ハ ロ ー 、 水 の 空 / 8 
 

8月の上旬、エースは死んだような目で学食の中ほどのテーブルに付いていた。マルコの部屋を飛び出してから2週間近く、エースはマルコと会っていない。そもそも普段からして『会う』というよりエースがマルコを『探す』と言う方が正しかったので、それがなくなってしまえばエースはマルコと顔をあわせることすらなく、それがまた寂しいエースである。マルコに会うまで、エースはわりと一人でいることが嫌いではなかったし、今でもそれは変わらないのだが、だとしたらこの胸の痛みは何なのだろうか。ローとキッドに泣きついてから、ふたりはなんとなくエースと一緒にいてくれるのだが、今日は午後までひとりだと言うのもエースの心に隙間風を吹かせている。まあ飯食ったら落ち合う予定だし、バイトもあるし、課題もまだ終わってねーし、どんだけ悩んでも腹は減るし、と、エースが茶碗に箸を入れたところで、「ああ、久しぶりだよい」と、間延びしたような声が掛けられて、エースは掬い上げたご飯粒をぼとっとトレーに落とした。

「もったいねえことするなよい」と、呆れるでもなく不思議そうに首をかしげたマルコを、音がしそうなほどぎこちない仕草で見上げたエースは、「え、っ…と、」と何か言いたかたのだが、うまく喋れずにトレーのご飯粒を拾って口に入れる。ゆるく目を細めたマルコが、「お前は良い育てられ方をしてるよい」と、おそらくエースを褒めてくれながら椅子を引いてエースの前に腰を下ろすので、エースは内心ガクガクしながら(味噌汁を持つ手も震えているが)平常心を装った。様子のおかしいエースにはたいして気にも留めずに、Aランチに箸をつけたマルコは、「この間は助かったよい、無事に根付いて、順調に育ってる」と、エースにグリーンカーテンの話を振るので、エースは辛うじて微笑みながら頷き返す。実際のところ、それは笑うと言うよりも引き攣る、と言う方が正しい状態だったので、ローやキッドがいたら殴ってでも止めさせただろうが、相手はマルコなので気づくこともなく話は先に進んだ。「この間遊びに来た連れも、これいいな、って言ってたしよい」となんでもない顔で言うマルコの、『連れ』に反応したエースは、同様のあまり味噌汁まで零しそうになって、とうとう箸をおいて机に突っ伏す。「…ポートガス?」と、さすがにおかしいと思ったのか、手を伸ばしたマルコがエースの額に触れるので、「あ、…いえ、なんでもない…んですけど」と、こんな時でも触られて嬉しいエースがわりと泣きそうになってなれば、「何でもねえのに倒れるなんて、サッチみてぇだよい」と、ごく低い声でマルコは笑った。

サッチ。マルコの口からはじめて飛び出した人名に、エースががば、と体を起こしてマルコを見つめると、マルコは軽く目を瞠ってから、「ああ、サッチっていうのは良く家に来る俺の友人で、さっきの連れだよい」と、柔らかい声で言う。「…ちなみに性別は」と、エースが短く問いかけると、「残念ながら男だよい」と朗らかにマルコは答えて、「本当はあの日もサッチに手伝ってもらうはずだったんだが、急な用事とかでお前には迷惑掛けたよい」と肩をすくめた。「いえ、俺は暇でしたからぜんぜん問題ないです」と、少しばかり立ち直りかけたエースが言えば、それはありがたい、とマルコは軽くあごを引いて、「要らないときには入り浸ってるんだが、肝心なときには役に立たない困ったやつだよい」といかにも仕方がなさそうな口調で小皿の漬物を摘んでいる。先ほどとは別の意味でドキドキし始めたエースが、今度こそそれなりに普通の様子で、「でも仲が良いんですね、良く遊びにくるなら」と水を向けると、マルコは軽く苦笑して、「ただの腐れ縁だよい、それによく来るって言っても、終電逃して突然泊まりに来るような奴だよい」と首を振った。「しかも来るたびに訳のわからねえ物や私物を持ち込むから、はっきり言って迷惑だよい」とマルコが続けるので、エースがなけなしの勇気を振り絞って、「それって、歯ブラシとか」と冗談めいた口調で告げると、マルコはゆるく頷いて、「しかも俺と被ると困るからって桃色を選択するあたり、救えねだろい?」と、あまり具の入っていない味噌汁を啜りながら笑う。「あははは、ピンクは困りますねえ、サッチさんてどんな人なんですか?ピンク似合います?」と、調子を合わせながらエースが尋ねれば、マルコは少しばかり視線をさまよわせた後で、「…身長2mを超えるリーゼントなんだが、それほど桃色も悪くねえんだよい」と、複雑な表情でマルコが答えるので、エースはせいぜい笑っておいた。「でもそういう人がいると、彼女とか大変じゃないですか」と、エースが核心に触れれば、「そう思うんだが、もう随分いねえからこまらねえと言うか…それはそれで悲しい話だよい」と、何でもないような声でマルコが言うので、エースは「っしゃあ!!」と、思わずガッツポーズを決める。「なんだよい?」とマルコが若干体を引くので、「すいませんくしゃみです、ちょっと埃が鼻に」と、握り締めた拳でくるりと顔を撫でた。こみ上げる笑いを誤魔化すためでもある。マルコがそれ以上何も追及せずにAランチに向かうので、エースも心安らかな気持ちで豚キムチを掻き込んだ。サッチ自体に疑問が無くも無かったが、今はたいした問題でも無かった。

食事の後、エースが運んだお茶(壁際にポットが置いてある)を飲み終わったマルコが、「ポートガス、この後は何か予定があるのかよい」と訪ねるので、「サー…同好会の奴らと課題を」とエースが答えれば、マルコは軽く頷いて、「その内この間の礼をさせてくれよい」と、エースの背中を叩いて去っていく。にこにこと手を振ってマルコの後姿を見送ったエースは、マルコが食堂から出た瞬間にガン!!と良い音を立てて机に突っ伏した。「うわーすげー良かったなんだろう何が良かったのか良くわかんねーけどほんと良かったほんとマジ俺生きてて良かった今」と、ぶつぶつ呟き続けるエースの周りからは、少しずつ人が消えていった。

しばらくしてエースを迎えに来たローとキッドは、ドーナツ状に人が固まる光景に首をかしげたのだが、その真ん中に様子のおかしいエースを発見して「うっわ」と同時に声を漏らした。できれば関わりたくなかったのだが、そういうわけにもいかないので(一応友人なのだ)、「見世物じゃねえぞコラァ!」と周囲を威嚇しながら嫌々近づいたふたりは、エースの口から漏れる断片的な言葉の中から「そっか」「よかった」「彼女じゃなかった」「歯ブラシ」「ピンクの、」と言った単語を聞き取ると、顔を見合わせてからぺしん、とエースの頭を両側から引っぱたく。「はっ」と、我に返ったような表情で顔を上げたエースが、ローを認めて「なあ、神に感謝する方法って知ってるか」と尋ねるので、「生贄でも捧げればいいんじゃねえか」とごく真面目な顔でローは答えた。「そっか…昨日安かったトマトでも良いかな、家に神棚ねェけど」と、憑き物が落ちたような顔をするエースの目が少しばかり赤いので、ローはベポを取り出すと、「撫でてもいいぞ」とエースに差し出す。ふかふかしたぬいぐるみの頭をぽんぽん、と撫でたエースは、「いい奴だなベポ」と言って少し笑った。「当然だろ」と返してベポを抱き上げたローとエースがいかにも満足そうなので、「いや、どうしてそう言う話になるんだよ」とキッドは突っ込みを入れたのだが、誰も聞いていなかった。


2日ほど経って、いつものようにマルコとマルコの最寄り駅まで電車に揺られていたエースは、「お前、今日は暇なのかよい」とマルコに尋ねられて、「今日はバイトです、7時から」と腕時計を指した。うん、と頷いたマルコが、「どんなバイトだよい」と珍しく問い返すので、エースは少しばかり胸を弾ませながら「居酒屋です、マルコさんの…いや大学から逆に2駅の」と、エースは店の場所と名前とを簡単に伝える。よい、と頷いたマルコは、「その辺りならたまにサッチと出かけるから、今度サービスしてくれよい」と軽く笑って、同時に開いた電車のドアを潜って行った。しばらくマルコが握っていたつり革を眺めていたエースは、おもむろに携帯を取り出すと、カチカチカチカチカチカチとものすごいスピードでメールを打っている。次の駅で逆方向の電車に乗り換えたエースに、キッドから返信されたメールには、『病院に行け』と一言だけ書かれていて、ローからのメールにはローの実家の病院の電話番号が書かれていた。なんだよー、とエースは心外そうに呟いたが、約2000文字程度のメールを送りつけられたローとキッドが、それでも短時間で返信してくれたことには感謝していた。もちろん中身など読まれてはいなかった。

(毎回ひどい / 原案:和泉さん / キモいエース×ダサいマルコ(とロキド) /現代パラレル /ONEPIECE)