※574話以降捏造話 ものすごい捏造 D兄弟篇最終話 


現 十 夜 / 第 伍 夜


まだ包帯を巻いたままのエースが、すっかり傷の癒えたルフィをシャボンディ諸島まで送り届けたのは、夏島の短い春が終りを告げかけた日だった。さすがに、あれだけ派手に海軍とやり合った後で海軍本部にほど近いレッドラインの麓までモビー・ディックを付けるわけにはいかず、どこから襲われても逃げられるだけの十分な距離を取って沖合に停泊したモビーからは、エースとルフィと、それからサッチが小舟で降りている。最初はえーすひとりで、という話だったのだが、何があるかわからないからダメだと押し切られて、「邪魔はしねえから連れてけよ」と言ったサッチは、餌付けの成果もあってかずいぶんルフィに懐かれていた。マルコはマルコで、「じゃあな、鳥のおっさん」と明るく言われた時は少しばかり背中を丸めていたが、あれはあれでルフィを気に掛けてくれていたので、ルフィが船を降りる前にルフィの麦わらの端を抓まんで、「またこいつを見る日が来るとは思わなかったよい」と呟いていた。そういえばシャンクスとマルコは昔馴染みだと聞いている。ルフィに話してやったら喜んだかもしれないな、とちらりとエースは思ったが、ルフィはルフィでいつかシャンクスにめぐり合うのだろう。それこそ、新世界で。エースのストライカーはバナロ島で失くしてしまったから、今エースとルフィとサッチが乗る舟はただの手漕ぎボートで、それでもエースもルフィも打ち寄せる波をもろともせずにぐいぐいと舟を漕ぎ進めていく。「お前らが落ちたら俺が拾いに行くから、せいぜいがんばって漕げよ」と舟の端に座りこんだサッチはひとりゆうゆうとエースとルフィに手を振るが、たいして苦にも思わないエースは「おう」とだけ返して、ルフィの頬に飛んだ海水を右拳で拭った。「ちゃんとしたボートはいいな」とさっきから妙に感心しているルフィは、エースを助けに来る前に筏を作ったのだという。こと物を作ることに関して、ルフィの腕が壊滅的だと知っているエースは、「そりゃさぞ良く沈んだだろうな」と揶揄するでもなく感想を述べたが、「おれにも船を作ってくれる仲間がいるからいいんだ」と胸を張ったルフィがほほえましくて、「そうかい」とエースは笑う。ルフィと過ごした日々はひと月に満たない短い時間だったが、それでも同じ島で育ったルフィと、別の海の船の上で同じものを食って、同じものを見て、同じ場所で笑うことができてほんとうによかった、とエースは思う。最期だと思った瞬間にルフィの傷になろうとしたエースが言えたことではないが、ルフィには幸せになって欲しい。いや、いくらでも勝手になるのだろうと思うが。エースとルフィが漕ぎ進めるボートは、あっという間にヤルキマンマングローブの根元までたどり着いて、ボートを舫うサッチを残して、エールとルフィは21番グローブに飛び上がった。芝のような水草から、ふわふわと浮き上がる樹液を眺めて、「エースもこれ乗ってみたか?」とルフィが尋ねるので、「おう、割れるまで上ったぜ」とエースが返せば、「いいよなあこれ!」と叫んだルフィがシャボンに飛び乗ろうとするので、「待て待て」と制してエースはルフィの襟首をつかむ。「なんだ」と振り返ったルフィの顔が不満気なので、「俺はお前を送り届けに来たんであって、お前と遊びに来たんじゃねえんだよ」とエースが言えば、「少しくらいいんじゃねえか?」とルフィは軽く首を傾げて、こいつは三億の賞金首な上にマリンフォードに殴りこんだ大悪党っていう自覚がねえんだな、と、処刑寸前から逃げ出した上に海軍本部近くをうろうろしている身の上を棚に上げてエースは溜息をついた。「遊ぶ暇があるんなら、もういっそ白ひげ海賊団に乗れよ」と冗談半分、本気半分でエースは勧誘したが、「だめだ、あの船は好きだけどおれはおれの船に乗るんだ」とルフィが言うので、「帰るところはあるんだな」と、散々確認したことをもう一度エースが尋ねれば、「船で仲間が待ってる。誰もいなかったら、おれが待ってる」ときっぱりルフィは言い切る。それはエースが知っているルフィの顔よりも少しばかり大人びて、そして少しばかり毅然とした、船長の顔だった。だからエースはそれ以上言わずに「そうか」とだけ頷いて、「じゃあまたこれで、俺たちは敵同士だ」と、拳でルフィの胸を押す。「次はもう負けねえ」と返したルフィは、3年前よりずっと大きくなった掌でエースの拳をぎゅっと握って、「新世界でまた会おう」と、エースの台詞を攫って行く。「まず魚人島で潰されねえように気をつけろよ」と、杞憂ではない忠告をしたエースは、ルフィが握る拳とは逆の腕でごそごそとハーフパンツのポケットを探って、「ほら」とルフィの顔の前に差し出した。「なんだ?」と首を傾げたルフィに、「いいから、手を出せよ」とエースが促せば、ルフィは素直にエースの拳の下にまだ薄い掌を差し入れるので、エースは薄く笑いながら、ぱっと拳を開く。はらり、とエースの掌からルフィの指先に落ちたものは、結局一緒には見に行けなかった桜の花びらと、それから折りたたまれた名刺大の白い紙だった。口を開かないルフィの手の上で、真っ白な紙がじり、とわずかにエースに近づくのを見て、ルフィはただでさえ大きな目をさらに大きく見開いて、真正面からエースを捉える。

「お前にやったもんだからな、また持ってろ」

と言ったエースの言葉通り、これはルフィがマリンフォードから逃げる間も、傷の治療の間も、握って離さなかったエースのビブルカードだった。最初は米粒ほどの大きさしかなくて、消し墨のように見えたそれは、エースが治療を受ける間にどんどん成長し直して、どうにか最初と同程度の大きさにまで戻っている。ルフィが燃え残るようにビブルカードを握っていたから今生きていられるんじゃないだろうか、と逆説的なことを考えるエースが、動かないルフィを見降ろして、「まあ、もう要らねえって言うなら引き取るが」と言いかけた瞬間、ルフィはぱちっと瞬きをして、拳を握りしめてから、「いる。返さねえ」と言って、エースの言葉をきっぱりと遮った。ルフィの拳があんまりきつく握られているものだから、エースはルフィの拳に手をかけてから、「そうか、じゃあ持ってろ」と言って、「おう」と頷いたルフィに、「でも、もう二度とお前に助けられたりはしねえからな」と宣言した。ルフィはずいぶん長いことエースの顔を見上げていたが、やがて「そうか」と言って、「エースは死なねえもんな!」と底なしに明るい笑顔で続けるので、「ああ、死なねえよ」とエースも大きく頷いた。今度こそ、エースは約束を守らなければいけないだろう。何しろ、本当に死にかけても死にたくないと思えなかったエースは、エースを失くしかけたルフィの泣き顔を見てようやく「死にたくない」と思うことができたのだ。ずっと、ルフィのために、と預けてきた心の拠り所が、ルフィの泣き顔を見たくないエース自身にようやく帰結して、泣いていいのか笑えばいいのかわからなかった幼いエースを抱きしめる。エースは、エースのために生きていい。本当はそれだけで良かったというのに、誰かの言葉にしがみ付いて、生きることも、逃げることも、生きようとすることもできなかったエースの20年間は終わった。海賊王と母親生んで、ジジイが放り出して、ルフィとサボが引き留めて、仲間と、親父と、サッチと、それからマルコが引きずりあげたエースの世界を、これからようやくエース自身で彩ることができる。ルフィと、仲間がいる世界で。

「エース」

と、ルフィがエースの名を呼ぶので、「どうしたルフィ」とエースが返せば、ルフィは不意にエースの手を離して、ぎゅう、とエースにしがみついた。ルフィが目を覚ました夜を思い出したエースは、黙ってルフィの身体を抱き返して、あやすようにぽんぽん、と掌で軽く叩く。「エース、」と言うルフィの声がどうにも湿っぽいので、「離れたくねえなら、やっぱり白ひげ海賊団に来いよ」と、冗談3割、本気7割でもう一度エースは勧誘するが、「もうエースがおれの船に乗れ」と逆に命令されてしまって、エースは僅かばかり返答に詰まった。アラバスタではきっぱり断れたルフィの言葉を、迷った挙句「俺は親父を海賊王にしてえよ」と同じ言葉で切り捨てたのは、エースがルフィに負い目を持ちたくないからだった。二度と泣かせたくない相手は、ルフィではなくマルコだということを、エースはもう理解している。ルフィとエースは兄弟で、それ以上でもそれ以下でも、恋人にも仲間にもならないのだった。それはもう、10年前に決まっていたことだ。エースと、サボと、ルフィで描いた未来だった。


船を目指す、と言うルフィを25番グローブまで見送って、エースがサッチの待つボートまで帰ってきたころには、高かった日が傾きかけて、サッチはボートの中で小さく寝息を立てている。その隣に、「目立ちすぎるから」と同行を却下した筈のマルコの姿を認めて、「何してんだよ」とヤルキマンマングローブの音の上にしゃがみ込んだエースが呆れたように声をかければ、「お前が弟に付いていかねえように見張りに来たんだよい」と飄々とマルコは答えた。ボートの中を埋めるように、半分がた出しっぱなしにしていた青い羽根をばさばさと畳むマルコに、「信用ねえなあ」と、ちょっと危なかったことはさておいたエースが口を尖らせると、「お前がものすげえブラコンだってことを知ってるだけだよい」とあっさりマルコは返して、反論の余地がないエースの前で「帰るよい」とサッチを揺り起こしている。目を開けたサッチが、「…ルフィがマルコに化けた」と寝ぼけたことを呟くので、マルコはすぱんとサッチの頭を張り飛ばして、「ルフィは行っただろうが」と言いながら、エースを振り仰いで、「早く乗れよい」と促した。日が暮れる前にモビー・ディックに帰りたい、と続けたマルコが当然のように舟べりから腕を伸ばすので、エースは少しばかり照れながらマルコの手を握って船に飛び移る。舟に降りても手を離さないエースとマルコを眺めながら、「そのままじゃオール使いづらいだろ」と言ったサッチの言葉は、真っ当な割に宙に浮いてしまった。たとえひとりが正しくても、残りのふたりがおかしければアウェイなのはサッチの方である。「まあいいけどな」と結論付けるサッチは、俺何しに来たんだっけ?と少しばかり首を傾げながら、恋人繋ぎのエースとマルコから目を反らして、遠くなるシャボンディ諸島に目を向けた。エースの弟の未来がしあわせであることを、サッチは願う。

エースとマルコとサッチがモビー・ディックに帰りついて、手漕ぎボートを船内のドックに収納したところで、モビーの錨はぐるぐる巻きとられて、ばさりと帆が風にはためいた。モビーが目指す場所は、白ひげ海賊団が拠点を置く本島で、戦争でずいぶん傷を負った仲間とモビー自身を癒すために暮れかけた海原を進む。ぐるぐると渦を巻く梯子を登りきったエースは、久しぶりにマルコとサッチのふたりと甲板に立って、薄桃色に染まる波を見降ろした。「あんまり乗り出すと落ちるよい」とにこりともせずに言うマルコは相変わらずエースを子供扱いしているし、「落ちても拾ってやるから安心しろよ」と笑うサッチにしたってそれは同じことなのだけれど、エースはそれを厭う気にはならない。エースがルフィを、弟のルフィをどこまでも甘やかすのと同じだけ、マルコとサッチもエースを甘やかしたいのだということを知っている。10年、弟でいるルフィと比べて、エースはずいぶん可愛げのない弟だと思うが、それでもいいとふたりは笑うのだろう。ふたりだけでなく、モビー・ディックに乗る400人が、そして他の船に乗る1200人も。そういえばエースの最後の言葉を、ルフィは誰にも伝えていないだろうとエースは思う。エースと一緒に意識を飛ばして、エースより後に目を覚ましたルフィと、呆れるくらいずっと一緒にいたのはエースだった。むしろもう声が出るのだからいくらでも伝えたらいいのだろうが、冷静になってみればやはり恥ずかしい。あいしてくれて。正直なところ少しばかり傲慢だったのではないか、とすらエースは感じていて、だから結局あんまり大勢に聞こえなくて良かった、と結論付けた。風は追い風である。船の進路を見据えるエースのもつれた髪を、シャボンディ諸島から吹く風が荒く撫でて、エースはどうにも振り向きたくなったが、泣かない自信がないのでゆるく目を閉じて船べりに額を寄せる。黙ってしまったエースの頭を、横から手を伸ばしたサッチがぽんぽんと叩いて、後を引き継ぐようにマルコががしがし撫でて、それから、「そろそろ飯の時間だよい」と何も無いような声でマルコは言った。うん、と頷いたエースの背中を叩いて、「久しぶりに三人で飯だな」と言うサッチに、「そうだな」と返したエースの声が潤んでも滲んでもいないことに安堵したエースは、ぶんぶんと頭を振ってマルコとサッチに向き直る。無表情のマルコと、ゆるく笑うサッチのが並ぶ姿は、エースが牢獄で散々夢見た図で、ああ帰ってきたんだ、と今さらながらエースは思った。夕晴れの空は、暮れてもなおエースの姿を明るく照らしている。サッチの後に続いて食堂へと進みながら、ルフィが今、エースと同じように仲間と笑っていたらいいとエースは思った。

( 出会いと別れを / エースとルフィ、マルコとエースとサッチ / ONEPIECE )