I t ' s   a   f i n e   V a l e n t i n e 's   D a y /  バ イ ト と レ ポ ー ト 明 け の 昼 過 ぎ に


土曜日の昼近く、エースとサボはサボの家でとろとろと惰眠をむさぼっている。薄いカーテンの隙間からはあかるい冬の日差しが穏やかな光を投げかけていたが、いつものバイト先から眠気に負けて直接サボの家に転がり込んだエースと、こちらはレポート明けの(23時59分が提出期限だったのだ、金曜日の)サボの目はなかなか開かない。とは言えサボは一度普段通りの時間に掛けた目覚ましで身体を起こしかけたのだが、別に何も無いし、エースも何も言っていなかったし、午後まで眠っていたって構わないか、と思ってアラームを止めて今に至る。

最初エースはサボのベッドで、サボはフローリングに直に敷いた布団で寝ていたのだが、真冬のフローリングから伝わる冷たさと言うのは割と想像を絶するものがあって、しかし眠くて堪らないサボはもう一枚毛布を出すのも面倒で、仕方がないので4時くらいに枕を抱えてエースの隣に潜り込んだ。ルフィと間違えたのか何なのか、寝ぼけたエースがむにゃむにゃと身体を寄せてくるのをこれ幸いと暖房代わりに抱きとめて、目を閉じる。ルフィ、も何も昔からサボとエースは良く同じ布団で寝ていたので、特に違和感はない。たとえエースもサボももう成人なのだとしても。

いつまでも続くかと思った心地良いまどろみの時間は、唐突に、しかし必然的に破られた。具体的にはエースが空腹に耐えきれずに目を覚ましたのである。寝起きの良いエースは目を開いた瞬間に布団を跳ねのけながらがばりと身体を起こして、隣で毛布に埋まろうとするサボを認めた一瞬だけ目を丸くしたが、別に何も思わなかったのか「台所借りるな」と言ってサボを乗り越えてベッドを降りて、素足のままぺたぺたとフローリングを歩いていく。ご丁寧に布団をかけ直して行ってくれたので、サボはエースが寝ていた場所にごろりと身体を移して、あーあいつ体温高ェ、とごろごろ目を細めた。

やがて水道やガスコンロや電子レンジを適当に使う音が夢うつつに聞こえて、誰かが家にいるって良いよな、とサボがにやついていたところで、べりっと布団を引き剥がされてようやく瞼を引き上げる。適当にサボの服を着てサボの半纏をひっかけたエースは、なぜか前髪をピンで留めていて、「お前、それどうしたよ」とサボがとんとんと自分の前髪を指せば、「なんかサッチさんがくれた」とさらりとエースは言って、へえ、とサボは頷いた。「仲良いのな」ともぞもぞと布団から這い出ながらサボが言えば、「ていうか遊ばれてるんじゃねえのかな…」と返すエースの顔は割と深刻で、でもくれた、という某シンプルな顔に赤いリボンを耳に付けた白猫のヘアピンを嫌がることもなく付けている辺りでエースに開く感情はないことが見て取れる。まあエースだしな、と結論付けて、サボがテーブルに目を移せば、エースが作ったのは焼きうどんだった。たぶんふたりで3玉分くらいの。湯気を立てる焼きうどんからはソースの香りがうっとりと立ち昇って、世辞でもなく「うまそう」とサボが零せば、「冷めないうちに食おうぜ」と箸と水をサボに手渡しながらエースは笑った。

いただきます、と手を合わせて、飯を食いながら喋ることはないエースに負けない程度にがっついたサボは、そういえば夕飯食ってなかったなあと最後にごくごくと水を飲んでから思った。エースは、例の上司と食べてきたらしい。一緒に帰ったら良かったんじゃねえの、とやってきたエースにサボは告げたのだが、「まだ仕事なんだって」と眉を下げるエースがどことなく淋しそうだったので、ああそうか、と招き入れながらサボはサッチの事を考えた。あの人も、今頃は家で寝ているのだろうか。会いたい、と思いつつ、そこまで親しくもないサッチはエースとその上司が少しずつ距離を縮めて行く様を幾分微笑ましく、半分近くは羨ましく、そして残りで呆れたり腹を立てたりしながら日々を過ごしている。すぐ手を伸ばせる距離にいるから何も無いのだろうか、と、素足でラグの上に胡坐をかくエースの爪が随分伸びている様を眺めながら、サボは薄く息を吐いた。

思いついて、サボがエースの額に手を伸ばせば、「ん?」とエースは首を傾げるものの、サボの手を避けはしない。ぱちん、と音を立ててエースの髪留めを外せば、少しばかりのび過ぎた前髪が零れてエースの目元を覆う。「なんだよ」と呆れたような声を上げるエースに、「俺もしてみたくなって」とサボは短い髪をどうにか髪留めで挟んでみるものの、「…それは無理があるだろ…」としみじみ呟かれてすぐに外してしまった。何本か抜けた髪を見て、「俺も髪伸ばすかな」とサボが呟けば、「お前こういうの好きなんだっけ」とあまりと言えばあんまりなことをエースが真顔で言ってのけるので、サボは無言でエースの伸びすぎた前髪を掴んで引っ張る。いってて、とたいしてダメージもなくサボの手から髪留めを攫ったエースは、またぱちんと髪をまとめて、「なんかもうめんどくせーから今日も明日も泊まってっていいか」と皿を持ち上げながら尋ねた。もちろん構わないサボが鷹揚に頷けば、「じゃあ飯の材料買わねーと」とエースは楽しそうである。

少し考えて、

「お前チョコどうすんの」

とサボが問い返せば、「何の話だよ」とかちゃかちゃ食器を洗いながらエースは答えて、「来週バレンタインだろー」と水音に負けないように声を張り上げたサボに小さく声を立てて笑う。「俺のチョコを当てにするほど悲しい状況なのか?」と笑いを含んだ声でエースが言うので、「俺じゃなくて、上司さんに」とサボは真面目に言ったのだが、「なんで俺が主任に」と、こちらも真面目にエースが首を傾げるので、サボは内心(普段あれだけ惚気てる癖に自覚もねえのかよ)と盛大に突っ込みを入れたのだが、そういえばエースも、ついでに何度か会ったエースの上司も鈍そうな上に妙なところで常識にとらわれているようだったので、自分の人生にそんなことが関わってくるとは欠片も思っていないのだろう。それはそれでエースの人生なので構わないのだが、人生は面白い方がいいので、サボは平然とした顔で「普段世話になってんだろ、義理チョコだよ義理チョコ」と言い放った。エースは皿を洗い終わった手をその辺の布(そろそろ雑巾にしようかと思っている)で拭いながら、少しばかり考えて、「お前は誰かにやるのかよ」と言うので、サボは「サッチさんとお前」と返す。もちろん今の今までそんなつもりは欠片もなかったのだが、適当なことを言うとエースにはすぐばれるので真剣に。僅かに目を見開いたエースに、「なんで、サッチさん」と尋ねられたサボは、「たまに駅とかスーパーで会うし、お前も世話になってるし」と、嘘ではないが本当のことも言わずにサボは答えた。次いで、「俺は」と言うエースの言葉には「俺がやらないと可哀そうなことになるかもしれないだろ」とこちらは完全に揶揄する口調でサボは口を歪めて笑う。途端に、「悪かったなあ」と口を尖らせるエースが、しかしゼミでもクラスでもその先でもそれなりに健啖家として有名で、1年前も2年前もたくさんのチョコを集めたことを知っているサボには悪気しかないのだった。やがて、サボが腰を降ろすテーブルの向かい側に座り込んだエースが非常に面倒くさそうに「まあ、じゃあ俺も…買ってみるか、チョコ」と言うので、「あ、ホワイトデーにはアレやるよ、【チンしてふくだけ】」と、エースが以前欲しがっていた電子レンジ掃除用のアレを提示すれば、「じゃあ俺は激落ちキングを買ってやるよ」とエースは笑った。「は、何それ」とサボが返せば、「この間見つけた、激落ち君のデケー奴」とエースがふふん、と心持ち自慢げに答えるので、「それすげー欲しい!今欲しい!風呂場とシンク全部磨く!」とサボは飛び付くようにエースに詰め寄る。はいはい、と言う顔でサボを宥めたエースが、「つうか、もうそれがバレンタインでいいんじゃねえの?」と言うので、「まあ、チョコは大事だろ」とそれはそれで真顔で返すサボだった。エースからのチョコ、と言うのもそれなりに興味があった。するとエースは仕方なさそうにがりがりと頭をかいて、「でも俺この時期にチョコ買う勇気があんまりありません」と情けない顔で呟いて、そういえばそうだな、と思いつつ、面白そうだとも思ったサボは「ならこれから一緒に買いに行こう」とエースに告げる。電車で二駅、エースのバイト先とふたりが通う大学の最寄り駅まで行けば、大きなデパートがある。きっとチョコも大量に売っているだろう、と提案すれば、エースがいっそ感動した、と言っていいほどの眼差しでサボを上から下まで眺めて、「お前たまにすげえよな」と言うので、「まあな」とサボは適当に返しておいた。

着の身着のまま寝ていたエースにサボの服を貸して、財布と定期だけ持って出かけたサボとエースは、デパ地下の赤とピンクとハートが乱舞する様子にしばらく絶句して、少しばかりお互いの顔を眺めて、また女性ばかりでごった返す売り場を眺めている。「なあここ、」とエースが言いかけたところで、「とりあえずせっかく来たんだし見に行こうぜ」とエースの手を引いてサボは一歩踏み出した。エースには適当なチョコで良いんだろうが、サッチさんに渡すなら少しは良いものを選びたい。これも乙女心と言う奴だろう、とわけのわからないことを考えるサボの後ろで、(こいつほんとにすげえな)とエースもわけのわからないことを考えている。もみくちゃにされながら、なんとなく別々の店でチョコを買ったサボとエースの手には、図体と不釣り合いのとてもかわいらしい包みが乗っていて、でもサボがサッチに、エースがマルコへと用意した物はラッピングを簡素にしてもらったので、だからこれはお互いへの嫌がらせなのである。「ハッピーバレンタイン、エース❤」と作り声でサボが言えば、「ハッピーバレンタイン☆」と同じだけ気味の悪い声でエースも返して、ふたりで脱力したのだった。

(サボ⇒サッチ / 少し先の話 / 大学生エースと大学生サボ/ 現代パラレル / ONEPIECE )