ハ ロ ー 、 水 の 空 / 3 
 

4月の終わり、講義の空き時間にエースが食堂へやって来ると、予想通りマルコが窓際奥から4番目の机に座って日替わり定食(Cセット)を食べていた。一昨日大学図書館で借りた文庫本を広げて、でも定食の味噌汁から湯気が立っているので黒ぶち眼鏡を外して脇に置いたマルコは、いつもより少しばかり若く見える。若く、と言っても普段が老けて見えるので、年相応くらいにと言う話なんだけどな、と思いつつ、日替わり定食(Aセット/肉)(ちなみにBセットは麺である)を受け取ったエースはがらがらの食堂をすたすた歩いて、当然のようにマルコの前にトレーを置くと、椅子を引いてすとんと腰を降ろした。文庫から一瞬目を上げてエースを認めたマルコは、特に何を言うでもなく箸を置いて水を一口含んで、また文庫に目を戻す。エースも、別に声をかけるわけではなく、不躾にならない程度にマルコを眺めながらA定食をかつかつと口に運んだ。まあ、一種のおかずである。別にそういう意味ではないが。そう言う意味ではないが、と二回ほどエース自身に言い聞かせたエースは、本当にマルコでそう言うことをしようと思うわけではなかったので、何がそんなに引っかかったのか、と言うことを少し考えるべきだったのだが、エースに2,3分ほど遅れてC定食を食い終わったマルコが「ご馳走様」と軽く手を合わせるので、エースも黙ってトレーに手を合わせて、マルコに続くように返却口にトレーを置くと、事務棟に帰るらしいマルコとは逆方向に歩き出す。向かう先は茶道部の部室である。ローとキッドはあまり真面目に講義を取っていない(単位ぎりぎり、資格もギリギリ)ので、エースよりずっと長く部室に入り浸っていて、中で何をしているかわかったものではないのでエースはあまり昼間は部室に向かわないようにしているのだが、今日は誰が何をしていようと畳の上で転げまわってマルコの可愛さを滔々とぶちまけたい気分だった。

がちゃ、とノックもせずに扉を開くと、予想通りローとキッドは中にいて、でも今日はふたりしてキッドが持ち込んだ漫画本を広げているのでセーフである。ぬいぐるみのベポを抱き込むように胡坐をかいたローと、ローの足元に頭を置いて寝転がったキッドは、入ってきたのがエースだと知って、開口一番に「茶を淹れてくれ」と声をそろえた。茶道部に在籍している癖に、抹茶どころか普通の茶葉を使ってもうまく茶が入れられないふたり(ちなみにキッドは本格的な紅茶なら淹れられる。ローは、試験官とビーカーとフラスコで作るコーヒーなら得意である)がどうしてここにいるかはエースも良く分からないのだが、おんなのこがたくさんいるんじゃないかと軽い気持ちで入部したエースも、12人いた4年生(全員男)がかなり本気で茶の湯に取り組んでいたことにはわりと引いていた。引いていたが、それでもわびさびがわりと好きだったエースはそれなりに茶道を学んで、だから今も部室に残る部費で買ったらしい高そうな茶碗にポットの湯を注いでがしがし泡だてることが出来る。茶釜を使わないのは、ローとキッドが面倒がってどこかから持ってきた即沸騰する1lポットがひどく便利だったからだ。最後の茶会では、先輩たちもこれを使ってたっけなあ、と思い返すエースは、しかし1年間寝転がっていたようなローやキッドがそれなりに部活を(部室を?)気に入っていることも知っていたので、特に何を言うこともない。たん、と畳の上に茶碗を置けば、それでももぞもぞと起き上がったキッドとローが正座して茶碗に頭を下げるので、エースも畳に膝を置いて軽く手を突いた。形式的なのはそれくらいで、ベポを膝に乗せたローが半分ほど飲んだ茶椀を、特に拭いもせずキッドに渡して、キッドが飲みほしてしまってから「ご馳走様でした」とエースに返したので、「お粗末さまでした」とエースは言って、自分のためにもう一杯泡だてて飲んだ。「茶菓子はねえのか?」とこの顔で和菓子がすきなキッドが尋ねるのに、「たしかその辺に先週買ったくるみ餅がちょっと残ってたような」とエースが答えると、キッドは茶箪笥をごそごそ探って目的の物を掴んで、「…あと2個」と呟く。「もう少しあったような」とエースが首を傾げれば、「お前が寝てる間に俺が食った」と正座を崩したローが顔色も変えずに言い放った。何とも言えない顔でキッドはローを眺めていたが、ローは何一つ意に介さないまま、ベポを目の高さまで抱きあげると、「わりとおいしいでちゅよねえ、くるみ餅。ベッポたんもすきでちゅよね〜〜」と頬ずりしてから、「いい子にしてるんでちゅよ」と畳にベポを置いて、便所サンダル(その名の通り、誰かが便所からそのまま履いてきて部室の入り口に置いてあり、便所に立つときはそれを履いて行く)をつっかけて和室を出て行く。ふたつしかないくるみ餅のひとつを、キッドが黙ってエースにくれるので、「ああ、うん、ありがとう」とエースはありがたく受け取ってぽいと口に放り込んだ。もっちゃもちゃ、とくるみ餅を食べてしまったエースは、なんとなく肩を落としたキッドがベポに近づいてそっと抱きあげてローと同じ場所に頬擦りして、「お前は良いよなあ」と呟いている姿を見ても黙っているしかない。つまり、賄賂だった。

ローが帰ってくる前にごろりと畳にうつ伏せたエースは、当初の予定通り座布団に顔を埋めると、ぼそぼそぶつぶつマルコの可愛さとたまらなさを語り始めたのだが、お茶を飲んでしまったキッドと、帰ってきたローはエースに何も言わなかった。つまり、それも賄賂だった。世界はギブアンドテイクでできている。慣れた手つきでヘッドホンを取り出したローは、当たり前のように方耳をキッドに差しだして、ひとりでしあわせそうなエースを放って1時間ふたりで漫画に没頭していた。ちなみに、読んでいたのは幽白の完全版(帯付き、初版分)である。やがて顔を上げたエースが、「あ、講義」と普通に言い置いてスニーカーを履いて去っていって、そこでようやく顔を上げたローが、「あいつほんとに気持ち悪くなったな」と呟くので、「お前に言われたらおしまいな気もするが、確かに最近マジできっしょいな」とキッドは賛同して、でもローはいつのまにかキッドに抱き込まれるような形でキッドの胸に頭を預けているし、キッドはキッドでローの手をナチュラルに握って離さないので、基本的にローとキッドも気持ち悪くて、だからこそエースと友人なのかもしれなかった。ふたりともエースが折々口にする「マルコ」と言う名に覚えはなかったのだが、いつか顔を合わせることがあったら向こうが居たたまれなくなる程度にはまじまじと眺めてやろう、と思う程度には、エースの友人だった。 

(話しかけろよエース/原案:和泉さん/キモいエース×ダサいマルコ(とロキド)/現代パラレル/ONEPIECE)