あ と は 血 と な れ 肉 と な れ



順風満帆、空は快晴。3月も終わりに近づいた、穏やかな午後である。年度末、という概念が海賊船にあるかどうかは知らないが、ともかく白ひげ海賊団では朝から大掃除が決行されていた。外甲板から船室、食堂、浴場、船倉まで、ひしめきあった団員が埃にまみれている。それは各隊の隊長も例外ではない。共同施設の清掃を免除されても、個室を与えられている彼らは狭い部屋に詰め込まれた一年の煤を落とさなければならないのだった。一見片付いているように見えるマルコの部屋は、確かに整頓されているのだが、「要るもの」と「要らないもの」の区別なく全てが押し込まれているので、毎年その分別から始まる。手を貸そうとする隊員は少なくないのだが、いかんせん「要るもの」と「要らないもの」の境界がマルコにしか分からないので、結局マルコひとりで作業する方が早いのだった。

とはいえ、みっしり詰まった物に囲まれて息が詰りそうだったマルコは、ビニールひもを借りに来たサッチを捕まえて相手をさせている。借りに来たビニールひもでマルコの古本を括ることになったサッチは、「なあ俺なんでこんなことしてんだ?」とマルコに尋ねたが、壁一面の棚から雪崩をおこした荷物を拾い集めるマルコは「いいから黙って手を動かすか、俺にとって楽しい話をしろよい」とサッチの疑問を切り捨てた。マルコの部屋ほど雑然とはしていなくても、不用品をまとめたかったサッチはゆるく溜息を吐いたが、悪友の惨状を見捨てて逃げるわけにもいかないので(ついでにサッチ自身も部屋に一人でいることに飽きていたので)黙ってビニールひもを切り落として蝶結びを作る。

マルコの部屋の壁一面に作られた棚には、それこそマルコの全てが詰まっていた。一番多いのは本だったが、本棚と言うわけでもない。横段以外に仕切りの無い棚は、本を仕切り代わりに秋冬のコートも、ぬかるみを歩く靴も、空き瓶も封を開けない煙草も、どこかの島で手に入れたガラス玉も、誰かが拾ってよこした貝殻も、何もかもがみっしりと詰め込まれている。面倒くさそうに顔をしかめたマルコは、まず一番上の段に乗っている本を全て床に下ろして、他の段に置かれた壊れやすいものを避難させた。次に、全ての棚の本を取り出して、埃を掃いながら読むものと読まないもの、部屋に置くものと船の図書室におくものを分けていく。さらに、読まないものの中で取っておくものと捨てるものと次の島で売るものを分けて、捨てる本をサッチが括っている。マルコにとって本は、たいてい一度読めば事足りるものなので、手元に残るのは絵画や海図と言った眺めるもの、辞書や事典と言った役に立つもの、そして何度も読み返せるもの、というわけで、大掃除のたびに棚は1〜2段空になるのだった。ただし、減らすのも簡単なら増やすのも簡単なのが本、というわけで、またすぐ一杯になるのがマルコの棚である。本の整理にある程度目処がついたところで、マルコはきちんと畳まれた着替えをベッドに放り投げた。そう多いわけでもないマルコのワードローブは、傷むたびに取り換えるのが原則なのでたいして処分するものもない。面倒くせえなあ、といいながらまた畳みなおす服に対して、「それ似合わねえよなお前」と口を出すサッチを「うるせえよい」と黙らせて、整理は終わった。本を括り終わったサッチは、たいしてつまらなそうな顔もせずにベッドに腰かけて、雑然とした部屋を見回している。

本と服の次は、紙の整理だった。無造作にクリップでまとめた紙類-書類だったり、海図だったり、どこぞの島で手に入れた宝の地図だったり、なんとなく捨てられなかったチラシであったり-は、やはり淡々とマルコの手で分別されていく。本の隙間に押し込まれたそれらはいくらでも出てきて、「なんでそんなもん取ってあるんだよ」とサッチですら呆れるような3年前の領収書の束や(去年と一昨年の大掃除ではどうして捨てなかったのか疑問である)、ダブった手配書や(2枚どころではなく、3枚4枚と同じものが出てくる)、もう必要ないだろう電電虫の説明書などは、またサッチに括るよう頼んだ。「そろそろ残りが怪しいんですけど…」と呟くサッチには細々とした日用品が詰め込まれた箱から買い置きのビニールひもを渡す。「こういうもんまで置いてあるから整理が大変なんだろ」と言うサッチの正論は聞こえない。わかっていたら詰め込んではいないのだった。「あとで全部燃やすからいいよい」と物騒なことを言ったマルコに、「まあお前の火なら誰も怪我はしないからいいけどよ」と、何も心配はしていない、という風を装うサッチは、サイズの違う紙束をまとめることに苦戦している。実のところ十字にひもを掛ける作業がとてつもなく苦手なマルコは、ばさばさとサッチの前に紙を積み上げて素知らぬ顔をした。適材適所、其れが一番である。

本と服と紙、が終わると、マルコの棚は随分がらんとしてしまった。あとは、それこそマルコ以外には何の意味もない、誰かの手土産やどこかの島の記念品や、何かの空き箱や歪な石や安い宝石など、一番処分に困るものである。けれども、物にたいしてそれほど思い入れのないマルコは、「燃えるごみ」と「燃えないごみ」の袋を用意して、どんどん棚の者を放り込んでいく。「お前それ俺がやったもんじゃねえの」と、今まさに「燃えるごみ」に放り込まれそうな何かの人形(呪いだか祝いだか何か、サッチ自身も覚えていない)を指してサッチは抗議するが、「よく覚えてねえよい」の一言であっさり「燃えるごみ」の中に消えていった。悔しくなったサッチは、マルコに並んで得体の知れないものを漁ることにする。誰がよこしたのか分からない生写真(3枚100円)、インクのこびりついたペン、傷ついたログポース。「ほんとになんで取ってあるんだよこんなん」と半目になりながらごそごそと棚を探ったサッチの目に、不意に妙なものが飛び込んで、思わず目を擦る。「え、」と呟いたサッチが手を伸ばすと、目ざとくサッチの動きに気付いたマルコの手が一瞬早く「それ」をさらって行った。「…え〜〜?」と、マルコを指差したサッチから眼を反らして、「なんか文句あるか」とマルコはふてくされたように言う。

「それ」は、全体的にはカチューシャである。主に女性が髪をまとめるときに使う、櫛つきの半弧を描いた物体だった。ただし、そのカチューシャには三角の耳がついていたのです。つまりぶっちゃけた話が猫耳カチューシャだった。嫌なものを見られた、という顔で眼を反らすマルコの前で、嫌なものを見てしまったサッチは半眼でマルコを眺めている。先に口を開いたのはサッチだった。「文句は別にねえけどよ、お前そんなもんどうしたんだ」と、かなり譲歩した口調で言ったサッチに、ひとつ息を吐いたマルコはきっぱりと、「エースには猫耳が似会うと思わねえか」と言い放つ。「…それは『どうした』の答えじゃなくて『どうしたいか』であって俺はそんなこと聞きたくないんだけどよ?」と、相手をしてやるサッチは心が広かった。それはもう、海のように。「まあ聞けよい」と前置いたマルコは、「いや遠慮する」と言ったサッチには構わず、とある島のとある店で黒い猫耳を(黒いのだ)見つけた経緯を淡々と、しかしサッチにはわかるある種の情熱をこめて語りあげた。ただし、要約すると、「エースに似会うと思ったから買って、結局どうしようもなくて置いてある」の2言で終わる話である。「ああ、…うん」と、曖昧に頷いたサッチは、「正直エースに似合うとは思わねえし、お前は医者に視力検査かいっそ脳の検査をしてもらった方がいいとは思うが、お前が頼めばエースはそれくらい簡単につけてくれると思うぞ」と言ってマルコの肩をたたいた。いろんな意味で疲れたサッチは、猫耳を手にしたまま何かを考えているマルコを置いて、ビニールひもを掴んでマルコの部屋を後にする。あとはサッチがいない方がはかどるだろう。

マルコの部屋を出たサッチの眼には、開け放されたエースの部屋がうつる。ほとんど何もない部屋を、エースがどう掃除しているのかと思えば、部屋中を水拭きしていた。サッチがマルコの部屋を訪れた時は、エースはまだ船首の掃除を手伝っていたはずなので、随分長いことマルコの部屋にいたのだろう。たったった、とちょうど部屋の奥から雑巾がけで進んできたエースに「よう」とサッチが手を上げれば、「おう」とエースも笑って応える。顔を上げたエースの頬に泥が跳ねているので、「汚れてるぞ」とサッチが左頬を指させば、「こっちか?」と拭ったエースの、その手が汚れていて、染みが広がるだけだった。「終わった後で風呂はいりゃいいな」と言ったサッチに、「そうだな」とエースは頷いて、「マルコの部屋はもういいのか?なんか楽しそうだったけど」とマルコの部屋を指示す。閉じた扉の向こうで、マルコが猫耳を持っているとは言えなかったサッチは、「ぼちぼちってとこだ、日暮れまでには終わるから、手が空いたら俺の方手伝ってくれよ」と、エースの目を反らすことにした。たとえエースが拒まないとしても、猫耳にはそれなりの晴れ舞台があるだろう。あまりその時を想像したくはないが。案の定、「もう終わるからちょっと待っててくれるか」と言ったエースは、たったった、と何度か部屋を往復して立ち上がった。とても少ないエースの私物の、それでも要らないものが隅にまとめられているのを見て、サッチは少しばかり嘆息する。エースぐらい、身軽に生きていきたいものだ。趣味で集めている刀剣はともかくとして、生きているだけで拭きだまって行くものはほとんどが不要である。それは、ためらいなく「集めて」「捨てていく」マルコを見てもわかることで、だからサッチは雑巾を置いて「お待たせ」とやってきたエースの頬をぐいぐい拭って泥を落としてやった。「いてえってサッチ」と顔をしかめたエースがそれでも楽しそうなので、「悪ィ」と言いながらサッチも笑った。長い廊下をサッチの部屋に向かって進みながら、サッチとエースは大掃除が終わった後の一番風呂に浸かることを約束した。どちらも口には出さなかったが、当然のようにマルコも誘うことが決まっていた。

( マルコの部屋は整頓されているけど整理できていない / マルコとサッチとエース / ONEPIECE )