瞼 の 裏 に 続 く 世 界



昼下がりの食堂は柔らかな空気に満ちている。朝から途切れることなく続いていた隊員への朝食と昼食の供給を終え、夕食まではまだ間がある、そんな時間だった。厨房内では仕込みを終えたスープの鍋がぐつぐつ煮込まれていたし、メインの肉は冷蔵庫の中で出番を待っている。そして、厨房にほど近い大テーブルでは、なぜか2番隊隊長と4番隊隊長が山のようなエンドウマメのさやを剥いていた。エースは、ぺきり、とさやの頂点を折って、そのままジッパーを下ろすように筋を開いて、ぴかぴかの緑色の実をザルに開ける。その向かいに座ったサッチは、エンドウマメのさやを下向きに持って(茎についているほうが上だ)、筋を前にして親指と人差し指で鞘を押して、ぱっくりと割れたさやから、つやつやのエメラルドグリーンをザルに落とした。「何それすげえな」とエースが言うと、「量が多い時はこの方が楽だろ」とサッチは自慢げに笑って、両手にひとつずつさやを掴んでぱくりと割っている。「すげえなあ」と言ったエースは、それでも一つ一つ筋を取ってさやを開いていた。サヤエンドウと勘違いしているのかもしれない。

エースとサッチは、遅い昼食を取った後、そのまま食堂に居座っていた。今月の夜番であるエースとサッチにとっては、どちらかと言えば朝食に当たるものである。夕食後から任務が始まる夜番には、だからまだしばらく自由時間で、自室に帰ってもよかったエースとサッチは、居心地の良い食堂にいついてしまった。やがて、同じく夜番の隊員や、昼番の隊員たちが皆いなくなってしまって、食堂の掃除が終わっても、エースとサッチの会話は終わらない。そろそろ休みたかったコックたちが、「飲み物と食い物やるから帰りませんか」と促してもエースとサッチが立ち去らないので、「じゃあ口だけじゃなくて手を動かしてください」とふたりの目の前に置いたのは大粒のエンドウマメだった。「暇なら、これくらい剥いてくれますよね」と言ったコックは、たぶん本気ではなかったのだろう。エースとサッチが立ち去ることを期待していたはずだ。けれども、エースはあっさりと「おうわかった」と言ってザルを引き寄せる。

同じように、良くルフィと一緒にマキノの手伝いをしていたエースは(もっともルフィは邪魔ばかりしていたが)特に気にせず引き受けたが、すぐに剥き始めずに一緒にいたサッチをちらりと眺めた。サッチのことだから、押し付けられた作業など放り出して食堂を出ていくかもしれない、と思ったエースの前で、サッチはいそいそとシャツの袖を捲っている。「さやと筋はこっちで、剥いた豆はここに入れような」とサッチは言って、重ねてあった笊をエースとサッチの前に置いた。「つうかその前に手ェ洗わねえと」と言って立ち上がるサッチは、相当やる気のようである。意外だった。サッチに続いて手を洗って、サッチに差し出されたタオルで手を拭いて、エースもテーブルに戻る。およそ400人分のエンドウマメはかなりの量だったが、エースとサッチのふたりでなら何でもないような気がした。さて、とマメに手を伸ばしたエースとサッチの横で、コックが何か言いたげだったが、「心配しなくてもまじめにやるぜ?」とエースが言えば、こくこくと頷いて厨房に消えて行く。しばらくして、厨房から飲み物を運んだコックは、「面倒になったらいつでも呼んでくださいね」と言い置いて、今度こそ帰ってこなかった。

それは簡単な、そして単調な作業だった。それでも、サッチの手際があまりにも良いので、「どこで習ったんだよ」と尋ねたエースに、「下っ端はだいたい食事係から始まるんだ」とサッチは笑う。最初から船長だったエースにはぴんと来ないが、10を超える前から船に乗っていたというサッチにとっては当然のことなのだろう。エースが生まれる前から、ずっと。「サッチはずっとモビーに乗ってるんだよな」と言ったエースに、「ん?まあ、15からこっちはずっとだな」と、剥き終わったさやを集めながらサッチは言う。「でもここ数年はずっと戦ってきたから、さや剥きなんてひさしぶりだ」と言ってにやりと笑ったサッチは、若緑色のエンドウマメでエースを指して、お前と一緒にいると雑用言いつけやすいんだろうな、と言った。「あんまりそうでもなさそうだったけどな」と、コックが置いていった飲み物を一口啜ったエースは、またひとつエンドウマメの頂点をへし折る。くるくると剥く端から丸まって行く筋を眺めながら、「皆の口に入るもんを任せてもらえるってのは、わりと嬉しいもんだ」とエースは言った。そうだな、とサッチはまた優しく笑う。ふへ、と自分の言った言葉で照れくさくなったエースも少し笑って、午後の光が差し込む暖かい食堂で、つやつやのエンドウマメの山を増やして行った。

ところで、モビー・ディックの食堂は、甲板に面したとても明るい部屋である。口に入ればいいというものじゃない、というのが親父の弁で、だからモビー・ディックの食堂と厨房は隊員の居住空間よりずっと良い環境に保たれていた。そうして、厨房とは反対側の壁は大きなガラス窓になっていて、そこからは甲板に座る親父が見える。今日はとてもいい天気なので、エースとサッチが座る厨房脇のテーブルからも、甲板の端にいる親父がクリアに目に入った。「今日もでっけーよなあ親父」とエースが呟くと、頷いたサッチが「あ、マルコだ」と窓の外を指す。広い食堂の端から、これまた広い甲板の端で、大きな親父の前に小さな(親父と比較してだが)マルコが近付いていた。エースが軽く眼を凝らすと、何か書類のようなものを提示しているのがわかる。ツートップだもんなあこの船の、と、副船長のいない白ひげ海賊団を思いながらエースがふたりを眺めていると、不意にサッチが大きく手を振った。エンドウマメを持ったまま。えっ、と思ったエースをよそに、サッチは至極たのしそうに手を振っている。やがて気がついたらしい親父が片手を上げるので、エースも嬉しくなってぶんぶんと手を上げた。ら、親父に促されて振り返ったマルコとばっちり目が合って、エースは軽く固まった。けれども、サッチはまるで意に介さずにぶんぶんと手を振っている。呆れたような眼をしたマルコは、親父に向き直って何事か呟いて、それから親父の前を離れて甲板を横切った。マルコはそのまますたすたと歩いて、甲板に面した食堂の扉を開いて、すたすたと食堂の一番奥の、厨房脇のエースとマルコが座るテーブルまでやってくる。山のようなエンドウマメの乗ったザルと、エンドウマメを持ったままのエースとサッチを見下ろして、「何してんだよい」と言ったマルコに、「「お手伝い」」というサッチとエースの声が重なった。窓の向こうの明るい甲板では、親父が面白そうに三人を見ている。

「『お手伝い』って、お前ら隊長としてのプライドはねえのかよい」とマルコが肩を落としているので、「プライドって食えるのか?」とエースが言い、「自分の食い扶持稼ぐのと変わんねえだろ」とサッチが追い打ちを掛けた。マルコの言うこともわからなくはないが、白ひげ海賊団にいる以上、エースにもサッチにもそんなものは必要ないのだった。力で上に立っているのは確かだが、日常生活にまでそれを持ち込む必要はない。隊員に尊敬されないことと、軽んじられることは違うのだ。事実、気安いサッチも、ゆるいエースも、戦闘中は別人のようだともっぱらの噂である。あくまで噂だと本人たちは気にかけないが。そんなことはわかっているマルコは、「まあいいけどよ」と言葉を濁して、エースとサッチの手元をちらりと眺める。そのままマルコが視線を外さないので、エースが「お前もやるか?」とエンドウマメを差し出したら、「いいけどする前に手ェ洗って来いよ」とサッチがにやにや笑いながら言って、マルコはおとなしく厨房に向かった。「やってみたかったのか」と言ったエースに、「どうだろうな」とにやにや笑いをおさめずにぱっくり割ったサッチの手のさやからは7個のエンドウマメが現れて、「良く育ったなあ」とエースも笑った。

結果から言うと、マルコのさや剥きは散々だった。手を洗ってエースの隣に腰を下ろしたマルコは、いきなりエンドウマメを半分に引きちぎったのだ。当然のように飛び散った豆を洗いに行く羽目になったマルコは、エースに「今の冗談だよな?」と尋ねられて黙りこんでいる。手に乗せたエンドウマメの鞘を見下ろしたマルコが動かないので、「じゃあちょっと俺らのやるとこ見てろよ」とサッチは告げて、エースとサッチはまた剥き終わった豆の山を高くする。ふたりの手がまるで止まることを知らないので、マルコもまたエンドウマメに手を掛けて、…今度は縦半分に引きちぎった。当然のようにばらばらと転がった豆をまた洗いに行ったマルコを前に、サッチとエースは信じられないものを見るような目を向ける。「お前が豆を剥いたことがないのはよくわかったが、それにしてもひでえな」とサッチはにやりともせずに言って、「サッチは小さい時に料理してたからできるって言ってたけど、マルコは」とエースは尋ねた。「…俺は最初から戦闘要員だったんだよい…」と、小さな声で言ったマルコに、「ああ、不器用だったんだなお前」とサッチは言いにくいことをはっきり告げた。「敵倒してくれてる方が食材無駄にされるより良かったんだろうなあ」としみじみ言ったサッチに、「喧嘩売ってるなら買うよい」と、マルコはすでに腕半分が不死鳥だ。

図星だと言ったにも等しい行動に、エースは思わず笑ってしまって、マルコに睨まれた。「や、ゴメン、まあ、もう良いから親父のとこ帰れよ」と、笑いを押し殺しながらエースが言えば、「もう用はないんだよい」と言ったマルコはふくれっ面でテーブルに肘をついてエースから目を反らす。親父に用がなくてもすることはあるだろうに、マルコは席を立たない。休憩か?と首を傾げたエースの前で、「じゃあゆっくりしてけ」と、手を付けていなかった飲み物を差しだしながらサッチは言った。基本的に、サッチはマルコに優しいのだった。半分くらいからかいながら、怒らせながら、怒りながら、笑いながら、それでも結局、サッチとマルコの仲には罅一つはいらない。それはサッチがマルコの一線を超えないからだと言うことを、エースはなんとなく理解していた。エースは気付かないかもしれない一線を、サッチはどこで見分けているのだろうか。ぼんやりふたりを眺めていたエースの手はやっぱり止まらなくて、エースの前には筋がついたエンドウマメのへたが残っている。

エースがぼーっと豆を剥いていたら、「お前は」と唐突にマルコは言った。「ん?」とエースが意識をマルコに戻すと、「お前は船にも乗ってねえのに、なんで豆なんか剥けるんだよい」とマルコが言うので、「船に乗らなくたって『お手伝い』はするだろ?」とエースは返す。エースとルフィが入り浸った酒場の話を、エースはマルコにもサッチにも聞かせていた。だから、「どこで」と聞いたマルコに、「マキノの店で」と告げるだけで、エースのことがマルコにはわかるのだった。「それに、仲間が集まるまでは俺が作らなきゃ飯もなかったしな」と、当たり前のことをエースは言って、くるんと丸まったエンドウマメの筋をマルコに差し出す。「1人で航海した経験は、俺にもマルコにもねえなあ」とサッチが言うので、「その方がいいだろ」とエースは答えて、「1人は1人でたのしかったけどな」と付け加えた。その瞬間、マルコの顔にもサッチの眉間にも皺が寄るので、エースは手に取りかけたエンドウマメを取り落とす。ザルに落ちて良かった。「いきなり怖ェ顔すんなよ」と言ったエースに、「お前今でもひとりで旅してえのか」とサッチが静かに言うので、「はあ?」とエースは気の抜けた声を漏らす。「どうなんだよい」とマルコも詰め寄るので、「俺はこの船にいてえよ」とエースは答えた。当たり前だった。その途端、あからさまにふたりの纏う空気が柔らかくなるので、エースも落ち着いてあたらしいエンドウマメを掴む。ぺきり、とさやの頂点をへし折って、「ふたりして何言ってんだ」と笑ったエースは、「心配しなくても、俺は親父を裏切ったりしねえよ」と言った。言ったエースの頭を、サッチとマルコが前と横からがしがし撫でた。

「そういう心配はしてねえよい」と言うマルコと、「だから心配なんだ」と言ったサッチに囲まれて、エースは「じゃあ何なんだよ」と言いながら、撫でられるままぐらぐらと首を揺らした。結局答えは返ってこなかった。サッチとエースと、それから2さや分だけマルコが剥いたエンドウマメは、その夜の豆ご飯になった。炊き立ての白米に翡翠色のエンドウマメが散らばる豆ご飯は、控えめな塩味でおいしかった。サッチとエースとマルコと、三人で並んで食べたおかげで、余計においしかった。

( だからなんだと言う話 / サッチとエースとマルコ / 豆ご飯 / ONEPIECE )