或 る 一 つ の 輪 廻 の 断 絶



グランドラインの真ん中、少し左。地図で言うと、二度目のレッドラインをぶち破る手前、実際にはシャボンディ諸島までまだ距離がある辺りに、有象無象が列を為す島があった。双子岬から意気揚々と帆を上げて乗り出した海賊が、グランドラインの現実にぶつかるのがこの辺りである。航海の前にログポースを手にしている、イコールグランドラインでの行き先を知っていることがまず第一の関門だとすれば、ログだけを頼りに前へ進み続けることへの精神力を試されるのが第二の関門だった。先の-今のところは最初で唯一の-海賊王が示した"ワンピース"への道が、本当にこの先に待っているのか。意気揚々と進んだはずの海賊がぼろぼろになってグランドラインの島々に住み付くのは当然の結果ともいえた。進む道は見えない、されど引き返すこともできない。この先のレッドラインにあがるためには海軍の許可がいる。横道にそれようとも、広いカームベルトが横たわって行く手を阻む。出口まではまた、逆方向に長い長い海原を越えなければならないのだ。

そうして、いつしか「諦めた」海賊ばかりが増え続ける島があちらこちらに生れている。適度に広く、適度に治安が悪く、適度に堕落しているが、それなりにうまくやっているものが多い。海賊とはいえ、周りがすべて海賊であれば誰も彼もただの人間である。奪うことを諦めた海賊が、働かなければ食っていけないことは確かだった。航海士は気象予報士に、船大工はただの大工に、船医は医者に、船のコックはただのコックに。一番使えないのは船長、という辺りが悲しいことだ、と、手に職の無いシャンクスは安酒を呷りながら笑った。シャンクスが海賊王-船長と別れてから、もうずいぶん長い時間が経った気がする。けれども、実際はまだ二年あまりを数えるばかりだった。増え続ける海賊は、船長の愛する海を我物顔に支配して、これが本当に船長の望んだ海だろうか、と、シャンクスは時々疑問に感じている。シャンクスはと言えば、船長の無い今「ワンピース」に興味もなく、すでに上陸した「ラフテル」にも未練はない。二年あまり、ただふらふらとあちこちの島を旅していた。船を興そう、と思わないこともなかったが、なかなかこれだという瞬間にも巡り合わない。いい奴も悪い奴もいたが、そうそう仲間は見つからないものだ。ローグタウンでバギーと別れてしまったのは本当に残念だった。気が合う合わないは別として、あれは仲間だったのだ。シャンクスの。

本当は、海を離れて生きることも考えた。海賊王が、船長が、自ら死にに行った理由も理解できなかった。こどもが生まれるのだと、あんなに嬉しそうに笑った船長がその数カ月後に、笑いながら切り落とされるなんてきっと、船に乗る誰もが予想しなかったはずだ。副船長でさえ。それでも、生まれ故郷のウエストブルーに帰ることもなくローグタウンからグランドラインに続く海流に乗ってしまったのは、シャンクスがシャンクス足り得る場所が海にしかないからだった。理由も理解もない、ただ海を捨ててしまえば、シャンクスの何かが消えてしまうのだと言うことを意識するまでもなくシャンクスは知っている。二年前から手放すことのできない麦わら帽子と同じように。今となれば、シャンクスも島々に吹きだまる有象無象の一部だった。あーあ、と、軋む椅子の足を浮かせて仰向いたシャンクスの後ろを、ちょうど横切ろうとした輩がいる。当然のようにバランスを崩したシャンクスは、とっさに受け身を取ることもできず、手にした安酒をぶちまけながら床に転がる-はずだった。ついでに、横切った相手に喧嘩を吹っ掛けられる未来も予想していたシャンクスが、まあそれでも悪くねえか、と半ばあきらめていたと言うのに、転倒の衝撃はいつまでも襲ってこない。アレ?と首を傾げたシャンクスの頭上で、「俺も悪かったが、お前も狭い店で暴れてんなよい」と、抑揚の薄い声がする。「悪い」と反射的に呟いたら、がたん、と、傾いたときと同じ音を立てて立て直された椅子の上で、シャンクスが手にする安酒はシャンクスの膝をわずかに濡らすだけで、ほとんどグラスに残っていた。ぐるりと首をめぐらせたシャンクスは、そのまますたすたと歩き去ろうとする輩の上着の裾を掴んだ。ずるり、と前を止めていなかったらしいシャツが肩から落ちて、「なんだよい」とシャツを治しながら面倒くさそうに振り向いた男が以外と若いので、シャンクスは笑って手を離す。「や、礼を言おうと思って」と、麦わら帽子を支えながらシャンクスが空の椅子を引くと、男はしばらく考えるそぶりを見せて、それでも素直にシャンクスの隣に腰を下ろした。「何にする?」とシャンクスが尋ねれば、「腹が膨れれば何でも良いよい」と、やはり面倒くさそうに男が答えるので、シャンクスは適当に二人分の食事と酒を注文する。

男は、この街では見ない顔だった。とはいえ、シャンクス自身があちこちをふらついている身なので、よそ者なのはシャンクスの方かもしれないが。しかし、一度見たら忘れないような気がする。どういう構造なのか、ゆるく房になった金髪を左耳の後ろで括って、びっくりするほど青い目をしている。半分閉じていても引きこまれそうなのだから、ちゃんと開けばさぞかしよく光るのだろう。シャンクスの赤い髪もこれはこれで人目を引くが、男の眼はそういう意味ではなく人を引き付けるだろうとシャンクスは思う。ともかくシャンクスは男が気に入った。肩が触れれば殴り合いになるような風潮の島で、悪くすれば剣の抜きあいにもなりかねない場所で、シャンクスの態度を意にも介さない時点で上々である。やがて運ばれてきた飯に、軽く手をあわせて口をつける男のグラスに酒を注ぎながら、「お前名前は?」と尋ねれば、飯を飲み込んでから「マルコだ」と男は-マルコは言った。お前は?とは尋ね返さないマルコに、「俺はシャンクス」と自分から告げると、マルコは差して興味もなさそうに頷く。飯と酒の方が大事そうだ。まあ構わないが。「マルコはここで何してんだ」と、マルコが半分ほど飲みほしたグラスにシャンクスが瓶を傾けると、シャンクスの手から瓶を取ったマルコはシャンクスのグラスに注ぎ返しながら、「次に乗る船の出港を待ってる」と言った。シャンクスは、ふうん?と頷きながらぽつぽつと言葉を交わして、一本目の酒瓶が空になる頃には、マルコがグランドラインの商船を乗り継いでいること、おおまかには用心棒の類だがただのクルーとしても働くこと、海賊船に乗ったことはないこと、シャンクスより1歳年上であることを、マルコから聞きだした。「その顔で18才はねえなあ」とシャンクスがしみじみ呟けば、「お前こそまだ15くらいに見えるよい」とさらりと返されて、それはそれで腹が立つシャンクスだった。童顔なのは生まれつきである。「もっとでかくなったら髭生やすから良いんだよ」とシャンクスはそれで話を打ち切ったつもりだったが、「確かに今は生えそうにねえな」と、マルコに揶揄するわけでもなく客観的な意見を述べられて、「悪いか」と剣呑な眼を向けた。さすがに気を悪くするか、と思ったマルコは「いや、」と至極冷静に首を振って、「まあ人それぞれだろい」と、偉く達観したことを口にした。「やっぱ18って嘘だろ」と、気を削がれたエースはどっかりと椅子に背を預けて呟く。なんでもいいよい、とやはり意に介さないマルコは、手を振って酒を追加している。「あんまり金がねえからそっから先はお前も払えよ」と、奢るつもりだったシャンクスが言うと、「全部割るに決まってるだろい」とマルコは呆れたように返して酒を受け取った。ほら、とマルコが瓶をつきだすので、グラスを差し出しながら「詫びのつもりだったんだが」とシャンクスが言えば、「ただの不注意に、詫びなんていらねえよい」と、自分のグラスに手酌で酒を注ぎながらマルコも言った。だるそうな目に、眠そうな表情をしている癖に、マルコの背筋は伸びている。いいなあ、とシャンクスは思う。これは、とてもいい。頷いたシャンクスは、ぱさりと麦わら帽子を外してはたはたと髪を揺らした。あつい。テーブルの上に麦わら帽子を置いたシャンクスは、軋む椅子の向きをガタガタと変えて、椅子の背に顎を預ける形でマルコに顔を向ける。

「なあ」
「なんだよい」
「お前、俺と一緒に来ねえ?」

シャンクスの声は何の含みもない。緊張も余談も揶揄も、なにひとつ孕まない、それは真摯な声だった。だからマルコが、手にしていたグラスを置いて、シャンクスと同じようにがたがたと椅子を揺らしてシャンクスに向き直って、きっぱりと「断る」と言った時も、「即答はひでえ」と、シャンクスは笑えるのだ。笑ったシャンクスに、マルコも呆れたような笑みを見せて、「そもそもお前は何してるんだよい」と、ようやくシャンクスについて尋ねるので、「海賊だ」と胸を張ってシャンクスは答える。

「仲間は」
「探してる」
「船は」
「まだないな」
「船長は」
「俺だ」
「俺のどこが気に入った」
「全部だな」

一問一答。マルコの質問全てに間髪入れずに答えて、マルコの顔がどんどん諦めを含んでいくので、そりゃそうだ、とシャンクスはまた笑えてきた。シャンクスがマルコでも、可笑しいと思うにきまっている。けれども、シャンクスはそうやって仲間を集めたいのだった。武力でも、権力でも、金でもなく、意気投合した相手を仲間にして、勝手気ままに船を進めたいのだった。海賊王のように。てめえのしたいことを、同じようにしたいと、あるいは許容してくれる仲間を。だから、「先約があるからな」と言ったマルコを制して、「いいよ別に」と、シャンクスはたいして気にはしていない。「無理やり仲間になってもらうのも楽しそうだが、もう乗る船が決まってんなら仕方ねえよな」とシャンクスが返すと、マルコはシャンクスを眺めて、「お前、前はどんな船に乗ってた」と尋ねた。「前?」とシャンクスが聞き返すと、「こんなとこで噴きだまってるような器量とも思えねえが」と、随分買い被ったことをマルコは言う。シャンクスの器量が良いわけではない。あの船の、度量がでかかっただけの話だ。シャンクスはしばらく考えたが、結局「オーロ・ジャクソンだ」と、本当のことを口にする。本当のことだったが、笑わない人間はいなかった。経った二年で、伝説になっている海賊王の船は、だからその乗組員が日常にまぎれて生きているとも思われていないらしい。そうでかい船でもなかった、でも、シャンクスにとっては世界のすべてだった船は、あんなにもシャンクスにしみ込んでいると言うのに。笑われても剣は抜かないと決めているシャンクスがマルコの言葉を待っていると、「へえ、そりゃあ」と言ったマルコは、「じゃあお前は海賊王の髭が鼻毛がそうじゃねえのか知ってんのか」と続けた。一瞬何を言われたか分からなかったシャンクスが、「は?」と問い返すと、「手配書の海賊王の口髭が気になって仕方ねえんだよい」と、やはり眠そうな目でマルコは言う。「で、どうなんだよい?」と促されて、「いや、普通に、髭だったけど」とシャンクスが返すと、「そうか」と頷いたマルコは、それで会話を終わらせるつもりのようだった。「いやちょっと待て」とシャンクスがマルコの腕を掴むと、「どこで待つんだよい」とやはり18とは思えない切り返しをしたマルコは首をかしげている。

「海賊王の船にいた、ってお前、信じるのか」
「信じるも何も、お前が言うんだから俺が疑うことはねえよい」

と、あっさり言ったマルコは、「とりあえず腕を離せ」とシャンクスの左手をぽんぽんと叩いた。シャンクスがぱっと手を開くと、「そろそろ行くよい」とマルコは立ち上がって、ポケットから無造作にコインを取り出してテーブルに置いた。その数が、割り勘にしては多いのでシャンクスがマルコを見上げると、「生きた伝説に会った拝見料だ」とマルコは、唇の端をゆるく上げて笑う。それは一つ間違えば酷薄としかいいようのない表情で、けれどもマルコの青い眼はどこまでも柔らかい色をしていた。「なあ、やっぱり俺お前を仲間にしてえ」と、シャンクスが言うと、「お前には悪ィが、就職はもうちょっと将来性のあるところにしてえよい」とにべもなくマルコはシャンクスを振って、入ってきたときと同じだけの歩数で酒場をすたすたと横切って行く。追いかけて縋ったらほだされてくれねえだろうか、とシャンクスは思ったが、結局止めた。今日のところは完敗だ。きっとまた会える。何しろ、ログの差す先はしばらく同じ島なのだから。まずは将来性のある海賊団を作るのが先決だなあ、と、二本目の酒瓶を空にしながらシャンクスは口角を釣り上げた。あの青色が欲しい。
麦わら帽子は、まだテーブルの上に居座っている。

( 何物でもない頃に出会っていたら / シャンクス17とマルコ18 / ONEPIECE )