのかもしれない。眠くて良く分からなかった。

END

できてるんですよ。ちゃんとできてるんですよ兵盤…兵で。やっぱりどっちか決めかねる。天然受けか天然攻めかは迷う。お好きなほうで想像してください。
たぶん兵悟くんは盤くんとすでにかぞくであるような気分でいるんだとおもいます。あたらしい弟みたいな気分(年上だけどさー)。彼女とか聞くのは無神経なんじゃなくて そういうことなんじゃないかと…クリスマスプレゼントは「神林」の苗字でいいよ。もうそれでいいよ。