I t ' s   a   f i n e   d a y / 終 電 後 の エ ー ス の 部 屋 で


火曜日の昼下がり、3日ぶりにエースが白髭社入り口の自動ドアをくぐると、向かって右側の自販機の前に特徴のある金髪を見つけた、エースは緩みそうになる口元を押さえて、すたすたとマルコ主任に向かって歩を進める。

金曜日の晩というか土曜日の早朝、エースの部屋で眠りに着いたマルコ主任は、翌朝目を覚まして盛大に寝ぼけたのだ。少しばかり遅く、といっても8時に目を覚ましたエースが、寝ているマルコ主任を起こさないように布団を畳んで、半分だけカーテンを開いて洗濯物が乾いていることを確かめて、天気がいいので畳んだ敷布団をばさりとベランダに干し掛けて、つま先立ちで台所に移動して顔を洗って歯を磨いて、ついでにトイレを済ませて、あまり入っていない冷蔵庫を開けて朝ご飯は何にしようか、と頭を捻ったところで、がた、と襖の向こう側で大きな音がする。エースが台所からひょっこり顔を出すと、マルコ主任はなぜかエースのパソコン用の椅子に躓いていて、大きな音は椅子が倒れた音らしい。「大丈夫ですか」とそっと声をかけたエースに、膝立ちになったマルコ主任は胡乱な目を向けて、「…こんなところで何してんだよい、エース」とむっつりした声で言うので、いやそりゃ俺のセリフだろ、とエースは心の中で突っ込んでから、「主任、昨日俺の部屋に泊まったの覚えてますか?」とそれなりに辛抱強く尋ねた。マルコ主任はしばらくエースの顔をぼうっと眺めて、それからゆっくりエースの部屋を見回したところで、なぜかパソコン用の椅子を起こして腰をおろして、「ふわあ、と欠伸をするものだから、「やっ、寝るなら布団で!」とエースは駆け寄ってマルコ主任の手を引く。と、素直にマルコ主任はエースの手を握って布団に戻るものだから、エースはごろん、と横になったマルコ主任の腹に薄手のタオルケットを乗せて、ルフィにするようにぽんぽん、と数回脇腹を叩いた。不規則だったマルコ主任の呼吸が、すう、と寝息に変わるのを見て、エースは少しばかり息を吐いて、それから突然おかしくなって笑いを噛み殺した。何だこの人。おもしろい。おもしろすぎる。普段あんだけ優秀なくせに、こんな風に寝ぼけるなんて面白い。これ覚えてんのかな起きた時に、と片手では足りずに両手で口を押さえたエースは、音をたてないようにそっと立ち上って、すたすたと台所に戻る。朝食は、適当にパンと卵とコーヒーで終わらせることにした。

お湯が湧いてエースがコーヒーを落としたところで、がら、と台所と部屋を隔てる襖が開いて、顔を向ければ頭を押さえたマルコ主任が立っている。眉間には盛大に盛大に皺が寄っている。

「おはようございます、マルコ主任」
「おはよう…」

にやにや、にならないようににこやかに挨拶したエースに、それでもマルコ主任はまともに答えたので、もう寝ぼけてはいないようだ。立ち尽くすままのマルコ主任に、「顔洗いますか?洗面台ないんで、風呂場になりますけど」とエースが言うと、マルコ主任はエースが渡したタオルを受け取って、よろよろと洗い場に足をかける。ばしゃばしゃと水音が聞こえる中、エースは部屋に戻ってマルコ主任の敷布団をベランダに干して、開いた空間に折りたたみのテーブルを広げた。ぱちん、と4つ足を全て立てるころには、濡れたタオルを片手にマルコ主任が顔をのぞかせるので、エースはこれまた押入れから出した座布団を勧めて、濡れたタオルは引き取ってそのままベランダに干す。乾かせば、また使えるだろう。ぱんぱんと手を叩きながら部屋に戻ったエースを、幾分眩しそうな顔でマルコ主任が見上げるので、「朝弱いんですね」とエースが問いかけると、マルコ主任はバツの悪そうな顔で頬を掻いた。自覚はあるらしい。「何かしたかよい」と小さな声でマルコ主任が尋ねるので、エースは少し考えたが、「いや別に、その椅子に躓いて転んだくらいで何も無いですよ」とエースは笑い飛ばした。下手に隠すよりも効果的だろう、と踏んだエースの観は正しかったらしく、マルコ主任はさっと顔を染めて、小さなテーブルに突っ伏している。今度こそ、くっ、と声を上げてしまったエースの顔を見ずに、「…迷惑かけたよい…」と消え入りそうなマルコ主任の声が聞こえて、「いえ、面白かったんで大丈夫です」と本心からエースは言って、「朝ご飯にしましょう、パンと卵とコーヒーと、あと西瓜ありますけど食います?」と、エースが冷蔵庫から出したのは4分の1程度にカットされた西瓜である。「ずいぶん小さいのを買ったんだな」と、エースの健啖ぶりを知るマルコ主任が不思議そうに言うので、「ああ、4分の3は先に食ったんです」と、ざっくり半分に切りながらエースは答えた。台所に立つエースの後ろ姿を、マルコ主任が珍しそうに眺めていることには気づかないまま、ざっとトーストできたパンと、ジャムと、コーヒーと、皿いっぱいの卵を両手に持ってエースが部屋に入れば、マルコ主任は器用にそれを受け取ってテーブルに並べた。最後に西瓜と塩入れが並べば、質素だがまあ量だけはあるエースの朝飯は完成である。

「いただきます」

と言ったエースにならって手を合わせたマルコ主任は、パンより卵よりコーヒーに意識を向けて、一口で食パンの半分ほどを噛みしめたエースを眠そうな目で眺めていた。いつでも眠そうな人であるが、今日のこれは本当に眠いんだろうな、と早くも2枚目のパンに手を伸ばしながらエースは思って、「主任、普段朝ご飯食べない人ですか?」と口の中のパンを飲み込んでから尋ねれば、「食わねえな」と予想通りの返事が帰るので、エースはやっぱり、としたり顔で頷く。いつでも何でも食えるエースとは違い、朝は飯が入らない人間もいるのだ、と言うことを大学に入ってからエースは知って、起こしても起こしても起こしても起きないローに最終的に半分逆切れられたことを思い出して苦笑した。しかし、それはそれで本人の勝手である。エースも別に無理強いはしないまま順調に皿を空にして、最後の一枚になった時にちらりとマルコ主任の顔を伺ったが、「悪いが、食ってくれるかい」と穏やかな声でマルコ主任が促すので、安心して8枚目のパンを咥えた。つまりは一袋分である。で、エースが、こちらは5個纏めて焼いてみた目玉焼きも飲み込むように口に入れて、コーヒーで流し込む頃には、マルコ主任の目もすっかり覚めたらしい。ゆるく首を振ったマルコ主任が、「世話になったよい」と軽く頭を下げるので、「いえ、お構いもしませんで」とエースも頭を下げ返した。しばらく神妙な顔をしていたエースに、「そろそろ、行こうと思うんだが」とマルコが言うので、エースはすっかり乾いたマルコ主任のワイシャツを取り込んで、「アイロンかけますか?」と尋ねたのだが、「形状記憶だから大丈夫だよい」と主任は言って、エースの部屋着を脱いで、昨日来ていたシャツとパンツに着替えた。男の着替えなど見慣れたものだが、なんとなく凝視するのは憚られて、かといって目を反らすのも不自然なような気がして、結局切った西瓜を食べることに専念したエースの前で、マルコ主任は最後にぱちんと腕時計をはめている。すっかりいつもの主任に戻ったマルコ主任がエースの部屋着を畳もうとするので、「あっ、もう、それその辺に置いといてくれたらいいんで」となんとなくいたたまれなくなったエースはマルコ主任の手を抑えた。一瞬動きを止めたマルコ主任が、「そうかい」と薄く笑って部屋着から手を離すので、あああ貴重な笑顔、とどうでもいいことを思ってエースがぼうっとしている間に、マルコ主任は部屋の隅から鞄を取って、「邪魔したよい」とエースに告げた。「はい」と反射でエースは返事をして、それから「あ、帰り道大丈夫ですか、昨日夜でしたけど」と続ければ、「一応町内だからな、道は分かるよい」とマルコ主任は答えて、テーブルに目を移して「ごちそうさま」と軽く顎を引く。「お粗末様でした」と、コーヒーだけでしたけど、と思いつつエースは返して、それでも玄関まで進むマルコの後を追った。エースは部屋着で家を出たところで何の支障もないが、ゆるい恰好のエースがかっちりした格好のマルコ主任と歩いていたらどう考えてもおかしいだろうな、と思うエースは玄関口でマルコ主任を見送ることにする。靴を履いて、チェーンとロックを外したところでくるりとエースを振り返ったマルコ主任は、もう一度「世話になったよい」とエースに頭を下げて、「いえ、ほんとに、いつもお世話になってますし、」としどろもどろでエースが手を振れば、マルコ主任は面白そうに目を細めて、す、とエースに向けて手を伸ばした。

え、

と思ったエースの前髪を一筋掻き分けたマルコ主任は、「跳ねてたよい」とごく普通の声で言って、思わず前髪を抑えたエースの様子は気にも留めずにドアを開く。それから、「今度は家に遊びに来いよい」とナチュラルに告げるものだから、「はい」とエースはまた素直に返事をしてしまった。はっ、と言葉の意味に気づいたのは、扉が閉まる音で我に帰ってからである。いやいやいやいや何の話?!!と思ったエースの耳には、コンクリートを進む微かな靴音が聞こえるばかりだった。エースがサボとの約束を思い出してシャワールームに駆け込むまで、少しばかり時間がかかっている。

結局サボと映画を見る間も、そのあと飯を食う間もマルコ主任が部屋に泊まったことをなんとなく言いだせなかったエースは、1夜、2夜、3夜開けたバイトの日をわりと心待ちにしていた。理由は良く分からないが、マルコ主任はなかなか面白い人である。寝ぼけるし。西瓜は食わなかったけれど、塩羊羹は褒めて?くれたし。だから、午後のエレベータホールでマルコ主任を見つけて近寄るエースの足取りが少しばかり軽くて、「お疲れ様です」と言う声が少しばかり弾んでいたからと言って、エースに他意はないのだ。缶コーヒーを手に、「ああ、御苦労さま」と返したマルコ主任が当然のようにもう一本コーヒーを買って、それがエースの好きな微糖だったことにも、きっと他意はないのである。オフィスがある7階までエレベータに乗る間、「土曜日はちゃんと家に帰れましたか」と尋ねたエースの顔が少しばかり赤くて、「おかげさまで無事にな」と答えたマルコの顔が少しばかり緩んでいたとしたって、それには全て他意はないのだった。
たぶん。


(寝ぼけるマルコと悪乗りしたエース/大学生エースとリーマンマルコ/ 現代パラレル / ONEPIECE )