I t ' s   a   f i n e   d a y / 退 勤 間 際 の オ フ ィ ス で


金曜日の午後、エースが検本の荷解きをしていると、ずしりと背中に重みがかかった。え、と思って振り返ったエースの目には、「はえぬき 1kg」という文字が映って、「…なんで米?」とエースが呟くと、米の後ろから現れた人事のサッチ主任が「お前米食うか?」と言った。食うか食わないかと問われたら食うエースが「食べます」と返せば、「じゃあやるよ」とサッチ主任は米袋を無造作にエースの腕に落とす。うお、と危ない所で擦り抜けかけた米を掴んだエースは、「ありがとうございます」と言ってから「でもいいんですか?どうしたんですか」と続けて尋ねた。会社で米、とはなかなか自由な人だ。そもそも見学に行くはずではなかったエースを無理やりブースに引き込んだだけの事はある、と、わりと冷静にサッチ主任を評価しているエースの後ろから、「余計なことしてるんじゃねえよい」と間延びした声がかかって、エースは思わず背筋を伸ばす。編集部でバイトするエースの、直属の上司に当たるマルコ主任の声だった。慌てて周りを見渡したエースは、ひとまず米袋を使わない椅子の上に置いて、カッターを取って段ボールの山に戻る。「ちょっとぐらい大目に見てやれよ」とマルコ主任に言ったのはサッチ主任で、「エースじゃなくてお前に言ってるんだよい」とマルコ主任は返していた。「だってよエース」と、サッチ主任がちょいちょいエースを手招いて、マルコ主任も一つ頷くので、エースはまたカッターを置くことになった。

「そもそもどうして米だよい」と尋ねたマルコ主任の言葉に、喫煙所脇の休憩ブースに腰を降ろして、なぜかマルコ主任とサッチ主任に挟まれたエースも「確かに」と縦に首を振る。ず、とつめたいコーヒーを啜るサッチ主任は、「勧誘がうるせえから新聞半年取ることにしてよ、そしたらこれ4キロ寄こした」と言った。4キロ、ということはあと3袋だ。「他にも洗剤とかビール券とか、そっちはわりと嬉しいけど、米はもらってもな」とサッチ主任が首を捻るので、「米、炊かないんですか」とエースが尋ねれば、「もう半年くらい炊飯器開いてねえ」とサッチ主任は答える。わりとマメに自炊しているエースにしてみれば感慨深い話で、「そうなんですか」と食いついたら、「つうか怖くて開けねえんだよ」とサッチ主任は暗い顔で呟いて、意味のわからないエースは軽く首を傾げた。ちらりとエースを眺めたサッチ主任は、「いや、…半年前に米、炊いわけだ」と口を開く。うんうん、と頷いたエースに、「で、ほとんど全部食い終わって、ちょっと残った分は次の日食おうと思って蓋して寝たわけだよ」とサッチ主任は続けて、一拍置いてから「でも次の日食わずに出かけちまって、それから1カ月忙しくて忘れてて…な?」と言う頃には、エースにもだいたいの様子がつかめている。「中どうなってるか開けるのも怖いし、でも中開けねえと捨てらんねだろうし、どうしようもねえからそのままにして半年経っちまった」と合掌したサッチ主任に、「それは………お疲れ様です…」と、エースの声が小さくなったのは言うまでもない。確かにそれは怖い。小さい頃、弁当箱を1カ月見失ったエースは、プラスチックの容器の中で液化したキュウリを見たことがあるので、年月を経た食品にはなるべく近付きたくないのだった。だから「さっさと決心して開けちまえ」と簡単に言うマルコ主任に、「それは無理です」と言ったのはエースである。「だよなあ」と顔を輝かせるサッチ主任をしり目に、「甘やかさなくていいよい」とマルコ主任はエースに告げて、このふたり仲いいよなあ、と思うエースの前で小競り合いを続けている。

詳しく聞いたことはないが、言葉の端々からうかがう限りふたりは同期らしい。サッチ主任の方が少しばかり若く見えるのだが、それは本当に年齢が違うのか、そう見えるだけなのか、どちらかは分からなかった。そうこうするうちに「つうかお前も持ってけよ米」とサッチ主任は言って、「俺はいいよい」とマルコ主任はすげなく断っている。なんだよ、と口をとがらせたサッチ主任は、「じゃあエース、お前もう全部持って帰ってくれねえ?」と、後ろ手に下げていたビニール袋をエースの膝に置いた。4キロ-1キロ=3キロがずしりとのしかかって、まあ別に平気だったが、重いことは重い。大学の荷物もあるエースが、嬉しいけどちょっと辛い、と思っていると、「一度に渡すなよい」とマルコ主任が助け船を出してくれて、「次に来る時まで半分ロッカーに入れとけ」と付き返そうとしたのだが、「そんなのお前が手伝ってやりゃいいだろ」とサッチ主任は簡単に言った。どういうことだ、と首を傾げたのはエースだけではなくて、ふたり分の疑問を受け取ったらしいサッチ主任は、「だってお前ら最寄駅一緒だろ?」と確認のようにエースとマルコ主任を眺める。「え?」「は?」と声が揃って、エースはマルコ主任を顔を見合わせてしまった。

「なんだ、知らなかったのか」と不思議そうにサッチ主任は言って、「知らねえよい」とマルコ主任は返す。その通りである。同じ時間に会社を出ても、飯の後に駅まで一緒に言っても、ホームで別れるのが常だった。同じ方向、と言うことまでは知っていたが、同じ駅で降りていたとは。「むしろどうしてお前が知ってるんだよい」と言うマルコ主任の声は低くて、「だって人事部だもん」と返すサッチ主任を「職権乱用だよい」と切り捨てている。「別に悪いことには浸かってねえよ」とサッチ主任は心外そうに言うが、ともかく、米は半分マルコ主任が受け取っている。え?と、話についていけないエースをよそに、「東口と西口、どっちだよい」とマルコ主任はサッチ主任に尋ねていて、「お前とは逆」とサッチ主任は笑う。じゃあ東だな、と頷くマルコ主任に、確かに東口へ降りるエースが「あの、」と声をかければ、「こいつがうるせえからな、悪ィが家まで行っていいか」とマルコ主任は言って、「いやあの、良いです別に4キロくらい」と首を振ったエースは正常だと思う。どこの世界に、バイト先で米をもらった上に、上司に家まで運んでもらうバイトがいるだろうか。気まずいにも程がある。「そうかよい」とマルコ主任はたいして表情を変えないが、「運んでくれるっつうならそうしてもらえばいいじゃねえか」とサッチ主任はゆるく笑っていて、これはもしかしなくても遊ばれてるのか、と気付いたエースは、軽く肩を落とした。

適正試験を兼ねていた説明会場から、断り続けるエースをうまく丸めこんで(というのは言い方が悪いがそうとしか言いようがない)バイトに押し込んだサッチ主任は、正直なところ人を乗せるのがとても上手なのだと思う。人好きのする顔も、ノリは軽いが浮ついているわけではない性格も、時々計算としか思えない言葉も、それでも根底にある絶対的な好意も、どうしても憎めないエースは、ずるずるとここにいついてしまっている。さらに今日は食糧まで受け取ってしまった。実家から送られてくる米が終わってしまったのが昨日のことで、すぐに電話しても荷物が届くのは4日後だと言われて今朝パンをかじったエースは、今日米を買いに行くところだった。タイミングが良すぎる、としか思えないサッチ主任と、文句も言わないマルコ主任が飄々とした顔で笑っているので、エースは腕の中の米をギュッと抱いて、「ありがとうございます」とふたりに頭を下げた。せいぜい大事に食おうと思う。

(サッチを絡めて閑話休題 / 大学生エースとマルコ主任と人事課のサッチ / 現代パラレル / ONEPIECE )