笑 わ な い で よ エ ン タ ー テ ィ ナ ー


昼食にプリンが出た。エースはうまいものならなんでもすきだったし、白ひげ海賊団には菓子作りを専門にするコックもいるので(何とか言う名前が付いているがエースは覚えていない)、口に入るものが一品増えたことを素直に喜びながら手を合わせて、ほとんど一息でプリンを飲み込む。あまい。滴り落ちるカラメルを舌で受け止めて、あーこういうことしてると誰かに殴られそうな、とエースが思ったところで、ぱこんと後ろ頭を殴られて、カラメルが頬に飛んだ。「ガキみてえなことしてんじゃねえよい」と、些か呆れた色を滲ませながら言うマルコは、音も立てずに椅子を引いてエースの隣に座りこむ。とんとん、とマルコが自分の頬を指すので、「なんだよ」と言いながらエースがマルコの顔に手を伸ばそうとすると、「お前のだよい」とマルコはエースの手を掴んで180度方向転換させた。痛いって。いや痛くねえけど。ごしごしと頬を擦って、ついでに手の甲に付いたカラメルを舐めたエースは、席を立とうかどうしようかしばらく考えて、マルコが飯を食い終わるまで待つことにする。どちらにしてもそう大した時間ではない。かたん、と置かれたマルコの皿の間にもプリンが置かれていて、マルコとプリンが似合わなくて吹き出しそうになったエースは、慌てて水のグラスを呷った。マルコは穏やかな-というかあまり物事を気にしない-人間だが、エースがマルコをからかうことにはとてつもなく敏感である。別に悪い意味じゃねえんだけどな、とサッチのようなことを考えながら少しずつ水を飲むエースの横で、マルコは黙々とフォークを動かしている。特に会話もないテーブルは、ともすれば何の意味もないのだが、エースはマルコが並んで座ることに何の疑問も抱いていないし、マルコが一人で飯を食っていたらエースだって隣に座るに決まっているのだった。理由は良く分からないが。

エースが水を飲み終わって、タイミングを見計らったように置かれた紅茶-エースはどちらかと言えば紅茶派だ-を飲み終わって、周りにいた二番隊がエースの食器を下げて行ったころに、マルコはプリンに手を伸ばしている。肘をついて眺めていたエースに、「食いたいのか」とマルコが尋ねるので、「もう食った」とエースは返して、「マルコもプリン好きか?」と逆に問いかけた。も、という時点でエースがプリン好き、というのは決まっていて、マルコは僅かばかりプリンを運ぶ手を止めて何かを考えていたが、「嫌いじゃねえが、寒天の方が好きだよい」と言ってまたやわらかい頂点にスプーンを刺している。マルコは縦に削っていくんだな、とどうでもいいことを見てとったエースは、マルコが何か言ったことを思い出して、「寒天、好きなのか」と言った。頷いたマルコに、へええ、とエースが感心したように言うと、「プリンよりは、って話だよい」とどうにも照れたように顔をそむけるので、エースはすっかり楽しくなってしまった。何を食ってもうまいとか好きだとか言うエースと違って、酒以外でマルコが好きだというものをエースは知らなかったから、マルコにも好ききらいがあると知って俄然張り切ったのである。それがたとえ寒天であっても。がたがたと椅子を揺らしてテーブルから離れたエースは、楽しげに首を振って、「でも寒天とプリンて結構別物じゃねえか?ゼリーの方が似てるよなあ」とマルコに声をかけた。マルコはちらりとエースを一瞥して、「寒天とゼリーも別だよい」と返す。お、乗ってきた、と思ったエースが、それから純粋な疑問として、「固いかやわらかいかだけじゃなくて?」と尋ねれば、「寒天は海藻で、ゼリーは骨髄から取るゼラチンで作るよい」と、明確だがどうも聞きなれない単語がマルコから返って、エースはぐるりと首を傾げた。マルコが平然としているので、

「え、もっかい、骨髄?」

とエースが聞き返すと、「骨髄。実際は髄じゃなくても、皮膚でも腱でも作れるらしいが、俺は骨を煮出して作るところしか見た事ねえよい」と、頷きながらマルコは答えて、はあ、とエースは間の抜けた声を漏らす。「結構ワイルドなもんで作ってんだな」という感想を述べたエースに、「食う時キレイならいいよい」とマルコが言うので、「お前その顔で綺麗とかどうとか言うなよ」と、エースは真顔で漏らしてしまった。申し訳ないが似合わない。似合わないにも程がある。「悪かったな」と言ったマルコの顔がほんの少し色を変えているので、ああもしかしてこれは自分でもそう思ってるのか、と理解したエースは、それ以上触れずにマルコの手元に視線を落とした。「プリンは卵だなあ」と、当たり前のことを言ったエースに、「カラメルは砂糖だよい」とやはり当たり前のようにマルコが返して、「そうなのか」と知らなかったエースが声を上げれば「砂糖だよい」とマルコは繰り返す。プリンが卵で、カラメルが砂糖で、ゼリーが骨髄で、寒天が海藻で、そしてマルコは寒天が好きだと言った。
「寒天ねえ…」と、エースがしみじみ呟けば、「寒天だよい」と頷いたマルコは、澄ました顔でプリンを掬っている。結局のところ、マルコだってプリンに文句があるわけではないのだった。いつもどおりの眠そうな表情でプリンを口に運ぶマルコを眺めながら、エースはもう一度ふうん、と頷いて、空になったマルコの食器を纏める。片づけるのは1番隊の隊員に任せて、ぐう、と伸びをしたエースは、最後の一口を飲み込んだマルコに促されて食堂を後にした。

午後早く、モビー・ディックの後甲板では、2番隊の隊員たちが賑やかに漁をしている。最初は釣竿を使っていたはずだが、途中で面倒になって誰かが投網を持ち出してきたらしい。そこにぶらぶらとやってきたのがエースだった。「やってるな」と笑ったエースを振り返って、「隊長も引いて下さいよ!」と言う2番隊の網には、どうも小型の海王類がかかったようである。「任せとけ」と、手すりに飛び乗ったエースは、そこにいた隊員に代わって網に結び付けた綱をぐい、と引いた。「このまま焼いたら今日の晩飯だな」と呟いたら、「下拵えしてからにしてください」と隣にいた2番隊がぴしゃりとはねのける。「つまんねえこと言うなよ」と、言いながら掛け声に合わせて綱を巻き上げたエースの前、つまり後甲板の手すりの上にはびちびち跳ねる海王類が横たわっていて、「捌くのはサッチに任せりゃいいか」と、かいてもいない汗を拭うようにしながらエースは満足気だ。暇も潰れて、食料も増えるなら結構なことだろう。それから、エースは本来の目的を果たすために、倉庫から引きずってきたストライカーをばしゃりと水面に投げ落とした。「どこか行くんですか?」と尋ねた2番隊は、両手に跳ねる魚を握っていて、「ちょっと別船までな」と、エースは十分な距離を保って並走する3艘の船を指す。4〜16番隊までが分乗する船である。2番隊が、「何かありましたか?俺らも付いてった方がいいですか」と言って魚を放り投げようとするので、エースは「大したことじゃねえから気にするな」とそれを押し留めて、「晩飯までには戻るから、他の隊には内緒な!」と告げてストライカーに飛び乗った。実のところ、たかだが数百メートルしかない距離をエースの身一つで移動するなら、ストライカーは必要ないのである。が、今日は少しばかり目的と目論見があるので、エース以外の荷物が増えてもいいようにストライカーを用意していた。白ひげ海賊団の、モビー・ディック以外の船に、決まった名前は着いていない。それはただ大きさと、形と、それからマストの本数で見分けられていて、エースが目指すのは2番目に大きな船だった。今その船には、5番隊と6番隊と、16番隊が乗り込んでいる。

エースがストライカーを船に着けた途端、船べりからビスタが顔を出した。「やあエース、手を貸そうか」と相変わらず紳士的なビスタに、「ようビスタ、じゃあ縄を掴んでくれ」と、エースはストライカーに括りつけた縄を放りあげて、ビスタがそれを掴むか掴まないかの間に炎に変わって船に降りる。足元から人に戻ったエースの顔を見下ろして、手すりに綱を結びつけながら、「どうした、とうとうモビーから追い出されたかな?」とビスタが悪戯っぽく尋ねるので、「そうなんだ、海王類を引き上げた分だけ目方が増えたから、大食らいは降りてろってさ」と、ビスタがモビー・ディックを見ていたことを知っているエースは、ことさら沈痛な表情を装って返した。「そりゃ大変だな」とビスタは大きく笑って、エースも一緒に笑ったところで、「それで、何の用だ」とビスタが切り出すので、「イゾウ呼んでくれねーかな」とエースは言う。わかった、と頷いたビスタは、「中で話すか?」と船室を指したが、「そう大した話じゃねえんだ」とエースは首を振って、大股で歩くビスタを見送った。エース一人がいなくなったところで、モビー・ディックの警備にそう大した支障が出るわけでもないが、モビーの後甲板では2番隊がエースを待っているので、長居をする気はない。

やがて訪れたイゾウは、いつも通りきっちりと襟を正した和服姿で、一筋の乱れもない髷を結っている。「久しぶりだな、イゾウ」と手を振ったエースに、ひらひらと手を振り返してくれたイゾウは、「珍しいなエース、何かあったか」と言って、手すりに凭れるエースの隣に並んだ。イゾウを連れてきてくれたビスタは、少し離れたところに置かれた椅子に腰かけて、ふたりを優雅に眺めている。「いや、何もねえんだけど聞きたいことがあってよ」と言ったエースは、くるりとイゾウを仰いで、「この船、寒天積んでるか?」と尋ねた。この船、というのは今のっている船もそうだが、モビー・ディック以下3艘の船全てを含めて、の話である。なぜイゾウに尋ねるかと言えば、16番隊が殿と食糧管理をメインで行う隊だからだ。補給はそれぞれの船が行うが、航海が長引いたり、毎回島に降りたりするたびに帳簿とにらめっこしているのは16番隊である。とはいえ、「寒天…?そりゃいくらかは積んでると思うが、正確な量は調べねえとわからねえな。必要なのかい」と首を傾げたイゾウの言葉ももっともで、すぐわかるとは思っていなかったエースは、「ん、必要って言うかな」と言ってすう、と目を細めた。それから、「ちょっと耳貸してくれ」と言ったエースの口にイゾウが耳を寄せると、「マルコが寒天好きだって言ったから、−−−−してやろうかと」とエースは言う。前の言葉にも驚いたが、後の言葉にもそれなりに驚いたイゾウが、「お前そりゃあ、お前の独断でするつもりかい」と尋ねれば、「親父は巻き込もうと思ってる」とエースはにやりと笑う。そりゃあ安心だ、と、親父がエースに-というか息子全般に-甘いことを知っているイゾウも共犯者めいた笑いを落とした

「まあ、でもそれで次の補給までは待ってもらうことが決まったぜ」とイゾウは言って、「4隻全部の備蓄を合わせても、それだけの寒天は積んでねえことは確かだ」と噛んで含めるようにエースに告げる。まそりゃそうだろうな、と分かっていたエースも軽く頷いて、「2番隊は船番に当たってるから積み込みに問題はねえんだけど、どうやって買いに行こうかな」と独り言のように漏らしたところで、「それは5番隊が行ってやろう」と、少し離れたところにいた筈のビスタが不意に顔と口を出した。うお、と驚いたのはエースばかりで、イゾウは平然とした顔で「そりゃいい」と頷いている。「いいのか?」と尋ねたエースに、「お前がマルコとサッチに頼らないのは珍しいからな」とビスタは答えて、「本当にな」とイゾウも苦笑している。「マルコに言ったら台無しだし、サッチに言っても結局マルコに伝わっちまう気がするんだよな」と、普段頼っていることを否定しないエースが子供のような顔で笑って、「じゃあアトモスから金引き出してくるから、ちょっと待っててくれよな」と手を振ろうとするので、「何の話だよ」とイゾウはエースの手を掴んで引き留めた。「ん、寒天代」と当然のような顔をしてエースが言うので、イゾウはエースの手を掴んだままビスタと顔を見合わせる。ふたりの顔があんまり渋いので、あとはサッチとマルコの表情にあんまり似ているので、「…後払いでいいか?」と恐る恐るエースが切り出せば、「エース」と疲れたような声でビスタがエースを呼んだ。「はい」と、思わずエースがきちんと返事すると、「お前、それだけの寒天を別にマルコだけに食わせるわけじゃねえだろ」とイゾウが続ける。そりゃあそうである。マルコに3人分くらいと、見て驚いてもらったあとは、隊員と、隊長と、もちろん親父にだって食べてもらいたい。「じゃあやっぱ3つ分くらい作った方がいいかな」味を変えて、と違うことを考え始めたエースに、「エース」と今度はイゾウが声をかけて、エースはまた「はい」と返事をした。皆がこういう声を出すときは逆らわない方がいいと思う。怖いし。ただし何が悪いのかわからないエースは、おとなしく次の言葉を待っている。わからないことを見てとったらしいイゾウとビスタはもう一度顔を見合わせて、「金はいいんだ」とビスタが言った。「え、」と声を上げかけたエースを2人分の視線が刺して、「寒天なんてな、大量に買ったってたいした値段じゃねえんだよ」とイゾウが言う。「それに、皆で食べる物なら食費から出るんだ」とビスタも言って、でも、と言いかけたエースの口を塞いだ。抗議は伝わりそうになかったので、「いいのか?」と小さな声でエースが尋ねれば、「ちゃんと親父殿の許可は取るんだぞ」とだけ言って、ビスタもイゾウも笑っている。それが、少しばかり困ったような、仕方のないようなものを見る目だったので、エースは何を言っていいかわからなくてがりがりと頭を掻いた。ありがとう、とエースがぽつりと漏らしたら、ビスタとイゾウはかわるがわるエースの背中を叩く。それがあんまり優しいので、これはもしかしてあいつらが頭をなでるのとおんなじことなのか、とエースは思った。

高かった陽がゆっくりと傾き始めるころ、結局船室で隊長とコックとを巻き込んで必要な寒天の量と金額と、調理法と調理場所と決行日を決めたエースは、「じゃあ、その時はお前らにもちゃんと持ってくるからな」と大きく笑ってストライカーに降りていく。手すりに結び付けられた縄は、イゾウが解いて投げ落としてくれた。「サンキュ!」と怒鳴って手を振ったエースに、イゾウとビスタもゆるく手を振っている。数百メートルの距離を見送るイゾウは、隣に立つビスタをちらりと見上げて、「お前も甘ェねえ、エースに」と自分の事を棚に上げて言った。ビスタはたいして悪びれもせずに、「滅多にないことだろう、エースが俺たちに甘えるなんて」と返すので、「まあな」とイゾウも手すりに肘をついて、「あいつの頼みごとなんて幾らでも聞いてやりてえよ」としみじみ呟いた。エースが帰りついたモビー・ディックの後甲板には、マルコとサッチが立っている。声は聞こえないが、エースが何事かふたりに伝えて、三人でこちらを振り返るので、ビスタとイゾウはにやりと笑って手を振ってやった。にこやかに手を振るエースとは対照的に、面白くなさそうな顔をしているマルコとサッチが面白かった。  

さて、サッチとマルコに迎えられたエースは、「ただいま」とだけ告げてストライカーを引き上げている。マルコは黙ってそれを手伝っているが、サッチは咎めるような声で「エース」と声をかけた。「ん?」と振り返ったエースに、「お前ね、船を開けるときは何か言ってくもんだろ」と言ったサッチの口調はたいして強いものではなかったが、珍しく眉間にしわが寄っているので、「ごめんなさい」とエースは素直に頭を下げる。「別に謝らなくてもいいんだけどよ、…何か用があったのか?」と探るような声でサッチが尋ねるので、「イゾウにちょっとな」とエースは言って、それ以上は何も答えずにストライカーを運んでいく。「おい」とエースの背中に声をかけたサッチの肩に手を掛けて、「帰ってきたなら良いよい」とマルコは首を振った。「お前はエースに対するハードルが低すぎるんだよ」と疲れたように肩を落としたサッチは、「エースがいないような気がする」と言うマルコに付きあって船内をくまなく捜索した後である。エースのストライカーがないことに気づいて、それから周辺の海を見まわして第2席の船の傍らに揺れるストライカーを見つけるまでのマルコの顔があまりにも真剣だったことを知っているサッチは、「まあお前がそれでいいならいいよ」と無理やり笑って蹴りをつけた。実際、エースがいなくなったかもしれないと思って焦ったのはサッチも同じだったので、マルコの事ばかり責めるわけにもいかない。エースはともかく、イゾウとビスタには今度詳しく話を聞こう、と思うあたり、サッチも相当エースに甘いのだった。

ストライカーを船倉の元の位置に戻したエースは、その足で親父の部屋に向かう。ぐるりと周って見た前甲板と食堂にはその姿がなかったから、あとは居室か風呂だろう、とあたりをつけたエースの予想-とも言えないが-通り、どんどん、と強めに叩いた親父の部屋の中からは「開いてるぞ」という親父の声が聞こえて、エースは「失礼シマス」と一礼してから大きな扉をくくった。親父の部屋はかなり広かったが、それでもさらに大きな親父のベッドに半分がた占領されている。そのベッドに半分寝転がるような形で腰を下ろす親父は、扉をきちんと閉めて入ってきたエースを見て大きく破顔した。「おうエース、今日もいい追い風か?」と船乗りの言葉を使う親父に、「お陰さまで」と答えたエースは、手招きする親父に従って大きなベッドに乗り上げる。固いマットは、それでもスプリングが利いていて、エースは軽く弾みそうになった。おおっと、と体制を整えるエースを眺めながら、「午後はどこにいたんだ?マルコが血相変えてお前を探してたぞ」と親父は言う。「えっそんなにか?」と目を見開いたエースに、「まあそれはいい」と親父が返すので、「午後はイゾウとビスタに会いに行ってた」とエースは言った。「珍しいな」と親父が目を細めるので、「ちょっと頼みがあってさ、それで、親父にも許可取りに来たんだ」と端的にエースは告げる。「言ってみろ」と親父が片肘をついて起き上がったので、エースは「これマルコとサッチには内緒な」と前置いて、ベッドに立って背伸びして親父の耳元に口を寄せて、「次の島で寒天仕入れたら、モビーの---寒天作っていいか?」と尋ねた。親父は一瞬目を丸くして、「なんでまた」と言ったが、「今日聞いたんだけど、マルコが寒天好きだって言うからさ」と返したエースの顔があんまり生真面目なので、また一瞬間を空けた後にグララララ、と大声で笑って、「そりゃあいいな」と伸びあがったエースの背を引き寄せる。「いいのか?」と、賛同してもらったエースは嬉しそうに親父の肩に手を置いて、「ああ、好きに使え。ちゃんと掃除はしろよ」と言った親父に「おう!」と二つ返事で答えた。エースがあんまり嬉しそうなので、「お前も寒天は好きか?」と親父が尋ねると、「あんまり意識して食べたことがないからわかんねえ」と正直な感想が返って、親父はますます笑みを深くした。隊長同士、つまりは船員同士、ひいては兄弟同士、仲が良いに超したことはない。ばしばし、と景気付けにエースの背中を軽く叩いて(エースはそれでも吹き飛ばされそうだったが)、「しっかりやれよ」と親父は言った。エースは力強く頷いて、少しばかりふらつきながら大きなベッドを降りて、重い扉を開いて、またきちんと閉めて出て行く。かたん、と重量の割に軽い音を立ててしまった扉を眺めながら、「寒天が好きだ」とエースに言ったマルコの顔を想像して、もう少しばかり親父は笑った。さぞかし気の抜けた顔をしていたことだろう。

イゾウとビスタの協力を得て、親父の許可も取ったエースは、ほくほくしながら次は2番隊の固まりを探しに行った。午後いっぱい釣りをしていたなら、潮風に吹かれてそれこそ風呂場にいるんじゃねえかな、と思うエースは、どちらにしてもエース自身もひとっ風呂浴びたかったので、一度部屋に帰ることにする。タオルと下着と、あとは誰か中にいる奴らに借りればいいだろう。すたすた歩いて、何も無いエースの部屋の扉を開いたエースは、何も無くて誰もいないはずの暗い部屋のベッドに誰かが腰掛けているので、僅かばかり飛び上がりそうになった。が、よくよく眺めてみればそれはいつも通り仏頂面をしたマルコだったので、「脅かすなよ」と言いながら、エースもマルコの隣にぼすんと腰を下ろす。風呂の事はちらりと頭を掠めないこともなかったが、エースと2番隊とはいつでも会えるので、今は気にしないことにした。しばらく黙って座っていたら、不意にマルコが「はああ」と大きくため息をついてエースのベッドに寝転がるので、「なんだよ」と言ってエースも隣にダイブする。横になったマルコは片腕で顔を覆っていて、エースに見えるのは口元だけだった。マルコが煮え切らないのはいつもの事なので、たいして気に留めずに、マルコが何も言わないなら一緒に寝ようか、とエースは思う。夕食の時間が終わるまでにはまだだいぶ時間があることだし、エースが眠り込んだとしても、たぶんマルコが起こしてくれるだろう。長いこと潮風にあたって、さらに珍しく頭を使ったエースは(500L分の寒天を作るにはどれだけの棒寒天が必要になるか、とか)(ちなみに5キロ分くらいは必要になるらしい)(ためしに見せてもらった棒寒天は一本12gだと言っていたから、相当嵩張る筈だ)、いつも通りいますぐにでも寝入る自信があって、さらにエースの隣にはマルコがいて、エースにとってこれ以上安心できる場所はないのだった。

というわけでエースが少しばかりうとうとしかけたところで、「寝るなよい」とこれ以上ないほど的確な声でマルコは言って、エースはぱっと目を開く。開いたエースの視線の先で、片腕を外したマルコの目はどことなく不機嫌そうにエースを眺めている。「寝るなよい」ともう一度繰り返したマルコに、「マルコが言うなら寝ねえ」とエースは答えて、その言葉が正しいことを証明するために弾みをつけて起き上がった。それから、「寝ねえけど、マルコが何も言わねえなら俺は風呂に行くぞ」と、寝転がったままのマルコにエースは告げる。何しろマルコの隣はとても居心地がいいので、会話か食事か酒がなければエースはいつだって眠ってしまいそうなのだった。するとマルコはエースの右腕を掴んで、「今日は、イゾウとビスタと何を話してたんだよい」と静かな声で尋ねるので、「食料品の備蓄量と、それから不足分の補給方法について話してた」と答えるエースの言葉に、確かに嘘はない。もちろんそんなことで誤魔化されてはくれないマルコは、エースの腕を掴んだまま、「俺やサッチには言えないことかい」と、やはりとてつもなく穏やかな声で尋ねるので、「その時がきたら一番に見せるよ」とエースは言った。マルコはかなり長いことエースを眺めていたが、エースもマルコから視線を外すことはなかったので、やがてマルコは「そうかい」と言葉を区切って、先ほどのエースと同じように腹筋を使って上体を起こしている。何の余韻もなく離されたエースの腕にはマルコの痕跡が欠片も残っていなくて、ちらりと一瞥したエースの視線には構うことなく、マルコはすたすたと狭くて暗くて空っぽなエースの部屋を横切って行った。マルコ、と声をかけ損ねたエースに、「エース」と逆にマルコが名前を呼んで、「なんだ」と答えたエースの声は半分上擦っている。「次に別の船に行く時は、ストライカーじゃなくて俺に声をかけろよい」とマルコは言って、「それは、」と言いかけたエースの言葉を遮るように「送り迎えだけして、お前らの話は聞かねえから安心しろい」と背中越しに続けて、エースの返事を待たずにすたすたとエースの部屋を出て行った。そのまま向かいのマルコの部屋の扉が開いて、閉じて、それから扉に鍵がかかる小さな音まで聞こえたところで、エースはようやくぱちりと瞬くことができる。さっきまでマルコがいたベッドは、もともと狭いのにびっくりするくらい広く見えて、エースはほとんど体温の残らないシーツをさらりと撫でた。「風呂、行くか」と呟いたエースの声が、何も無い部屋の中で思いのほか反響した。

さて、次の上陸の朝である。マルコとサッチにだけは告げないエースの計画は、いつの間にか他の14隊全てに広がっていて、11番隊などは2番隊の代わりに船番を買って出てくれたのだが、そこは2番隊が残っていないと意味がないのでエースは丁重に断っておいた。随分大がかりなことになってきたな、と思わないこともないが、親父を巻き込んだ時点でそうなることは目に見えていたので、エースは首を振って諦める。モビー・ディック以下4隻全てが港に着いたところで、意味ありげに手を振って去っていくビスタに苦笑しながら、エースを含めた2番隊の半数はこれから必死に風呂掃除をするのである。サッチなどはしつこくエースを問い詰めたけれど、マルコはあれきりエースが何をしても気に留めることなく、今日も渋るサッチを引きずるように早めにタラップを降りて行った。ありがたい話である。結局あれからエースが別の船に降りることはなくて、したがってマルコに送迎を頼むこともなかったのだけれど、一度くらいは不死鳥の背に乗せてもらっても良かったかもしれない、とエースは少しばかり惜しくなった。でもまあそれはいつか、と、大きく伸びをしたエースはがらんとした甲板から階段を下って、薄暗い風呂場にたどり着く。既にブラシを抱えた2番隊が何人も出入りしていて、エースも張り切って歩を進めて、しかし浴槽にすら行き着く前にくらりと膝をついてしまった。足元に流れている水が良くないらしい。というかこれは、「…なんでせっかく川のそばに着けてもらったのに海水で掃除してんだ…」と力なくエースが呟けば、「まずは海水で十分だって、ジョズ隊長が言ってたんで」と、エースの両脇を抱えてずるずると引きずりながら2番隊が答える。ぽい、と無造作に風呂場から投げ出したエースにタオルをかぶせた2番隊は、「ここはもういいですから、隊長は見張りをお願いします」と言って踵を返した。確かに、能力者のエースはたとえ真水を使ったとしてもあまり役に立たないのが目に見えている。が、しかしそこは、隊長を立ててどうにかしてくれるのが隊員の役目ではないだろうか。が、どんなに言い募ったところで「違います」と素気無く返されるのが落ちなので、エースはタオルでごしごし足を擦って、半分むくれながら下ったばかりの階段を上って、前甲板からさらにシュラウドを上って見張り台に落ち着いた。島を吹き抜ける風がばたばたとからざおに立てた旗を揺らして、畳まれた帆を少しばかり膨らませている。気持ちのいい島だった。

次にエースが気づいたのは、結局ビスタが率いる5番隊と一緒に寒天を買いに行ってくれたイゾウに緩く髪を引かれた時である。「わかりにくい場所で寝るもんじゃないよ」とイゾウに優しく諭されて、「面目ない」と目を擦ったエースに、「で、買ってきたよ」とイゾウが甲板を指すので、「おっ」とエースは声を上げて見張り台の縁から顔を出した。前甲板の真ん中には、山のように白いものが積まれていて、「あれが寒天」と尋ねるでもなく言ったエースに、「そうだよ」とイゾウは律儀に返して、「ここから忙しいんだ、お前も働けよ」と笑って一息に見張り台から飛び降りていくので、エースも慌てて後を追う。これから溶かしやすいように5キロ分の寒天をちぎって、とろ火で溶かして、味と色をつけて夜までに冷まして固めなくてはならない。「火はお前に任せたからな」と笑ったのはイゾウとビスタだけではなくて、4番隊と1番隊以外のほとんどの隊長が帰ってきてくれたらしい。「ありがとな」とエースが大きく笑うと、皆一瞬手を止めて、「それは全部上手くいってから言えよ」とジョズが言った。もっともな話である。隊長が14人、車座になって寒天をちぎる姿は、ある意味壮観だった。

マルコとサッチは日暮れ過ぎに船へ帰ってきた。宿泊施設の少ない島で、白ひげ海賊団がそれを占拠するのは忍びない、というもっともらしい建前をつけて、親父が全員船へ帰るように促していたので、マルコとサッチだけではなくぞくぞくと隊員が帰船して、既に隊長がほぼそろっている姿を見てびくりと背を震わせている。その中に、エースの姿がないことを見てとって、マルコは僅かに顔色を変えた。それは本当に微かな変化だったから、気付いたのはサッチばかりで、ただしサッチもエースを探していたのでマルコに構っている場合ではない。また船内の捜索か、と気をもみかけたサッチの前に、とんとんと階段を上ってひょいと船室から顔を出したエースの後頭部が映って、ほっと息を吐いた。エースはサッチやマルコに気づくことなくイゾウの傍に駆け寄って、何事か報告してるようである。「あいつら最近仲いいな」と呟いたサッチの声が少しばかり苛立っていることに気づくのはやはりマルコばかりなのだが、マルコもまたさらに眉間にしわを寄せて、サッチに答えるどころではなかった。けれども、近寄りかけたマルコの前でイゾウがエースを突いて、振り返ったエースはマルコを認めてぱっと顔を明るくして、「おかえりマルコ!…とサッチ」と叫ぶ。すっかり毒気を抜かれて「…ただいま」と返したマルコと、「俺はついでかよ」と苦笑したサッチは、近づいてくるエースの顔が随分上気していることに気づいた。「お前、炎に変わってたのかい」と汗ばんだエースの髪に手を突っ込むマルコに、「まあな、それより見せたいものがあるんだ」と、エースはなんだかとても楽しそうな顔でマルコの手を引く。気がつけば周りの隊長と、それから隊員もやたらとにやにやしながらエースとマルコを眺めていて、蚊帳の外に置かれていたのに当事者にもなれないらしいサッチは、仕方がない、と言う風に溜息をついて、エースに手をひかれて歩いていくマルコの背中に手を振った。「お前さんは行かないのか」とわかっていて尋ねる8番隊の頭を押して、「馬に蹴られたくはねえよ」とサッチは笑う。それは1番隊隊長と2番隊隊中にかけるにはおかしな表現だったが、あながち間違いでもないような気がした。

上機嫌で船室に入るエースの横顔を眺めながら、「どこに行くんだよい」と尋ねたマルコに、「風呂場」とだけエースは短く答えて、「後は行けばわかるよ」と言うエースの足取りは軽い。何かを秘密にしている、と言うことを隠しもせずに、しかし何を隠しているかは一切洩らさなかったエースをマルコはわりと見直していて、だから1番に見せる、と言ったエースの言葉を疑うこともなかった。が、階段をぐるぐる下って、入り組んだ廊下を抜けて、ようやくたどり着いた風呂場でそれを見たときのマルコの衝撃は、言葉で言い表せるものではない。

「なんだこりゃ」
「何って、寒天」

間の抜けた声を上げたマルコに、それ以外の何に見える、という口調で返したエースの言葉通り、それは寒天だった。ただし浴槽一杯の、である。20人は楽に浸かれる大浴場一杯に張られた真っ赤な寒天はどう見ても寒天だったが、どう考えても寒天以外の何かである方が自然で、マルコは少しばかり頭を抱えた。それでは、エースが半月ばかり秘密にしてきた計画と言うのはこれだったのだろうか。バケツプリンやフライパン一杯のホットケーキと方向性は同じだが、スケールが大きすぎる。「そもそもどうして寒天だよい」と頭痛をこらえながらマルコが漏らせば、「マルコが好きだって言ったから」と当たり前のようにエースは言って、マルコはしばらく固まってしまった。マルコは確かにそれなりに、ではなく割と積極的に寒天が好きで、プリンを食べた日にエースにそれを告げたことも覚えていたが、それでも、それだけでエースがこんなことをするとはこれっぽっちも考えていなかったので、エースが「嬉しくないか?」と尋ねた時も、「いや嬉しいよい」と脊髄反射で返すことしかできない。あんまりストレートな言葉にエースの方が驚いていることにも気付かないまま、マルコは寒天を眺めている。やがて「マルコ」とエースがマルコの袖を引いて、ようやく我に帰ったマルコがエースに向き直ると、「はい」と小さなスプーンが手渡された。「好きなだけ、食っていいぞ」と言ったエースの目が真剣なので、マルコも真剣に寒天に向き直って、どこにも傷がない滑らかな表面にざくり、とスプーンをめり込ませる。ゼリーよりは固い触感に、マルコはふ、と笑いを零して、エースが固唾をのんで見守る中、するりと一口、野苺色の寒天を飲み込んだ。「うまいよい」と言ったマルコの言葉に、溜めていた息を吐きだして、「そりゃ良かった」とエースは笑う。それだけで終わっていいらしいエースに、マルコはスプーンを持たない方の腕を伸ばして、がしがしと頭を撫でた。それから、「ありがとよい」とそれはそれは大事なものを渡すような響きでマルコは告げて、エースがその音を理解する前に立ち上がる。「もう食わねえのか」と言ったエースに、「俺一人で食っても仕方ねえから、さっさと切り分けるよい」と返せば、「おう」と答えたエースはまたぱっと顔を明るくして、もう用意してあったらしい1600人分の器とスプーンを示した。その口に一匙分の寒天を突っ込んで、ともかくゼリーが好きだと言わなくて良かった、とマルコは思う。寒天はともかく、骨髄が浮かんだ風呂に浸かるのはあまり気分が良くない気がした。

500L分の寒天は、1602人分と、親父用に大きく切り分けた分でちょうどお終いになった。

( 風呂に寒天張る話 / エースとマルコと隊長たち / ONEPIECE )