虹 を 作 っ て た 
 

土曜日の夜、適当に夕食の皿を洗っていたルフィ(エースが作ったのでルフィが洗う、それが家訓である。ちなみにガープが一覧を作って今も壁に貼ってある)の背中を眺めながら、「お前明日はなにがいるんだ」と、エースは声を掛けた。「朝と夜」と、ルフィが短く答えたのは食事の話で、「昼はナミと外で食う」と続ける。「ああ、じゃあ俺も夕飯までには帰って来るな」とエースが言えば、手を止めて振り返ったルフィが「エースもどっか行くのか」と驚いたような顔をするので、「…悪かったな彼女もいねえのに日曜に出かけてよ」とエースは軽く不機嫌そうな顔を作って呟いた。「そんなんじゃねえけど」と返したルフィが、流しに向き直ってまた水を流し始めると、エースはすたすた歩いてルフィの後ろにやって来て、「明日は何が食いたい?」と尋ねるので、「にく」とだけルフィは答える。「了解」と笑ったエースは、「じゃ俺風呂入って寝るわ」とルフィの背中を軽く叩いて玄関脇の寝室(6畳の和室、兄弟二人で布団を敷いて寝ている)(ちなみに他にはちゃぶ台とテレビだけを置いた6畳の和室がもうひとつと併設した小さな台所、風呂トイレに1間の押入れがこのアパートの全てである)に消えた。最後の皿から泡を流し終わって、きゅ、と蛇口を捻ったルフィは、「彼女がいねえって言うか、作らねえだけだよなあ」と独り言を言いながら、捲りあげていたTシャツの袖を降ろした。どう考えても地デジには対応していないテレビのスイッチをぱちんと付けて(リモコンは行方不明である)、ちゃぶ台に顎を乗せたルフィは、毛羽立った畳をなんとなく摩りながら、頭に入らないニュース番組のアナウンサーの声とエースが使うシャワーの音を聞いていた。

開けて日曜日、遅い朝食を取った後に、いつものサンダルをつっかけながら「ちゃんと戸締りしろよ、ナミちゃんによろしく」と言ってエースが出て行くので、ルフィは3杯目のお代りが入った飯茶碗と箸を握ったまま無言で手を振った。口に物が入っている間は喋ってはいけない、と言うのも家訓である。破るとガープの鉄拳制裁が飛んできた過去を(と言ってもルフィとエースがガープの家から出てまだ3年も経っていないのだが)思いだしてルフィが要らない脂汗をかいた時に、ルフィが寝巻き代わりにしているジャージの右ポケットが震えた。まず飯をかき込んでしまってから、ルフィが携帯を取り出して開けばメールはナミからのもので、不意にバイトが入ってしまったことと、今日のキャンセルと火曜日の埋め合わせについてが4行ほどでまとめられていて、ルフィはぱちっと瞬きを落とす。じわじわと聞こえるセミの鳴声と、恐らくルフィのために簡潔な文章とがなかなか合致しない。一つ年上のナミは、今年エースと同じ大学に入学したところで、高校時代よりも効率的に稼げるようになったことを喜んでいたことはルフィも知っていて、しかし日曜の午後はだいたいルフィのために開けてくれていた。それがナミの最大級の愛の示し方だと知っているルフィはわりとそれが嬉しかったのだが、でもだからと言ってここでナミに文句を言っても何の意味もないことくらいは分かって、あまり気乗りはしなかったが『わかった。火曜日にまたな』と打って返信する。それから電話帳を探ってウソップとゾロとサンジとローとキッドを呼び出したのだが、間の悪いことに誰ひとりとして捕まらなかったので、ちぇ、とやる気のない音で舌打ちの真似ごとのようなことをしてから、ルフィはごろりと畳に寝転がった。煤けた天井には誰が付けたかもわからないような手形が残っていて、入居した日にエースとふたりでどうにかしようとも思ったのだが、拭いても落ちなかったので今は諦めてそのまま暮らしている。ちょうどナミの手と同じくらいなので、ルフィはなんとなく手を伸ばしてみたが、もちろん天井には届かない。ふわあ、とやる気のない欠伸をしたルフィは、もそもそと薄っぺらな座布団を引き寄せて折り畳むと、横向きに頭を乗せて目を閉じた。朝食の茶碗を洗わなくてはいけないのだが、皿は舐めたように空だし、今でなくても良いだろう。目が覚めたら洗う。ルフィの寝つきの良さはエース譲りだった。血の繋がりがなくても。

ぐう、と腹が鳴る音で目を覚ましたルフィは、いつの間にか寝返りを打ってすっ飛ばしていたらしい座布団が足の下にあることに気付いて、もそもそと汗で貼りついた髪をかきながら身体を起こした。なんとなくほっぺたが痛いので、ぺたぺた歩いて風呂場の鏡を覗くと、 畳の痕がくっきりと赤く残っていて、ルフィは少し笑う。ナミがいたら一緒に歩きたくないと怒られるだろうが、今はいないので大丈夫だ。それでも一応ばしゃばしゃ顔を洗ってから、勝手にお湯になる夏の水道で皿を洗うと、薄い財布を尻ポケットに突っ込んで、昼飯を食べるためにルフィはアパートを後にする。玄関の鍵は閉めたが、密閉した日本家屋は蒸し風呂のようになってしまうので、ベランダと寝室の窓は全開のままである。ふらふらと足の向くまま吉野家で牛丼を3杯飲むように食べたルフィは、ごくごくとお茶を飲んでからまたふらふらと歩きだして、その辺の店を覗いてみるのだが、対して気が乗らない。そもそもルフィはひとりでいるのがあまりすきではないのだ。が、いつまでもそうしていても仕方がないので、適当にコンビニに寄って帰ろうとしたエースは、雑誌コーナーに見慣れた後ろ姿を見つけて「あ、」と軽く声を上げた。ん?と言う顔で振り返ったサボが、ルフィを見つけて「ひとりか?珍しいな」と柔らかく笑うので、「おう、サボもひとりなのか」とルフィがサボに近づけば、サボは読んでいた早ジャンを棚に戻して「お前と違ってナミちゃんがいないからな」とエースと同じようなことを言う。「サボだって彼女作れんだろ」とルフィが返せば、「作れんのと作りたいような相手がいるのは違うだろ」とさらっとムカつく発言をサボは落として、「それよりお前暇なの?今DVD借りてきたから、見に来ねえ?」と、小脇に抱えたTSUTAYAの袋を差す。「ん、AVか?」とルフィが首を傾げれば、「お前とそう言うのは見たくねえなあ」とサボは軽く笑って、ルフィの答えを待っているので、「サボの家はめんどくせえからいやだ」とルフィは言った。「ならお前の家でも良いけど。エースいねえの」と尋ねるサボに、「エースはいねえ。夕飯は作ってくれるから、それまでいろよ」とルフィが返すと、「じゃあそうするかな」と頷いたサボは、雑誌コーナーの脇に積まれたレジ籠を取って、「食いたい物適当にいれろよ」と鷹揚に笑う。「いいのか?」と目を輝かせたルフィに、「俺金持ちだから」とふふんと笑うサボはやっぱり少しムカつくのだが、金持ちなのは事実なのでルフィは黙ってもっさりと袋菓子を籠に放り込んだ。サボは、ペットボトルとビーフジャーキーを投げ入れていた。

コンビニを出て、これだけはルフィが買ったガリガリくんをふたりで齧りながら歩いていると、「それにしても暑いよな」と電柱に止まった蝉を見上げながらサボが呟くので、「夏だからな」とルフィが真顔で言えば、「お前身も蓋もないこと言うなよ」とじっとりした目でサボは返す。「別に暑くても死なねえだろ」と言いながらしゃくしゃくガリガリくんを食べてしまったルフィが、「あたりだ」とサボの前に棒をかざすと、「うん知ってた、お前あたりしか引かねえし」とまだ半分残ったダリガリくんをルフィから遠ざけながらサボは答えて、「とらねえよ」とルフィは心外そうに呟いた。そうこうしている間にサボとルフィのふたりはエースとルフィがふたりで暮らす安アパートに辿り着いて、ギイギイとふたり分の体重で軋む階段を上ったのだが、エースとルフィが暮らす2階の端に辿り着く前、202号室あたりで、蝉の声に紛れて妙な-聞き覚えのないエースの-声が聞こえて、んっ?と顔を見合せる。「…エースいるんの?」とサボがなぜか声を潜めて尋ねるので、「さっきまでいなかった」とルフィも掠れるような声で返せば、またエースの声が聞こえるので、ふたりはビクッ!!と背筋を正した。どんな声かと言えば、掠れるような上擦るような生温いような苛烈なようなつまり言うなれば、最中のような声だったので、「…女連れこんでんのかエース…」とルフィは呟いて、玄関には手を掛けずにそっと窓に近づく。「おいやめろよ、ルフィ」と言いながらサボも付いてきて、何故か早くなる鼓動を押さえながら、全開ではなくほんの少しだけ開いた窓の隙間からちらりと中を覗きこんだところで、ルフィは大きく目を見開いて、サボに至ってはルフィの隣で食べかけのガリガリくんを口から落としている。たぶんルフィも食べ掛けていたら同じことをしただろう。

だっていつもルフィとエースが寝ている6畳の畳の上で、エースが男と裸で抱き合っていた。

一組だけ敷かれた布団の上で、脱いだ服を周りに散らばらせながら、浅黒い肌をした男がこちらに背を向けていて、エースはその男の肩に顔をうずめるような形でしがみついている。どちらかが顔を上げればきっと、ルフィもサボも見つかってしまっただろう。けれどもふたりは、そんなことを考えもしないような角度で、背や腕や額から滴る汗を拭いもせず行為に夢中になっている。金髪でパイナップルのような髪形をした男は、エースの腰と背中に腕を回してエースを膝に引き上げて、ちゅ、ちゅ、と音が聞こえそうな熱心さでエースの首筋に唇を落として、こちらは本当に聞こえる水音と同じ速度で、身体を動かしていた。これ完全に入ってるよな、と呟いた筈のルフィの声は声にならず、サボの声も聞こえず、蝉時雨すら遠くてただ堪える様子もないようなエースの、「…ル、コ」と言うひどく甘い声が聞こえてぶわっと顔が熱くなった。こんな声は知らない。エースのこんな声を知らない。こんな表情を、こんな指の形を、身体の角度を、愛おしそうに頬を擦り付ける姿を、何度も腕を組みかえて男の背に絡ませる姿を、強張ったように開く足の指を、緩く振った顔の中心で赤く濡れる咥内を、そして幸福に漏れる吐息を、ルフィは。かさ、と不意に聞こえた微かな音で我に返ったルフィは、振り返った視線の先で棒立ちのサボがとてつもない顔でエースと男を眺めていることに気付いて、とっさにがっとサボの腕を取ると、蝉の声に追い立てられるように外廊下を翔けて、軋む階段はほとんど三段飛ばしで飛び降りて、息も吐かずに直線道路を駆け抜けた。どこに、ではなく、エースの声が届かないどこかへ。サボは何も言わずに、ルフィに手を引かれるまま後に続いた。

どこまでだって駆け抜けたかったルフィとサボは、それでも真夏に全力疾走して少しばかり息が続かなくなったので、ちょうど見かけた寂れた公園に滑り込んで、そこでようやく溜めていた息を吐いた。冗談ではなくうまく息が出来なくて、はぁはぁ荒い呼吸をしていたら、ルフィがサボの持つビニール袋からコーラを取って差し出すのでサボは受け取って蓋を開けようとして、力が入らなくてそのまま地面にしゃがみ込む。いや、うん、と目を見開いて地面を眺めていたサボは、サボの手からコーラを取ったルフィに手を引かれるまま、ベンチもない公園のブランコまでやってきて、低い座面に腰掛けた。サボの横でコーラの蓋を捻ったルフィは、走ったせいであふれたコーラを見ても笑うこともしないで、半分方零れ落ちた上に炭酸が抜けたコーラをサボに差し出す。ありがたく受け取ってごくり、と飲んだサボは、でもうまく飲み込むことが出来なくてゲホッゲホゲホグフッ、ガッフ、と咽て、咽た拍子に涙が出てああこれは、やばいな、とぼんやり思った。これは生理的な涙だったが、それを呼び水にしていらないものまで出て来そうだった。いろいろなもので顔を汚したサボの隣で、物も言わずに座っていたルフィが不意に大きくブランコを揺すったので、キィィ、と錆びついた鉄金具が嫌な音を立てて軋んだ。それから、「…エースっておっさんが好みだったんだな。知らなかった」と、ぽつりとルフィが口にするので、「…俺も知らなかったな」とサボは返す。そもそもあの見知らぬ男がおっさんなのかどうかもわからなかったが、『エースが相手の男を好き』という一点に関しては間違えようがなく、重要なのはそこだろう。「おれ、エースのあんな幸せそうな顔始めてみた」と続いたルフィの言葉に答えることが出来ず、手にしたコーラを見下ろすサボは、まだあまり良く状況が掴めていない。きっとそれはルフィだって同じことで、本当はサボがエースを笑い飛ばしてルフィを慰めてやるべきなのだろうが、今はとてもそんな事が出来そうになかった。そもそも、サボは一体何にショックを受けているのだろう。初めて見た男同士のセックスか、それともエースのセックスか、エースが男とセックスしていたことか、エースに恋人がいたことを知らなかったことか、それとも、エースに好きな相手がいたことなのか。だって高校でポルチェちゃんと付き合ってた時は散々俺に見せつけてきただろあの野郎、でもそれとこれとは違うんだろうか、男同士だからってそれだけで引くような人間だと思われてんのか?俺はそれが辛いのか?と、どれも同じようで微妙に違うそれらを纏めようとしながら、サボはコーラの飲み口に額を押しつけるように身体を折った。不安定なブランコの上で、それ以上にサボの心は不安定である。なんだろうこの喪失感、「親友を取られて俺は悲しいのか」と呟いたところで、その声のあまりの薄っぺらさにサボ自身が驚いた。ぱちっと瞬きした瞬間に、熱い吐息を漏らしたエースの艶やかな表情が浮かんで、サボはぶんぶんと首を振る。「…取られたのか、おれも、兄ちゃんを」と呟くルフィの声は透明でそのまま宙に消えそうだと言うのに、サボの残した音はいつまでも消えずにそこに残っていた。まるでそれは嘘だと突き付けられているようで、今度こそサボは泣くんじゃないだろうかと思う。でも何に対して泣けばいいのかわからなかった。

しばらくそうしていてから、ふと顔を上げたサボが「夕食って何時だっけ」と尋ねるので、「…だいたい7時くらいだ」とルフィが返せば、「じゃそれまでこれ食って待つぞ」と、大きく膨らんだビニール袋からファンタを出してルフィに放って、コンソメパンチの大袋をばりっと開けてむしゃむしゃと頬張る。サボの横顔は普段とあまり変わらなかったが、ルフィの方を見ないのでいつもとは違うのだとルフィも悟る。炭酸の鎮まったファンタをぱきっと開けてごくごく飲んだルフィが、「あと3時間あるけどな」と公園の端に掛けられた時計を差せば、「だって俺このまま家に帰って親の顔普通に見る自信がないし」とサボが俯くので、「じゃあしょうがねえか」と、サボが持つ袋からビーフジャーキーとポッキーを出して、ルフィもばりっと封を切った。夏の長い陽が暮れかけるまで、そうしてふたりで飲み食いしていた。やけ食いのようだった。失恋のようだった(ナミにしっけいな話だった)。

あたりが薄闇に染まりかけた頃に、コンビニのゴミ箱にぎゅうぎゅうと散々飲み食いした残骸を押し込んで、ついでにガリガリくんを交換してルフィとサボがルフィとエースの家に戻ると、先ほどはほんの少しだけ開いていた寝室の窓が全開になっていて、そっと覗いてみても中には誰もいない。鍵を差す前にそっとノブを捻ってみれば、キュイイ、と軽く音を立てながら玄関扉は開いて、「ただいま」と妙に上擦った声でルフィが声を出すと、「おう、お帰り」と台所から顔を出したエースの顔が先ほどとは似ても似つかないふてぶてしさなので、ルフィはとてつもなく安堵して、サンダルを脱ぎ散らかしながら「ただいま!」ともう一度叫ぶように言った。「だからお帰り、あと靴は揃えろよ、第8訓」とエースが言うのはガープが書いた家訓のことである。慌ててそっとサンダルの向きを変えたルフィは、サボがまだ外廊下にいることに気付いて、「入らねえのか」と声をかけた。「誰かいんのか?ナミちゃん?」と今度は顔を出さずにエースが尋ねるのに、「コンビニであったサボ」とルフィが返せば、「なんだよ男三人で鍋かよ」とエースは笑う。その声に促されるように靴を脱いだサボが、「ただいま、この暑いのに鍋かよ」と呆れたような声を上げて、でもその声が少しばかりかすれていることにサボ自身が気づかない。「肉がすくねえから野菜でかさ増しすんだよ、文句言うなら帰れ」とごく普通にエースが言った言葉に、「早く言えば肉くらい買ってやるのに」とサボは笑いながらちゃぶ台の前にルフィと座り込んで、「お前こそ来るなら来るって言っとけ」と返しながらエースが投げたしゃもじをぱしっと受け止めた。ほかほかと炊きあがった飯を三人分よそうサボの横で、ぐつぐつ煮える鍋を運んできたエースの後ろをすり抜けてコップを取りに行ったルフィは、腰を降ろしたエースの首筋にごく僅かな痕を見つけて、「やっぱ夢じゃねえよな」と呟いてしまってから、「ん?」と首を傾げたエースには「なんでもねえ」と言ってコップと麦茶をちゃぶ台に並べる。いただきます、と手を合わせてから、飯をかきこむルフィに「昼飯は何を食ったんだ」とごく軽くエースが尋ねるので、口の中の物をごくりと飲んでしまってから、「吉牛」と短くルフィは返す。「…まあ安いしそこそこうまいしナミちゃんは嫌がんねえだろうけどよ…」と、ネギの青いところを抓みながらエースが仕方がない物を見るような目をするので、「嫌がんねえなら良いだろ」とルフィは言って、それきり会話はエースとサボに移っている。ごく普通に会話するふたりを眺めながら、「火曜日はナミに慰めてもらう」とルフィは小さく呟いた。サボは、ごく自然に貼りついたような笑顔を浮かべていた。エースは、何の変哲もないタンクトップを着て、首の痕に気付く様子も、気に掛ける様子もなかった。鍋はうまかった。

( 誰も何も言わない / 原案:和泉さん / ルフィ視点のマルエー←サボ / 現代パラレル / ONEPIECE )