※590話以降捏造話 ものすごい捏造 最終話でようやく本歌取り


現 十 夜 / 夢 白 夜


こんな夢を見た。
明るいのか暗いのかもわからない、ただぼうっと薄明かりが灯る場所を、エースは歩いている。エースが進む、どこまでも続くような灰色の道の周りには、いつか見たような梅の木がはらはらと、ただ幾千もの花弁を散らして、明るさはその真っ白なひとひらひとひらから零れるようであった。当てもなく進み続けるエースの前に、確かな炎の揺らめきが見えたのは、それから一刻あまりも過ぎた頃だろうか。ゆるく双眸を眇めるエースの、眼前でゆらゆらと揺れる炎々はエースを手招いているようでもある。ふらふらと道を外れて、整然と立ち並ぶ梅の木の向こうへと顔を出したエースの、眼下には昏い水を満々と湛える底知れない海に一艘、白鯨を象る船が舫い、傍らに広がる白い砂丘では明々と燃え盛る焚火を囲んで小さな宴が開かれているようだ。翳る顔の幾たりか、エスにも覚えがある気がして、さて誰だったか、と首を捻る間にも滾々とエースに花弁は降り積り、降り積り、やがてエースの掌に自然と零れ落ちた。その時である。わっ、と湧くように、遠い筈の宴の子細がエースに伝わり始め、エースの耳には聞こえないはずの声が聞こえた。

「…帰したくなかったんじゃねえか」と、隣に座る女に注がれた酒をうまそうに飲み干した黒髪の男が言えば、向かいに座る老齢の大男は、身体に見合う大盃を掲げたままフン、と鼻を鳴らして、「息子の無事を祈らねえ親がいるか」と返して、黒髪の男を睥睨するように「お前こそ、一目会いたかったんじゃねえのか」と問う。黒髪の男は、白髭を蓄えた大男の言葉を一蹴するように笑い、「そんなもので満たされるものなら、誰が断頭台になんて上るものか」と答えて、「まったく面倒な世の中にしやがって」と苦々しそうに酒を口に運ぶ大男の顔をまっすぐに眺めている。白髭の大男の傍らには、薄茶の髪を巻き上げた目元に傷のある男が座って、「まあ、いつかは来るんだろうから、気長に待とうぜ」と笑って、そしてちらりと意味ありげな視線を宙へ送る。「ここでなら百年でも待てるしな」と呟いた男の目が確かにエースを捉えた、と思う間もなくエースは全てを理解して、大きく目を見開いて宴に連なる面々を射竦めるように眺めた。見知ったものも、見知らぬものも、すべてが白髭の大男と黒髪の男に寄り添い、加わり、集まり、そしてすべてが、エースの事を話している。ほろりと溢れたのはエースの涙だろうか。それとも遠く見える、あの男の手から零れた滴だろうか。どちらにしても水滴は、地に落ちる前に花の一ひらが攫って行ってしまう。大声を上げて泣き出したい気分と、何もかも捨てて駆け寄りたい気分を堪えて、エースはただひたすら宴の席を食い入るように眺める。近づくことも触れることも、声をかけることもできない。届くはずがないと、エースはどこか奥深いところで理解していた。

ただ、
愛されていた。愛されていた。愛されていた。
もう会えない、もう二度と会えない、一度も会えないと思っていた。
一目会った。笑顔と、愛を知った。それだけで、エースは、それだけで。

「…おやじ…っ」

堪え切れず音を漏らした瞬間、ごうと突風が吹いた。エースの視界を埋めて吹雪いた花が、散り落ちた後には宴も、炎も船も水も人も跡形もなく消え、そこには先と同じだけの薄明るい道が通っている。ぐい、と手の甲で涙を拭ったエースは、何も考えずに黙々と足を進めた。いつまでも降りしきる花吹雪が終わるまで、これは生まれ直すための道だった。




閉じた瞼の向こう側に何か明るいものが映って、エースはそろそろと目を開いた。自分のものではないような気がするほど重い瞼をどうにかこじ開けて、見上げた天井が本当に見覚えのないものだったので、エースはぼんやりとここはどこだろう、と考える。それからいつかと同じように右腕を持ち上げてみようとして、やけに重いことを不審に思ってそろそろと上体を起こせば、焼けつくような痛みが全身に、特に胸に走ってエースは諦めた。ああ痛いな、と感じて、感じたことに安堵するエースは、次いで左腕をそろそろと上げる。ふらついてはいたがどうにか目に入る場所まで持ち上がった左手は、どうにか欠けることもなくエースの身体に残っていた。そして、またかなり苦労して痛みの少ない方法で身体を動かしたエースは、エースの右腕に誰か、と言っても特徴的なその頭髪だけで誰かわかる人間が頭を乗せて寝入っていることを見てとって、ゆるゆると唇を震わせる。エースは笑ったつもりだったが、たいしてうまくいかなかった。寝かせておいても良かったマルコを、それでも苦労して持ち上げた左腕でそっと揺り起こしたのは、エースが一刻も早くマルコの顔を見たかったからである。ぐいぐい、と、そっとと言うには程遠い力で肩を揺すれば、マルコはがくんと首を落として、あ、起きた、と思うエースの目の前でゆらゆらと首を持ち上げて、相変わらず半分閉じたような目で肩に乗ったエースの左手を眺めて、ん?という表情をした挙句にようやく目を覚ましているエースの顔を認めて、がた、と椅子を揺らして立ち上った。慌てたのかなんなのか、傾いた椅子は床に倒れてひどい音を立てたけれど、マルコはまるで意に介さずエースの顔を穴が空くほど眺めるので、きまりの悪くなったエースが「…よ」とからからの喉で絞り出すように言えば、途端にマルコの目から大粒の涙がほとほと零れ落ちてエースは少しばかり焦る。泣くなよ、と言いたくて、でも声が出ないエースは手を伸ばそうとして、それも届かなくて焦れて、ばたばたともがいていたらマルコの方ががばりとエースを抱き起こして抱きすくめた。いってえええええ、とびりびりと痺れるような痛みをやり過ごしたエースの耳元では、押し殺すようなマルコの嗚咽が聞こえて、ああそうか、とまた一つ腑に落ちる。エースが死にかけて、マルコが泣かないわけがない。笑って終わらせてくれるなんて、置いていく側がどうして決められたんだろう。泣いてくれて嬉しかった、と言うサッチの言葉の意味がようやく分かった気がして、エースはまた苦労してマルコの背に手を伸ばした。びくり、と大きく震えたマルコの背骨を、いつかのマルコのように拙く撫で下ろせば、しゃくりあげる声さえ聞こえて、エースは笑う。だって嬉しかった。知らない船の中で、知っているマルコに一番最初に出会えて良かった。エースは、エースのために恥も外聞も無く泣くマルコがすきだった。

あ、あ、と何度か発声練習をして、おそらく数日以上使っていない声帯をどうにか震わせたエースは、ぐったりとマルコに凭れかかりながら「ただいま」と呟く。ぐ、と嗚咽を止めたマルコは、何度か深呼吸して息を整えてから「おかえり」と返して、ごしごしと着ているシャツの袖で涙を拭った上で、エースを支える手はそのままにエースから身体を離した。目も鼻もずいぶん赤い。その上包帯まで巻いたマルコに、「けが」とエースが言えば、「海楼石だよい」と、(珍しいなお前が怪我するなんて)と問いたかったエースの疑問を相変わらず正確に把握してマルコは答える。マリンフォードでの戦いの間、ほとんどルフィしか目に入っていなかったエースには返す言葉もなくて、ただじっとマルコの顔を見返すことしかできない。そうこうしている内に、またほろりとマルコの下瞼から水滴が溢れて、「泣くなよ」とエースは言うが、「泣かせるんじゃねえよい」とぱたぱた瞬いて涙を掃うマルコが言うものだから、全くだ、と納得してしまったエースは、かなり近い場所にあるマルコの眼球をぺろ、と舐めた。生ぬるくて塩辛い、マルコの海の味がする。途端に、「何しやがる」と喚いたマルコが大げさに眦を拭うものだから、「泣かないように」とエースがへらりと笑えば、マルコはようやくエースをまともに眺めて、「…ありがとよい」とぽつりと言った。それがあんまり呆然としていたから今度はエースが一筋だけ泣いてしまって、それきり流れはしなかったけれど胸の奥がいつまでも痛い。きりきり絞りあげるような胸を支えたまま、エースがマルコの言葉を待っていると、やはりエースの思いを正確に汲むマルコは「ここはレッドフォースの中だよい」と言って、「モビーは、マリンフォードで沈んだ」と短く言葉を切った。エースが黙って頷くと、マルコは困った時にいつもそうするようにがしがしと頭を掻いて、そっとエースの首を引き寄せてマルコの胸に引き込んでから、「悪かったよい」と呟く。「なにが」と、本当にわからないエースが尋ねれば、「お前の帰ってくる場所を守れなかったよい」と大真面目にマルコは言うものだから、エースは一瞬大きく目を見開いて、それから「馬鹿じゃねえの」と吐きだすように言った。「なんだと、」と鼻白んだマルコに、あーあーあーあー、とうまくしゃべれないエースは、それでもどうにか「全部俺のせいじゃねえか」と告げて、「何も悪くねえじゃねえかお前らは」と震える声で、マルコを突き飛ばして背中からシーツに落ちる。何もかも痛い。どんなに考えたって、エースはエースが生きているだけで十分幸福で、だからマルコの顔を見ることができただけでそれ以上何もいらない。けれどもマルコは、エースにそれ以上を差し出そうとする。いらない、とは言えないエース自身が歯痒くて、でもしあわせで、エースはもうどうしたらいいかわからない。「エース」と伸ばされたマルコの手はエースの頬に触れて、その暖かさがまるで雲を掴むようで、エースは意を決して目を開いた。と、あんまり近くにいるマルコの目がとても深い色をしているものだから、エースは小さく息を飲む。「エース」ともう一度エースの名を呼んだマルコに、「はい」とか細く返事をしたエースは、「馬鹿はてめえだよい」とマルコに一喝されてびくりと背筋を震わせた。エースを刺すような視線で睨みつけるマルコは、静かな口調で、でも切々と、「お前を勝手に助けに行きたかった俺たちがどうなろうと、お前に責任は欠片もねえよい。むしろ、お前一人に責任がとれるような話じゃねえだろい。お前は、お前の責任をお前一人でとれると思ってたかもしれねえが、…残念だったな、俺たちはお前を愛してたから、お前一人のためにこの様だよい。でもそれはお前のせいじゃなくて、お前を余裕で助けきれなかった俺たちのせいで、お前が気に病むような、…病めるようなことじゃねえ、」と言うところで言葉を切ったマルコは、うすく唇をゆがめて、

「ざまあみろ」

と続けた。吐き捨てるように。その、つめたくて激しい言葉のわりにマルコの表情があんまり苦しそうなものだったから、エースは痛みも忘れてマルコの首に手をかける。ゆるく震える鼓動はずいぶん早くて、似合わない悪態をついてまでエースを正当化しようとするマルコに、罵って欲しいって言うのも我儘なんだなあ、と改めてエースは思った。同時に、これはマルコの本心でもあるのだろうと感じたエースは、もう謝ろうとすることは止めて、マルコの首に掛けた腕をそっと引く。ごく自然にマルコの顔が降りて、エースの唇にそっとついばむような口づけを落とした。「二度と下らねえこと言うなよい」と唇を離して囁いたマルコの声は、もういつも通りの低くて乾いたものだったので、「おう」とエースは素直に頷く。それから、長いマルコの言葉の中にひとつ、引っかかるものを感じて、エースはマルコの声を反芻して、そこで「…あいしてるって初めて聞いたな」と独り言のようにエースが言うと、マルコはぎょっとしたように目を見開いて、「いや、あれは言葉の綾と言うか、…お前が言ったんだろい」としどろもどろに返すので、なんだ聞こえてたのか、と思ったエースが、「じゃあ愛してねえの」とストレートに尋ねれば、たちまちマルコの顔に薄く朱が上って、いやおっさんが顔赤らめてもなあしかも顔黒くてよくわかんねえしなあ、とエースが思っている間に、「…愛してるけどよい」とぼそりと往生際悪くマルコは告げて、照れ隠しのようにエースをベッドに押し付けた。ツンデレのおっさんて新しいな、とろくでもないことを考えるエースの上で、「お前はどうなんだよい」と相変わらず赤黒い顔でマルコが尋ねるものだから、エースはにっこり笑って「ありがとう」と告げる。答えになっていないエースの言葉に、「は?」と首を傾げたマルコへ、さらに笑みを深くしたエースは、

「愛させてくれて」

と、マリンフォードとは正反対の言葉を告げる。最期まで言えなかった言葉を、一番最初に伝えたかった。マルコに。あっさり帰ってくるとは思っていなかったらしいマルコが、いつも眠そうな目を丸くして驚いているものだから、痛みも忘れて「あはははは」とエースは声を上げて笑う。笑うしかなかった。サッチも親父も、モビーもいない世界にはそれでもエースとマルコがいて、今日も明日も明後日も連綿と連なっていく。それを幸福だと言い切ることができるのは、エースが生きているからだった。生きて、マルコと生きて、どこかで生きているルフィと再会して、そしていつか長い長い道の向こうで待つ親父と、親父とサッチに会いに行くのだ。百年でも、待つと言った。そしてその道のりは、エースにとって孤独ではない。笑いながらぼろぼろとシーツに涙を落したエースを抱いて、「ずいぶん長くかかったよい」とマルコが呟くものだから、「っでも、間に合った」としゃくりあげながらエースが続けると、「よい」とマルコは頷いた。それで十分だった。エースはもう二度と生きることを諦めたりはしない。

生きて、生きて、生きて、生きて、生きて、生きて。

夢の続きを見るのはそれからだ、と、呟いたエースは小指の先に薄く炎を灯した。
命の色に似ていた。

( そして原作に続く ことを願う 陳腐でいい 陳腐でいいから 後生だ / マルコとエース / ONEPIECE )