ハ ロ ー 、 水 の 空 / 4 
 

妙に蒸し暑い日曜の朝、土曜の深夜までバイトを入れていたエースがぐだぐだと惰眠をむさぼっていると、枕元で充電されている携帯が鳴った。一度目、二度目は無視したが、三度目に30秒なり続けたところでとうとう根負けして通話ボタンを押せば、『お前出られんなら早く出ろよ』と言うひどく無表情なローの声が聞こえたので、エースはぷつっと電話を切って携帯を遠くに放り投げてタオルケットを引き上げる。別にろくな用事でもないはずだ。が、その瞬間ドカッ、と玄関の扉を蹴る音と、「エースてめえ良い度胸だ」と言うローの声が聞こえて、エースは仕方がなくもぞもぞと起き上がって、素足でぺたぺた板の間を歩いて簡素な鍵をがちゃりと開けた。「…はよ」と半分寝ぼけた声でエースが言えば、「おはよう」とローは返して、当然のように後ろにいるキッドも「エース、せめて上何か着ろよ」とパンツ一枚で立っているエースに気の毒そうな視線を送ってエースの家に上がり込む。「暑いんだよ、つか俺眠いんだよ」と言いながら、勝手にベッドに座り込んでガリガリ君梨味を齧り始めたふたりのことをもう諦めているエースは、コンビニ袋からエースの分のガリガリ君梨味を取り出してさくさく噛み進めた。エースの家とコンビニとは直線距離で200mくらいなのだが、エースが起きなかったせいで半分溶けかけている。棒までつうっと舐めてしまってから、エースが包装と一緒にコンビニ袋に棒を突っ込むと、「分別しろよ」といちいち袋を分けてくるのはキッドである。「お前結構細かいよなァ」と、上半身裸のままエースが膝に顔を埋めると、「お前がここ追い出されると溜まる場所が無くなんだろ」とキッドは僅かに顔を赤らめて、なにに照れてんだよ、とエースは思ったが口には出さない。ガリガリ君ももらったことだし。ふわあ、と欠伸してずるずると床に落ちかけたところで、「いや、寝るなよ」と足を伸ばしたローがエースの肩を支えるので、「何の用だよ、後で洗うならベッドなら好きに使っていいからもう放っておいてくれよ」とエースが半眼でローを見上げれば、「それはもうしてきたあとだから良い」とローは事もなげに言い捨てて、「今日はお前の付き合いが悪いことについて会議しに来たんだよ、ね〜、ベッポたん」と、後半はいつも通り小脇に抱えていた白くまのぬいぐるみ(今日は暑いからか麦わら帽子にオレンジのTシャツ)(ちなみにいつもはオレンジのつなぎを着ている、着せかえられる)に笑いかけているローを、キッドがまた気の毒なものを見るような目で眺めている。お前、止めろよ。止まんないのは知ってるけど、と、のろのろ身体を起こしながらエースは考えて、「…元々お前らほどくっついてたわけじゃねえだろ?」と当たり障りのない言葉を口にすれば、「それをベポたんの目を見て言えるのか」と、白クマのつぶらな瞳をずいっと目の前に突きつけられて、うっ、とエースはひるんだ。「同じ講義を取ってねえし」それはマルコの仕事に合わせたから、「空き時間が合わねえから飯も一緒に食えねえし」それはマルコを見ながら食ってるから、「挙句の果てに部活も6時半で切り上げて帰るし」それもマルコの帰る時間に同じ電車に乗りたいから、と、脳内で一言一言に答えていれば、「おい聞いてんのかエース」と、逆側からキッドも顔を寄せてくるので、ベポとキッドに挟まれたエースは「ああ、はい、聞いてます、そんで全部おっしゃるとおりですが、それで俺はどうしたらいいんですか」と、とりあえずもぞもぞと組んでいた足を正座に直す。勝ち誇ったような(まあ無表情なんだが)顔でベポを引き上げたローが、「月曜の夜は居酒屋で飲み明かすぞ」と言うので、「…個室予約しときます」と、三人の行きつけの居酒屋でバイトをしているエースは静かに頭を下げるしかなかった。というかこれメールでいいよな、と思ったエースの横で、ローとキッドはもぞもぞとエースのベッドにもぐって行く。「あの、」とエースがタオルケットをふたりの腹に掛けながら問いかけると、「眠いから寝る」とローはベポを抱きしめたまま壁際を向いて、「同じく」と続けたキッドはローの腰を抱くように目を閉じた。ごく静かに寝息を立て始めたふたりを見下ろしたエースは、がりがりと頭を描いて、仕方が無いので押入れからずるずると布団を引き出して、ベッドからなるべく遠い場所に敷いて寝転がる。今日飲みに行けばいいんじゃねえの、などと言うことは、今日もバイトのエースには言えなかった。

月曜日、いつもとおなじようにエースがマルコをストーカー の後に続いて食堂に入って行くと、珍しくマルコがB定食(麺)を頼んでいて、かた焼きそばすきなんだろうか、と思いつつ、今日はエースもラーメンを注文する。それからいつも通り席に向かおうとしたエースの前で、マルコがなぜか立ち止まっているので、そっと様子をうかがってみれば、マルコはデザートのショーウィンドーの前でやたらと真剣な顔をしていた。マルコの視線の先には大きめのプリン(生クリームとさくらんぼ付き)があって、マルコはしばらく考え込んでいたのだが、結局手には取らずに奥の席まで歩いて行く。ふうん、と思ったエースは、ラーメンの乗ったトレーを片手に持ち替えてガラスケースを開くと、ひょいひょいとプリンをふたつトレーに追加すると、精算を済ませてすたすたとマルコの前に向かう。いつもだったらマルコの前に黙って腰を降ろして、特に会話も無く食事を終えるだけなのだが、今日はマルコの前にとん、とプリンを置いて、「どうぞ」とエースはごく普通に声をかけた。文庫本を片手に、あんかけかた焼きそばをばりっと齧ったところだったマルコは一瞬プリンに目をやってからエースに視線を移して、ばりばりばりもぐもぐもぐもぐむぐむぐむぐごくん、はあ、と口の中のあんかけ海鮮かた焼きそばを飲み込んでしまってから、「…なんだよい、」とプリンを手にとって眺めているので、「食いたそうだったんで、どうぞ」とエースは続けて、マルコの前の椅子を引いてすとんと座り込む。ずるっとラーメンを吸い込んだところで、「…ありがとよい」と小さくマルコが例を言ったので、ずずっずっちゅぽっもぐもぐむぐごくん、とラーメンとナルトを噛んで飲みこんでからエースは「いえ別に」と軽く手を振った。だって学食のプリンは105円だし、エースのバイト先はわりと給料がいいし、酔った客からおひねりが突っ込まれることも多いし、前掛けの紐に。むしろエースは、プリンを食べるマルコに興味があったのでこれはご褒美だともいえる。マルコに合わせて、ことさらゆっくりラーメンを啜ったエースは、やがてプリンに手をかけたマルコの頬が軽く緩んでいることに気付いてラーメンの汁をぶちまけそうになった。なんだ、プリン好きなのか、マルコさん。それなら毎日でも買って、いやそれだと気を遣わせるかもしれないから俺が買って時間が無くなったふりをして食べてもらえば、とぐるぐる考え続けるエースはそれでもマルコから視線をそらさず、マルコがカラメルの一滴も残さずすくってしまうまで、ほぼ瞬きもせずにいる。たんたんと幸せそうにプリンを食べ終えたマルコが、「ご馳走様でした」いつも通りトレーに手を合わせてから、「ご馳走様ポートガス、その内何か奢るよい」と軽くエースの肩を叩いて去っていくので、エースはしばらくプリンに目を落としたままいろいろなことを考えていた。

さて居酒屋で、「プリン食ったんだよあのひと!!!!」と絶叫したエースにむかってパシーン!とおしぼり(アツアツ)を投げつけたキッドは、「うるっせえよお前は!!」とやっぱり声を張り上げて、「お前もうるさい」とローに氷(シークワァサーサワーの)を背中に入れられて悶えている。ウオワァァァァ、と身体を捩らせるキッドのことは放って、ひそく興奮した様子のエースを睥睨したローは、「本当にどうしたんだお前」と珍しくベポを手から離して、膝の上に座らせた。「だからプリン食ったんだって、俺が買ったプリン」と、マルコがハスハスしながら答えるのに、少し考えてから「もしかしてあのおっさん?」と、エースが事務棟に通い詰めていることを知っているローが尋ねれば、「おっさんじゃねえよマルコさんだよ」とやたら正攻法な反論が帰ってきて、ローは緩く目を細める。ようやく復活したキッドが、テーブルに肘を突いて起き上がりながら、「恋でもしてんのか?すっげえ気持ち悪い方向に」とごく軽い調子で言うと、「え、そんなんじゃねえよ」と焼き豚串をがっつり齧りながらエースはぶんぶん首を振る。「だって全然お前ら見て―じゃねえし」と笑うエースの恋の基準がローとキッドだと知ったふたりは、じっと顔を見合わせて、それから「お前普段何してんの、何で俺らと居ねえの?」と口々に尋ねると、「マルコさん見に行ってるから」と酒のせいなのか何なのか、さらりとエースは言った。見に、行っている。「詳しく」とローが短く問いかければ、エースは軽く首を捻ってから、一日のエースの行動を、マルコを『見に行く』部分を交えて滔々と語りあげる。だんだんキッドの顔色が青くなっていくことにローは気付いていたが、顔色が変わらないだけでローもわりと同じ気分だった。「そんで家に着いたところまで確認して俺も帰る」でエースの話が一区切りついて、「別に普通だろ」とエースが本当に普通の顔でビールを呷るので、「普通じゃねえよ」とやはり顔色も変えずにローは切り捨てた。「エッ、なんでだよ、どこが?」とエースが本当に驚いた顔をしたことにキッドが今度は赤くなって「お前それ無理だから、ストーカーだから、訴えられたら負けるから」と重ねたのだが、「ストーカー?そんなことしてねえよ、すきだから顔が見てェだけだよ、…アレッ?すきなのか?」とエースは恐ろしいことを口走って、キッドの言葉の意味にもキッドとローが感じる居心地の悪さもまるで伝わりはしない。「すき?…すきなの?俺マルコさんの事好きなの?いや好きだろうけど、かわいいけど、アレ、そうなの?」とひとりでぶつぶつ言っているエースの前で、ひそひそと声を潜めたローとキッドは、「あいつマジで気持ち悪いな」「お前に言われたらお終いだけどこれは本気できっしょいな、自覚ないのが末期すぎるって言うか、怖い」「どうする?」「…実害ないからいいだろ、俺達に」「お前も大概ひどいな」「お前こそ」と耳打ちし合って、何気ない顔で向き直ると、「エース君のはつこいにカンパーイ」とグラスを持ち上げてにこやかに笑った。ローは心持だが。「あ、やっぱそうなんだ」と照れることもなく言ったエースは、「どうも、アリガトウゴザイマス」とかちんとグラスを合わせて、「なんだ、すきならもっといろんなことしてよかったんだなあ」とまたしてもひどい発言をしている。ハハハ、とひきつった笑みをこぼしたキッドの横で、「エースたん気持ち悪いでちゅよねーベッポたんvvv俺はあんな風にはなりまちぇんからね〜v」とローはまた普段絶対に見せないような極上の笑顔をむいぐるみにむけて、大事に大事にその頭を撫でてから、「ちょっとトイレ」」と言ってふらふらしながら個室を出て行く。こいつとふたりっきりにするな、とキッドは思ったが、「ベポがいるだろうが」と絶対零度の視線を向けられることは分かっていたので、やたらとピンク色の空気を飛ばしているエースからなるべく目を反らして「お前は良いよなー」と呟きながら目があってしまったベポの頭をとんとん、と撫でた。ローの手入れが良いので、ふかふかである。「…そろそろ聞いた方がいいんじゃねえの、ベポと俺どっちが大事なの!って」と、エースがひどく気の毒なものを見るような視線を向けるので、「ベポって答えるに決まってんだろうが」と、キッドは自分で答えてわりとダメージを受けた。「まあ、そうだよな」とビールを開けてしまったエースの言葉も追い打ちだった。「俺はがんばるな」とひどく良い笑顔を向けられて、「…がんばれよ」としか返せなかったキッドは、結局ローが帰ってくるまでふかふかのベポの頭を撫でていた。

(恋が始まった/原案:和泉さん/キモいエース×ダサいマルコ(とロキド)/現代パラレル/ONEPIECE)