[ 鉄 塔 の 見 え る 空 ]



とある日曜日の昼下がり、俺とまークンは俺の部屋でごろごろぐだぐだしていた。お茶菓子は適当な雑誌と漫画、それからふがし。ざくざくと黒糖を齧って飲み込んで、ぺらりと雑誌をめくる。空は今日も青くて、太陽もキラッキラで、そんで平和だった。俺の隣で徳用サイズのふがしを抱いたまークンも、ほけーと空を眺めている。相変わらず眼は三角だったし、無表情な顔はきっと好意的に受け取られたりしないんだろうけど、でも今のまークンは平和だった。残念だ。皆まークンと一緒にふがし食ったらいいんだ。安いし。うんうん、と頷いて、もう一口ふがしを齧った俺の耳に、信じられない言葉が飛び込んだのはその直後だ。瞬間、ゴファッ、と口にしていたふがしを噴出した。細かいふがしが喉に張り付いて痛い。ゲホゲホガハガハ、と咳き込む俺の背をまークンがさすさす、と撫でてくれる。うんありがとう。でも原因はまークン、お前だ。最後にゲホッ、と大きく息を吐いてから、ふがしの袋を抱え込むまークンに向き直った。

「大丈夫か」
「うん、ごめんまークン、俺なんか耳遠くなったみたいで、幻聴が聞こえたんだ」
「げんちょう」

あーこの顔だと多分これ、幻聴じゃなくて元朝とか弦超とかわけのわからない文字に変換されてるんだろうなあ。でもいいや、あれは幻聴だ。ふがし拭かないと。ベタベタにしてると蟻がやってくるよ。そんで蟻だらけの部屋で俺はきっと膝を抱えるんだ。ベッドの端にあるティッシュの箱。まークンのほうが近かったから、取ってというと3枚くらいぺぺぺっと投げられた。軽いから飛ばすの難しいのに。俺の口から飛んだふがしをせっせと拭う。フローリングでよかった。畳だったら目も当てられなかった。ぺいっと丸めたティッシュをゴミ箱(これは俺のほうが近い)に押し込んで、雑誌に向き直った。まークンが俺を見てる気がした。気のせいじゃない。だけど、さっきのアレは幻聴だから、何も気にすることなんてないんだ。なにも。

「ヤーマダ」
「なに。俺、本読んでんだけど」

3回くらい言い聞かせたらわりと平気になったので、まークンのほうは見ずにひらひら手を振った。ごめんな、俺は今まークンより江古田ちゃんの次の行動が大事なんだ。ふがし食っておとなしくしててくれよ。ベッドも漫画も、譲ってやるから。空青いぞ。平和だぞ。なんなら昼寝したっていい。夕飯も食ってっていいし、なんなら夜はちょっとくらい飲ませてやったって良い。父親の酒だけど。だからくだらないこと言い出さないでくれよ、なっ、まークン。

「さっきの話なんだけどよ」
「何か言ったか?聞こえなかった」

聞こえたけど。でもあれは違うはずだ。だって幻聴なんだぜ。

「なんだ、聞いてなかったのかヤーマダ。人の話は聞くんだぞ」
「まークンがそれをいうかよ……」
「一期一会なんだからな。大事な話なんだぞ」
「いや、いい。聞きたくない。俺本読んでるし」
「いいから。もう一度言うぞ、よく聞けよ」
「ちょっと、聞いてる?ねえ、俺聞きたくないんだって、な、」
「すきだ、山田」

俺はバタン、と雑誌を閉じた。聞こえたよ…!!やっぱり聞こえたよ。はっきり聞こえたよチクショウ。当然のように幻聴じゃなかったよ。ずっと聞いてるまークンの声だよ。ちょっとどきっとしたよ。いやいやいや、どきってなんだよ。恋?ちがうよビクッだよ。びびったんだよ。顔怖いよまークン。そんな顔で言うことじゃないよ。ねえ、まークン。だって。でも。落ち着こう。俺。

「…うん、そうだ、別にすきだっていろんな種類が…あるもんな。俺もまークンのことわりと好きだ、友達だし」
「そうか。じゃあ恋人だな今日から」
「なんでだよ!!!!」

おおきく振りかぶって、投げました。雑誌を。ごめんなさい、某・午後。来月もちゃんと買うから、今はまークンの側頭部にヒットしてくれ。できれば角で。だけどその願いも空しく、まークンはがしっと某・午後を受け止めてぽいっとベッドに投げ出した。殺傷力を高めるその厚さがスピードとコントロールを損なわせたらしい。パラメータは大事だな、なんて。言ってる場合じゃないよ。真顔なんだよまークン。何すんだよ、ってソレは俺の台詞だ。だって。

「な、なあまークン、部長のことすきなんだろ?」
「当たり前だろ。あの人は俺の初恋の人だからな」
「じゃあ俺はいいじゃん。いいだろ?な?」
「なんでだよ」
「だって、今も好きなんだろ、部長。初恋継続中だろ。恋じゃないなら、なんだよ」
「そんなん決まってるだろ」

そんなこともわからないのか、というようにまークンは鼻を鳴らした。ムカつくところだけど、今日はそれどころじゃない。聞きたくない。だけどそれからまークンは当たり前のように、愛だろ、と言った。ウッワー、と思った。やっちゃった。言っちゃったよこいつ。手元には食い掛けのふがしがあって、動揺した俺はわしわしとそれを口に押し込んだ。間違えた、これはまークンの口に押し込むべきだった。だって食ってる間に、まークンはものすごくろくでもないことを言ったのだ。

「部長が初恋なら、ヤーマダは俺の初愛の奴だ」

そんな日本語はないよ!!!!突っ込みは貼り付いたように口から出て行けなかった。ふがしが無事だったのはなによりだけど、初恋はファーストラブだ。直訳したら初愛で、じゃあそれは初恋と同じだ。なにそれなにそれなにそれ、怖いよ。怖い。だって、え、だって童貞じゃん、こいつ。俺知ってるよ、彼女いないってほんとだし、セフレだっていなかったし。そんな度胸のあるおんなのこはいなかったよ。でもだからって俺に走ることはないだろ。俺は女の子が好きだよ。まークンも部長が好きだよ。あとはいらないだろ?友達だろ俺たち。友達だよな?とんでもない速度で心臓が脈打っていた。こんなのおんなのこが相手だったらとっくに恋だ。だけど相手はまークンで、だからこれはドキドキじゃなくてバクバクなんだ。ムグムグムグ、とふがしをかむ俺の前で、まークンは真顔のまままだふがしを抱えている。真顔で。

「あ…のさあ、悪いんだけどまークン、俺それは間に合ってるから」
「好きな男がいるのか?」
「おぞましいことゆーな!!!俺はおんなのこがすきだ!!」
「知ってるよんなこと。ムカつくくらい付き合ってるだろ」
「うん、だからまークンの気持ちにはこたえられないってゆーか」
「なんでだ。好きな男がいるのか」
「いないよ!!バカ!いないよ!すきなおんなのこがいるんだよ!」

カアア、耳が赤くなるのを感じた。はっきり言っちゃった!俺そういうスタンスじゃないのに!そうじゃなくて、それはいいんだけど、もうしわけないけど俺の好意の全部はおんなのこに捧げると決めてる。男は範疇外だ。そういうヒトたちがいるのは知ってるけど、だからどうとは思わないけど、俺に被害が及ぶとなったら話は別だ。ダメだ。無理だ。しかもそれがまークンだ。それはダメの最上級だ。ダメストだ。そんでダメイング。現在進行形で。これはパクリだけど。まークンの。

「別にそれはすきにしろよ」
「エエッ?え、うん、すきにするけど…」
「でも俺とは付き合え」
「エエエッツ?!なんで?」
「女と俺とじゃ使う部分が違うんだからいいだろ」
「エエエエッ…???」

なにを言ってるんだ。わかりたくない。わかるけどわかりたくない。まークン、俺のどこをどういう風に使う気?ああうん、心かな?やわらかいところでおんなのこを好きになって、硬いところでまークンを好きになれってことかな?きっとそうだ。そうに違いない。でもごめんそれはできないから、やっぱりまークンの気持ちには答えられないんだ。ウン、丁寧に言ったらきっと伝わる。ハズ。俺のことすきだっていうなら俺の言うことも聞いてくれるはず。部長みたいに。コホン、と咳払いした俺の前で、だけどまークンは何も気付かない顔でさらっととんでもないことを言った。

「山田のちんこは女にやるから、ケツは俺にくれよ」
「ワアアアアアア!!!!聞こえない!俺は何も聞こえない!!」
「なんだよ」
「なんだよじゃねーよ!!!お前がなんだよ!!」
「だーから前はいいから後ろを」
「バーーーーーカ!!!!」

さらっと何を言ってくれるんだまークン。うん、だって怖いよ、まークン。パクパク、と口を動かして、やっぱりまークンの目が本気なことにゾッとした。やめようよまークン。それは怖い。怖いよ。それは俺の想像の限界を超えるよ。おんなのこだって最初は辛いのに、男でそっちは、そっちはさ。辛いと思うんだよ。俺。ねえ。その辺ちゃんとわかるの、まークン。だって童貞じゃん、まークン。ドキドキした。バクバクした。肝試しなんかよりよっぽど心臓に悪かった。

「何騒いでんだよ」
「騒ぐよ!バカ!怖いこというなよ!俺のケツをどうする気だよ?!」
「そりゃ俺のちんこ突っ込むに決ま…」
「誰が了承するかバーーーーーカ!!」

思わず敷いていた座布団を思いっきり放り投げていた。今度こそまークンの側頭部を直撃した座布団は、だけどやわらかくまークンの膝に滑り落ちただけだった。俺はなんで昨日部屋を片付けたんだ。もう投げるものがない。テーブルか。ぶつけてもいいよな、だって怖いことを言う。ケツ貸せって、それが友達に言う言葉か。たとえすきだとしたってさっきの今でそんなことを言うもんじゃない。真顔で怖いことを言う。知ってたけど。ごめんまークン、ごめん。そのままふがし喉に詰めて意識を失ってくれ。そんで記憶も失くしてくれ。成仏してくれ。だってお前、お前、下手したら今にも俺のケツにちんこ捻じ込むだろ。隙を見せたらさ。だらだらと背中に汗をかいて、でも妙に寒かった。ていうか下の階には父親も母親もいるんだ。無茶はしないよなまークン。突然、とか、そんなの、ないよな。じり、とベッドから少し離れた俺の腕をまークンが掴んだ。ビックゥ!!と面白いほど跳ねた俺の身体を、まークンは左手一本で引き戻した。ベッドの縁に俺の膝がぶつかると、抱えていたふがしを一本渡された。おとなしく齧った。まークンもガリガリふがしを齧った。

「うまいな、ふがし」
「ウン」
「山田、ちょっとそれ咥えて。そんで歯立てないで」
「何に見立ててんだよ?!!!!」

バシッ、とふがしを叩きつけた。粉々にはならなかった。何もなかったことにはならなかった。おんなのこにそんなこと言ったら一発でまークンなんて社会的に抹殺だ。俺が。ていうかそういうの興味ないんじゃなかったのか。いままで気持ち悪いくらい、そういう話してこなかったのに。してる暇なんてないくらい殺伐とした日常だったからか。血で血を洗う世界から抜け出したらそっちで解消されてたモノがこっちに流れてきたのか。だけど、なんで、それが俺に流れて来るんだ。やめてくれ。土下座したって良い。

「まあ…そりゃあ確かに、あの部長相手にそういうのは考えられないだろうけどよ…」
「なんだ?」
「なんでもねえよ…俺疲れたよまークン…」
「じゃあ寝るか、一緒に」
「なんで一緒だよ!!!」
「ベッド一つだし」
「俺のベッドで俺の部屋だよ!」
「何怒ってんだ、ふがし食うか?」
「俺んちのふがしだよ…!!!」

ハアハアハア。ヤバい、まークンのペースに巻き込まれたらおしまいだ。論点がずれるのは大歓迎だが、今だけ回避してもきっとまークンの都合のいいように記憶は改竄されてしまうんだ。相変わらず空は青いし、太陽はキラッキラだし、だけど俺の心中はもうまるで平和じゃなかった。平和に戻したい。まークンの心を取り戻したい!!ってこれは違うな。落ち着け。落ち着こう。俺はやれば出来る子。そう俺は出来る子。ヒッヒッフーヒッヒッフー。よし。

「ちょっと、整理しよう」
「んん?」
「まークンは、部長が好き」
「初恋だから」
「まークンは、俺も好き」
「初愛だからナ」
「じゃ、じゃあな、じゃあ、えーと、そうだ!肝試し!」
「肝試し?」
「俺に肝試しで裾ちんまりされたら嬉しいか?」
「裾を…ちんまり…」

ちんまり…。まークンはシャツの裾を引っ張ったり、俺の手をとったりして考えている。真顔で。考えるまでもないと思うんだが。俺はまークンにちんまりされてもまったく嬉しくない。そんなの怖い。というか、まークンだとちんまりじゃなくてガシッでシャツの裾はのびのびになるだろう。もう着られない。うん、怖い。シャツだって高いしな、と冷や汗をかいていると、うん、と思考を終えたまークンが頷いた。うん。

「それは、別に嬉しくない」
「だっ、よな?うん、だからそれ別に愛とかじゃ…」
「ヤーマダだったら、ちんまりよりしっかり手つなぐほうが嬉しい」
「だっからっま…がおで何怖いこと言ってんだよ…!!!!」

そういうこと聞いてるんじゃないんだよ!!え、聞いたの?俺そういうこと聞いたのカナ?けど違う。ていうか何でちょっと嬉しそうなんだよ!!言ってやったぜ、みたいな、そんな勝ち誇られたって困るよ!ふがし返せよ!だってそんなの、だって、それじゃあまるでまークンが本気みたいじゃないか。だって、だけど、まークンて、ほんとのことしか言わないんだよ。何も言わないから誤解されるけど。嘘はつかない。だから、怖いんだよ。

「なあ、ヤーマダ、手繋いで」
「やだよ!!」
「なんで」
「男と手繋ぎたくねえよ…!」
「俺も繋ぎたくねーよ」
「じゃあいいじゃん、やめよう」
「山田と繋ぎたい」
「俺は男だっつの!!!」
「違う、山田だ」

何も違わないよ、と俺は思う。俺は男で、おんなのこがすきで、まークンとは友達だ。一生。まークンが何を言ったって、それはぜったいそうなんだ。まークンは部長が好きなんだ。あれ、でも俺はまークンが部長に振られるところを見るんだよな。そうなるとまークンはフリーになるのか?まークンの初恋は実らない方向に俺は掛けてるのか。そうなると俺はさらに辛くなるんじゃないのか。だけどどうにもなるわけがない。だって俺とまークンは友達で、おんなのこがすきなんだ。すき。

「すきだ、山田」

だから、手、繋ごう。ふがしのつまった袋を抱えたまークンは、それはそれは恐ろしい顔でにっこり笑った。ゾワっとした。かわいくない。おんなのこみたいにかわいくないよ。まークン、やっぱ俺、まークンは無理だよ。付き合うのは無理だよ。ケツは貸さないよ。ふがしも咥えないよ。一緒に寝ないよ。もちろん手だって繋がないよ。だけどまークンは笑ったまま俺を見ている。ベッドに腰掛けて、座布団を膝において、ふがしを抱えて、俺に手を差し出している。平和だった俺の昼下がりが、ひいては平和な高校生活が、そうやって幕を閉じた。


( 山田とまークン。はじめてあいしたひと。 / お茶にごす。 / 20090228 )