※574話以降捏造話 ものすごい捏造 ラストスパートに向けて


現 十 夜 / 第 捌 夜


薄曇りの空からたまに顔を出す太陽の光が眩しい午前中だった。あまり強い日差しで乾かすと洗濯物が傷むから、と、およそ海賊らしくもない理由を付けて洗濯に勤しむ1番隊と2番隊に混じって、エースもざぶざぶ自分の洗濯物とマルコのシーツを洗っている。基本的に隊長の洗濯は隊員が受け持っていて、マルコの部屋の洗い物も1番隊が引き受けているのだが、さすがにああいうアレの痕を人に洗わせるのはエースには少しばかり躊躇われて、くるりと丸めてはがしてエースの部屋に引き取ったのだ。マルコが洗濯していたら奇異の目を向けられるだろうが、エースが洗濯桶に向かうのはいつもの事なので、とりあえずは誰も不審に思っていない。血があまり出ない体質で良かったよな、と生々しいことを考えながら、それでも乾きかけた滑る液体を無感動に洗い落していくエースの上に一際濃い影が落ちたのは、洗いを終えて濯ぐ前の脱水を始めた時だった。「やってるな」と軽い言葉と共にエースの肩にずっしりと体重がかかって、けれども人ひとりの体重などはさして苦にもならないエースは「やってるよ」と軽く返して、サッチの事は気に留めずにぎゅっとシーツを絞る。しばらくサッチはエースの肩に手を置いたままエースを眺めていたが、エースが半分がた脱水を終えたところで、す、とエースの首筋を指して、「痕ついてるぜ?」とエースの耳元で囁いた。エースはちらりとサッチを振り返ったが、首筋を抑えることも慌てることもなく、「ついてねえよ」と冷静に返すので、「なんだよつまんねえなあ」とサッチは拍子抜けたように返して、エースの頭に顎を乗せて、「ちょっとは動揺しろよ、せっかくお膳立てしてやったんだから」と楽しそうに言ったが、「仕方ねえだろ、どんなに頑張ったところでロギアと不死鳥に痕は残らねえよ」とさらりとエースは告げて、サッチの腕をとんとんと叩く。どいてくれ、と言う無言の主張を受け入れて、水が跳ねかえらないぎりぎりの場所に腰を下ろしたサッチが、「頑張ってはみたんだな」と少しばかり感心したように呟くので、「愛してるからな」と真顔でエースが答えれば、途端にサッチは半分ほど身を引いて、「開き直ると怖いよなお前ら」と言った。「お前ら?」とエースが尋ね返すと、「マルコもマルコで、お前に片思い必死の時は見てて辛いくらいだったわりに今すげえ余裕じゃねえか」とサッチがエースの知らないことを言うので、「何それちょっと聞きてえ」とエースは身を乗り出したが、サッチは「やだよ、俺あいつに殴られたくねえし」とあっさり首を横に振った。ちぇ、と本気ではなく舌打ちしたエースは、ざばりと盥にたまった水を流してから、「相変わらずサッチは、マルコには俺の事筒抜けなのにマルコの事はあんま話してくれねえよなあ」と思いついたように言う。「そっか?」とサッチが笑いながら首を傾げるので、「そうだ」とエースが肯定すれば、「でもお前はマルコに隠し事しねえだろ」とサッチはエースを指して、それは正しいのでエースが素直に頷くと、だろ、とサッチも頷いて、「マルコは鈍いからなあ、お前が言ったこと話半分に聞いてる節があって、俺がしてるのはその補足みてえなもんだ。お前はほら、マルコの事わりと正確に理解してるから」と、サッチはマルコをけなしているのかエースを褒めているのか、それともその逆なのか良く分からないことを言った。エースはしばらく水気の抜けた洗濯物を見降ろしていたが、やがて傍らのバケツからばしゃり、と真水を組み込んで、「サッチは、…マルコが大事なんだな」と顔を上げずに言えば、「そんな大層なことじゃねえけど、そういうことだ」とサッチは言って、それからぐっと右手を伸ばしてエースの頭をぽんぽんと叩いて、「お前も大事だけどな」と続けるので、「べ、っつに、そんなこと聞いてねえよ」と、どっちに嫉妬したかわからないエースは慌ててサッチの手を払いのける。と、サッチの右手が濡れているので、「水、飛んだな」と、エースがわりとかわいたエースの服の端を差し出したが、「いいよ、大丈夫だ」とサッチはまたぽんぽんとエースの頭を撫でた。それから、「なあ?」とサッチが問いかけるので、「なんだよ」とシーツの塩と洗剤を流しながらエースが返すと、「お前今幸せか?」とサッチは言う。その声が随分と真剣なものだったので、エースは違和感覚えてサッチの顔を見上げたが、ふ、と目を緩めたサッチの顔がとてつもなくやさしいので、なんだか照れくさくなりつつ、それでも

「ああ、幸せだ」

とエースははっきり頷いた。「そりゃ良かった」と笑ったサッチの声はもういつものものだったので、エースも大きく破顔して、「ところでサッチは」と問い返せば、「お前らのお守がなけりゃもうちょっと幸せかもなあ」と冗談めかしてサッチは答えて、「うし、じゃあ干すの手伝うから、さっさと洗っちまえ」とエースを促す。ん、と頷いたエースは、マルコとふたりで濯いだ洗濯物を絞って、メインマストから伸びるロープに吊るした。最後にそっとシーツを撫でたエースに、「次はいつ洗う羽目になるんだろうな」とにやにや笑いながらサッチが顔を寄せるので、エースは平然と「次は俺の部屋を使うからしばらく洗わねえよ」と返したら、「ああ、はい、そうですか」と言ってサッチは少しばかり項垂れている。「サッチが聞いたんだろ」と首の後ろを掻きながら面倒くさそうにエースが言えば、「まあそうなんだけどよ、もうちょっとなんか、こう、な?」とサッチが未練がましくエースを眺めるので、「俺に可愛げがあっても気持ち悪いだけだろ」とばっさりサッチを切り捨てて、エースは盥と洗濯板を甲板の隅に立てかけに行った。帰ってきたエースをやっぱり辛気臭い顔で迎えたサッチに、「ところでこれからどうするんだ」とエースが尋ねれば、「部屋で領収書の整理でもしようと思うが、お前手伝ってくれるか?」とサッチが答えるので、どうせ暇なエースはいいぜ、と軽く頷こうとして、頷けないことに気づく。不自然に沈黙したエースの顔を覗き込んで、「どうしたエース」とサッチは尋ねたが、エースは口を開くことができない。何が、と、悪寒を抑えてエースが意識をめぐらせれば、『サッチの部屋』という結果にたどり着いて、エースはさらに疑問を募らせた。サッチの部屋に、行きたくないのだろうか。エースは。そういえば、目が覚めてからこっち、マルコの部屋と同じくらい入り浸っていたサッチの部屋に一度も足を踏み入れていないことに今さらエースは気づく。あんなにサッチに懐いてたルフィも、サッチの部屋を訪れることはなかった。

(あれ?)

と、唐突にエースはエースが何故腹に穴を開けるようになったのかを思い出せないことに気づいて息を止める。ルフィを庇って、赤犬に覇気で貫かれた。マリンフォードの処刑台で、処刑を待っていた。ティーチに負けて、いんぺルダウンの最下層に幽閉された。やっと追いついたティーチと、バナロ島で戦った。ティーチを追って、船を降りた。船を降りる寸前に、マルコと話をした。船を降りることを、親父とマルコに止められた。フラッシュバックのように記憶を掘り返して、けれどもエースは肝心の「ティーチを追いかけて船を降りることになった」理由が分からなかった。ティーチはエースの部下だったし、サッチの親友でもあったから、エースにとっても気安い仲間だった。それをどうして、追いかけるような羽目になったのか、そもそもなぜティーチは船を降りたのか。今まで、エースが生きている喜びにだけ目を向けていたものだから気付かなかったけれど、よくよく考えてみれば辻褄の合わないことばかりで、エースはふ、と詰めていた息を吐き出す。「おい、エース」とサッチの声が聞こえて、びくり、と身体を震わせたエースに、「どうした、顔色悪いぞ?」と少しばかり驚いたような顔でサッチが尋ねるので、エースはそうしたことをサッチに尋ねようとして、けれども結局「や、…ちょっと腹減った?かな?」とあいまいに笑って誤魔化した。なんだよ、と言う顔で表情を緩めたサッチが、「じゃあ食堂行って、何かもらってくるか」とエースの背中を叩くので、「いいなそれ」とエースは努めて明るい声で答えて、そうっと手を伸ばしてサッチの右手に触れる。サッチの手には、先ほどと同じ量だけ、ぬるい温度の水滴がまとわりついていた。

エースとサッチが他愛のない話を繰り返しながらだらだら歩いて昼前の食堂にたどり着くと、中ではなぜかマルコが長テーブルをひとつ占領して、何かの書類を広げている。入口からも伺えるくらいうんざりした顔でペンを握るマルコを認めたエースとサッチは、いったん顔を見合わせて、にやあ、と笑ってから、「よお、マルコ!!」と手を振りながら食堂の奥まで進んで、マルコの両隣りに腰を下ろした。「何だよいお前ら」と、あからさまに嫌そうな顔をしたマルコには気を止めずに、エースとサッチは駆け寄ってきたコック見習いに「何か食いもんと飲み物、ちょっとでいいからもらえるか」と告げて、「余所に座れよ…」と疲れたような声を出すマルコに、「冷てえこと言うなよ」と面白そうにエースは返す。ついでとばかりに、テーブルにぶちまけられた書類を一枚手に取れば、ここ半年分の決裁書類で、「珍しいな、マルコがこんなに」とエースが感想を述べれば、「お前らの分もあるんだよい」と短くマルコは答えてエースの指から書類を取り返した。マルコとエースは、戦闘以外ではあまり役に立たない。けれども、それにしたって隊長としてのデスクワークは得手不得手にかかわらずのしかかるものだから、エースは毎月マルコの手を煩わせていた。マルコはと言えば、面倒くさがってはいるものの適当に期日前には書類を仕上げていたから、すきではなくても得意なことなのだろうとエースは思う。エースがいない間、2番隊の負荷は全てマルコが被っていたのだろうと思うと、エースはそれ以上何も言えなくて、ちら、とサッチに助けを求めれば、サッチも少しばかり苦笑していて、エースはまた何か思い出しそうで思い出せないことがあるような気がした。なんとなくしゅん、としてしまったエースと、軽口をたたかないサッチに囲まれたマルコは、それでもしばらくさらさらとペンを走らせていたが、やがてかつん、と音を立ててペンを置いて、「ああもう、うっとおしいよいてめえら」とがりがり頭を掻いている。そうしてエースに向き直って、「俺がお前の尻拭いをしてんのはいつもの事なんだから、しゃんとしてろい」と一喝したマルコは、ちらりとサッチを振り返って、「お前はお前で、何おとなしくしてんだよい」と八つ当たりのようなことを言うので、「いやその言い草はひどくないか」とサッチは呟いたが、そもそも邪魔しに来邪魔しきれなかったのはエースとサッチなので、それ以上逆らわずに「ごめんなさい」と頭を下げた。するとマルコはひとつ頷いて、幾重にも広がる書類をがさがさと集めてテーブルの隅に寄せている。「終わったのか?」と尋ねたエースに、「部屋でやるよい」と短く答えたマルコが立ち上がるので、エースはちぇ、とテーブルに置いた手に頬を預けたが、立ち上がったマルコは書類をそろえて反対側の椅子に乗せた後、また元の場所に戻って腰を下ろした。「え、帰るんじゃねえの」と顔を上げたエースが言うと、「俺にだって昼飯を食う権利はあると思うんだがな」と澄ました顔でマルコは答えて、「なんだよ、素直に俺たちと飯食いたいって言えよ」と、途端にサッチが絡んでいくので、エースは少しばかり顔を明るくして、「調子に乗るなよい」とサッチの後ろ頭を殴り飛ばすマルコを眺めている。「にやにやしねえで止めて欲しいなあエースくん!」と、マルコの手をぎりぎりと受け止めながらわりと必死にサッチが訴えたが、エースはそれはもうにっこりと笑って、「俺マルコの味方だからナシな」とサッチの訴訟を棄却した。

このやろ、卑怯だぞ、裏切り者!と何やらサッチは喚いているが、エースを振り返ったマルコが満足そうなので、エースはごめんサッチ、と心の中で手を合わせておく。まあ、強いものに付くのが人間だ。長いものには巻かれた方がいい時もある。マルコとサッチの立ち位置はどこまでも並行で、どちらかが強いというわけでもなかったから、弱みのある方が弱みをネタにそうでない方に付け込む、というのがだいたいのパターンで、だからエースはそのときどきでマルコともサッチとも共同戦線を貼った。少しばかりシャレにならない時もあるが、たいがいはひどいじゃれ合いのようなものだと理解しているから、マルコとエースでサッチを酔いつぶしたり、サッチとエースでへこみかけたマルコを徹底的にけなしてどん底まで突き落とした後に奮起させたり、マルコとエースでサッチの誕生日にサッチのベッドに時限式の花火を仕掛けたり、今思えばくだらないことばかりしていてエースは少し笑う。そういうどうでもいいこと全てがあんまり愛しくて、牢獄の中で見る夢はいつだって現実の続きのようだったことを思い出したエースは、不意にサッチが動きを止めてエースを見ていることに気づいて思考を止める。「んっ?」とエースがわざとらしく作り物めいた笑顔を貼りつければ、「そろそろ止めとけ」と、小さな声でサッチは言った。何が、と返す間もなく、「お前今幸せなんだろ」とサッチは続けて、怪訝そうな顔のマルコとエースを置いて、ちょうど運ばれてきた料理を受け取ってテーブルに並べる。「なあ今の、」と言いかけたエースには構いもせずに、「さ、食おうぜ、冷めねー内に」と笑うサッチの顔はもういつも通りで、なおも言い募りかけた口にスプーンごとポテトサラダを突っ込まれたところで、エースはサッチとの会話を放棄した。サッチの言葉は気になるが、食う方が大事だ。特に、目の前に料理が並んでいて、一緒に食う相手がマルコとサッチなのだとしたら、なおさら。いただきます、と手を合わせてがっつくように皿を持ち上げたエースの顔をサッチが眺めて、そのサッチの顔をマルコが眺めていることに、エースは気づかなかった。

昼食後、エースとマルコとサッチが3人で食堂を出ようとすると、駆け込んできた4番隊が何やら慌てながらサッチの手を引くので、「まあ落ちつけよ、」とサッチは隊員を宥めながらマルコとエースを振り返って、「じゃあまた夕食でな」と言って去っていく。「敵襲か?」と、4番隊が今日の見張りであることを知るエースがマルコに向かって首を捻れば、「だったら俺とお前も連れてくだろい」とばっさりマルコは返して、それもそうか、とあっさり納得したエースは、マルコの書類を半分小脇に抱えて歩いていく。半地下に降りる直前、薄曇りの空をちらりと眺めたエースに、「言いたいことがあるなら言えよい」と振り返らずにマルコは告げて、あいかわらずマルコはエースの機微に敏感だな、とエースは思った。「マルコはどうして俺が何か言いたいってわかるんだ」と、揶揄するわけでもなく純粋にエースが尋ねれば、「さあな」とそっけなくマルコは返して少しばかり歩調を速めたが、角を曲がったところでぐい、とエースの腕を引いて、掠めるだけのキスを落として、「あいしてるからじゃねえか?」と、ぽいとエースの腕を放り出しながら言う。お前、公共の施設で。っつうか廊下で。何て事を。唇を抑えたエースの前で、何でもないような顔をしているマルコに、畜生燃やすぞ、と心の中でエースは思ったが、行動も言葉も嬉しくないわけではなかったので「ああそうかい」と軽く目を反らしながらエースは言った。覚えてろよいつか別の形で仕返ししてやる、といつの間にか勝ち負けにすり替わったことは置いておいて、本題を思い出したエースは、また歩き出しながら、「俺、何か忘れてねえかな」と少し高い位置にいるマルコに問いかける。マルコは視線を返しもせずに、「おまえが忘れてることなんてたくさんあるだろうし、それが何か俺にわかるわけねえだろい」と取り付く島もない答えをよこすので、たいして期待していなかったエースは「まあそうだよなあ、」ありがとう、と話を切ろうとしたのだが、「でも俺も何か忘れてる気がするよい」と静かにマルコが続けたので、「マルコも?」と呟いて、エースは足をとめた。奇しくもそこはサッチの部屋の前で、今は閉まった扉にエースがちらりと視線を送れば、マルコも黙って何かを考えている。「…入るか?」と尋ねたのはマルコで、エースはぶんぶんと大きく首を横に振った。「なんでかわかんねえけど嫌だ、絶対嫌だ」と言ったエースに、「そうかい」とマルコは返して、それからごく自然にエースの手を取ってまた廊下を歩きだす。乾いて暖かいマルコの手の感触に、「マルコ、」とおそるおそるエースが声をかけると、「俺も入りたくねえよい」とごく簡単にマルコは答えて、ぎゅう、とエースの手を握りしめた。え、と思ったエースは、マルコの顔色が悪いことに気づいて、それからエース自身も少しばかり震えていることを知る。なんなんだよ、と呟いたエースの言葉に、答えてくれそうなサッチが今はいなかった。
今は、いなかった。

(  執行猶予のようなもの / マルコとエースとサッチ / ONEPIECE )