ハ ロ ー 、 水 の 空 / 2 
 

「ポートガス、いい加減書き方を覚えちゃあどうだよい」と、何度目かの訂正線を引いた紙を突き返しながらマルコが呆れたように溜息を吐くので、「あっまたですか、すみません」と頭を下げながらエースは紙を受け取って、ボールペンで隅に丁寧に使用理由を書き直してマルコに返す。黒ぶち眼鏡に手をやりながら(どうやら癖のようだ)用紙を眺めて、「ん、良いよい」と頷いたマルコが差しだしたエースの掌に茶道部部室の鍵を落としてくれるので、 「ありがとうございます」とエースは今日も満面の笑みで答えて、マルコが自分の椅子に腰を降ろすまでその一挙一動を目で追っていた。ちなみに毎朝の話である。空き時間も部室に入り込んではダラダラ過ごすと言うのがエースとロキドの日課だったので、それ自体に特におかしなことはないのだが、どうも気を使ったらしいキッドが「明日は俺が鍵取りに行くわ」と言いだしたのを全力で拒否したのはエースである。「いやいいかむしろいいからっていうかいいから俺が行くからお前はローの相手してろそこに座ってろステイ!」と一息に言い放ったエースの顔がまるで笑っていなかったので、「あ、はい」とキッドはローに背中を預けるように腰を降ろして、エースとキッドの会話になどまるで耳を貸さずにぬいぐるみをモフモフしているローに「なんか最近エース怖いんだけど」と話しかけたのだが、「あいつは昔から怖いだろ」とローはまるで取り合わなかった。まあ、そうだけどよ、といつだったかエースの弟がやってきた日の事を思い出してキッドは目を閉じる。ローの体温が気持ち良いな、と思った。

というわけで、エースは毎日部室の鍵を借りるために、正確にいえば毎日マルコから借りるために、さらに言えば毎日マルコの顔を見るために学生課へ通っていた。特に理由があるわけでもなく、強いていえば最初の様な笑顔がまた見たいな、と言う程度だったのだが、最近では(もう1か月ほど通っている)呆れたように目元を歪める顔も捨てがたい、と言うわけでエースは毎日どこかしら用紙の記入をわざと間違えるようになっている。やり過ぎるとたぶん怒られるので、ほんの少し、マルコが気づくかどうかに全身全霊を注いでいるのだが、マルコはどうも優秀な事務員らしく(良く知らないが)、必ず指摘されることにもエースは無上の喜びを感じていた。エースの名前を指摘された時には、ああやっと名前覚えてくれたんだな、という気持ちでいっぱいだったし、この頃では「ポートガス」と呼ばれるその響きに緩みそうになる頬を抑えるのが辛いくらいだった。明日はどうやって間違えよう、と、鍵を返したエースが(帰り際にはマルコがいないことが多い、残念ながら)正門をくぐると、目の前にジャケットを羽織ったマルコの後ろ姿があって、エースは迷わずマルコの後をついて行く。エースの家は、大学前の大通りを左に折れて3分ほど歩いたところにあるボロアパートで、鍵も掛けないような部屋でよくローやキッドが折り重なるようにして寝ているのだが(いろんな意味で)、そんなことは忘れたように、駅へ向かうらしいマルコに続いて力強い足取りで地面を踏みしめた。いろんなところから、マルコの年齢(37歳)や良くいる場所(事務棟でなければ第2倉庫、あるいは第4校舎と講堂のパイプオルガンが担当らしい)や食堂で良く頼む品(日替わり定食Cセット/魚系)までは割りだしたのだが、まだマルコの家の最寄り駅は知らない。これは良い機会が巡ってきたなあ、と考えるエースの表情はわりと真剣なのだが、エース自身は良く分かっていなかった。

こういうときのために幾らか入れてあるPASUMOで改札を抜けて、ちょうどやってきた下り方面の電車にマルコに続いて乗り込んだところで、くるりと振り返ったマルコがエースを認めて「ポートガス、お前も帰りかい」とごく普通に声をかけるので、「はい、マルコさんは、いつもこの時間なんですか」とエースも務めて冷静な声ですらすら尋ねれば、「特に用事がなければこの時間が多いよい」と黒ぶちの眼鏡を外して眼鏡ケースにしまいこみながらマルコは答える。眼鏡を外しても可愛いな、その笑い皺の辺りが特に、と言ったことはおくびにも出さずに、「マルコさん眼鏡、外すんですね」とエースが言うと、「ほんとはずっとかけているべきなんだろうが、疲れちまうんだよい」と照れたようにマルコが少し笑ったので、エースは思わず心臓を押さえた。いや、可愛いな。っていうか、可愛いな。なんだこれ、心臓が痛いな。と言ったことを考えながら、「俺は視力悪くないんでわからないんですけど、眼鏡って重いんですか」と当たり障りのないことを口にすると、「レンズとフレームにもよるが、この辺に痕がつくくらいにはな」と鼻の付け根を擦ったマルコの指先が相変わらず細くて長いので、エースはいつかその指を握ってみたいと思った。「…ところで、ポートガスはどこに住んでるんだよい」と尋ねられたところで我に帰ったエースが、「大学近くのアパートに」と正直に答えれば、マルコは僅かに首を捻って、「じゃあなんでコレに乗ってんだよい」とごく当たり前のことを問うので、エースは顔色一つ変えずに「あ、友達の家があるんで」と適当なことを口にする。事実、キッドの家はこの方向に8駅程下ったところにあるので、別に嘘ではない。これからそこに行くとは誰も言っていないし。そうかい、とあっさり頷いたマルコは、大学の最寄り駅から6駅目で「それじゃ、また」と手を上げて降りて行くので、「また明日」と手を振ったエースは、それからもう一駅下って、折り返し電車に乗って引き返して、大学の最寄り駅で改札に引っかかった。「すいません、間違えました」と言って、(まだ少し早かったが)そのままバイト先(昇り方面に2駅)へと向かったエースは、途中で携帯を取り出して、マルコフォルダのメモ開いて情報をまた一つ追加する。"最寄駅:×××駅"と打ちこんだエースは、ひどく満足そうに頷いて、あしたもマルコの顔を見に大学へ行こうと上の空で改札にPASUMOを押し当てた。140円だった。

(我に帰らないエース/原案:和泉さん/キモいエース×ダサいマルコ(とロキド)/現代パラレル/ONEPIECE)