世 を 生 業 に


朝焼けが終わる瞬間だった。金と赤に染まる海を抜けて、モビー・ディックの帆も鮮やかな色に染まっている。赤色、朱色、ばら色、紅、泡立つ波の間で朝日が揺れていた。夜中にぎやかだった甲板も、この時間にはすっかり人気がなくなる。食堂が開くからだった。見張りを買って出ていたマルコは、メインマストの上に作られた見張り台で、とめどなく反射する海の色をひとりで眺めている。マルコは、昔から見張りがすきだった。闇を切り裂くように進む船の針路を、霧に包まれた真っ白な視界を、遠く霞む灯台の灯を、動く月を、流れる星を、そして臨む新しい島を、一段高い場所から眺め続ける権利をマルコが得られるのである翼を持つマルコにとって、見張り台の高さなどそう大したものでもなかったが、それでもここはモビー・ディックの中で一番太陽に近い場所だった。顔を出した太陽に目を細めて、マルコは小さく欠伸を漏らす。色を変える空はもうじき落ち付いて、やがていつもどおりの青い色が海一面を覆うだろう。マルコが独占していた世界は、もうすぐお終いだった。眠りから覚めた隊員や、食事を終えた1番隊が帰ってくれば、またいつものようににぎやかな喧騒がモビー・ディックを包むのだろう。

それはそれで嫌いではないマルコが、見張り台の中で背筋を伸ばしていると、不意に、丸く囲われた見張り台の縁から誰かの手が伸びた。まずは片腕、続いてもう一本、そうしてマルコの前に現れたのは、妙に不機嫌な顔をしたエースだった。寝付きも寝起きもいいはずのエースが朝から仏頂面をしているのは珍しい、と思ったマルコが、「よう」と声をかけると、「はよ」と言ったエースはゆっくり体を引き上げて、マルコが座る見張り台に滑るこむ。モビー・ディックの見張り台は、船体に見合うだけの大きさではあるが、それでも大人がふたり、ゆったり座ると言うわけにはいかない。向かい合うようにして脚を伸ばすのが一番良いのだが、エースはすたすた歩いて、マストに背を預けていたマルコの後ろに回り込んだ。正確には、エースはマストとマルコの間に身体をねじ込んで、ぺたりとマルコに身体を預けている。後ろから抱え込まれるような形になったマルコは、ゆるく首を傾げて、「エース」と名前を呼ぶ。「ん」と気の無い返事をしたエースに、「なんだよい?」と尋ねたマルコには「なんでもねえよ」と返して、それでもエースはマルコの背中から離れない。寒いのか?と思ったが、背中越しに伝わる体温は正常だ。むしろいつも以上に、熱い。マルコの胸の親父と、エースの背中の親父を想像して、マルコはなんだかたのしくなった。エースとマルコが、親父に挟まれているようである。

マルコは、そのまましばらく見張りを続けていた。誰がいてもいなくても、マルコの仕事は海と空を眺めることである。ログポースを見ている人間は他にいるので、異常がない限りマルコがモビー・ディックの進路を決めることはない。それが良かった。マルコが決定することは何もない、することは見守ることと、護ることだった。背後にエースがいても、いなくても。

「エース」と、マルコがもう一度エースの名を呼ぶと、返事の代わりにエースはマルコの腹に手をまわした。そのまま、マルコの肩にエースが顔を押し付けるので、ゆるく羽織ったシャツの隙間からエースの髪がこぼれて、くすぐったかったマルコは軽く笑いをこらえる。しがみつくエースと、しがみつかれたマルコが座るマストの下で、真っ白な帆が大きくはためいた。水平線からすっかり顔を出した太陽は、マルコとエースを淡く染めて、どんどん遠ざかっていく。エースは動かない。背中にエースを纏わりつかせたマルコは、太陽に目を細めながら、もう一度あくびを噛み殺す。目を覚まして登ってきたエースはともかく、一晩中海を眺めていたマルコはそろそろ眠いのだった。できれば寝床で眠りたいが、実のところ地面さえあれば文句はないマルコの瞼は(その習慣はエースに引き継がれている)、張り付いたエースの体温も加味してどんどん重くなっていく。様子のおかしいエースのことは気になるが、聞いても答えないのなら仕方がない、と結論付けたマルコは、エースを枕に目を閉じることにした。見張りは、エースと交代したということにして。力を抜いたマルコの体を、エースはまた強く抱きなおしたようだったが、眠りに引きずり込まれかけていたマルコにはうまく伝わらなかった。


しがみついていたマルコの呼吸がおかしいことに気づいて、エースは重い頭を持ち上げた。妙に規則正しく上下する胸に、エースが肩越しにマルコの様子を伺うと、マルコはしっかり目を閉じて眠り込んでいる。軽く肩をゆすったエースの上でマルコの首が仰け反りそうになるので、エースは慌てて姿勢を変えてマルコを抱き止めた。位置が変わっても、マルコは気付くこともなく寝息を立てている。マルコの呼吸と心音を感じながら、エースは先ほどまでの苛立ちがすっかり治まっていることに気が付いた。

目が覚めた瞬間から、エースはマルコに会いたかったのだ。思うだけでなく行動に移すエースは、ベッドを下りて、マルコの部屋を扉を叩いて、返事がないのでそっと開いて誰もいなくて、1番隊が夜番だったことを思い出す。だから、会えないのだ。それからエースは食堂を探して、雑魚寝部屋を荒らして、風呂場を覗いて、親父の部屋の前を通り過ぎて、甲板に出て、朝焼けに染まるメインマストを見上げたところで、ようやく探していたマルコの横顔に突き当たった。大きく手を振ろうとしたエースは、マルコの視線が遠く、朝陽だけを捕えていることに気付いて、上げかけた手を降ろす。嫌な気分だった。マルコが昇る陽を眺めているのはいつものことで、エースが声をかけるのだっていつものことである。だというのに、マルコがマストの上にいるだけで、手も声も届かないような気がするのが不思議だった。もうじき見張りを終えて降りてくるだろうマルコに手を振るのをやめて、エースの方がマストを登ったのは、本島に届かないことを想像したくないからだ。手を振って、声をかけて、それでもエースを振りかえらないマルコを想ったエースは、マストを登りながら眉間に皺を寄せる。登り切って見上げたマルコの顔があまりにも普段通りなことにも、エースは腹が立った。腹が立つ理由がわからなくて、あんなに会いたかったマルコの顔を見ていられなくて、エースはマルコの後ろに無理やり身体をねじ込む。対して抵抗もせずにエースに身体を預けたマルコを抱きこんで、エースはようやく息を吐いた。夜中空と海を眺めていたマルコの身体はひんやりしていて、寝床から這い出たばかりの-歩き回った分かもしれないが-エースの体温がゆるやかに移行していく。何度か名前を呼ばれて、エースが力を抜くと、マルコがかすかに笑ったような気がした。

まともに太陽を顔に浴びているマルコの目元を掌で覆って、エースは静かに足を投げ出した。目を覚ましているマルコに会えて良かった、とエースは思う。朝陽に目を奪われるマルコに声をかけていたらこの時間は無かったのだろうと思えば、エースはもう平気だった。本当ならば、エースは今すぐにマルコを揺り起こして、正式に見張りを変わって、食堂か浴場か寝床に行くマルコを見送るべきなのだろう。けれども、腕にかかる重みを手離したくないエースは、マルコの眠りをより深いものにしておきたかった。固い胸で悪い、と唇だけで呟いたエースは、そっとマルコの胸に走る親父の印をなぞる。エースとマルコが、同じ方向を向いている証は、エースの指の下でたしかにその存在を主張していた。
限りなく近い太陽が眩しくてたまらなかった。

( だいたいいつもこんな感じ / マルコとエース / ONEPIECE )