い と し い 気 配 が す る 


航海を続けて3週目の午前だった。
長くも短くもない島から島への航路の、ちょうど中ほど、だからそこはグランドラインの真ん中なのだった。マルコの世界の中心にはいつだってマルコがいるのだから、マルコが立っている限りそこはいつまでだって中心だが、と大して意味もないことを考えながら、マルコはいつものようにぺたぺたとモビーディックの中を歩き回っている。疑問形でエースが問いかけたような、半笑いでサッチが揶揄するような「徘徊」ではなく、「見周り」として。ただしその理由の過半数以上を「暇つぶし」が締めていることも否定はしないマルコなので、エースとサッチの言葉をそうそう否定するわけにもいかない。ともかく広い船内を、意味があるようで意味もなく歩くマルコの姿はモビー・ディックの日常でしかなく、そこに意味があると言えばないこともないのだった。ゆるりと長い廊下を抜けて重い樫の扉を押し開けて射し込んだまだ昇り続ける陽の光に目を眇めるところまでを一連の流れとして、甲板に歩を進めるマルコの視線は、忙しなく作業する数人のクルーの先に向けられる。何があるかと言えば、正確には誰がいるかと言えば、当然のようにサッチがいた。マルコがどこにいてもサッチを捉えるのはただの習慣だったが、十数年前にはそれなりに意味があったのだと思う。今となってはその感情の所在も曖昧で、マルコがサッチに向ける視線は形骸化したある種の残像と義務でしかない。それでもマルコは悪友としてのサッチがそれなりにすきだったので、見かけるたびに声をかけてはいるし、サッチはサッチで気安く応じるものだから、傍目から見ればマルコとサッチの関係はただそれだけのものだった。というわけで今日も、すたすたとサッチに歩み寄ろうとしマルコは、船縁に腰を降ろしたサッチの隣に寝そべる人間を認めて足を止める。サッチ以外の人間にはあまり適用されないマルコの視力を凝らして確かめてみれば、それはエースなのだった。サッチに足を向けて、大きな船の広い船縁、と言ってもほんの数十cm先は海で、波は緩やかだとは言えいつ天候が変わってもおかしくはないグランドラインの真ん中で、穏やかな顔をして眠るエースを、酷く優しい表情のサッチが眺めている。あかるい日だった。降り注ぐ日差しがまるで真っ白な帆を少しずつ解かしてしまってもおかしくないくらいの、とろとろとまどろむには良い日だった。だからマルコは、がりがりと頭を掻いて、くるりと踵を返して甲板の裏側に歩いて行く。サッチの隣にさえいれば海に投げ出されることなどないのだと、意識することもなくサッチに全幅の信頼を置いているエースも、決して口には出さなくても必ずエースを助けるだろうサッチも、マルコはあまり見たくなかった。それが単純な嫉妬であればマルコ自身も笑い飛ばせただろうし、十数年前と同じ感情をマルコが持っているのなら己を恥じることもできたのだろうが、今現在サッチとは良好な関係を気付いているし、エースとの距離はひどく断片的で、だからこれはマルコにとっても座りの悪い感情である。ただ、マルコの所在すらわからないというのに、わけのわからない我儘をぶつけてもいい相手ではないと言う事だけはわかっていたので、ことさらゆっくりメインマストを一回りする頃にはマルコの波だった心も幾分凪いでいた。もっと冷静に生きていたいものだ、と結晶化して落ちてきてもおかしくはないほど青く潤んだ空に目を向けながら、マルコはわざとらしい欠伸を一つ落とす。別に眠くはなかった。


午過ぎ、マルコが午前の感情を忘れたようなふりをして先ほどの船縁まで戻って来てみれば、エースはまだそこで寝ていたが、サッチの姿は消えている。代わりに4番隊の隊員がふたりばかりエースの脇を固めていて、なんだこりゃ、とマルコが胡乱な視線を向ければ、「見周りお疲れ様です」とひどく小声で頭を下げられて、普通の声で喋ろうが何しようがエースは起きねえだろう、と思いつつ、マルコは鷹揚に手を振る。「サッチは」と、帰ってくることが前提でマルコが問いかければ、「昼ごはんの準備に」と、やはり当然のように帰ってくることを前提に隊員が答えるので、そうかい、と頷いたマルコは、腕を組んで船縁に寄りかかった。ちらちらと視線を送る4番隊には悪いが、マルコはサッチの顔が見たいのだった。しばらく波の音を聞くともなしに聞きながら待っていれば、マストの下から両手にバスケットを抱えて器用にサッチが現れて、途端に4番隊の表情が明るくなった上にマルコ自身の気分も上昇したのでそれはそれで気に食わないマルコである。たかが人間一人の事だった。律儀に上げ蓋を降ろして、すたすたと船縁を目指すサッチは、まずマルコに目を向けて「よお、」と軽く声をかけてから、「お前らの分は食堂に用意してきたから、食って来いよ」と酷く柔らかい音で4番隊に告げて、「ありがとうございます、いただきます!」と返して船縁を後にする4番隊を笑顔で見送っている。それから、「お前も食うか」と疑問形なのか断定系なのかよくわからない声音でマルコに告げるので、マルコはどことなく釈然としない思いを抱えながら「いただくよい」とサッチのバスケットをひとつ受け取って、そっと船縁によじ登った。勢い良く上ったところでモビー・ディックがそうそう揺れるわけもない、と言う事を知りながら、エースが寝ていると言うだけで慎重になる動作に、マルコはまるで気付いていない。サッチはサッチで、もうひとつのバスケットをエースの隣に置いてから、「飯だぞエース」と酷く簡潔に、しかし最も効果的な声をかける。途端に、ぱちりとエースの目が開くので、寝付きも寝起きも良いエースに関心したりしなかったりするマルコは、「お先に」とことさら意地悪く笑って、バスケットを開ける。握り飯と、卵焼きと、から揚げと、きゅうりの漬物と、ついでに魚肉ソーセージが入っていた。「…なんで魚肉、」とマルコが半眼で、それでもフィルムを剥がしていると、「いいだろそれ、お握りのおかずに」と普通の顔でサッチが返すので、そんなものか、と思ったマルコは特にコメントせずに魚肉ソーセージにかぶりつく。懐かしい味がした。マルコの隣では、目を覚ましたとたんに手を合わせて「いただきます!」と叫んだエースがすでに二つ目の握り飯に手を伸ばしていて、マルコとエースの目の前ではバスケットとは別に下げていた薬缶からサッチが麦茶を注いでくれて、まずマルコに手渡してから、「詰らせたり噴き出したりするなよ」とエースの横に置いている。ふうん、と、鰹節と梅と海の味がする握り飯をもぐもぐ噛み締めるマルコは、サッチに言われた傍から三つめの握り飯を器官に詰めて口を押さえたエースの背中をとんとんと叩いて、麦茶を一口啜った。ごくん、と米を飲み下したエースが、「悪ィ、ありがとう」と告げるところに、「吐き出さなきゃ良いよい」とそっけなくマルコは答えて、「吐かねえよもったいねえ」と至極真面目な顔で返すエースに目を向けることもなく、程良く漬かったきゅうりをぽりぽりと噛み砕く。やはりマルコに気を留めず、「これは何が入ってんだ?」とサッチに尋ねるエースではなく、「これが塩鮭で、こっちが海老マヨで、これが海王類のしぐれ煮で、梅干しと鰹節で、塩結びで、ついでに混ぜご飯だ」とどこかしら誇らしげに答えるサッチの声に、「海老マヨ」とマルコが手を伸ばせば、「ほら」と形良く握られた握り飯と、「麦茶は」と言う声が返った。海老マヨを一口齧って、少しだけ残っていた麦茶を飲み干してから、エースの背越しにカップを差し出すと、「ちゃんと持ってろよ」とまるで子供を諭すようにサッチは言って、しかしそれはマルコにとってまるで不快ではないのだった。

そうやって3人で2つのバスケットをすっかり空にしてしまったあと、まるで条件反射のようにぐらりと揺れたエースの肩を支えてそっと船縁に横たえたマルコは、「よく寝る奴だよい」と独り言のように呟いたのだが、「人の事言えねえだろ」とエースの向こう側でサッチがにやにやとマルコを眺めている。それなりに寝穢い自覚があるマルコは、何と答えていいか迷った挙句、「お前がいるからな」と返してしまって、しまった、と思った。特に深い意味はない。マルコが眠りこんでいても、サッチがいれば白ひげ海賊団は安泰だろうとか、そういう話だったのだが、そう聞こえた自信はなかった。そもそも本当にそれだけなのかと言う事すらマルコにはわからないので、マルコはひどく心許ない表情で、穏やかな寝顔を晒すエースに視線を落とす。マルコはサッチの事がそれほど好きなわけではないのだが、サッチに嫌われたくはないのだった。けれども、やがて聞こえたサッチの声はひそやかな笑い声で、「なんだそりゃ、お前も寝るか?」と問いかける声はごく自然だったので、安堵していいはずのマルコは訳の分からない蟠りを覚える。かと言って何を蒸し返したいわけでもないマルコにはそれを口にする権利もなく、「だからこいつと一緒にするんじゃねえよい」とごく軽くエースの額を押したあとで船縁から、海に向かって飛び降りた。「おい、」と身を乗り出したサッチの顔が僅かに動揺していることに気分を良くしたマルコが、当たり前のように両腕を翼に変えて舞い上がれば、「馬鹿じゃねえのお前!」と呆れたようなサッチの声が聞こえて、マルコはゆるりと頬を緩めた。「ごちそうさま」とごく軽い声を遺して、サッチとエースから一番遠いモビー・ディックの端まで飛んだマルコは、ばさりと羽を畳んでまたゆるりと歩き出す。エースには見せないような苦い表情で毒吐くサッチの顔が見えるようで、マルコはひどく良い気分だった。

 ( マルコがエースを好きになる前のはなし / マルコとサッチ(とエース) / ONEPIECE )