※574話以降捏造話 ものすごい捏造 エースは死んだと思ってる方は注意


現 十 夜 / 第 壱 夜


熱い、と思ったのは、悪魔の実を食ってから初めてのことだった。
実を食ってからこっち、100度でも飲めるし100度でも浸かれるようになったエースにとって、自分の炎より熱いものに触れることは予想外で、正直それはずるいだろ、と、貫かれた瞬間に思った。だってエースは、ロギアなのだ。質云々以前に、攻撃は通じないんじゃないのか。マグマで炎が燃えるなんて話は実際はじめて聞いた。そもそも何て実だよマグマグの実?語呂が悪いだろ?!なんてことも、内臓から血を吐くまでの一瞬の間で考えた。人生の終わりに、走馬燈が見えるなんて嘘だ。むしろ今この瞬間が鮮やか過ぎて、目を反らすこともできない。ゆがんだ視界に映るルフィの目があんまり大きく開いているものだから、エースはほんの少しだけ困ってしまう。エースがルフィを庇ったのは、脊髄反射のようなものだった。「守りたい」や「傷つけたくない」と言った理由はどこにも存在せず、ただ単にエースがエースであることと同じくらい自然な行為で、だからルフィがそんな顔をすることはない。兄が、弟を助けるのは当たり前だろ。弟が兄貴を助けに来たのと同じように。ぐら、と揺れたエースの体の後ろで、サカズキは誰かと戦っているようだが、エースにはもうそれを気に留める余裕がない。にげろ、と言いたかったが、抱きとめられたルフィの腕があんまり暖かいので、ひび割れたエースの喉はどうしてもルフィのための言葉を紡げなかった。ごめんな、ありがとう、と告げたのは、全てエースのエゴだった。こんな言葉、どう考えてもルフィを縛るに決まっている。出来のいい兄貴なら、たとえばサボなら、こんなふうに目の前でルフィを傷つけることなんてなかったに違いない。そもそも、黒ひげに負けて海軍に囚われる前に、エース自身で死んでいたら良かったのだ。そうしたら、こんなに仲間を巻き込むこともなかった。会ったこともない海賊王の、父親の顔を思い出してまた少し笑う。そうだよ、と。エースは、どうしても生みの父親を憎みきることができなかった。だってエースは母親を食い破って生まれたのだ。生みの父親のために命を掛けてエースを産んだ母親を殺したエースに、母親とエースを残して死んだ父親を憎む資格なんてあるはずもなかった。何よりもエースは、エースの名前を付けた人間が父親だと言うことを知っている。エースは今もエースと名乗っている。それで十分だった。弟に抱かれて、親父と別れて、1600人の兄弟を置いて、ジジイを泣かせて、これからエースは会ったことのない父親に会えるのかもしれない。覚えているような気がするだけの母親や、サボもいるかもしれない。行く先は皆同じなのだから、きっと、後から皆とも会えるのだろう。ありがとう、愛してくれて。ありがとう、

愛させてくれて。

最後まで言えなかったけれど俺は今ちゃんと笑えているだろうか?






唐突に眩しい光が目を焼いて、エースはしばらく思考を放棄した。それはエースが目を開いたからなのだ、とわかったのは、エースが見るともなく眺めていた煤けた天井の前に(つまり寝転がったエースの顔の目の前に)サッチが顔を出してからである。「よう」となんでもないような顔でサッチが言うものだから、よう、とエースも返しかけて、声が出ないことに気づく。あれ、とぱくぱく口を開こうとして、それすらも満足にできなくて、エースは途方に暮れたようにサッチを見上げた。と言っても、喉だけではなくどこもかしこも動かないので、エースはただじっとしていただけなのだけれど。「2週間」とサッチが呆れたように言うので、エースがようやく瞬きをひとつ落として、そしてまた苦労して視線をサッチに戻せば、「何がって、お前がマリンフォードでぶっ倒れて目を覚ますまでの期間だよ」と、エースの疑問を正確に汲み取ってサッチは答える。マリンフォードで。ほとんど働かない頭で、それでももうひとつ瞬きを零したエースは、それきり目をあけられなくなった。サッチが何か言っているようだし、足音も聞こえる。眠るのか気絶するのかもわからない闇に引き込まれながら、生きていたのか、とエースはぼんやり思った。

次に目を開けた時、エースの目の前には青空が広がっている。それが空だ、とわかる程度に回復しているらしいエースは、前よりずっと簡単にぱちぱちと瞬きをして、動かないながらどうにか右腕を持ち上げて、10cmほどでぱたりと、寝かされている寝台に落とした。薄い帳を掛けたように滲む世界は、それでもどうやらエースを蹴落とさなかったらしい。それにしても、さっきまで医務室に寝かされていたはずなのに、どうしてこんなところにいるのだろうと、こんなところがどんなところかわからないエースがぎこちなく首を傾げれば、そこはモビー・ディックの甲板の真ん中、親父が座る船主の真ん前である。えええええ、と思ったエースの前で、おおきな肘掛けに腕を預けてエースを見下ろす親父は、「起きたか」とごく普通にエースに声をかけて、エースは「…はよう、…ざい、ます」とひどく掠れた声で言った。途端に咳き込みそうになって、けれどもそんな体力もないらしいエースは一瞬息を止めて、ぎゅっと目を閉じれば親父の周りに控えていたナースたちがエースに駆け寄って酸素を吹き込んでくれる。親父用なのにな、といい角度で見える谷間を覗きながらいろんな意味を込めるエースは、どうにか自発呼吸に戻ってまた親父を見上げた。たったこれだけのことでもう随分体力を消耗したエースに、「もう少し寝てろ」とやさしく親父は告げて、エースはありがたくその言葉に従うことにする。なんでこんなところで寝かされているのかとか、どうやって助かったのかとか、他の皆はとか、…ルフィはどうなったのかとか。聞きたいことはたくさんあったが、今のエースにできることは何もなかった。邪魔にならないように目を瞑るくらいしか。真っ暗にはならない視界を暖かいものが塞いで、ああこれは親父の掌だ、とエースは微かに笑った。

少しばかり乱暴に揺り起こされて、エースはゆるりと目を覚ました。あたりは随分大きなざわめきに包まれていて、ものすごく見覚えのある天井と壁になんで食堂で寝てるんだ、とエースは首を捻る。捻るエースに「おい」と声をかけたのは、エースを揺り起こした張本人らしいマルコで、「何だよ」と少しばかり不機嫌にエースが返せば、「そろそろ口から物を入れていいらしいが、何か食うか」と淡々とマルコは言った。途端にぐう、となる胃袋が正直過ぎて、けれどもエースの胃袋は焼け焦げた筈なのでアレ?とエースは不思議そうな顔をしたが、「とりあえず、点滴外して起こしてやるから掴まれ」とマルコが言うので、エースは問い返さずにマルコの腕を取る。痛みはなかった。手際良くクッションと枕とでエースが寄りかかる場所を作ったマルコは、エースの膝に木のプレートを置いて、いつか食べたようなスープを乗せる。いただきます、と匙を握ったエースの手は幾分震えたが、この前のようにシーツに落ちることはなかった。マルコはエースの一挙一動を眺めているが、それはいつものことなのでエースは気にしない。ず、と啜ったスープをエースがごくりと嚥下した瞬間に、マルコが肩の力を抜いたことに気づいて、「なんだよ」ともう一度エースは言った。何か言いかけたマルコの後ろから、「ずいぶん長いこと目を覚まさなかった上に、ずいぶんたくさん移植したからな、心配だったんだよ」と軽い口調でわりと重いことを言うサッチが顔を出して、「余計なことを言うなよい」とサッチを睨みつけるマルコを見ながら、「移植?」とエースは誰にともなく尋ねる。エースに視線を戻したマルコが、「内臓が半分使い物にならなかったからな」とエースに告げて、「どこから」と短く返したエースに「死体からだよい」と、これまた短くマルコは答えた。誰から、を尋ねようとしたエースは、でもマルコとサッチがエースの顔しか眺めていないので口を開くことができない。誰でもいいのだろう。どこの誰の内臓でも、エースは今こうして動いて、喋って、食べて、生きている。かわりにもう一口スープを啜って、「うめえな」とエースは言った。この舌はエース自身のものだ。この腕も、足も、眼球も。それで十分だった。「すげえ心配したんだぜ」と、もう一度、今度はしみじみとサッチが呟く。そうだろうな、とエースは黙って頷いた。

あんまりエースが目を覚まさないものだから、船中にベッドを置いて皆で看病していたのだ、と聞いたのはエースが病室に戻った夜のことだった。あまりにも大勢が病室に詰め掛けるものだから、わりと丈夫なエースを放り出して安静にさせていたのだ、と笑う年老いた船医長は、それでも10日間半死半生だった(むしろ9割がた死んでいた)エースをどうにか此岸に引き留めようとほとんど寝ずに処置に当たってくれたらしい。もう大丈夫だと思ったから放り出したんだ、と語る口調には情のかけらもないが、ともかくエースには命の恩人である。それは腹に開いた穴を懸命に塞いだルフィと、エースとルフィを抱えて死に物狂いでモビーに走ったジンベエと、尻尾を巻いて逃げることに賛同してくれた親父と1600人の兄弟と倍近くの仲間にも言えることで、エースはあんな言葉ひとつで終わりにしようとしたことをすこしばかり後悔していた。今はもう普通の重症患者、程度まで回復したエースは、絶対安静の身ではあったがそれなりに正常で、だからエースが今一番気がかりなのはエースの隣で未だに目を覚ますことのないルフィの事である。文字通り栓になってエースの腹を塞いでいたらしいルフィは、親父が力づくで引き抜くまでエースから離れず、ようやく引き剥がしてみればルフィも十分重体だったと言う話だ。それはそうだろう、と、子供のころとほとんど変わらないルフィの寝顔を眺めながら、エースは唇を噛み絞める。難攻不落と言われたインぺルダウンに単身で乗り込み、さらには海軍の精鋭が集うマリンフォードにたどり着き、ジジイを殴ってエースに手を伸ばしたルフィが、生きていることさえ奇跡だった。「弟が最後までお前と一緒に握ってたもんだ」と、無造作に渡されたものがエースのビブルカードだと気付いた時、エースはアラバスタでルフィにそれを手渡した過去の自分を素でぶん殴りたくなった。来るに決まっている。ルフィはエースを、助けに来るに決まっている。来ないわけがなかった。エースには分からないエースの価値を、最初に見出したのはルフィだ。一緒に生きたサボは戦友で、頼られるだけの関係ではなかったから、「エースだけが頼りだ」と泣いたルフィとは違う。頼むよ、と、エースは白いシーツに零れるルフィのまっすぐな髪に手を伸ばした。相変わらずキシキシしている。ゴムだから。顔以外の全部がそっくりだ、とサボは笑ったが、エース自身はルフィとエースに似たところなど少しも見つけられなくて、少しばかり焦ったことを覚えている。エースはルフィの兄でいたかった。寝返りを打つこともできないのか、気味が悪いくらい寝ぞうのいいルフィは、今もエースの前で静かに呼吸している。早く起きろよ、と自分の事は棚に上げて、エースは呟いた。


真夜中のことだった。ふ、と気配を感じてエースが瞼を持ち上げると、薄く差し込む月の光の中に、起き上がるルフィの姿が見える。物も言わずにエースを眺めているルフィの目があんまり大きく開いているものだから、エースは少しばかり笑ってしまう。それからエースはゆるりと身体を起こして、ぎし、と寝かされていたベッドを降りて、すぐ横のルフィのベッドに乗り上げた。「よおルフィ」と、目の前で手を振ってやれば、「エ」と、大きなルフィの瞳孔がひゅっと縮んで、呼吸も忘れたように喘ぐので、「なんだよ、幽霊でも見たような顔して」とことさら軽くエースが笑うと、「エース」と嘘みたいに枯れた声でルフィは呟く。泣いても笑っても声のでかいルフィのそんな声を聞くのは初めてで、「どうした、ルフィ」と返すエースの声も僅かに滲んでいる。が、それに気づく余裕はルフィにもないようで、「だって、…あんなに血が出て、『無駄だ』ってエースが、そんで、」と切れ切れに、泣きそうな声で言う言葉全てがエースのせいだと思えばやっぱり過去の自分をぶん殴りたくて、どうしようもねえな、と思いつつ「お前みたいな弱虫の弟を残して死ねるか」と、エースは死に掛けたことなどなかったかのように堂々と宣言した。もう一度。大きなおおきなルフィの目から大粒の涙が堰を切ったように溢れて、ついでに鼻水も流れて、、「エ゛ース゛ッ゛!」と呼ぶ声はやっぱりかすれていたけれど、エースにしがみつくルフィは昔のままで、「痛ェよルフィ」 と言ったエースの声に咎める色はまるで含まれない。それよりもエースは、マリンフォードで出来なかっただけ、思い切り強くルフィを抱き返すことに専念していた。お互い痛みを感じにくい身体だと言うこともあって、それはお互い何本か(何本も)欠けてしまった肋骨を軋ませるほどだったが、いっそ折れてしまったっていいとエースは思う。生きているのだから。だって、生きているのだから。

月の綺麗な真夜中だった。




騒ぎを聞きつけた当直医と、不審番のマルコとサッチが駆け付けた頃には、エースとルフィは抱き合ったまま寝息を立てている。「ぶん殴りてえくらい安らかな寝顔だよい」と言ったマルコの言葉に、サッチは黙って頷いた。報告に走る当直医をよそに、面倒くさそうに新しいシーツを掛けてやるマルコを眺めながら、「妬けるんじゃねえの」と揶揄するでもなくサッチは言ったが、「しねえよい」とそっけなくマルコが返すので、「そっか」と薄くサッチは笑う。それでも、いつものようにエースの首筋に手を当てたマルコと、エースの手首を取ったサッチの考えることは同じなので、マルコが文句を言うことはなかった。明日からはきっと、エースも自力で食堂に顔を出すだろう。「だってブラコンだもんなコイツ」と呟いたサッチに、今度はマルコが無言で頷いた。力強かった。


( 腹に穴が開いたくらいでエースが死んでたまるか / エース / ONEPIECE )