ザ ・ グ レ イ ト フ ル デ ッ ド 4


「なぜ子供なんか作った」

がしゃん、と感情に任せて殴りつけた牢獄の鉄格子はひどく冷たく、最奥のロジャーに決して届きはしない。この大して広くもない鉄の箱は、ロジャーを閉じ込めるとともにロジャーを守るものでもある。いままで何千人と沈められてきた海軍から、海賊から、そしてロジャー自信の病から。もうほんの少しの猶予も残されてはいない、と重々しく告げられた軍医の言葉をひどく軽く受け止めたロジャーは、だからこそここにいるのだろうとガープは知った。ガープは悪を憎み、海賊を憎み、正義を重んじるが、だからと言ってロジャー個人を憎んでいるわけではなかった。ロジャーのしたことは許されることではなく、ロジャーが処刑台に送られることも道理だと思いはしても、ロジャーが死ねばいいと思ったことはない。だがそれでも、これだけは聞き逃すわけにいかなかった。なぜ、死ににきた。なぜ、死ぬことが分かっていたと言うのに人を愛した。なぜ愛する者を遺してこんなところにいる。自慢ではないが、どれだけ弱り切ったロジャーを相手にしても、海軍はロジャーを捕らえることなどできはしなかっただろう。ロジャー自身の覇気、並び立つ戦友、ほとんど神がかった航海術。であれば、せめて最期の瞬間までそこにいたら良かっただろう。なぜこんなところで、何もないような顔をして、ガープなどにその血の行く末を託すと言うのだ。ロジャーがにやり、と笑ったまま何も言わないので、ガープは屈みこんでいた身体を起こして鉄格子に背中を預ける。こんなことを聞きたくはなかった。立場は違えど子を持つ親として、ガープにロジャーの言葉を聞き逃すことはできない。海軍の体質を、むしろセンゴクのもつ危ういまでの正義感を思えば、おそらく殺されるだろうロジャーの子を、知ってしまったガープが放っておくことなどできるはずがなかった。そうしたすべてを知った上でここにやってきたのだとしたら、ガープにとってそれだけは許せないことだった。お前が護れないものを、他人に護れなどと虫が良すぎるだろう。吐き出した言葉はすでにロジャーの言葉を受け入れた証でしかなく、しばらく牢獄は沈黙に支配される。随分長い時間が経った後で、「まあそう言うなよ」と呟くロジャーの声がわずかに安堵したようだったので、まさかほんとうにガープに子供を託すためだけに死にに来たわけではないだろうな、とぞっとしたガープは、そんなことがあるはずはない、とつめたい想像を押し殺して何気なくロジャーを振り返る。と、ひどく鋭い眼光に射抜かれて、息が詰まりそうになったガープは、知らずに一歩後ずさった。今までロジャー相手に、気押されることはあっても恐怖を感じたことはなかったと言うのに、この得体のしれない感情は何だと言うのだろう。俺の子を頼む、ともう一度言ったロジャーの声は底知れず深く、そして真摯だった。今度こそ否定しなかったガープは、大きく肩を揺らして目を閉じる。ガープが生かしたところで。

「幸せになれるはずがないだろう」

押し殺したような声はガープの本心だった。海賊の、海賊王の子供だ。どう生きたところで、まっとうに生きたところで、謗りから逃れられるわけでもない。そもそも、自分の子一人まっとうに育てられなかった(真っ直ぐに育ってはいる、ただそれがガープの求めるものとは違っただけだ)ガープには到底無理な話だった。生かすことはできても、それ以上の何かができるとも思えない。選ぶ人間を間違えている、と言いたかったガープは、しかしロジャーがガープを選んだ理由も少しだけわかる気がして歯噛みする。ガープはガープが幸せになるだけで精一杯で、そしてガープの選んだしあわせとは、目の前の何かを放っておかないことで得られるものなのだ。たとえそれが、海賊のあいしたかぞくの末路であっても。けれどもロジャーは、ようやく目を開いたガープに向かって「なるさ」とやはり酷く軽く請け負って、

「お前がいる」

と、ひどくしあわせそうに微笑んだところで、面会時間は終わりだった。冷たかった鉄格子にはいつの間にかガープの体温が移って生ぬるいばかりである。いきたロジャーに会う事はもうないのだろうと、やけに冷静な頭でガープは考える。ロジャーがガープに向ける笑顔はいつだって自信に満ちた胸のすくようなもので、だからあのやわらかい表情はどう考えてもガープではなく、ガープの知らないロジャーの愛する家族に向けられたものだ。それでもロジャーは、ガープの目の前で、ガープに向かって微笑んだのだ。こどものしあわせを、ロジャーがロジャーの命と引き換えに、ガープに差し出した命を、ガープが蔑ろにするはずがないと、それは過信でも、もはや信頼ですらない、ただの事実だった。まるで呪いのようだった。耳に付いて離れないロジャーの声を振り払うように、コートを翻したガープの向かう先はバテリラである。ロジャーが死ぬ前に、法が完全にロジャーを断罪する前に、ロジャーの罪がロジャーの子供を殺す前に。

 ガープが、ロジャーの罪をいっそ愛していたことをロジャーだけが抱えて死んでいった。

 (お終い / ロジャーが死んでお終い /  ロジャーとガープ  / ONEPIECE )