ム ン ク の 微 笑 み



たまには日光浴しようよ、とせがむベポに促されて、ハートの海賊団が乗り込む小さな-といっても潜水艦としてはそれなりに大きな-船を浮上させたのは、数時間前の事だ。普段は室内干しの洗濯物を干したり、水は入り込まなくても湿り気の多い密閉空間で発生してしまったカビをこすったり、強い日差しで塩が乾いて船が痛まないように船体を真水で流したり、そうしたことをクルーが終えたころになってようやく、自室で書きものをしていた、一応名実ともに船長であるトラファルガー・ローはがたん、と艦のハッチを開く。分厚い耐圧ガラスから差し込む日光だけでローは十分満足したのだけれど、たぶん船体の上で昼寝しているだろうベポにタオルケットをかける役目だけは誰にも譲れないのだった。船長として。が・しかし、意気揚々と開いた蓋の向こう側には何やら青い羽根毛のようなものがもっさりとローの視界を覆って、「ぶふっ」と咳き込んだローの前で何かがもぞもぞと、動いている。目の前の青い何かが移動して、ようやく息を吐いたローは、視線の先に移るものが白いふわふわのベポではなく青いもっさりとしたでかい鳥であることに、しばらく思考を停止した。停止しつつ、何かを観察することに長けたローの脳はかちかちと情報を処理していく。動かないローの前でふてぶてしい表情をするでかい鳥は、頭の冠毛といい長い尾と言い、なんだか全体的に間の抜けた姿をしていて、そのままくわあ、と欠伸をしてもぞり、と丸まりこもうとするので、「…何してんだお前」とローは思わず小さく突っ込んだ。野生動物なのか何なのか知らないが、とりあえず逃げるとか威嚇するとか、どうとかしろ。生き物として。そうしたら、ちらり、と腹の立つ目つきでローを眺めた鳥が「うるせえよい」と言って目を反らすものだから、虚を突かれたローはどさ、と抱えていたタオルケットを落として、「鳥が喋った!!!」と叫びながら、有り得ない事実に目を見張ってしまう。で、その声に、鳥の向こう側で昼寝をしていたらしいベポがもだもだと起き上がって「なに?船長おはよー」と言うものだから、「ああおはよう、」とナチュラルにローが返していたら、逐一見ていた鳥が「白くまが喋るより、鳥が喋る方がまだマシだろい」と応用力のないローを鼻で嗤った。鼻腔から漏れる息すら見えるような距離で、なんだか腹が立ったローが、「ベポはベポだからいいんだ」と返せば、「そうかよい」と鳥は大した反応もせずにベポを眺めて、「腹出して寝ると風邪引くよい」と長い尾をベポに乗せている。

「ありがと」と鳥に笑ったベポは、「ねえ船長、こいつ長旅で疲れたんだって。ちょっと休ませてもいいよね?」と、断られるとは微塵も思っていないらしいきらきらした目でローを見つめるので、今すぐにでもハッチを閉めて海の底に沈みたかったローはうぐ、と言葉に詰まった。この鳥は気に入らないが、この鳥が気に入ったらしいベポのやさしさを無碍にすることは、とてもではないがローにはできない。薄く目を開いてローを見ている鳥の視線に、お前は向こう向いてろ、と毒づきながら「ああ、構わない」とどうにか絞り出したローに、「ありがと船長」と礼を言ったベポは、すぐ鳥に向き直って、「船長は優しいからお前一人くらい乗せる、って言った通りだろ」と誇らしげに手を広げている。鳥は、「おう、やさしいよい」としかつめらしくベポに応じた後で、またちらりとローを見やって、「本当に、優しいよい」とやっぱり鼻で嗤うので、「言いたいことは口で言え」とローが胸のあたりをもふっと掴めば、「別に何もねえよい」と憎たらしい口調で鳥は言って、「抜けると生え辛いんだから離せよい」と冷静にローの手を突いた。それほどとがってはいない鳥のくちばしは、でも地味に痛い。しかたなく離して、手を摩りながら「本当に少しだけだぞ、そのうちこの船は水没するからな、それまでで飛んで行けよ」とローは念を押す。「日が傾く前には俺も飛びてえよい」と、風に冠毛を揺らしながら鳥は答えて、「でも次の島までまだすごく遠いんだろ?」と尋ねるベポに、「まあ近くはねえが、羽があればそれほどの距離でもねえよい」と柔らかい声で鳥は言った。ベポは何か言いたげな目でローを見たが、さすがに気付かないふりをする。なにしろ、ログポースの指針と鳥の進路が一致している、と言う確証もないのだ。ただ鳥はどう見ても手ぶらで、視界に広がるものはただ満々と青いだけの塩水である。ローは医者であるから、人間だけではない生物の生態にもわりと通じていて、渡り鳥の身体能力を過信することも見誤ることもないのだけれど、それでも健康には気を使いたかったから、足元に丸まりこむタオルケットをばさりとベポに-鳥の尾羽を巻き込んで-着せ掛けてから、いったん船内に身体を引きこんだ。小さなキッチンに向かうローは、ベポ用のおおきなマグカップと、ローの金属製のカップと、ペンギンが持ち込んだパフェ用の細長いグラスに水を満たしてまた、開け放したままのハッチから顔を出す。寝転がったベポと、寄り添うように羽を閉じる鳥の姿に少しばかりイラッとしたが、「飲むか」と船上に置いたグラスを見た鳥は薄く目を眇めて、「いいのかい」と尋ねて、その声がとても深いものだから、「俺が飲めと言ったんだから、イエスかノーかどっちかで答えろ」とローも簡潔に答えた。「ありがたくいただくよい」と軽く頭を下げた鳥は、もふもふのこのこ歩いて、深いグラスに嘴を突っ込んで、ぐ、と頭を上げては水を流し込んでいく。素直な言葉と、見るからに滑稽な姿にわずかな蟠りを解いたローは、ようやくハッチから身体を引き上げて、当初の予定通りベポの横に腰をおろしてから、ベポにもマグカップを手渡した。おおきな両手でおおきなマグカップを包むベポに癒されながら、金属の味がする水を一口含んで、「あれはいつからここにいるんだ」とローが尋ねれば、「おれたちが洗濯し終わって、掃除して、船が乾いたからごろって横になったら飛んでて、手を振ったらぐるって旋回してきてくれた」とベポは言う。お前が呼んだのか、と突っ込みかけたローは、でもこれだけでかい鳥が飛んでいたら自分だって興味を示さすにいられる自身がなかったので、「そうか」とひとまず頷いて、「でもあんまり得体の知れない奴を近づけるなよ」とだけ釘を差した。喋るでかい鳥とか。と、その瞬間に「得体が知れなくて悪かったよい」と、水を飲み終えたらしい鳥がローとベポを振り返るので、げふっ、と金臭い水を気管に流し込んでしまったローは鳥の羽を吸い込んだ時とは比べ物にならないくらい大きくむせて、「大丈夫?船長」と背中をさすってくれるベポの掌に集中する。「何してるんだよい」と呆れたように言った鳥は、大きく揺れるローの手から器用にカップを掬いあげて、船体にことりと置いた。 それからざくざくローの髪を突いて、「この船に害を為す気もねえし、何ならもうすぐ飛んでいくから安心しろい」と淡々と鳥が言うので、「別に、…鳥が羽を休めるくらいたいしたことでもねえよ」と休み休みローは返して、「ただしこの船の船長は俺だからな」と、ベポより俺の方が偉い、という意味を込めてローが鳥を見下すと、「ああそうかい」と気のない様子で鳥はぱさりと羽を動かして、今度はさくさくとベポの首を突いている。毛繕いだろうか。ベポは嫌がることも喜ぶこともなく、手を伸ばして同じように鳥の羽を揃えているので、動物同士分かりあえるところがあるのだろうか。とてつもなく異種だが。じと、と眺めていれば、さくさくからはむはむ、に移行していた鳥がローにゆるい視線をなげて、「うらやましいかよい」と淡々と大した感情もなく述べて、いっそにやにやならまだ許せたローは、黙って鳥の尾羽を掴んで、ぐい、と毛先から根元まで一気に逆立ててやった。とたんに、寒い時の鳩のようにまるまると羽毛を 膨らませる鳥があまりにもおかしいので、にやり、とローが唇を歪ませれば、す、と目を細めた鳥はベポからくちばしを離してローに攻撃を仕掛けてくるので、予想していたローは指を組んでがっしり鳥のくちばしを抑え込んだ。同じ手を2度食うローではない。なにしろ、これでも2億の賞金首なのだ。たとえそれが、自船ではクルーである白くまに尽くしすぎる、ただの少しばかり猟奇的な医者であっても。僅かに嘴を鳴らして抵抗する鳥に、ざまあみろ、と言いかけたローの膝頭に唐突に衝撃が走って、「うお、」と緩んだ手の隙間からくちばしがこめかみを突いて、底まで強くはなかったがやはり地味に痛いこめかみと普通に痛い膝頭を抑えたローは、「鳥の脚力舐めるんじゃねえよい」と、たいして動かない鳥の表情が確かにローをあざ笑っているのを見てこの野郎、と思ったけれど、その隣でにこにこしながら「船長はいつも面白いな」とベポが言うので、すっかり冷めて肩を落とした。ただの鳥相手に、何をしているんだろうか。喋るでかい青い鳥を、ただの鳥、というのかどうかは分からなかったが。

すこしばかり力の抜けたローは、なんとなく思い立って「飯食ってくかお前」と、さくさく尾羽を繕っている鳥に声をかけた。鳥の食うものは知っていても、この鳥の食うものは分からなかったが、チキンでも食わせてやろうか、と缶詰の残りを計算しながらローが考えていると、ゆっくり顔を上げた鳥はローの顔を胡乱げに眺めて、「お前さんも妙なことを言うよい」としみじみ呟く。なにが、と思うローの前で、「悪いが、腹がいっぱいになると飛べなくなるからな、それはまたいつか受けるよい」と鳥は丁重にローの申し出を断った。「そうか」と言ったローの前で、「よい」と頷いた青い鳥は、それからベポに向き直って、「ずいぶん楽になったよい、そろそろ飛べる」と告げて、「そっか、元気でな」とベポはわりあいあっさりと鳥に手を振っている。まあ、それはそうなのだが。「邪魔したよい、…船長?」と意味ありげに嘴を浮かせた鳥の表情にはやっぱり腹が立ったけれど、ローはもふ、と鳥の翼を掴んで、「たとえばお前が嵐に合ってどこかの海に落ちてたら、拾って枕に詰めてやる」と真顔で告げる。羽を褒めたつもりだったが、「呪いにしちゃ陳腐だよい」と鳥は肩を-生物学的に鳥に肩があるかと言えばないのだが-をすくめて、「残念ながら俺には飼い主がいるから、枕になるならそいつのだよい」と告げて、ローの目の前でばさりと羽を振るうものだから、翼の先が目に入ったローはたまらずに目を閉じて、次に目を開けた時、鳥はもういなかった。見上げれば、大きく羽ばたきながら舞いあがる鳥は一度もローの潜水艦を振り返らずに、やがて太陽の光に隠れてしまう。まるで青空に溶けてしまったように見えた。なんだったんだ、と、突かれたこめかみを摩りながらローが視線を下に落とせば、さっき掴んだ綿毛の胸羽がひとひら落ちていて、でもローが手を伸ばす前に風が攫って、青い青い波飛沫に流してしまった。海に還ったように見えた。

「なんなんだよ、」

と、今度こそ口に出したローと、寄り添うベポの隣には、鳥が綺麗に飲みほしたグラスが太陽と波に照らされて乱反射している。日は、まだ翳らなかった。

 ( ローはわりと気のいい兄ちゃんだよね / 鳥マルコはたまに羽休めする  / ローとマルコ / ONEPIECE )