I t ' s   a   f i n e   d a y /  雨 の 資 料 室 で


今にも泣きだしそうな空を視界の端に置きながら、オフィスの隅で郵便物を仕分けていたエースに「だれか資料室まで来てくれねえかい」というマルコ主任の声がかかったのは、ちょうど最後の封書をマルコ主任の郵便物の山にそっと放った時だった。だれか、と言う言葉通り、同じオフィスにはエースを含めて5人からのバイトが働いているが、手が開いたのはエース一人のようだったので郵便物をさっとまとめてそれぞれの机に置いたエースは、「俺行きます」と小走りで入口に立つマルコ主任の後ろに並ぶ。「ああ、助かる」と顎を引いて答えてから歩き出すマルコ主任はなにやら印字された紙を見ながらぶつぶつと呟いていて、何しに行くか聞いてねえけどいいのかな、と思うエースはともかく4階の資料室まで階段を使うマルコに続いた。資料室脇の小部屋を指して、「中に台車があるから出してくれるかい」とエースに指示したマルコ主任は、かなり広い白髭社の資料室でいくつか本を探しているようである。それなりに整理されているとはいえ、司書がいるわけではない部屋はかなり入り組んでいて、手にする紙はどうやらNDCと出版社と作者名と、それからおおまかな資料室の配置が記載されているらしい。バイトではあるが一応部外者で、慣れてもいないエースは遠慮がちに資料室を覗き込みながら、たまに手渡される本をそっと台車に乗せて行く。手持無沙汰に佇みながら、そういえば今日のマルコ主任は眼鏡をかけている、とエースがたいした興味もなく本の背表紙をなぞっていると、ふいにぱた、と小さな音が聞こえて、エースは薄く肩を震わせた。あまり人通りのないところで何かが聞こえるのはあまりよくない。が、ぱた、ぱた、と途切れがちだった音がやがて断続的な水音に変わるので、なんだ雨か、とエースが肩を落としてちらりと振り返れば、薄暗い廊下に作られた明かりとりのような小さな窓がなぜか開いてそこから雨が降りこんでいるので、うおい!!と突っ込みながらぱたん、と慌ててしめた。中は大丈夫だろうなあと思いつつ資料室を覗きこんで、そういえばここには窓がないな、と安堵したエースは、かいてもいない汗を拭うように台車の脇にしゃがみ込む。と、途端に「エース」と短いマルコ主任の声が聞こえるので、さぼってるのバレたか?!と「はい、」と返事をしながら立ちあがってまた入り口から中を伺ったが、見えるところにマルコ主任の姿はない。あっれ、と思ったエースに、「すまんエース」ともう一度声がかかるので、はい、と答えたエースはすたすたと紙とインクの匂いがする資料室に滑り込んだ。少し考えて、廊下に置いた台車も引きずり込んで、扉は閉めておいた。

エースがしばらく歩いて棚の間を覗きこんでいくと、やがて真剣な顔で棚と向き合うマルコ主任が見えてどうしたんだ?と一瞬首を傾げたが、よくよく見ると1段分の本が全て斜めになってマルコ主任に襲いかかろうとしている。限界までぎゅっと押し込まれた本を一冊だけ抜き出そうとして、他の本まで全部落ちてくる、あの現象だと思う。慌ててエースも飛びついて、端から本を棚に押し込んでいくと、半分ほど仕舞い終えたところで目的のものらしい本を引き出し永田「助かったよい」と少しばかり血の気の引いた声でマルコ主任が言うものだから、「いえ俺も、全然気づかなくて」と本を引き取りながらエースは頭を掻いた。気付く方がすげえと思うけど、とは言わなかった。ただ、「落ちてこなくて良かったですね」と当たり前のことをエースが言っても、「よい」としみじみ頷くマルコ主任で良かったと思うだけである。「あとどれくらいですか?」とエースが尋ねれば、「あとは場所が分かってる本だからもうすぐ終わるが、冊数が多いから手伝ってくれるかい」と丁寧にマルコ主任は告げるので、エースもはい、と歯切れ良く返事して、奥の棚から画集と全集を引っ張り出してくるマルコ主任に倣った。

すっかり本で埋まった台車を前に、ゆるく首を廻したマルコ主任が「そういえば降り出したかい」と耳を澄ませて呟くので、「かなり激しいですよ」とエースは扉の向こうを指す。憂鬱そうな顔をして、「お前傘は持ってるか良い」とマルコ主任が尋ねるので、「この時期なんで、折りたたみは常備してます」とエースが頷けば、「ならいいよい」とマルコ主任はあっさり眉間のしわを軽くした。あれ?と思ったエースが、「ちなみに主任はどうなんですか」と問い返せば、「俺は朝降ってなけりゃ持たねえよい」とあっさり答えるので、いやいやいやいや、とエースは思ったが、「別にこの下のコンビニでも買えるから困らねえだろい」と500円やそこらの出費は気にしないらしいマルコ主任が鷹揚に答えるので、「ビニール傘部屋にたまってませんか」とエースはぼそりと言う。言葉に詰まったところを見ると、その通りなのだろう。父親と同じことをしている、父親とも己とも同じだけ年の離れたようなマルコ主任の姿を眺めながら、「傘は骨だけにして、縛ってかん・びん・ペットボトルの日に出すんですよ」とエースがぽつりと言えば、「覚えておくよい」と首の後ろを掻きながらマルコ主任も神妙に答えた。ちなみに今住んでいる場所の話で、エースが育った場所で傘は不燃ごみとして出している。マルコ主任と似たような顔をして、古くなった傘をゴミ袋に入れる父親を思い出して、エースは少しおかしくなった。「なんだ、思い出し笑いかい」とほころんだエースの顔を見てマルコ主任が首を捻るので、「ちょっと、家の事思い出しました」とエースが応えると、マルコ主任は目を細めて「そうかい」と言ってから、「そう言えばエース、夏休みのシフトはどうするよい」と当然のように尋ねる。マルコ主任ではないが、そういえばあと一か月もすれば大学は長い夏休みに入って、そろそろシフトを決めるころだから尋ねたに決まっていて、でもエースは少しだけ困ってしまった。1年、2年と、マルコは当然のように休みに入った途端サボとふたりで実家に帰って、ジジイが趣味で耕している裏の畑を手伝ったり、ルフィと三人でサバイバルのようなキャンプを計画したり、父親やろくに血のつながらない伯父やルフィの父親を交えて酒盛りをしたり、だからまた今年もそうしたことをするものだと思っていたので、バイトにまで考えが廻っていない。エースが今までしてきたバイトは半年ごとにそれぞれ変わっていて、夏休みの前と後と夏休み中でそれぞれ違うことをしていたものだから良かったが、今ここで白髭社を止めてしまうとエースの就職にもかかわるような気がして、けれどもエースはまだここに就職を決めたわけでもなかった。「えーと、」ととりあえずのように口に出したエースへ、「長く入れるようだったら、バイトにも微妙にボーナスが出るから考えておけよい」とたいして気にもせずマルコ主任は告げて、「そろそろ行くかい」と台車を押して行こうとするので、「あ、それは俺が」とエースが押し手を取って、「助かるよい」と言いながらマルコ主任が開いた扉をくぐる。

「ああ、よく降るな」

と呟いたマルコ主任の声に誘われて顔を上げたエースの目には、濡れた窓に反射する歪んだマルコ主任とエースの顔が映って、ああそうか、とエースはひとつ瞬いた。長期休暇中でも家に帰らなくて良いのか、とエースが思ったのは、家を出て2年半経って初めてのことだった。

(夏休みにエース残留決定 / 大学生エースとリーマンマルコ/ 現代パラレル / ONEPIECE )