ザ ・ グ レ イ ト フ ル デ ッ ド 2


積荷も人も消えて、ほとんど空になったオーロ・ジャクソンを見張り台から見下ろしながら、レイリーはまた一本酒の封を切った。レイリーが飲むためではなく、隣で眠りこみそうになっている船長に渡すためだ。「おい」と言いながら、まだ少しだけ冷たさの残る瓶を頬に押しあてれば、びく、と身体を震わせたロジャーが寝ぼけた目で、それでも確実に酒瓶を受け取るので、レイリーは飲みかけの瓶を手に、また船を眺める。オーロ・ジャクソンの最後の航海は、数年に及ぶ、長いようでひどく短いものだった。今までに訪れたことのある島のことごとくを、それ以外の島のほとんどを、補給だけで終わらせて進む旅はおよそロジャーのこれまでとはかけ離れて、でもそうせざるを得なかったことをレイリーは知っている。航海の間にも乗組員は増え、増え、増え、増えたのだが、前人未到と言われたラフテルに辿りつく頃には元と同じようにオーロ・ジャクソン一隻に戻っていた。ロジャーがそうしたがったからだ。緩やかな旅の終わりは、すなわちロジャーの終わりにも等しい。あと、半年。長くても1年は保たない。レイリーと同じく、ローグタウンまでロジャーに付きあったクロッカスの診立てに間違いはなく、けれどもロジャーはさして不満もなさそうに「だろうな」と笑っただけだった。いっそレイリーの方が動揺していた。この島出会ってあてもない航海を始めてから、もう何年になるだろうか。20年近いその軌跡を、グランドラインの制覇と言う威光で塗り変えて、そしてそれすらも惜しげもなく捨てていくロジャーを、繋ぎとめるすべがレイリーにはない。ちゃぷ、と残りの酒を月明かりに透かして、「船はやっぱり沈めるのか」とレイリーが尋ねれば、「売り飛ばすわけにもいかねえしなあ」とほんの少しずつ酒を含むロジャーは返して、「お前が乗りたきゃすきに使えよ」とごくごく軽く続けるので、「馬鹿を言うな」と僅かの苛立ちすら隠せずにレイリーは切り捨てた。この船に、ひとりでなど乗れるものか。ロジャーのいないロジャーの足跡など欠片も惜しくはない。「ああそうだな」と軽く受けたロジャーが、うつらうつらとまた船を漕ぎ始めるので、レイリーはしばらく何も言わずにロジャーの首筋を見下ろした。今なら、レイリーはロジャーを殺せるだろうか。今ここでロジャーを殺して海に突き落としても、そうしなくても、いずれ死ぬ命だろうと割り切れるだろうか。掌に残る断末魔の感触を一生涯残るものとして、レイリーに刻むことができるだろうか?数え切れない自問は、いつだって"できない"というただ一言で切り捨てられ、レイリーは結局飲み干した酒瓶をロジャーの腹の上に落とすことしか、できない。

ぐふっ、と鈍い声を上げてまた目を開けたロジャーに、「お前、これからどこに行く」と、誰もいないロジャーの生家に1度だけ足を運んだレイリーが尋ねれば、「サウス」と簡潔にロジャーが答えるので、予想していたとはいえ聞きたくなかったレイリーは、「…俺を置いて?」と言うつもりのないことを言ってしまった。酷く湿った声が出ると思っていたのに、浮かんだ音が馬鹿みたいに心許ないのでレイリーは途方に暮れたように、呆れたように笑う。一人ではどこにも行けない子供のような。違う、子供ではないからこそ一人ではいられない。ロジャーと離れてはいられないのだった。けれどもレイリーの逡巡などもろともせずに、「だってお前あの島もルージュも好きじゃねえだろ」と言いにくいことをさらりと言うのはやはりロジャーで、「好きじゃないんじゃなくて、積極的に嫌いなんだ」と、レイリーもはっきり返した。何しろ恋敵である。「あははは、ルージュはお前の事結構好きだって言ってたけどな」と、毛ほども気にしないロジャーは、半分も空になっていない瓶をレイリーに預けて、よっ、と弾みをつけて立ち上がる。それから、「俺は子供を作りてえんだ」と、レイリーの顔を見もせずに独り言のようにロジャーが呟くので、レイリーは「そうか」と頷くしかなかった。ロジャーが欲しいと言うのなら、それはもう産まれたも同然だった。あとほんの半年しかないロジャーの時間は、これから生まれてくるだろうロジャーの子供と、生まれてくる子供の母親であるルージュのために捧げられるのだろう。そしてそれはそのまま、たかがそんなこともできないレイリーとの別離を意味して、だからレイリーは「俺が子供を産めたら良かったな」と本気で言ったのだが、「どっちかと言えば産むのは俺だろう」と受けたロジャーの顔にも笑いは一欠片も浮かんでいなかった。それからロジャーは、「なあレイリー、俺が死んだら、」とレイリーの顔を見て言いかけたが、レイリーの表情を見てとって「…だよなあ」とゆるく笑う。

「すまん」
「いや、無茶を言ってるのは俺だな」
「…お前が生まれてくるなら、…」
「無茶言うなよ」
「死ぬなよ」
「それも無理だなあ」

そんなことは知っている。不可能だと言われた何もかもを乗り越えた海賊王が、諦めるわけでもなく悟った死期を、レイリーが覆せるはずもない。悔しかった。敵であり、仲間であり、友であり、家族であった男の、最後の頼みすら聞けないレイリー自身の矮小さが歯痒くてたまらなかった。それでも、それだけはできない。レイリーには、レイリーからロジャーを奪うルージュと、やがて生まれてくるだろうロジャーのこどもを縊り殺さない自信がなかった。ロジャーのいない場所でなら、なおさらだった。「レイリー」とロジャーがレイリーの名を呼んで、「俺はお前の事がすきだったよ」と告げるので、「俺はお前が好きだよ」と、翳ることもない月に、ロジャーに刻む様にレイリーは返す。知ってる、と答えるロジャーの声がひどく幸福そうなので、だからレイリーにはロジャー自身を憎むこともできない。ロジャー一人が死んだところでレイリーの世界まで終わりはしない。それでも何かが消えてしまうのだと言う事だけはわかっていて、レイリーは、そっとロジャーの手を取ってぎゅう、と握りしめる。握り返すロジャーの手は力強く、しかし全盛期のそれではないこともレイリーには泣きたいくらい良くわかって、「俺の方がお前を幸せにできるだろうに」と未練がましく呟いたら、「俺はずっと幸せだったよ」とロジャーがそれはもう大きく笑うものだから、それきりレイリーには何も言えなかった。


 (レイリーが愛していたのはロジャーだけだった /  ロジャーとレイリー / ONEPIECE )