波 に 舵 を 風 に 帆 を




「精が出るなあ」

と、船から荷を下ろす側から声をかけてきた赤髪にうんざりと、でもなく視線を送ったマルコは、童顔の少年めいた-というかまだ少年なのだ-男の表情に負けてゆるく息を吐いた。「で、次の船は?」とお定まりの台詞を投げるシャンクスに、「まだしばらくこの船に乗るよい」とマルコは告げる。何を馬鹿正直に、と思わないこともなかったが、マルコにはどうやって操るのかもわからないような小舟でグランドラインを渡り、いつだってマルコより先にマルコの目的地に到着するシャンクスの事をそれなりに気に入っていたので、大した蟠りもない。ちぇ、と悔しそうな顔で舌打ちして、「そんなにいい船か」と風のような声でシャンクスが問うので、「いい船だよい」と鷹揚に頷いたマルコは、ぐるりと首を廻して太陽を仰ぐ。陽気のいい秋晴れの空はどこまでも高い。夏島でも冬島でも麦わらを被り続けるシャンクスとは、初めて会った島からずっと無意識に追ったり、追われたりしている。冗談のようなシャンクスの勧誘が本気だと知ったのは(嘘だと思っていたわけでもないが)、3つ目の島で手を引かれた瞬間だった。新しい船と話を付けていたマルコの手を、「俺が先約だろ?」と当然のような顔で握ったシャンクスに驚いて、ただあまり顔に出ないマルコだったので一瞬置いて「だから、甲斐性のねえ奴に用はねえよい」と軽く手を振り払ったら、ずいぶん心外な顔でマルコを見送っていたことを覚えている。そもそもマルコは、シャンクスがマルコを船に乗せたがる理由が良く分からない。そこそこ腕は立つ方だが、それでも驚くほど強いわけではないし、何か特別な能力があるわけでもない。星を読むことくらいはできるが、航海術を持っているわけでもないのでシャンクスのように海を渡ることもできないだろう。船位でもコックでも学者でも、船大工でもないマルコが、今のシャンクスに役立つとはとても思えなかった。事実そう告げたこともあるが、「俺の、お前の価値は俺が決めたっていいだろ」と笑うシャンクスには通じなかったようだ。どちらにしても、シャンクスの船に乗る気がないマルコには確かに関係のない話である。

8割程度荷を片付けたところで、機嫌の良い船長から「マルコはもういいぞ」と許可が下りたので、マルコは軽く頷いて抱えていた袋をどさりと隅に立てかけた。マルコの隣に意味もなく佇む、もうすでに顔なじみのシャンクスを見て、「お前はマルコの友達なのか?」と船長は声をかけるので、シャンクスが応える前に「ただの知り合いだよい」とマルコが否定しておく。「それにしちゃいつも見るな」と当然の事を船長が呟けば、「俺の船に乗れって、誘ってるんだよ」と余計なことをシャンクスが言うので、ほう、と膝を乗り出すようにした船長が「お前の船は?」と尋ねれば、「今はまだねェけど」とあっさりシャンクスは答えた。目を丸くした船長は、あっはっはっは、と大声で笑って、「そうかい、そりゃ、マルコも大変だな」とシャンクスの肩を叩いて、笑いすぎて流れた涙を拭きながら去っていく。貼りつけたような笑みを浮かべながら、「信じてねえなあのおっさん」とシャンクスが苦々しく呟くので、「お前がそれで本気だと思う奴の方がおかしいよい」と首を廻しながらマルコが教えてやれば、「じゃあ、マルコはおかしいな」と何の含みもなくシャンクスは言って、自覚のあるマルコはぐ、と返事に詰まった。シャンクスがマルコを欲しがる理由は分からないが、シャンクスがいつか船を手に入れてグランドラインを翔けることをいつしか信じているマルコは、シャンクスを夢見がちと笑うことはできない。なにしろ、海賊王の船にいたという男だ。たいしたことでもない、という口調でシャンクスは言ったが、ノースブルーの小さな島で生まれたマルコにとって、世界の全てを手に入れた船はあまりに遠かった。その、生きた伝説の欠片が目の前にいるという時点でマルコはそれなりに感動して、だからその後の少しばかりストーカーめいたシャンクスの行動も許容している。ほとんど荷物を持たないシャンクスは、ログポースひとつで海を渡っているはずなのに、エターナルポースで進むマルコの(正確にはマルコの乗る船の)進路を正確に把握していて、ラフテルにたどり着いたっていうのはこういう奴らなのか良い、と妙に感慨深いマルコは、酒場ではなく食堂に入るシャンクスの後に、疑問もなく続いていた。「あー腹減ったーっつか喉乾いた」と騒ぐシャンクスは、聞けば3日ほど飲まず食わずだったらしい。「結構遠かったな、この島」と運ばれてきた水を少しずつ飲み下すシャンクスを呆れたように眺めながら、「せめてもう少し仲間が集まるまで、船を進めるのは止めた方がいいんじゃねえのかい」とマルコが言うと、「だから今集めようとしてるだろ」とじっとシャンクスがマルコを眺めるので、「俺が悪かったよい」と軽く流したマルコは手を上げて酒を注文する。シャンクスから逃げるために、このところ真面目に船に乗って働いているマルコはそれなりに裕福だ。運ばれてきた酒に伸ばされたシャンクスの手をぴしゃりと叩き落として、「飯食うまでは止めとけ」とマルコが言ったのは何も意趣返しというわけではない。飯を食えない状況は、マルコも何度か体験しているが、何度したところで慣れるわけでもなければ食わずに生きて行かれるようななるわけでもないのだ。たとえシャンクスがどんなに丈夫だったとしても、大事にして悪いことはないだろう。シャンクスは僅かに唇を尖らせかけたが、マルコの表情を見て軽く肩をすくめて、「わかったよ」と答えた。ただし、「おばちゃーーん、特盛り、超特急でな!!」とカウンターに声をかけるシャンクスの顔が"おあずけ"を食らった子犬の様だったので、テーブルに肘をつくマルコも酒瓶を傾けることなく待つことにする。ちらり、ともう一度マルコの顔を眺めたシャンクスが、悪ガキのような顔で笑うので、マルコも薄く笑っておいた。

「あ、すげー悪人面」
「ぶっとばすよい」

という会話があったことはまあ、ご愛敬だ。

食堂を出るころ、高い秋の空は薄く朱を刷いたように色を変えて、隣で何か鼻歌を歌うシャンクスの麦わらを持ち主の髪と同じ温度に染め上げている。風が攫いかけたそれを、シャンクスが押さえる前にマルコが受け止めて、「あぶねえよい」と返せば「ありがとう」、とシャンクスは素直に頭を下げた。「…大事なもんなのかい」と、軽く色褪せた麦わらの飾り紐を眺めながら、それほど深刻な色が滲まないように注意しつつマルコが尋ねれば、「船長がくれたもんだからな」と簡単にシャンクスは言って、それきりマルコはうまく言葉を繋げない。それは形見ということになるのだろうか。まだ幼いうちに故郷を離れて、それきり根なし草の、風から風を渡り歩くマルコにはあまり大事なものも、またそれを失う経験もない。とても丁寧にオーロ・ジャクソンでの日々を語るシャンクスにはとても言えないことだった。だからマルコは、「いつか紐でも縫いつけてやるよい」とだけ呟いて、「悪くねえなそれ」とおおきくシャンクスは笑う。そして、ぶらぶら歩いて島の中心地まで進んだところで、「そういえば今回はログを溜めるのか」と思い出したようにシャンクスが尋ねるので、「エターナルポースも安くねえからな、3日程度なら溜まるのを待つんだとよい」と、マルコは間接的に3日、島に滞在することを告げる。「へえ、じゃあその間にまたマルコを口説かねえと」とひどく好戦的にシャンクスがマルコを見上げるので、「勘弁しろよい」とマルコは溜息を吐いたが、実を言えばそれほど嫌がっているわけでもないのだった。


「で、宿まで同じなのかい」と、当たり前のようにマルコに着いて、マルコの隣の部屋をリザーブしたシャンクスに胡乱な視線を向けたマルコを、「まあいいじゃねえか、飲みながらゆっくり話しようぜ」と途中の閉店間際のデリで買い込んだつまみと酒で黙らせながら、シャンクスはマルコの部屋に滑り込む。値段の割にそれなりに清潔な部屋の隅に置かれた小さな机といすをがたがたと引き寄せて、「な、ほら」と酒瓶の蓋を開けたシャンクスに負けてしまうのは、マルコも久々の休日(まあ船内でもいろいろ仕事はあるものだ)を楽しみたかったからで、「よい」と頷きながら楽しそうなシャンクスに目を向けた。「それで、なんでマルコは俺の船に乗ってくれねえんだよ」と、エビのしっぽをマルコに突き付けながらもう何度目になるかわからない繰り言をシャンクスが漏らすので、「まず乗る船がねえだろい」と意に介さず答えたマルコは、指先に付いたオリーブオイルを舐め取ってからスモークサーモンに移る。飯食ったばかりで、と思わないこともないが、3日食っていないシャンクスほどではなくてもマルコも育ち盛りなのだった。あまり肉は付かないが。「仲間がいなかったら船も探せねえだろ〜」とグラスを握ってうだうだしながらシャンクスが管を巻くので、「まあ、でけえ船ができたら考えてやらねえこともないよい」と存外本気で言いながら「ほらよい」とマルコが酒瓶を差し出せば、シャンクスは半分むくれながらそれでも少しばかりグラスを傾けて受けて、「マルコはいつもそればっかりだなあ」と溜息のように答えた。お前もいつもそればっかりだろい、とごくりと酒を飲み下しながらマルコは思った。

やがて断食明けの酒が効いたのか、昨日まで吹き荒れていたサイクロンの(マルコの乗る船が遭遇したのだから確実にシャンクスも巻き込まれているだろう)疲れが出たのか、珍しく酔ったシャンクスがテーブルに突っ伏すようにぐだぐだとわけのわからない言葉を呟き始めるので、「いい加減部屋に戻れよい」とあらかたつまみを片付けて、そろそろ眠くなってきたマルコは邪険にシャンクスを揺らす。と、「だってまだ仲間になってねえだろ」マルコが、とふてくされたようにシャンクスが答えるので、「少なくとも今日は絶対仲間にならねえからゆっくり寝ろい」とマルコは無感動に言った。ぐ、と唇をへの字に噛み締めたシャンクスが、酒瓶を隅に寄せたマルコの手を掴んで「じゃあここで寝るよ」というので、マルコは軽く目を見開いて、「そりゃ、………まあ、いいけどよい」と、がりがと首の後ろを掻く。それから、マルコの腕を掴むシャンクスの手を掴み返して、す、とシャンクスに向かって身体をかがめた。

ら、

「いや、何してんだよ」

と、唇と唇が触れるぎりぎりの位置でそれなりに冷静な声で言ったシャンクスがぐい、とマルコの顔を押し返しすので、ん?と首を傾げたマルコは「ああ、違ったのかい」とさして感慨もなくシャンクスの手を離して背を伸ばす。「違ったって、なにが」とテーブルに頬を預けたままシャンクスが尋ねるので、「寝る、っつーから」とマルコが親指を中指と人差し指で挟んでみせると、「いや、いやいやいやいや、ねえだろ」とシャンクスは否定してぱたぱたと頭を振った。その拍子に、食事中も外されることのない麦わらがぽて、とテーブルから落ちるので、マルコは手を伸ばして日に焼けた広いつばを拾い上げながら「悪趣味な奴もいるもんだと思ってたよい」と返す。ぱたぱたと埃を掃って、少し考えてシャンクスの頭ではなく椅子の背に麦わらを乗せたマルコに、「俺は純粋にお前と冒険がしてえんだよ」とシャンクスがいかにも心外だと言う体でシャンクスが文句を言うので、「そりゃ悪かったよい」とマルコは肩をすくめてす、とベッドを指した。「あん?」と半眼になったシャンクスは唸るような声を上げたが、「その気のねえ奴には何もしねえから早く転がりこめよい、酔っ払い」と別にしてもしなくてもいいマルコはやる気のない声で告げて、「おう」と毒気の抜けた顔でどさ、と枕に突っ伏したシャンクスを押しのけるように寝転がる。「狭いぞ」と文句を言うシャンクスに、「じゃ床で寝るかい」とマルコが足に力を込めたら、「すみませんでした」とシャンクスが身体を縮めるようにするので、「よい」と答えたマルコはシーツに頬を擦り付けるようにして目を閉じた。しばらくして、うとうとしかけたマルコに「お前さあ、男もいけんのな」とぽつりとシャンクスが声をかけるので、「することはたいして変わんねえよい」と 、シャンクスと一緒に娼館へ行ったこともあるマルコは欠伸を噛み殺しながら答える。それから、「お前はお男はダメかい」と柔らかい声でマルコが尋ねると、「したいと思ったことはねえな」とごく簡単にシャンクスは答えて、「でもお前がどうしてもしてえっていうなら考えてみなくもねえけど、」と言いかけるので、「ああ別にそれはねえから安心しろい」と、シャンクスの身体にはそれほど興味のないマルコはきっぱりと答えた。その気のない人間に何かするほど切羽詰まっているわけでもない。勘違いが少し恥ずかしいくらいだ。ち、と舌打ちしたシャンクスは、「俺の身体と引き換えに船に乗せるってものありだと思ったんだがな」と飄々と言い放つので、マルコは「そんな安っぽいもののためにするなよい」と酒の勢いでSEXを仕掛けたことは棚に上げて、目をつぶったままマルコとシャンクスの上にシーツを引き上げる。そこで、「…ねえよ」とシャンクスが呟くので、「ん」と何の気なしにマルコが促すと、

「お前は安くねえよ」

とやけにきっぱりとシャンクスは言い放つので、思わず目を開いてしまって一秒反応が遅れたマルコは、「…そりゃ、…ありがとよい」と無様に礼を言った。「そこはそうじゃねえだろ」と枕に突っ伏すシャンクスが真面目な顔でマルコを見つめているので、「何て言うんだよい」とマルコも務めて真剣に問い返せば、「それはまあ、よくわかんねえけど」とふわふわした答えが返って、結局シャンクスは酔っているようだ。まあマルコもたいがい沸いているが。「世界の果てまで行った奴にも知らねえことがあるんだねい」と、感慨深げにマルコが吐きだせば、「世界は広いぜ」となぜか幾分誇らしげに胸を張って、「だから俺は、船長と別の航路を俺は選ぶんだ」とシャンクスが笑うものだから、なんとなく違和感を感じたマルコが「船長はお前だろい」と指すと、「マルコ俺の船に乗ってくれんのか!副船長として」と枕から飛び上がったシャンクスが目を輝かせるので、「それは断るよい」とマルコは無碍に断った。「なんだよ…」とがっかりしたようにまた枕に頬を埋めるシャンクスに、「俺はただの戦闘員の方が似合ってるよい」とだけ告げて、マルコは今度こそ眠るために目を閉じる。「…え?お前、今のもう一回、おいマルコ」とマルコを揺するエースの手をがっしり握って、「うるせえよい」とだけ言ったマルコの前で、「…はい…」と尻すぼみになったシャンクスの声を聞きながら、うっすらとマルコは唇をほころばせた。
その日視たのは、シャンクスとふたりで小舟で海を渡る夢だった。


(マルコの船が襲われるまであと6カ月 / マルコとシャンクス / ONEPIECE )